10 『アストロノーマー』
浮橋教授の部屋は、二階建てのマンションの二階にあった。
部屋の前には、見張り役の兵士がいた。マノーラ騎士団とは雰囲気が違う。四十がらみの兵士が、サツキたちを見て不審そうに尋ねた。
「何者ですか」
「あたしのお父さんがここにいるって聞いて来たの」
「娘……?」
「そうよ。あたしは
兵士にひるむことない堂々たる自己紹介をしたヒナだが、兵士は中の浮橋教授に確認を取っていた。
ノックして呼び出し、兵士が玄関口に入り、中で要件を告げる。
部屋から出てきて、兵士はドアを開けて、
「確認が取れました。どうぞ」
やっと、部屋に入ることができた。
あまり大きくない部屋である。外出の自由がどれほどあるかはわからないが、普通の一人暮らしには充分な八畳間があった。隣には寝室らしき部屋のドアもある。外出さえできれば閉塞感はなさそうだ。
本に囲まれた部屋では、ひとりの男性が机に座っていた。年は四十代前半といったところで、寡黙そうな、しかし穏やかな目の光りをたたえた人だった。円い黒縁メガネと口ひげが特徴的で、細身の身体を白衣が包んでいる。
『近代科学の父』
この人こそ、ヒナの父親である。
世間では、浮橋教授と呼ばれていた。
浮橋教授は席を立ち上がる。
「ヒナ」
「お父さん!」
ヒナは父親の前まで行き、手を取り合った。
「よく来てくれた」
「うん」
「でも、どうしてここへ?」
ニッとヒナは笑ってみせ、
「どうしてって、地動説を証明してみせるために決まってるじゃん!」
「証明……できるのかい?」
「そのために旅をしてきたんだ。旅に出るときにした、お父さんとの約束――みんなとだから、果たせると思う」
ヒナがサツキたちを振り返る。
みんなという言葉とヒナの動きに、浮橋教授はサツキたちを見回した。その中から、見知った顔である玄内とチナミに視線を止めた。
「これは、玄内先生。チナミちゃんも」
驚く浮橋教授に、チナミがぺこりと頭を下げる。
「お久しぶりです。今、ヒナさんと旅をしてます」
「おれも、こいつらと旅をしてる。そして、地動説の証明まで完了させた。今度の裁判、力になってやるぜ」
力強い玄内の言葉に、浮橋教授はうまく声が出ない。
「ほ、本当に、ですか?」
「ああ。だが、功労者はおれじゃねえ。こいつだ」
と、サツキの背を押す。
サツキは帽子を取って挨拶した。
「
「はじめまして」
ルカがお辞儀した。
まだなんて言っていいのかわからなそうな浮橋教授である。だが、気になっていたらしいことを聞いた。
「でも、なぜ先生はまだカメの姿なんですか……?」
ズコッとヒナがこける。
「今はそれはいいの! もうっ」
「まあ、おれもそいつが目的の旅なんだ。こいつらと旅してアルブレア王国まで行けば、この呪いを解除できるんじゃねえかと思ってな」
なるほど、と浮橋教授はマイペースに納得している。さすが学者で教授なだけあり、マイペースな人のようだ。
「でも、考えたらなんで先生がカメの姿をしてるって知ってたの?」
ヒナに聞かれて、浮橋教授はなんでもないことのように答えた。
「昔から親交があったんだが、去年その姿で突然やってきて、研究の話をして」
いつもヒナが持っている望遠鏡は、父親・浮橋教授からもらったものだが、それを浮橋教授に譲ったのは玄内なのである。玄内が発明して、浮橋教授にあげたものだった。
チナミはヒナの隣まで来て言った。
「一週間ほど前まで、ヒナさんたちと
「そうか。ありがとう、チナミちゃん」
浮橋教授がチナミ微笑みかける。
チナミの祖父・海老川博士とヒナの父・浮橋教授は知り合いで、ヒナとチナミと四人でキャンプをしたこともある仲だから、浮橋教授は海老川博士の話にもうれしそうだった。
それから、ここまでの士衛組の近況をヒナが報告した。
客を招くための部屋ではないから、コップもなければ研究用の机以外にテーブルや椅子もない。
だから、魔法で別の空間に行くことにした。
「ルカ、《
「はい」
返事をすると、ルカの手のひらから黒いドアノブが出てきた。
「《
浮橋教授に説明するが、ヒナは初耳だった。
「そんなことできたの? じゃあ、メイルパルトに行ってる間も、会おうと思えば会えたんじゃない」
不満そうにルカをにらみつけるヒナだが、玄内が取りなすでもなく言った。
「ルカが自室にノブを取りつけたのは、メイルパルト王国に行ったあとだ。神龍島でルカからメイルパルト王国での報告を聞いて、いつでも馬車にも戻れるようにしておけとおれが指示したんだ」
「そうでしたか」とヒナもあっさり引き下がる。
「馬車はリラの小槌で小さくしてますが、馬車に戻れるんですか?」
今度はサツキが問うた。
「問題ない。ドアを通ればそのサイズになる。しかも、馬車はおれの甲羅の中だから安全だ」
というわけで、ルカが部屋の壁にドアノブを取りつけると、ドアが浮かび上がった。そこからルカの部屋に移動し、さらに玄内の別荘へとつながるもう一つの黒いドアノブをひねった。
「ここは……」
まだそこがどこなのかわからない浮橋教授は戸惑っているが、「懐かしい空気だ」となにかを感じ取った。
「
ヒナからそう言われて、浮橋教授は驚いた。
「晴和? だから、落ち着くのか」
「さ、くつろいでくれや」
だれになにを言われずとも、ルカがお茶を淹れて運んできた。テーブルに並べて、ゆっくり話をした。
久しぶりの親子の会話は、きっと今までもそうであったのだろう娘の話をゆるやかな微笑で楽しそうに聞く父親という図で、ヒナも楽しそうだった。
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