28 『歴史と名前』

 部屋には、サツキとクコとルカの司令隊が残った。組織の頭脳である局長、副長、総長の三人である。


「サツキ様も、はっきり言えばよかったのに」


 とクコなんかは不器用なサツキを思うと、呆れたような安心したような苦笑がこぼれてしまう。


「それは、士衛組のためにならないのよ。そんな甘い言い方はそぐわない。ただそれだけ。ね、サツキ」


 最初からケイトを生かす道を残していると知っていたルカ。

 だが、サツキはあくまで無愛想である。


「なんの話だか」


 とぼけるサツキを見て微笑し、ルカは部屋を出る。


「私は準備にかかるわ。クコもあんまりゆっくりしてないでね」

「はい」


 答え、クコはドアが閉まるのを待つ。

 パタンとドアが閉まると、クコは不安の色をたたえて聞いた。


「サツキ様。もし、ケイトさんが本当に西へ行ったら……」

「そのときは、斬ってもらわねばならない。ケイトさんのためにも」

「ケイトさんのため……ですか?」


 これでは、本当に斬らせるつもりもあったように聞こえてしまう。

 意味がつかめず、クコは小首をかしげる。


「うむ。生かしてブロッキニオ大臣の元に帰らせたら、どうなるか。想像したことがあるか?」

「……」

「ケイトさんが『士衛組は悪い人たちじゃない、分かり合えるかもしれない』などと言った日には、ケイトさんは、俺たち士衛組に操られていたとして、始末される可能性が高い」

「え……」


 考えてもいなかったことに、クコは口を押さえる。


「ブロッキニオ大臣派のだれか……ブロッキニオ大臣にとって死んでも惜しくない者を本当に殺害し、その殺害の罪をケイトさんになすりつける。最悪の場合、邪魔なクコの両親を殺害してその罪をケイトさんに押しつけるだろう。そうした嘘の噂を広めさせ、士衛組としてのケイトさんを見せしめに殺す。文字通り、ケイトさんと士衛組は国に盾突く反逆者だ。結果、ブロッキニオ大臣にとって邪魔な存在――国王夫婦を始末しながら、ブロッキニオ大臣の正義を示しつつ、士衛組の評判を一気に底に落とすことができる。そのとき、歴史的な暗殺をした存在として、ケイトさんの名前は汚れるだろう」


 だから、サツキとしてはケイトをブロッキニオの元には帰せなかった。

 ブロッキニオ大臣は、クコとリラ以外ならだれでもためらわず殺す。サツキも死にかけたこともあるし、それはクコも理解している。


「だが、ケイトさんをブロッキニオ大臣に合流させなければ……もしケイトさんを斬ることになっても、悪いのは局長命令。それだけだ」


 こうすれば、逆に汚れる名前はサツキになるだけだ。

 もちろん、ミナトはそこまで読めてない。ルカさえ読めていないだろう。

 あくまでそれは、最悪のケースなのだから。

 当然、迷い苦しむケイトも、士衛組が悪い人たちじゃないと叫び訴える文句を考えたとしても、帰ったら殺され、罪を着せられて利用されるだなんて思ってもいないだろう。話せばわかると思って話すのだから、そんな危険な可能性は考えもしまい。


「……っ」


 クコの瞳からは、涙がこぼれていた。つーっと流れたその涙の意味を、サツキはわからない。

 ちょっと慌てて、サツキはすぐに優しく穏やかに微笑みかける。幼子をあやすように言った。


「どうしてクコが泣くんだ?」


 サツキの指先がクコの涙を拭う。

 クコはサツキがこんな短時間でそこまで読み、ケイトのことまで思いやり、こんな決断をしたのだとは思いもしなかった。しかも、すべての責任はサツキにのしかかるのである。


「だって! だって! それでは、サツキ様だけが……わたしのために、サツキ様が……」

「俺は、クコのためにこの世界に生まれてきたんだ。つらくても、苦しくても、悔しくても、悲しくても、怖くても、他に守るべきものがあって、闘うべき敵がいるなら、最後に勝つために立ち向かうだけだろう?」


 泣きじゃくるクコをどうしてやるべきかわからず、サツキは優しくそんなことを言うしかできない。

 こくっとうなずいたクコに、サツキは語を継いだ。


「つらいのは俺やクコだけじゃない。ミナトだけでもない」


 また、クコはこくりとうなずく。


「この世界が嘘にあふれて、悪意やずるさでできていたとしたら、クコはとても生きづらいよな」


 クコは優しすぎて素直すぎるから。


「でも、真実と優しいまっすぐな気持ちは、どんな世界でもいつかはだれかに届くと俺は信じてる」

「はい」


 とクコは何度もうなずいた。

 実は、サツキの読みはもう一段階ある。

 しかしそれはクコには関係ない話であり、サツキにとっても自身の死後もっともっと先の話になるかもしれない。

 もし、今後サツキがアルブレア王国を守れたとして、長期政権あるいは王権が続いたとしても、その根底から反目する勢力が政権を奪ったとしたら、過去のサツキのあらゆる頑張りも戦略も、老獪な陰謀家による事業だと評価されることだろう。

 それでも、サツキはクコの今とこれからを守りたかった。そして、ケイトの名声も守りたかったのである。


「すみません、サツキ様……」

「謝らないでくれ」

「わたしは、サツキ様になんと言えばよいのか……」

「だったら、一言だけでいい。頑張れって、そう応援してくれたら、俺は頑張れるから」


 頭を横に振って、クコはサツキの手を握った。クコの手のひらは、驚くほど熱かった。クコは勇気を凛々と響かせた声で言った。


「わたしも、頑張らせていただきます! いっしょに、頑張りましょう!」

「うむ」


 心のうちでは、クコはこうも言った。


 ――サツキ様。わたしはあなたといっしょに頑張りたい。でも、全力で応援もしていますからね。頑張れ! そして、たくましい花になってください。


 まだクコの涙は止まらなかったが、心は立て直せていた。

 改めて、クコの覚悟を聞いて、サツキは視線を下げる。握られた手を見つめても、クコの体温を感じるその手をどうすることもできない。

 クコが流した涙の河も、歴史の大河に溶け合い、その一部になるのだろう。だれにもその雫を見つけることさえできないかもしれない。しかしそれでも、その大河を渡ってゆかねばならないのだ。

 あのとき初めて出会ってからまだまだ続く旅の中で、流れは強く波はいっそう激しくなっている。

 それにしても、クコが泣くのはいつぶりだったろうか。


 ――いつでも、クコに降りかかる悪意を振り払ってあげたい。クコが背負う苦しみを知って、共に背負いたい。まだかっこいいことはできないけど、それでもクコの光になりたかった。俺はもっと強くなるよ。クコがもう泣かなくてもいいくらいに。もっと頑張るから。


 そう胸に誓うのだった。

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