5 『サツキとリラ』

 少年から、名前を聞かれた。

 正確には、確認されたかっこうになる。

 ストレートな問いに、しかし少女は驚かなかった。むしろうれしそうな微笑みが浮かぶ。

 急に、少年にぐいっと近寄って、笑顔で自己紹介する。


「ふふ。はい。わたくしは、あおといいます。あなたはサツキ様ですよね。実はですね、気づいてお声がけしちゃいました」



 サツキは、やはりそうか、と思った。

 リラは顔がくっつきそうな距離まで迫っていた。

 それは錯覚で、心の距離までが詰まっていただけかもしれない。

 ずっとそこにあった幻影が、手に触れられるようになった感じだろうか。

 ただ、実際にも距離は間近だった。

 それでもサツキ以外にこの距離は許さない。これもあんに、リラのサツキへの好感ゆえだった。

 手紙の内容やふじがわ博士の魔法で見た姿だけでそんなことになっているとは知らないサツキは、いくら既知とはいえ初対面の異性との距離感に気恥ずかしさがある。

 サツキはリラから距離を取り、聞き返した。


「俺は士衛組しえいぐみ局長、しろさつきだ。しかし、なぜ知っていたんだ?」

ふじがわ博士の魔法《げんそうえいしゃ》で、サツキ様の姿は見ていたんです。お姉様からうかがっていたイメージのとおりですわ。ずっと、お慕いしておりました。お会いできてうれしいです、サツキ様」


 リラがサツキを見上げる瞳はまっすぐできれいだった。

 気後れしかけるサツキだが、このあまりの警戒心のなさと、想像力の豊かさと、そしてまるで旧知の間柄だったかのような空気に、おかしみがわいてふっと口元がゆるんだ。


「俺も、クコから話は聞いていた。記憶を見せてもらって、リラの顔も知っていた。会えてほっとしたよ」


 リラは上品にくすっと笑った。


「わたくしたち、初対面な気がしませんね」

「そうだな」


 俺も同じことを考えてた、とは思っていても言わなかった。代わりに、サツキはクコについて少し話しておく。


「クコの記憶を見せる魔法のことは、仲間内でも俺しか知らない。感覚を共有できる魔法もだ。他の者に話して不都合があるわけではないが、一応控えておいてもらえるか」

「はい。わかりました」

「クコやほかの仲間は近くにいる。行こうか」

「はい。お姉様やナズナちゃんとの再会も、楽しみです。ルカさんや玄内先生にはまた心配されてしまいそうですけどね」


 歩き出そうとしたサツキをじっと見上げているリラに気づき、サツキは聞いた。


「どうした?」

「お姉様たちに合流する前に、この景色を描いてもよろしいですか? 十分もかかりませんので」

「うむ。構わない」


 スケッチブックを取り出し、『画工の乙姫イラストレーター』は鉛筆で絵を描き始める。


「リルラリラ~」


 本当に楽しそうにリラは絵を描く。サツキが景観の邪魔にならないようにどこうとすると、リラは描く手を止めて、


「サツキ様。どうかそのままそこにいてください。せっかくサツキ様と出会えたこの場所を、記念におさめておきたいのです」

「そうか」

「ふふ。ありがとうございます」


 うれしそうにリラは鉛筆をすべらせる。さらさらと描く手は早いが、リラはスケッチしながらしゃべりだす。


「絵は、記録と創造、どちらにも嗜好を転換できますよね」

「模写か創作か、もしくは両方をかねるか、描き手によるからな」

「わたくしはどちらも好きです。ただ、どちらが得意かといえば、模写かもしません」


 なるほどリラは写実的な絵を描く。


「でも、創造力を膨らませる絵を描けるようになりたいとも思っています」


 そこで言葉が切れた。

 おそらく、サツキに助言を求めているわけでもない。それでも、サツキは思いついたことがあったから、それを口にした。


「俺のいた世界には、マンガっていうのがあるんだ」

「マンガ、ですか」

「コマ割りして、絵を描いていく。それも、デフォルメしたキャラクターを、セリフと共に」

「なんだかおもしろいです。好奇心が刺激されます」


 クコはこの手の話題はすごく喜んだ。この世界にはマンガなんて存在しないから、好奇心旺盛なクコには興味がつきない話らしい。それはリラも同じで、描きながらもマンガの話をした。


 ――しかし、自分でも口下手だと思ってる俺が、初対面の異性とこんなに会話が弾むのはめずらしいな。


 サツキがそう思うのと、リラが思っていることは同じだった。


 ――ふふっ。リラ、サツキ様と会うまで、すごく時間がかかった。だから出会えたときの感動も大きいんだろうなって思ってた。でも、なんだか隣にいるのが当たり前みたいな、ずっと前からいっしょにいた感じがする。どうしてこのお方とはこんなに話していて楽しいのかしら。心が躍るのかしら。


