30 『海老川博士の家あるいは背比べ』

 海老川博士えびかわはかせの家は、湖の前に居を構えていた。

 まるで見晴らしのいいキャンプ地である。

 案内された海老川博士の家は広く、和洋どちらのエッセンスも持ち合わせた家で、なかなかの大きさだった。ちょっとした豪邸に思われるが、サツキが一般家庭しか知らないからだろう。いずれにしろ、一人で住むには大きすぎる。

 客間は洋風だった。脇の一段高い区画は畳になっており、広いリビングルームである。住人がせいおうこくの人間なのだから、島が西洋にあっても住み慣れた晴和王国風の要素が多いのも当然かもしれない。

 家の中に入ると、チナミがとことこ歩いてゆく。そのあとをヒナが追って、「どうしたの?」と聞いて、すぐに察した。ヒナがニッと笑って「なるほどね」とつぶやき、二人は柱の前で足を止めた。


「ヒナさん、書いてください」

「オッケー」


 チナミが柱に背を合わせ、ヒナが絵本を柱に沿ってすべらせ、頭に合わせて、身長を書き込んだ。名前と日付だけが記されている。


 ――一年ぶりの背比べ。どうかな……。


 ドキドキとチナミが待っていると。


「あ、伸びてるよチナミちゃん!」

「本当ですか」


 いつもクールなチナミの声が弾む。だが、柱を見比べて、たったの一センチしか伸びていなくて複雑そうにしていた。


「あたしのも」

「じゃあ、私が書いてあげよう」


 海老川博士がヒナの身長も書き込んで、


「やった! 五センチも伸びた!」


 とヒナは喜んでいた。

 サツキはそれを見て小さく笑った。


「俺もよくやったな。いや、今も実家にいとこが来たときはやるけど、この世界でもあるんだな」

「はい。サツキさんもどうですか」


 そうチナミに勧められて、サツキたちも柱に身長を書き込んでもらった。

 一番小さいチナミは、たくさん刻まれたラインを眺め、次に来るときまでの目標にしようとこっそり想いを忍ばせた。


「さあ。飯にしようぜ!」


 バンジョーが呼びかけて、船でこしらえていた昼食をテーブルに並べる。

 食後、海老川博士が冷やしておいてくれたサイダーを氷の入ったグラスに注いでみんなで飲む。


「夏にサイダーはいいですね」

「うむ」


 クコもサツキもすっきりした喉ごしに胸がすく思いがした。

「シュワシュワ」とチナミがつぶやきおかわりして、ナズナは炭酸がそれほど得意じゃないのかちびちび飲む。

 ふと、クコがバンジョーの飲み物に気づく。


「あら? バンジョーさんはコーラですか」

「おう! コーラもあるって言われたんだ」

「似合うなァ」


 ミナトもバンジョーに倣っておかわりはコーラをいただき、ヒナが炭酸にむせたところをルカが笑う。


「フ」

「ゴホゴホ、笑うな」

「がっつくからむせるのよ」

「まあまあ、お二人とも」


 リラがなだめて、玄内に聞いた。


「先生はサイダーもお好きなんですか?」

「先生は風流を愛するお方、季節に合うものなんでも楽しもうとなさるでしょう」


 横からミナトがそう言うと、玄内はニヤリと笑った。


「わかってるじゃねえか、ミナト」

「それで、この世界の秘密について、わかったことがあるんでしょう。あたしにも教えてよ」


 ヒナが身を乗り出してサツキに呼びかける。

 しかし、海老川博士が言った。


「まだ十三時前。チナミ、ヒナちゃん。まずはお部屋の案内を先にしてあげて」

「うん」

「わかったよ」


 海老川博士も「うん」とうなずき返し、みんなに向かって、


「お話は、このあとおやつでもいただきながらにしましょうか。それまではご自由にお過ごしください。部屋は自由に使って構いません」


 人を呼べるようにはつくっていたようで、客室も四つある。それとは別に、海老川博士の部屋とチナミの部屋があった。

 今日はここで一泊することになっていたから、チナミはナズナとリラに呼びかける。


「ナズナ、リラ。今日は三人で寝よう」

「うん」

