幕間紀行 『ファントムケイブシティー(14)』
フウサイは、潜入捜査としてわざと『あのお方』の手の者に捕まった。
若い人間たちを連れ去ったとみられる洞窟。その侵入経路を探るためである。フウサイを尾行すれば、洞窟の入口が確認できる。
このとき、フウサイが忍術によって創り出せる影分身を使ってしまうと、もし洞窟に魔法結界が張られていた場合、入ったと同時に影分身は消えてしまう。
影分身の消滅は、魔法を使って潜入捜査をしようとしていましたと言っているようなものだから、フウサイ本体がやらねばならない。
また、攫われた人間は催眠系の魔法をかけられ人が変わってしまうと思われるが、忍者であるフウサイは催眠系の魔法に耐性があるという。それも鑑みて、フウサイならば洞窟内の情報も探れるかもしれないとサツキは考えた。
そしてフウサイは予定通りに洞窟内に潜入。
洞窟内を少し進むと、天井には人間みたいに大きなコウモリがぶら下がっている。人間と見間違うほどのサイズ感は不気味だった。これだけで普通の洞窟とは異なるものに思える。
――あれが、ジッロ殿が言っていたコウモリでござるな。やはり人間たちも洞窟を掘っている。サツキ殿の想像は当たっていたようでござる。
道々には人間が視界を保つための明かりが最低限だが灯されていて、さらに進むと洞窟を掘っている人間たちの姿が見えた。人数もなかなかに多い。攫われた若い人間たちの数は、わかっているだけで数百を超えている。町の規模と状況から、千人以上だとルカは言っていた。フウサイが見かけたのはまだその一部だけだが、みんな無心に働いていた。
担がれて意識も薄いフリをしていたが、途中で下ろされる。
「立てるか」
聞かれて、「はい」と答えた。
男女のあとに続いて最初に連れて行かれたのは、『あのお方』の前だった。
――なんと……。この者どもが言っていた『あのお方』とは、人間ではなかったでござるか。
目の前にいたのは、人間のように二本の足で立つ獣だった。いや、ただの獣であるはずがない。
――おそらく、妖魔。玄内殿が言っていた通り。魔獣化した存在……というより、妖怪そのものでござろうか。
暗がりにいるためはっきりとは姿が見えないが、異様な空気をまとっている。見た目は、顔がキツネに似ているだろうか。細い瞳が輝き、口先が長くとがっていて、モグラのようでもある。手足の爪は鋭い。尻尾は九つに分かれている。こういったシルエットや雰囲気はわかるが、毛並みなど細かい部分までは夜目の利くフウサイでもよく見えなかった。
フウサイを連れてきた男が言った。
「昼間の家からは金を取ってきました。そして、こいつは新しい献上の品です」
「観光客のようです」
女のほうもそう言って、フウサイはなにも知らない観光客のフリをしてうろたえる演技をしていた。
『あのお方』が口を開いた。
「人間よ」
――この者、口をきけるのか。やはり妖怪でござるな。しゃべれずに催眠だけかける類いの存在もいる中、少しはわかりやすいか。
見た目も観光客を装っているフウサイは、一度不安そうに自分を連れてきた男女を振り返り、恐る恐るという感じで、
「な、なんですか」
と聞いた。
「貴様はこれより、ワタシの事業を手伝うことを許してやる。喜ぶがよい」
「じ、事業……?」
「『
「……あの。あなたは?」
名前だけでも聞こうとフウサイが尋ねる。
横から男が言った。
「このお方は
「黙れっ」
鋭く言い放つと、『あのお方』は手を動かして、炎を操ってみせた。炎は男を焼く。しかし、衣服も燃えないし肉がただれることもない。
「うあああっ」
苦しそうにもがくばかりで、身体がしびれて動けなくなったようだった。
――幻術の類いか。
フウサイは炎の性質を考えて、『あのお方』の顔を見上げる。
「すみません。つまらないことを聞きました」
「構わん。ワタシのことは、『あのお方』とでも呼ぶがよい。さあ、人間。ワタシの目を見よ」
「はい」
じぃっと、『あのお方』はフウサイの瞳の奥を覗き込む。暗がりの中でも妖しく輝く瞳は、見た者の目を釘付けにする。
