62 『イストリア王国到着あるいはマノーラへ』

 船は碇を落とした。

 九月一日。

 港町クローネ。

 美しい景観を誇るイストリア王国における、『南の玄関』である。

 石畳と石造りの建築物は、このイストリア王国の特産でもあり、街の中にはいくつもの川が走っているらしい。

 タルサ共和国でも西洋ファンタジー世界を感じられたが、ここから先の国はもう、完全にその色しかない。

 船を降りて、サツキは周囲を見回す。


「水もきれいだな」

「イストリア王国の北東にあるヴェリアーノは、『みずみやこ』と呼ばれているわ。きっと、そこはもっと水がきれいよ」


 と、ルカが教えてくれる。

 これは現在でいえばヴェネツィアであり、仮にサツキのいた時代と地続きならば、都市としての趣きを残し続けたことになる。そんな場所はこの世界にも多いが、自然を残せるのはすごいことだ。サツキは感心した。

 クコがウキウキしたように、


「わたし、『水の都』ヴェリアーノにも行ってみたいです」

「俺もだ。でも、まずはマノーラを目指さないとな」

「はい」


 元気にうなずくクコ。

 船から降り、ここで、アキとエミは軽快に士衛組一行から離れて言った。


「送ってくれてありがとう! 楽しかったよ!」

「すっかり満喫しちゃった! また遊ぼうね!」

「またどこかで!」

「ごきげんよーう!」


 最後にエミがくるっとターンして、二人はピースサインをして去って行った。


「《ブイサイン》」

「《ピースサイン》」


 それぞれ、必勝祈願と安全祈願なのである。士衛組にそんなおまじないをかけた二人は、もう姿が見えなくなる。

 ミナトはくすりと笑う。


「素敵な人たちだねえ」

「うむ。せっかくなら、いっしょにお昼ごはんも食べたかった」

「そうですね。でもまたすぐに会えますよ」


 サツキとクコがそう言うと、ミナトもにこっとうなずいた。


「ええ」


 それから。

 クローネで食事をして。

 チナミの祖父にして『えいきょがん』海老川博士とは、そこで別れることになった。


「オレ、まだ魔法覚えてないっすよ! 悔しいっす! もう少し、オレたちに同行してくれませんか」


 バンジョーが涙を浮かべて叫ぶのを、玄内が注意する。


「わがまま言うんじゃねえ」

「でも、オレこのままあの魔法を使えないなんて嫌なんすよ!」

「大丈夫だ。おれが教えてやる」


 そう言った玄内を、バンジョーは急に怪しむようなジト目でからかうように言った。


「えー。でも、先生あの魔法使えるんすか? ずっと忙しそうにしてたし、こっそり教わっていたようにも見えないんすけど」

「バカ野郎。あんだけ近くで何度も説明聞いてりゃあ、《魔法管理者マジックキーパー》なんざ使わなくても覚えるってもんだ」


 と、玄内は手のひらをバンジョーに向ける。

 拳を握って開くと、その手からはモナカが出てきた。


「うへー! なんで使えるんすか! 教わってたオレがまだ覚えてねえのに」

「だからさっきも言ったじゃねえか。ったく」


 呆れる玄内を見て、サツキはこの亀が天才だったことを改めて思い出す。『ほうがくたい』とも呼ばれる人だから、《魔法管理者マジックキーパー》なしでも魔法を覚える才能が抜群に優れているのだろう。


 ――さすがだな。


 玄内が胸をそらせる。


「さあ。そういうわけだ。おれが教えてやる」

「はい! お願いします! 海老川博士も、ありがとうございました!」


 深々と頭を下げるバンジョーに、海老川博士は優しい笑顔を向けた。


「いいえ。バンジョーさんが使えるようになるところまで導けなかったのは心残りですが、頑張ってください」

「こいつはちっと厳しくしねえと覚えないんで。任せてください」


 と、玄内がバンジョーの教育方針だけ伝えた。


「そんな~」


 バンジョーが嘆いて、みんなが明るい声で笑った。

 そして、改めてお世話になった海老川博士に挨拶する。


「本当にありがとうございました。大変お世話になりました」


 ぺこりとクコがお辞儀して、みなも「ありがとうございました」とお礼を述べた。

 海老川博士はやわらかく微笑んで、


「こちらこそ、みなさんとお話ができてとても有意義な時を過ごせました。サツキさんとの会話は勉強にもなりました。私からもお礼を言わせてください。ありがとうございました」

「海老川博士、チナミちゃんとまた遊びに来るね! ううん、みんなと」


 ニコッとヒナが明るい笑顔で言うと、海老川博士もうれしそうだった。


「待ってるよ、ヒナ」


 今度はチナミが海老川博士の前に進み出て、抱きついた。


「おじいちゃん……」

「うん」

「私、もうちょっと頑張ってくる。ヒナさんやナズナやリラと、そしてサツキさんと」

「うん。頑張っておいで」


 海老川博士は、チナミの体温を優しさで抱き止める。また未来へ走り出そうとするチナミを、もっと遠くへ送り出せるように。それが明日への助走になるように、そっと頭をなでた。

 数秒して、チナミは海老川博士から離れた。小さな手が海老川博士のしわだらけの手を握り、温かさを広げたその笑顔を見上げる。


「またね」

「また。風邪引かないように」


 チナミはおかしそうに苦笑を返した。


「平気。私、丈夫だから。風邪なんて引かない」


 手と手を離し、海老川博士にくるりと背を向けて、チナミはみんなの元へ駆け出す。

 ルカが海老川博士に目礼すると、海老川博士も小さくうなずいた。ルカが魔法《拡張扉サイドルーム》で神龍島の書架と馬車の自室をつなぎ、いつでも本を借りる約束をしているからである。

 最後に、海老川博士がサツキを呼び止めた。


「サツキさん」

「はい」


 みんなに聞こえない距離と声で、海老川博士がサツキに言った。


「チナミのこと、よろしくお願いします」

「もちろん。任せてください」


 その言葉を聞いて、海老川博士は満足そうだった。

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