18 『科学の進歩あるいはスチームパンク』
サツキにとって蒸気船は、産業革命のトリガーのように思えるものだった。
そもそも、サツキのいた世界の蒸気船というのは、産業革命の核ともいえるものなのである。
幕末、ペリーが日本に来港したとき、初めて蒸気船というものを見た日本人は腰を抜かして驚嘆したらしい。武力をちらつかせて威圧するペリーに、日本人は恐怖を覚えた。だが、日本人という民族はどうやら世界でもまれな創造力と頭脳を持つらしい――当時ほかにもあまたの国が蒸気船と大砲を見ては恐怖しておとなしく欧米列強から支配されたものだが、日本人は違った。翌年には自分たちの手で蒸気船『鳳凰丸』をつくってしまった。
要するに、日本人は、他国の文明など未知のものを見たときに受ける刺激が、どこか世界中の他の国の民族とは違っているようなのである。
「欧米こそが最先端で目指すべき正しい文明」という、明治期以降の教育活動の影響は、後世にも残り続けている。もっとも、その頃の政治機関と体勢が続いているのだから当然だが。
日本にとって外国が素晴らしい目標とされ続けるのはともかくして、外国を見る目とそのインパクトが大きいのは島国特有の性質であるかもしれない。逆に、それでも文化を守り続ける習性は日本人の持つ元来の性格であろう。イギリスやイタリアなど、古い建築物や文化を残すことは、それこそが多様性と彩りを世界に与える。
そして、日本の蒸気船開発も、武力制圧される恐怖から来ていた可能性も大いにあるだろう。恐怖というものが人間の文明、産業をもっとも飛躍させるのも事実であった。
要するに、当時の日本で、その技術体系の根本的な部分にあったのが、蒸気船なのだといえた。
だからサツキは驚いた。
もしこれで世界規模の争いが起きれば、産業革命は近く引き起こされることになるかもしれない。革命が起きずとも、あっという間に世界は科学技術を競い合う世になる。
ただし、それを阻むのが、サツキもこの世界に来てから常に学び続けている魔法の存在であり、この力があるからこそ、科学は伸び悩んでいる。
それらのバランスがどうなるか次第で、科学の世界が広がるのかもしれない。
また、科学の進歩があっても、蒸気機関に眼目が置かれていくと、スチームパンクの世界に引き寄せられる。
「サツキ、気になることでもあった?」
考え込んでいたサツキに、ルカが聞いた。
「昨日、先生と科学技術について話していたんだ。未来視はできないし、歴史に『
「産業革命……」
総長であるルカには、今後の科学と戦争の動きについても話しておいていいだろう。
そう思ったとき……。
一隻の船が、こちらに近づいてきた。
船はいつから近づいてきていたのかわからない。気づくのが遅れたのも、相手の船の速度が速かったせいだろうか。
敵か味方か。
ルカが警戒し、サツキも目をこらす。
――あれは、蒸気船か。
サツキは顔に出さないまでもまた驚いた。この世界ではめずらしい蒸気船。ちょうどその話をしていたものだから、この邂逅になんらかの意味があるのではとさえ思ってしまう。
――まさか、俺たち士衛組を追ってきたアルブレア王国騎士では……?
アルブレア王国には、国を守るための兵士たちがいる。それがアルブレア王国騎士ではあるのだが、彼らは国の命によって動く。国の命令は、当然政治家が出す。アルブレア王国乗っ取りを企むブロッキニオ大臣は、士衛組を悪だと吹き込み、士衛組を襲わせているのである。何度も追い払ってきたし、騎士個人によっては王女の捕縛のみを狙いとする者もいるが、戦いを避けられた試しはない。
メイルパルト王国で追い払って以来だから、次の攻撃がいつ来てもおかしくはない状況だった。
――もし、追っ手がアルブレア王国騎士で、俺たちを攻撃する気なら、
海流の切れ間を通り抜ける場合、敵も蒸気船であれば、追いつかれたら同じタイミングで侵入されてしまう。向こうも船足は速いし、追いつかれてしまったら、今度も戦いは避けられない。
玄内も目を向ける。
サツキ、ルカ、玄内が警戒態勢に入ったところで……。
こちらへ近づく船から、人が飛んできた。
魔法によって空を飛んだのだとわかる。
甲板には何人かが立っているとわかる程度に距離も縮められ、さらに人間も飛来してくる。
――なんだ、あれは……。
飛ぶスピードはなかなかに速く、あっという間にサツキたちの前に降り立った。
それは、青年だった。
――アルブレア王国騎士……では、ない?
初対面の人がこちらの船上にやってきたものだから、怖がりなナズナはサツキの左手を握って半身を隠れるようにした。
「大丈夫だ、ナズナ」
そっとささやくようにサツキが言ってやると、ナズナはわずかに緊張をゆるめた。
「は……はい。ありがとう……ございます」
「うむ」
と、サツキはやわらかい表情でうなずく。
前にメイルパルト王国のピラミッド内でも、
「一番安心できる場所にいるといい」
と言われたから、ナズナはそれ以来なにかあるとついサツキの横に来てしまうのである。サツキがだれにも負けない強さを持ってるわけじゃないとわかっているが、不思議と安らぎを与えてもらえる。こればかりは感性の問題だから、ナズナも言語化できない気持ちだった。
「いい船じゃ! 気に入った」
りゃりゃ、と笑いぐるりと船を見回して、青年がおおらかな声でそう言った。戦国武将のようなしゃべり方である。
――
ウルトラマリンのような濃い青色のマントの下は袴姿で、茶筅まげという奇抜なかっこう。晴和王国の衣装であり、晴和人の顔立ちだった。
サツキの警戒心は、相手が晴和人であることで多少解けた。だが、不思議な共鳴を覚える。
――この人は、不思議だ。なにかが、俺を引き寄せる。
物理的に引き寄せられたわけではない。たとえば、波長が合う、といった感覚だろうか。
「……ん。何者が乗っているかと思えば……」
青年の目は、リラで止まる。
「リラか。久しぶりじゃ」
鋭く力強く凛とした眉。腰に下がっている太刀は、混合六十五振りの一つ、『
思わず目をしばたたかせて、リラは小さく息を吸い、丁寧にお辞儀をして言った。
「オウシさん。その節は、お世話になりました」
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