18 『ヒストリックナンバー』

 サツキが準備して外に出ると、城門の前でヒナが待っていた。

 ヒナは機嫌がよさそうだった。


「あ、サツキ。行くわよ。今日は先生いないし、また帰りにどこか寄って……かな、い……? え、なんで二人もいるんですか」


 玄内とバンジョーも行くとはヒナにも言っていなかったらしい。驚くヒナに、バンジョーが胸をそらして言った。


「浮橋教授にうまいもん作ってやるんだ! サツキもきっと喜ぶって言ってたぜ」

「そ、そうね。確かに喜ぶと思うわ」


 弐番隊がそろったところで、玄内がヒナの横を素通りしながら声をかける。


「悪いな。まあ、帰りはサツキと二人でゆっくりしていけや」

「はっ、はい! いいえ、全然悪くなんて」


 先頭を玄内が進み、バンジョーも大きく腕を振って歩き、サツキは最後尾をゆく。一歩前にいるヒナがサツキを振り返る。ちょっと決まり悪く照れたような顔で、


「そ、そういうことだから」

「どういうことかね」


 真顔で尋ねるサツキに、ヒナは言った。


「わかるでしょっ、帰りはまたどこか寄ってこうって言ってるの!」


 つっこむようなテンションで言い終えると、ヒナは大声を出したことを恥ずかしがるように腕組みした。


「そういうことよ」

「ふふ」


 サツキは小さく笑った。

 実は昨晩、ヒナは帰りにまたどこか案内してあげようと思っていたのだ。それで、どこがいいかあれこれ考えていたのである。サツキが興味を持ちそうな場所を調べてある。


「まだ浮橋教授のところに行く前だぞ」


 とサツキが笑うと、ヒナはちょっと顔を赤くして、


「な、なによ。嫌だっていうの?」

「いや。案内してくれるか?」

「当然でしょ。サツキ、前に世界最古の石造りの建築が見てみたいって言ってたわよね。あそこはどう?」

「うむ、見たい。アマデウス神殿だっけか」

「そう。アマデウスは、ロマンスジーノ城とヴェリアーノ広場を結んだ間にあるわ。昨日行った『ほしくずかがみ』からもそう離れていないの」


 ロマンスジーノ城を出発して、ヴェリアーノ広場をもっと先まで進めばコロッセオになる。そう考えると、アマデウス神殿は結構近い場所にあるといえるだろう。


「そっか。案内頼むよ」


 了解、とヒナがニッと笑った。



 このあと、二人で浮橋教授の部屋を訪れた。

 おはようお父さん、とヒナが部屋に入った。


「おはよう、ヒナ、サツキくん。今日も来てくれたんだね。ありがとう。先生もおはようございます」

「おはようございます」

「おう。おはよう」


 浮橋教授は、サツキにも敬語ではなく呼び方もくん付けになっている。昨日地動説の証明について話し合い、打ち解けたからである。


「それで、こちらは……」

「バンジョーよ」


 ヒナが紹介する。


「オレはバンジョーっす! 先生とヒナと同じ弐番隊です! 料理を作りにきました!」

「キミが、ヒナと同じ弐番隊の。よろしくね」

「押忍! よろしくお願いします」


 二人も挨拶を交わしたところで、ヒナが改めて父親の顔を見る。


「あれ? お父さん、ちょっと寝不足?」


 明るい表情の父親の中に、睡眠不足を思わせる目の下のくまがあって、ヒナは心配して聞いた。

 浮橋教授はボサボサの頭をかいて、


「わかるかい? あはは。昨日の晩は、サツキくんの話のおもしろさに、興奮して眠れなかったんだ」


 照れたように笑った。

 ヒナも楽しげに笑って、


「ははは。お父さんったら、相変わらずだね! 今日もね、サツキがいろいろ科学の話とかしたいんだって」

「もちろん! こっちこそいろいろ話したかったんだ。サツキくんの世界の科学のことを」


 サツキのことを、すっかり学者仲間のように思っている様子である。浮橋教授が手を取らんばかりに歓迎してくれているのがわかる。


「サツキくん。よかったら、いろいろ教えてくれないかい?」

「はい。俺は学者でもないので、たいした知識もありませんが、お話する中で情報交換し合えたらと思っています」

「じゃあ、オレは台所を借りますね。気分転換になるようなうまいもん作ります!」


 バンジョーが腕まくりしてキッチンに行く。

 サツキと玄内と浮橋教授が座った。

 そして、ヒナはもう話し始める父とサツキの様子をにこと見て、みんなの分のコーヒーを淹れてやった。サツキが客であることも忘れて、話したくて仕方ない父親の代わりに、ヒナはこまごまと動いて、部屋の簡単な片づけを終えると、サツキの横に座った。

