26 『脱走と裏切り』

 翌、未明。

 にごったような薄紅色の空が雲に覆われた時分、サツキを起こす者があった。同室の忍者・フウサイである。


「サツキ殿」

「どうした? フウサイ」

「緊急事態でござる」


 耳障りの悪い単語に、サツキはにぶい頭を無理やり覚めさせるように、身体を起こした。フウサイは夜も警戒を完全に解くわけじゃない。しかし、人間睡眠なしでは無理を来して身を滅ぼす。つまり、フウサイの寝ているときに起こった出来事ということだ。


「なにがあった?」

「拙者が寝ていた時間、おそらくは明け方の三時くらいに、ケイト殿が脱走したでござる」

「脱走……だと?」

「クコ殿の剣を持っての脱走でござる。なにか意図があるか、拙者には読めぬ次第。サツキ殿、どうなされる?」

「そうだな。全員をこの部屋に呼んでくれ」

「御意」


 ほどなく、フウサイが五人を連れてきた。クコ、リラ、ルカ、ナズナ、ミナトの五人である。




 開口一番、サツキは一同に言った。


れんどうけいが脱走した。クコの剣を持ってだ」

「つまり、裏切り?」


 ルカの目が鋭い。


「いや。正確には、彼が最初から我々の仲間ではなかったことを意味する。彼とガンダス共和国で合流して以降、ここまでアルブレア王国の騎士と出会わなかったのが引っかかっていた。おそらく、効果的なタイミングをみて我々を襲わせるため、間者として士衛組に入ったのだ」

「そう考えるのが、筋が通るわね。そして、もう私たちを襲わせる手引きは済んでいる。ここからは、いつ襲われてもおかしくはない。また、私たちの情報もブロッキニオ大臣側には渡っている」


 と、ルカがサツキの言葉に続けて状況を整理してみせる。

 実は、間者の可能性を、以前から玄内と共有していた。共有していたのは、サツキとルカだけ。クコには不安を与えないために伝えてない。というのもあり、今はそのことはルカも黙っておく。

 前々から、玄内が怪しんでいたことが、ここで発露した形になった。


 ――でも、正直……ケイトさんは、本当に俺たちを陥れるつもりで旅を共にしていたようには思えないんだ。いっしょにいたときの空気で、ケイトさんの心は少しだけわかる気がしてる。その心がきしんでいたことも。では、なにか事情があるのか……。話せないことがあるのか……。ただ、それを考えてやれる時間と余裕はない。


 ケイトと士衛組の中でもっとも仲の良かったミナトは、この底抜けに明るい少年にはめずらしいさびしげな顔をしていた。ケイトは、ミナトに対して最初から好感を持っているようだった。修業にも付き合いたがったし、


「ミナトさんだけは、この士衛組の中で特殊な人だ」


 とミナトに言っていたのを、うっかり物陰から聞いてしまったこともある。

 これに対してミナトは、


「まいりましたなあ。僕だけこの組の中にいて、正義に関係がない。でも、サツキがいればそれでいいんですよ」


 なんて答えていた。

 そんなミナトが、顔を上げて、


「実は、同室の僕のところには、手紙が置いてありました」


 と部屋にあった手紙を差し出した。

 サツキは受け取る。

 そこには、


『御世話になりました。故郷、アルブレア王国へ帰ります』


 とだけあった。

 そのまま読み上げてみるが、だれからも反応はない。なんと言っていいかわからない。

 重く立ちこめた空気を破り、クコは聞いた。


「わたしの剣が盗られたのはわたしの落ち度です。わたしとしては、ケイトさんへの仕返しは考えていません。ですが、剣は取り戻すべきだと思います。どうしますか?」

「決まってるわ」


 ルカが促すようにサツキを見ると、


「斬る」


 と、サツキは短く言った。

 ミナトの肩がぴくりと動く。容赦のないサツキの言葉に、不快感を示すような目で一瞥した。


「当然ね」


 と、ルカが追い打ちをかけるように言う。

 サツキもルカも、ミナトの視線など一切見ることなく、平然としている。特にルカの普段と変わらぬ、いや普段以上の冷徹さが、ミナトからすると憎くなる。

 そんなミナトの心境や視線など無視するように、サツキは語を継いだ。


「剣は取り返す。大切な王剣だからな。しかし、全員で追ってもまたこのファラナベルまで引き返すことになり、碑文を読むまでの手間がかかって都合が悪い。追っ手を一人差し向け、残る者はシャハルバードさんたちとピラミッドの迷宮に潜り、碑文を探す」

「異論はないわ。ほかのみんなはどうかしら? 沈黙は賛成とみなすけれど」


 ルカは全面的にサツキの意向を尊んでいる。この先、サツキの言いそうなことがすべてわかるからである。ただ、読み切れない一同は不安をにじませて言葉が出ない。

 クコが最初に述べた。


「悪いのはわたしです。だから、さすがに斬るのは……」


 冷酷すぎる、とクコは思ってしまう。正直、困惑して頭が回らないのだ。

 リラも同意したいような内容ではないが、サツキには意図があるように見えるし、ケイトについてはあまり縁もなく、顔を知っている程度だった。悪い人とは思ってなかったが、複雑ではあった。

 ナズナは、リラの手を握ってあげる。


 ――リラちゃん、強いな……。クコちゃんは、つらそう……。


 クコへの心配もしているが、ナズナとしてもどうしていいか意見を述べることもできなかった。

 ミナトも黙っている。

 サツキは、クコに説得するふうでもなく端然と言った。


「なぜ、俺たちが船を降りたとき、ガンダス共和国で約十人の騎士に狙われたかわかるか?」

「え?」

「彼が手引きをしたからだ。こちらの情報はすべて渡っている。そこまでした者を、敵方へ逃せば士衛組はすぐ地に堕ち霧散する。弐番隊とチナミも、危険にさらされている。先生もいるし、死んではないだろうが」


 と事実を積み上げるようにサツキは言って、ルカが続きを引き取る。


「クコ。サツキだって言いたくはないけど、アルブレア王国のため、私たちの命のため、心を鬼にしてるのよ」

「……はい。わたし、今は冷静ではありませんでした。でも、どうしていいか……」


 クコの言葉を無視するように、ルカがサツキに言った。


「時間がないわ」

「ああ。まだそう遠くへは行ってないだろう。馬を借りてゆけば、追いつける距離だ。さっそく追っ手を差し向ける」


 一同に緊張が走る。

 そして、サツキは指名した。


「ミナト」


 呼ばれて、ミナトはまつげをあげた。


「僕が、うちですか」

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