――頭に痛みが……。これは、幻術の特徴。つまり、例の催眠系の魔法をかけられているのでござるな。やはり、ルカ殿の言うようにかなり強力。千人以上にこれをかけてみせるとは、並の妖怪ではないらしい。仮に、催眠の対象が千人に分散させず数十人ほどに留めていたら、耐性を持つ拙者でも耐えるのは厳しかったところでござる。さて、頃を見て……。
耐え忍び、フウサイはカクッと頭をもたげた。
「よし。顔を上げよ」
「はい」
言われた通りに、フウサイは顔を上げた。
「さっそく、働いてもらう。この者を連れてゆけ」
あとは言われるままにこの場から離れればよい。フウサイは催眠系の魔法を耐え忍ぶと、魔法にかかったフリをして行動を始めたのだった。
フウサイの教育係なのか、どこかの班のリーダーなのか、三十がらみの男性がやってきて、フウサイを先導した。
「こっちにこい」
「はい」
歩きながら洞窟内を見ていると、町の人たちがそれぞれに洞窟を掘っていた。入口から『あのお方』への道中に見かけたよりも多くの人が掘削作業している。
――やはり、この町の人間たちがこれほどに働いているでござるか。『
このあと、フウサイが担当させられる掘削作業の現場へ連れて行かれた。
どうやらとても大きな穴を掘っているらしい。
「新入り。おまえはここを掘れ」
「はい」
素直に返事をして、フウサイは作業にかかる。
せっせと掘っていると、別の青年がやってきた。
「よお、新入りか」
「はい」
フウサイは青年の表情をよく観察する。
――洞窟内の人間たちを観察してきたが、ここで働かされた日数によって元の人格などが失われるような話でもなさそうでござるな。どちらかと言えば、催眠系の魔法に強いか弱いか、その性質の差でしかなく、強い命令が下っている時でもなければ、普通の会話もできる程。
それくらいに、青年は操られているというより、元の自我を持ったまま働いているだけの様子であった。だが、愚痴などは言わない。洞窟を掘ることはやるべき仕事としか思っていないのだろう。意識の刷り込みや洗脳に近いかもしれない。
「動きがいいな。元気があっていいことだ」
「はい」
「だが、上は掘りすぎないように気をつけろよ。『あのお方』は光が苦手だからな」
「光、ですか」
「おう。前に掘ったらおれも怒られちまったんだよ」
「はい。気をつけます」
それからも少しだけ話したが、青年からはほかに有益な情報を引き出せなかった。
強いていえば、
「『あのお方』の名前はなんでしょうか」
とフウサイが尋ねると、青年はそれについて教えてくれた。
「知っているのは一部の人間だけらしい。町に取り立てに行く連中だな」
「名前を呼ばれるのを嫌っているのでしょうか」
「いいや。違うって話だ。おれも知らないんだが、『あのお方』は情報を隠して、名前さえ表に出さないようにしているみたいだぜ」
「なるほど」
そして、隙を見て、フウサイはその場からそっと消えた。
忍者にとって、少しの間、抜け出すのはたやすいことである。
――気づかれる前に、サツキ殿に報せを出さねば。
人目をかいくぐり、洞窟の入口に戻った。
入口に見張りはいない。
催眠魔法によって掘削作業を強制されている洞窟内の人間たちに、逃げ出されることを心配する必要はないわけである。
フウサイは入口から出るぎりぎりの場所で、紙に情報を書き記す。五センチ四方の紙片に、小さな文字を書いた。紙を細く丸める。
この諜報結果を伝達するために、フウサイには用意があった。
入口の足元には、カエルがいる。手のひらくらいの大きさだろうか。
実は、フウサイが《
「これをサツキ殿に」
「げろげろ」
ガマガエルが返事をして舌を伸ばし、紙を受け取って口の中に収納した。そうして、ガマガエルは小さな身体でびょーんと跳んで洞窟から離れていった。
「頼んだでござる」
かくしてフウサイはガマガエルをサツキの元へ送り出した。
大切な情報を持たせて。
サツキが今手にしている紙は、フウサイによる諜報結果だったのである。
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