「そうだね」


 ナズナとリラが同意する。

 だが。


「ちょっとチナミちゃん! あたしは!? あたしもチナミちゃんたちといっしょに寝るー!」


 ヒナに抱きつかれて、チナミは困惑の色を浮かべる。


「ベッドには、三人が限度です」

「そんなのやだー」

「今夜は参番隊の結束を高めます」


 チナミがそう言ってヒナが駄々をこね、リラとナズナが顔を見合わせて苦笑いを浮かべた。


「ずっとチナミちゃんに聞いてた、おじいちゃんのおうち……いいね」


 お隣に住む幼馴染みだったナズナとチナミだから、何度もおじいちゃんの家については聞いている。ナズナはいつか行きたいと思っていたし、チナミもいつかは招待したいと思っていた。


「前に、連れてくるって約束したもんね」

「うん」

「ちょっとチナミちゃん、あたしのこと忘れてない? お願い、いっしょに寝ようよ」


 駄々っ子ヒナの粘りの甲斐もあり、結局は参番隊とヒナがチナミの部屋でいっしょに寝ることになった。チナミの部屋は布団を敷く形だから、四人が並んで寝ればいい。他の部屋は、ベッドが二つずつある。クコ、ルカが同じ部屋で、サツキとミナトが同室、フウサイとバンジョーが同室になった。

 玄内はというと、


「おれは海老川博士と遅くまで研究の話をする」


 とのことで、海老川博士の部屋になった。玄内はカメの姿になってからは寝なくても平気らしいし、研究に没頭すると二、三日起きていることもあるため、ここではしっかりと眠るつもりはないかもしれない。

 荷物をそれぞれの部屋に運ぶと、ミナトはふらりと玄関へ足を向けた。


「ミナト、どこへ行く?」

「僕はちょっと散歩してくるよ。バンジョーさんの大福を食べる前に、小腹をすかせようかと」

「うむ。そうか」


 普段であれば、ミナトはどこか散歩に行く場合でも遊びに行く場合でもいっしょに行こうとサツキを誘うのに、今日はそんな様子はない。サツキも同行しようか迷ったが、ミナトは一人で出かける雰囲気だったから、それ以上なにも言わなかった。


「出かける前に、これをどうぞ」


 そう言ったのは、海老川博士である。海老川博士は手のひらを出してそれを握り、また拳を開くと、ぽんとモナカが出てきた。


「モナカだ。僕好きなんです」

「実は、魔法でお菓子を出せるんです」


 バンジョーが首をひねり、


「ん? でも、博士は動物の言葉がわかる魔法じゃなかったか?」

「おじいちゃんのもう一つの魔法です」


 とチナミが言った。


「私が元々使っていた魔法が、動物の言葉がわかる魔法《動物ノ森けものふれんず》。そしてお菓子を出すこの魔法《りょく》は、お菓子が好きなチナミのために、学者仲間から教わった魔法です」


 チナミと海老川博士がそう言うのを聞いて、ミナトはうれしそうにモナカを手に取って一口かぶりつく。


「うん。おいしいです」


 にこにこするミナトだが、ふとモナカを見つめる。


「なんだか力が湧いてくるなあ」

「おじいちゃんの魔法は《りょく》。このお菓子は、魔力によって作られたものです。そしてそれらは、食べると魔力回復の効果があります。原料が魔法なので太りもしません」


 チナミの説明にクコが手を合わせて、


「まあ。素敵な魔法です」

「きっと、船を降りるまでサツキ様とずっと修業をしていたから魔力消費も大きかったのですね」


 リラが納得する。

 ミナトはそれを聞いてまたにこりとした。


「助かります」


 サツキがミナトに呼びかける。


「遅くならないうちに戻ってくるんだぞ」

「たぶんすぐ終わる」


 とミナトが短く答えた。

 玄内はなにか気づいたように目を細め、ミナトの前へと歩いてゆく。


「《魔法管理者マジックキーパー》」

「なんです?」


 手の中に鍵を出現させた玄内を見て、小首をかしげるミナト。


「後ろを向け」

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