 会話は弾んでいた。


「浮橋教授は、天文学者であり、物理学者なんですよね」

「そうだよ」

「数学者でもあるわ」


 と、ヒナも補足して、


「なんの話してたの?」

「この世界の科学レベルとサツキくんの世界の科学レベル、それらの比較と予想だよ」

「俺の世界の歴史を再認識することで、未来がどうなるのかを話していたんだ。過去を知ることでしか、未来は予想できないからな」


 うん、と浮橋教授は賛意を示す。


「過去や歴史を学ぶことは、未来を予測するためには欠かせない。帝王学の深奥だとぼくは思ってる」

「だな。おれも同意見だ。過去からの学びを軽んじることは浅はかだ」


 と玄内も言った。


「俺の世界のりくとうさんりゃくという兵法の極意書でも、そのようなことが言われています」

「未来予測に帝王学か」


 科学の話をしているかと思えば、そんな話をしていたらしい。


「ヒナ。これから先に起こることの予測は、人を導く役割を担う立場にある人だけでなく、だれもが必要となることだよ」

「そう?」


 これに、サツキが説明する。


「特にその道を極めようとしたら、これからその分野がどうなるか、未来を読む技術は大事だぞ。たとえば、経済のスペシャリストは、現在を見るだけではいけない。今後の経済がどうなるのかは、過去の事象からデータを集め、起こりうる可能性を見ていくことで、これからの経済の変化が予想できる。ファッションだって、どんな周期でどんな流行があったのか、これまでにどんなファッションが存在したのか、過去から知って、未来に視点をシフトする。天気予報なんて過去のデータがなければできない、統計に基づいたものだしな」

「科学も、過去から学ぶことに始まる。科学レベルについての予測も、歴史から推測できる部分もあるだろうって話だな」


 と玄内がまとめた。


「先生とは何度も話したんだが、俺の世界だと、現時点でのこの世界の科学レベルは百年前から二百年前、分野によってはもっと前のものになる。だが、魔法があれば科学の進歩は遅れる。あらゆる事象への理屈が、マストじゃなくなるからな」

「そう。科学の阻害物だな。しかし、魔法と科学はどちらが先にあったのか、この世界のそれはわかっていない。だが、この世界では紀元前からいろんな科学や学問があったことも事実だ。1500年以上も前から、大きく変わらずに存在したものさえある。その一つが、数学なんだ」


 玄内の言葉に、ヒナが首をひねる。


「え、なにかおかしなこと?」

「俺の世界では、数学はもっと急速に進歩した分野だとも言える。遥か昔は、哲学者が数学をしたのだ」

「なんで哲学者?」


 これもヒナにはピンとこない。


「古代の哲学は、一定の対象は存在しない。知を愛する学問だから、それぞれがいろんなことを探究したんだ。この世界の現在でいえば、学者はみんな哲学者と呼んだって感じだろうか」

「へえ。まあ、言いたいことはわかった気がする。みんながそれぞれ知りたい・気になることを探究して、後世の人が学問を分類して、この人の功績はこの分野にこんな発見をもたらしたってなるようなもの?」


 やはりヒナは物わかりがよく、理解が早い。


「うむ。概ねそうだ」

「数学の基礎がない時代の記録が、この世界にはハッキリとは残ってないけど、もし学問の形跡が残っていたら……そんな手順で学問の分類がされていくのかもね。その上で、土台となる思考の始まりを哲学とした。みたいな」

「俺もそう思ってる。それで、俺の世界では国によって言語が違っていたのは前にも話したよな」

「うん」

「マノーラを中心とした場所に、俺の世界ではローマという都があった。そこではローマ数字というものを使っていて、0を表す記号も使わなかった。ゼロの概念がなかったとも言えるだろうか」

「うそ!? そんなことってあり得る?」


 ヒナは素っ頓狂な声をあげた。

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