37 『露天風呂あるいは密談』

 ミナトが海老川博士えびかわはかせの家に戻ってくると、賑やかだった。

 時刻は、午後の二時を十五分ほど回ったところである。ミナトが出かけてから一時間近く経っただろうか。

 クコが朗らかな笑顔で聞いた。


「おかえりなさい、ミナトさん。気持ちのいいお散歩はできましたか?」

「どうかなァ。ただ、恐竜とかいろんなのがいましたよ。会話ができないのは残念でしたけども」


 サツキもミナトに問いを向けた。


「温泉に入りたくないか?」

「え」


 突拍子もない問いにミナトは目を丸くした。すぐに笑う。


「気分的に」

「そうか。チナミたちが掃除をしてくれた。おやつは三時だから、それまでに入ったらどうかと言われていたところだ」


 ミナトは人差し指で頬をポリポリかいて、


「申し訳ないなあ。洗ってもらったうえに、先に入らせてもらえるなんて」

「今日のところは有り難く厚意を受け取っておこう」


 サツキに続けてヒナも腕組みし、


「そうよ! せっかくだからミナトも入ってきたら?」


 と言ってくれた。


「うん。そうさせてもらおう」


 というわけで、サツキとミナトは温泉に入った。

 バンジョーはおやつをすぐに出せるように準備を済ませてから、フウサイと玄内とともに温泉に入る。海老川博士は夜に入るから今はいいということだった。

 温泉は、露天風呂になっている。屋根もあるから、雨の日や雪の日でも利用できる。小さな中庭も見えて、盆栽や小さな木々が綺麗に手入れされていた。竹の生け垣に囲われているが、見える景色はなかなかのものだった。

 湖の面した場所にあるこの家の裏側に、露天風呂はある。そこからだと高さがあり、雄大な自然が楽しめた。

 五人で温泉に浸かりながら、ゆったりとくつろぐ。


「ふひー! 温泉ってのはいいもんだな! なはは、なはは」


 能天気に泳ぎ始めるバンジョー。お湯がびしゃびしゃとはねて玄内にあたっていることにまるで気づいていない。

 玄内は静かに口を開く。


「おいバンジョー。ちとこっち来いや」

「押忍!」


 楽しそうにバンジョーが玄内のもとへやってきて、お湯の中で正座させられていた。


「最高の湯加減、クコ殿たちには感謝でござる」

「ああ」


 フウサイ、サツキと言って、玄内がバンジョーに呼びかける。


「なあ、バンジョー。背中、流してくれや」

「はいっ! もちろんっすよ」


 カメの甲羅を一生懸命に洗う姿はまるで師匠をいたわる弟子のようである。フウサイはそれほど温まりもしないうちに湯を出た。あまりゆっくり浸かるたちではないのだろう。

 ただ二人、湯に浸かっているサツキとミナトだが、


「ミナト。斬ったか」


 とサツキが聞いた。

 玄内とバンジョーには聞こえない声量である。

 ミナトは局長のこの恐ろしい勘のよさに、驚きよりもなぜだか安心感をおぼえる。自分のことをわかってくれている人がいることが、心地よかったのかもしれない。

 ケイトの一件で、己が正しいと信じた道が間違いだったかもしれないと足を取られることもあった。それでも、罪と背中合わせに進んだ。

 しかしサツキは、この汚れた歩みを共にゆき、きっと正義を世界に知らしめてくれる存在のように感じた。昨夜、二人で船のマストの上の見張り台で話して、それは確信になった。今も、やっぱりサツキはいいなと思った。


 ――揺るがない人だ。そして、だれにも媚びない人だから、僕はキミを信じられるんだ。


 自然、ミナトの表情はほぐれていた。


「気づいていて行かせたのです? 局長」


 からかうように言われて、サツキはそっけなく言い返す。


「いや。帰ってきたミナトの顔が……少しな」


 寂しげに見えたのだ。そこまでは言わず、サツキは聞いた。


「おまえこそ、わかっていて出かけたのか」

「まあ、なんとなく……ね。この家に来る途中で気配に気づいたもんで、囮として出て行ったらついて来た。アルブレア王国騎士だ」

「何人いた?」

「十二」

「そうか。感謝する」


 ミナトが出て行くとき、玄内が魔法を与えた。その際、「試すには、物足りないだろうがな」とも言った。だから、その魔法を使う状況があることは確実で、ミナトが本気にならない程度の相手であることもわかった。あのときにはミナトが裏切り者じゃないとホッとしたばかりで頭が回らなかったが、あとでそれがつながって、自然とそんな想像はできていた。そして、やはりミナトは戦ってきたようだった。

 だが、サツキはもうこれ以上なにも言葉が出てこない。なぐさめていいのか、もっと感謝の言葉を伝えるといいのか、状況をあれこれ聞いていいのか、よくわからない。

 追及をしないサツキに、今度はミナトが聞いた。


「彼らは、どうやってこの島まで来たのだろう?」

「数日前から張っていたかはわからない。だが、いずれにしろ来ることができたんだ。俺たちを尾行したほうが食料備蓄の準備もなくていい。そうなるとおそらく、潜水艦だ」

「潜る船か」

「うむ」

「そんなのがもうあるんだなァ」

たかすいぐんなんかは持っていておかしくないだろう。私設海軍って言うくらいだし」

「だねえ」


 サツキは、壱番隊隊長でもあるミナトには言っておこうと思った。アルブレア王国についてのことである。


「もしかしたら、アルブレア王国では、大臣たちが軍事力をいよいよ高めようとしているかもしれない。いや、科学力と軍事力、どちらも増強させるために日々努力しているはずだ。確実に。技術が実ったそのとき、蒸気船が軍艦として動き出すだろう」

「じゃあ、海で戦うのはよくないね」

「うむ。合戦か城攻めがいい。それ以外にも、軍事技術には気をつけたい」

「了解。頭に入れておくよ」


 ふぅと息を吐きながらミナトが高く空を見上げると、サツキは視線を落としたままつぶやくように言った。


「また嫌なことさせたな。悪かった」

「ん? ああ、いいって」


 ミナトには、さっき斬った騎士たちのことだとわかった。


 ――相変わらず言葉足らずなサツキだが、こういうときは言葉足らずなくらいがちょうどいい。


 だからつい笑ってしまった。

 サツキは、ミナトが騎士とのやり取りで嫌な思いをしたかもしれないと察してはいたが、あえて聞かない。思い出させても気持ちのよいものではないだろうから。ミナトがしゃべりたくなったらいくらでも聞くつもりでいた。しかし、ミナトは笑顔で湯に浸かって伸びをしている。

 そんなミナトを横目に見て、サツキは言った。


「ほかのみんなは気づいてもない。先生とフウサイは気づいているだろうけど」

「だろうねえ」

「さっきの騎士たちのことは、知らん顔しておいてくれ。この島の主でもある海老川博士には、俺からあとで伝えておく。潜水艦がないか調べておきたいしな。敵方の技術力調査も兼ねてさ」

「うん」


 二人、少しの間無言で湯に浸かった。

 また、サツキはミナトの横顔をちらとだけ見て、湯船のお湯で顔を洗い、立ち上がった。


「俺はそろそろ行く。のぼせそうだ」

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