35 『海老川博士とチナミ』

 タルサ共和国、港町マリノフ。

 昨日、ここに弐番隊の三人と共にやってきたチナミは、港から海を眺めていた。隣にいるヒナは観光気分で楽しんでいる。


「ヒナさん、なにを探してるんです?」


 額に手をやって遠くを見るポーズのヒナ。


「あ、やっぱり! ほら、チナミちゃんっ! ゴマイルカだよ!」

「このルーリア海にだけいるイルカですね」


 背中にゴマ模様があるイルカである。サツキのいた世界にはいない種のイルカであり、イルカとしてはやや小さいが、泳ぎは速いしよく跳ねる。


「ぴょんって飛んでるっ」

「いいジャンプです」


 ――そういえば、サツキさんはイルカが好きって言ってた。水族館でも、白いイルカ、三人で見たな。


 と思い出して、チナミは頬が緩む。浦浜うらはまを訪れたとき、サツキとナズナと三人で水族館に行ったのは楽しい思い出だ。この海でもイルカがいると話したらきっと喜ぶだろうなと思っていると、バンジョーと話をしていた玄内が、低く響く声で言った。


「どうやら、お出ましみたいだぜ」

「……?」

「なにが?」


 と、ヒナが振り返る。

 それよりほんわずかに早く振り返っていたチナミは、もう走り出していた。そしてチナミは抱きつく。


「おじいちゃんっ」

「チナミ。元気だったかい?」


 チナミは顔をあげてうなずいた。


「うん」


 チナミたちの前に現れたのは、海老川博士だった。

えいきょがんかわせい

 海老川博士は、チナミの祖父である。生物学者でもある。士衛組が目的地とする神龍島で竜の研究をしている学者であり、ヒナの父とも顔なじみなのだ。むろん、ヒナも海老川博士のことはよく知っていて、ヒナの父とチナミと海老川博士と、四人で研究のため野営した経験が何度もある。

 約一年ぶりの祖父との再会に、チナミは素直に年相応の子供らしい笑顔を浮かべていた。


 ――よかったね、チナミちゃん。


 再会を喜ぶ二人を見て、ヒナは優しく微笑む。


「チナミ。来てくれたのかい」

「うん」

「遠かっただろう」

「うん」


 と答えながら、チナミは顔を海老川博士の胸にうずめている。再会のうれしさでつい涙が目の端に浮かんでしまい、それを隠すためだった。

 ヒナは小さく息を吸って、明るい笑顔をつくって前に進み出て挨拶した。


「お久しぶりです! 海老川博士っ。ヒナだよ」

「ヒナちゃんもよく来たね。話には聞いていたよ、チナミといっしょにいるってね」


 あたたかい笑みをヒナに向ける海老川博士。

 好々爺然とした穏やかな人で、今年六十二歳になる。目下の者にも物腰のやわらかな接し方をするので、海老川博士を慕う若い学者も多く、ヒナは「なんでもしゃべりやすいおじいちゃん」という印象を持っていた。『叡智の巨岩』という厳かな呼び名に似合わぬ距離感で接してくれる。

 改めて海老川博士を見て、ヒナは以前との視線の高さの変化に気づく。


 ――あ、海老川博士の身長追い越したかも。


 海老川博士は背も低く、今ではヒナとも視線があまり変わらないほどだ。余談ながらチナミはこの先もあまり背が伸びないのだが、それは祖父の遺伝によるところが大きいといえる。

 ヒナは左手を開いて玄内とバンジョーを示し、


「紹介するね! いっしょに旅をしてる玄内先生とバンジョーだよ」


 紹介された二人は名乗った。


「玄内です」

「オレはバンジョーです。旅の料理人です。料理一筋の料理バカって覚えてくださいっす。オレから料理取ったらなにも残らないんすけどね。へへっ」

「今は別行動中でここにいないんだけど、ほかにも仲間がいるんだ。サツキとかミナトとかナズナちゃんとか。ね、チナミちゃん」

「はい」


 こくりとうなずいたチナミの頭をなでて、海老川博士は言った。


「クコ王女たちのことだろう? ふじがわ先生から手紙をもらって聞いてるよ。食事でもしながら詳しい話を聞かせてくれないかな」

「うん。おじいちゃんに話したいことがたくさんある」

「そうかい」


 孫の言葉にうれしそうに破顔する海老川博士だった。

 実は、チナミが好きなぺんぎんぼうやの作者と同じ名前が祖父の口から出ていたのだが、チナミは再会の喜びで胸がいっぱいになり聞いていなかった。それを知るのはほんの少しあとである。

 そして、ミナトがこの五人と合流するのが、その数日後になる。

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