16 『三手の読みあるいはマテマティック展開』

 タルサ共和国の港町マリノフを出た翌日、日が充分に高くなってきた頃。

 チナミがサツキを見上げて言った。


「あと一時間もすれば着きます」

「そうか。チナミはしんりゅうじまにも行ったことがあるんだもんな」

「はい」


 このとき、チナミはじっと待っていた。イルカが跳ねるのを、である。そのときがやっときた。


「サツキさん」


 思わず腰に抱きつきかけ、前方を指差した。


「うむ。イルカだ。チナミが言っていた通りだな」

「あのイルカはよく飛びます。ゴマイルカというんです」


 チナミは、サツキたちに先行してマリノフに到着後、ヒナとゴマイルカを見かけた。そのとき、サツキにも見せたいと思ったのだが、やっと見せることができて満足した。


 ――サツキさんのこの顔は、少し楽しそうに見えるかな。


 せいおうこくうらはまでは、サツキとナズナといっしょに水族館に行き、チナミはサツキのイルカ好きなことを知った。だから見せたかったのである。

 現在――

 甲板の上には、修業をしている者が集まっていた。ミナトはマストの上にある見張り台にのぼって昼寝をしており、バンジョーが厨房で料理をしている。海老川博士えびかわはかせが舵を切っているため、その他の者は甲板で修業しており、玄内はみんなの修業を見てやっていた。

 サツキとクコは、忍者フウサイの影分身を相手に、一対複数を想定した修業をしており、サツキの番が終わってクコと交代したところだった。

 ひとり《ねんそう》のコントロールの修業をしていたルカが、サツキの横に来て聞いた。


「サツキ。私のコントロール、よくなってるかしら?」

「ああ。また精度が上がってるな」

「戦略に組み込めそう?」

「うむ。大事な局面でこそ、真価を発揮できそうだ」


 大事な局面、という言葉にサツキからの信頼がうかがえて、ルカの頬はじんわり桃色になる。変わらずの無表情だが、うれしそうに声が弾む。


「そう。ならよかったわ。三つ同時操作の修業、頑張るわね」


 ルカは、サツキの提案から三つの刀剣を同時に操る修業を続けていた。先のメイルパルト王国での戦いでも三本のコントロールで戦っていたのだが、この三つという数字がポイントになる。

 サツキがチナミと詰め将棋をやり始めた頃、


「三手の読み、というのがあります」


 という話を聞いた。


「なんだ? それは」

「自分がこうしたら、相手がこうする。だからこうする。という思考です。もっと言えば、王手を指したいから、相手にこう指してほしい、だからこうしよう、という論法です」

「なるほど。それが三手分だから、三手の読み、か」

「はい」

「自分の思惑通りに進めるために、相手にどう動いてほしいかを思考する必要があるってことだな」

「そういうことです。マテマティック展開という思考展開は、これを三段数式としたケースを応用して生み出したと言う人もいるくらいに、この三手には意味があります」


 マテマティック展開は、サツキの世界にはなかった言葉である。思考展開としては、極めて論理的思考で推論を立てるようなものらしい。サツキが聞いたところでは、シャルーヌ王国の皇帝・フィリベールが考案したという。フィリベールは、世界が動乱を迎えようとする現在、他国に先駆けてシャルーヌ王国の動乱期を収束させ、国を安定に導いた。天才的な軍事采配でシャルーヌ王国を統一して皇帝にまでなった人物である。

 また、三段階の思考によってこれを行う三段数式も、三手の読みと同じく三回だからこそ効果的なのだという。


「一手詰はできるのに、三手詰になると途端にできなくなる人がいるという話を聞くのは、ここが最初のハードルなんだろうな」

「ヒナさんもナズナも、詰め将棋を教えても三手詰から苦手意識を持ってやってくれません」


 昔は詰め将棋をやってくれる相手がいなくてさみしかったチナミだが、今はサツキがいるので、なんだかなつかしい笑い話の気分になる。

 サツキも、ヒナやナズナだと確かにそうだろうと納得して、


「代わりに俺が解くさ」


 と苦笑したものだった。

 そんないきさつがあり、サツキは、ルカが必要なときに「三手の読み」で仕留める感性を身につけ、慣れさせるために、三本を同時に操る修業をするよう進言したのである。


 ――ただ、マテマティック展開は近いうちに学びたいな。あとで先生に聞いてみよう。


 玄内にわからないことはないが、普段からなんでも教えを請うわけではない。サツキも自分で一度調べてみて、クコやルカにも聞いてみて、それでもわからないときに聞くようにしている。玄内は玄内で研究もあって忙しいのである。

 ルカは三つの武器をしまい、ふうと息をつき、サツキにそっと歩み寄った。


「ねえ、サツキ。私ばかりが教えを請うというのでは、お姉さんとしてたまにはいいところを見せたくなるの。なにか教えてほしいこととかない?」


 近い距離感で熱い視線で見つめられると、サツキも困ってしまう。


「ううむ……。そうだな……」

「遠慮はいらないわよ? 私の秘密でも男女の道でも、なんでも、教えてあげるわ」


 そこまでをサツキの耳元に吐息がかかる距離で熱っぽく言ったところ、ヒナがダダダッと駆けてきて、ルカからサツキを引きはがした。


「ちょっと待ちなさいよ! あんたなに言ってるわけ!?」

「私、サツキと話してる最中なんだけど。邪魔しないでくれる?」

「おかしなこと言ってるから止めたのよ! なな、な、なによ! 秘密とか、男女の道とかっ!」


 赤くなって必死につっこんでいるヒナだが、横からリラが顔を出して穏やかに言った。


「修業中になにを話してますの? ルカさんも、恋愛経験なんてないんですもの、無理なことは言わないほうがいいですわ」

「……っ」


 恥ずかしさを隠すように、そしてちょっとむっとしたようにそっぽを向くルカである。ルカとヒナはよくケンカするし、クコが止めに入っても騒がしさがおさまらないことも多いが、リラが止めに入るとすんなり片づくのがチナミにはおかしかった。


「ヒナさんも、玄内さんに怒られないうちに早く戻りましょう?」

「そ、そうだったわっ! サツキに変なことはするんじゃないわよ! リラ、見張っといてよ! いいわね? じゃ」


 と、ヒナは玄内に怒られないうちに戻るため去って行った。


「見張りなんておかしい」


 とリラは笑っている。よくそんな単語が出てくるものだと思ってしまう。よほどヒナのルカへの信頼はないらしい。

 ナズナもやってきて、


「リラちゃん、チナミちゃん……修業、続けよう?」


 と声をかける。

 チナミはこくりとうなずき、リラも「そうだね」と言って三人は修業に戻った。やはりチナミとリラの両者と仲が良いナズナは参番隊をつなぐ接着剤になっている。それもナズナのやさしさのおかげか、参番隊という部隊がまるいやわらかな空気で包まれている。

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