42 『背中を流すあるいは湯船に浸かる』

 夕刻、空は茜色に染まり、庭の草木も色づいている。

 温泉に浸かりながら、クコはふぅと長い息を吐いた。


「やっぱり温泉はからだがぽかぽか温まります。気持ちも安らぎますし、いいものですね」

「はい。お姉様、リラにお背中を流させてください」


 リラからの申し出に、クコはうれしくなる。


「ほんとう?」

「わ、わたしも……背中、流すよ?」


 と、ナズナも言った。


「ありがとうございます。二人の妹にお背中を流してもらえるなんて、幸せです。では、背中を洗ってしまいますね。お湯をかけていただけるんですよね?」


 まだよくわかっていないクコに、チナミがぽつりと言う。


「とりあえず、背中を洗ってもらうと思ってください」

「なるほど。そういうことでしたか」


 おかしそうに笑って納得するクコ。

 それほど大きくない湯船で泳いでいたヒナが、チナミの元までやってきて、


「じゃあ、あたしはチナミちゃんの背中流すよ! チナミちゃんはあたしの背中流してね」

「べ、別に構いませんが」


 照れたようにチナミが答えて、二人は洗いっこをする。


「ヒ、ヒナさん、やめてください」

「いいじゃないっ」

「お、怒りますよ?」

「えー? チナミちゃん笑いそうになってるじゃん」

「それはヒナさんがかゆいところを……」

「ん?」

「……ぅっ」


 じゃれているヒナからチナミが逃れようとしたり、少々騒がしい。


「私は、ナズナの背中を……」

「逃がさないぞー」


 ヒナとチナミの様子を見て、ナズナはくすりと笑う。


「楽しそう」


 今はクコとリラがナズナの背中を洗ってやっており、久しぶりに姉妹といとこである三人の時間も和やかなものだった。


「……うふ、クコちゃん……くしゅ……くすぐっ……たぃ」

「そ、そうでしょうか!?」

「お姉様ったら」


 と、リラが笑っている。


「ごめんなさいね、ナズナさん。わたし、頑張らせていただきます!」


 だが、クコはただただナズナに喜んでもらおうと一生懸命やっているだけである。その真剣な顔がおかしくて、ナズナはつい笑みがこぼれる。

 ルカだけはひとりでくつろいでいたが、リラが小さく手をこまねいた。


「さあ、ルカさんもいらっしゃってください。リラがお背中を洗って差し上げます」

「そう。なら、お願いしようかしら」


 ふふ、とルカがまんざらでもなさそうに背中を洗ってもらう。


「どうですか? 気持ちいいですか?」

「うまいじゃない」

「よかったです。ところでルカさん?」

「なにかしら?」


 リラは声を落として、こっそり聞いた。


「どうすれば、その……そんなにお胸が大きくなるのか、リラに教えてください」


 ルカはにやりと含み笑いをして、得意そうに言った。


「私の場合は、サツキのおかげね。あの子がいると私の細胞が活性化して、より魅力的になろうと身体が反応するみたいなの」

「それは、医学的なこと?」


 などとまじめにリラが尋ねると、横からヒナが文句を言う調子で、


「ちょっとルカッ! なに馬鹿なこと言ってんのよ! あんた元々そんなんだったでしょ!?」

「確かに、どこかのウサギさんとは違って元々のポテンシャルは違うかもしれないわね」

「ムキー! なんですってーっ!?」

「私、サツキと出会ってまた少し成長してるもの」

「ぐぬぬぅ……っ」


 と、ヒナが拳を握る。

 二人がケンカするのをクコたちがなだめて、六人は再び、温泉に浸かった。湯に浸かるとみんなふわぁっととろけた顔になる。

 まったりとみんなが温泉を楽しみ、それぞれおしゃべりする中、チナミがスッとルカの隣に来て、ささやくように質問した。


「ちょっといいですか?」

「ええ。構わないけど」


 答えながら、普段あまり話さないチナミからなにを聞かれるのか、ルカも興味を持つ。


「あの……さっき、リラに言ってたこと、本当ですか?」

「え?」

「スタイルがよくなるコツです」

「……あ、ああ、それね。本当にそうだと私自身思ってるけど」

「なるほど。そうでしたか。私、背も高くなりたいし、そろそろ成長期なので。コツを知っていたほうがいいかと思いまして」


 なにやらチナミは考えている。


 ――サツキさんのことを考えて、か。ルカさんがサツキさんのこと好きだからってことだよね。じゃあ、私は? 私は……。


 サツキの顔を思い浮かべて、いっしょに過ごした時間を思い返して、急に昨夜のサツキへの独占欲が頭をよぎり、恥ずかしくなってきた。


「チナミ。顔、赤いわよ。浸かりすぎじゃない?」

「い、いいえ」


 ――もしかして、私……サツキさんのこと……。そうなの……?


 ルカとの会話で、チナミは気づいてしまった。だが、それが本当にそうなのかはまだわからない。

 そこで、ルカが言った。


「私からも質問、いいかしら」


 チナミがルカを見上げる。無言で首をかしげていると、ルカが聞いた。


「この家、広いけれど、研究のため? 生活する以外に必要な部屋がたくさんあるのかと思ったのだけど」

「そんなことですか。はい、研究のためといえます。この家の奥、みなさんが足を踏み入れていない場所は大きな書架になっているんです。おじいちゃんが研究のために集めた本たちです」

「じゃあ、生物学の本ばかりなの?」

「いいえ。歴史の本や物理学、数学に薬学など、様々です。ルカさん、興味がありますか」

「ええ」

「だったら、おじいちゃんに言ってみてください。去年までの私には少々難しい本ばかりであまり読むこともありませんでしたが、ルカさんなら薬学の本など、役に立つかもしれません」

「ありがとう」

「いいえ」


 ルカはチナミに感謝しつつ、ちょっとこの小さな少女のことを考えた。


 ――いつもは私の《ねんそう》の修業の相手として、ナズナといっしょに刀剣を避ける練習に付き合ってくれる程度しか話さない。けれど、案外、この子とは話が合うかもしれないわね。


 士衛組の中でも、意外とチナミはだれとも話が合うほうだった。ナズナとヒナとはすでに接点があり、リラとも参番隊としてすぐに馴染み、バンジョーやミナトとは新しい街を訪れたときの甘い物巡り仲間であり、玄内の話も理解でき、サツキとは相談もすれば将棋も指す仲だ。ルカはチナミのバランス感覚に感心していた。裸の付き合いというのはしてみるものだと思った。

 みんなでのんびりしていたところ、リラが最初に湯船を出る。


「リラはのぼせそう。お先に失礼しますね」

「わたしも行きましょうか?」


 クコが心配するが、リラは微笑みを浮かべてかぶりを振る。


「いいえ。大丈夫です。お姉様はもう少し温まって」


 みんなより一足先に温泉を出て、髪を乾かし、リラはサツキの部屋に向かった。


 ――そろそろできているかしら。次のお話が楽しみだわ。


 つい笑みが抑えられない。

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