 リラはたったの八分ほどで手を止めた。


「できました」


 無邪気な微笑みを携え、リラは「はいっ」とスケッチブックを裏返してサツキに見せた。そこには、美しい景色とサツキが描かれている。風景の描写も簡易化している割に丁寧で、リラのまじめで几帳面な性格がわかる。


「きれいな絵だな」

「景色もサツキ様も、ステキでしたので」

「お世辞への切り返しは苦手なんだ」


 サツキが苦笑すると、リラは楽しげに口元を手で押さえて品よく笑った。


「わたくしはお世辞が言えるほど、器用ではありませんよ?」


 と、いたずらっぽくサツキを見て、


「サツキ様と出会えた美しい場所――思い出に残せました」


 リラはスケッチブックを大事そうに胸に抱えた。


「そうだ、これにしまっておかないと」


 と、リラは本を取り出し、その中のページにスケッチブックを入れる。


「あ」


 サツキは雷に打たれたように思い出した。チナミと夜の王都を歩いた記憶がよみがえる。

 王都で、チナミと初めて会ってすぐの幻想的な夜の散歩。

 まるでどこか異世界の夏祭りにでも参加した気分だったのをよく覚えている。とある店には本が並んでおり、


「五冊の本が並んでいるだけだが、本屋か?」


 そう聞くと、チナミが教えてくれたものだった。


「あれはカタログ販売のお店です」

「通信販売みたいなものだろうか」

「?」


 チナミは無言でサツキを見上げ、小首をかしげた。


「いや、カタログを見て注文したら、後日届けてくれるのかと思ったんだ」

「いいえ。違います。その場で、カタログから出してくれます。『世界の目録ワールドインデックスふくひろかずさんという方がやっているのですが、れいくにへいくにから西洋など、世界を回ったことがあるそうで、いろいろな商品があります。うちの両親とも友人なのでたまに利用します。買うほうでも、売るほうでも。買い取った物を販売することもされていますから」

「魔法なのか?」

「はい。《取り出す絵本》といって、本の中に物を閉じ込める魔法と、取り出す魔法です」

「泥棒の心配はないのかな」

「ないでしょう。契約しないと取り出せませんから、盗んでも意味がありません」

「なるほど」


 そんな夜の散歩の一場面がよみがえり、それからソクラナ共和国バミアドで、シャハルバードに託した本を思い出す。


 ――あれと同じデザインの本だ。チナミがあのとき、俺をちらっと見た気がしたのは、そのためだったのか。


 あえてチナミはその件について話さなかったが、これによって一つの結論が導き出される。


 ――リラは、あのときバミアドにいた。


 そのあたりの話は、あとでクコも交えて語り合い、まるでパズルのピースが埋まるような記憶の補完がされるのだが、まずは目の前の本について、サツキはつぶやいていた。


「《取り出す絵本》だったのか」

「え? ご存知なのですか?」

「王都で見かけた。あと、バミアドでも」

「まあ。では、シャハルバードさんがおっしゃっていた晴和人のお方は、やはりサツキ様だったのですね。うれしい」


 にこっと微笑むリラは、なんだかすべて知っていたようにもサツキには見えて、つい笑ってしまう。


「シャハルバードさんたちは、まだいっしょにいるのか?」

「はい。同じ宿です。このあとご紹介します」

「頼むよ」




 そのあと、二人はクコたちと合流するために歩き出した。

 リラはサツキに質問した。


「先ほどのお話ですが、マンガとは具体的にはどのようなものなのですか?」

「こういう感じでだな――」


 と、サツキは枝を見つけて筆代わりに地面に描き始める。ページとコマ割り、そしてキャラクターの絵。

 まずは四コママンガ。

 セリフは咄嗟に気の利いたものが思いつかなかったので、さっきのリラとの会話をそのまま書き出す。

 サツキは割合美術の才能もあり、人並み以上に絵が描ける。経験がないにしてはうまいマンガを描き上げた。


「まあ! おかしいです。うふ。絵もかわいいです」


 これは四コママンガといって四つのコマで起承転結をえがくんだ、とサツキは教える。そのあとも、


「まずはクコたちの元へ行こう」


 と言って移動しながら、マンガについて話してやった。

 リラは、クコ以上にマンガを気に入ったようだった。


「今度わたくしも描いてみます、マンガ。サツキ様、もっといろいろ教えてくださいますか?」

「俺でわかることならな」

「やったあ」


 リラは歩きながらも終始ご機嫌といった様子で、「リルラリラ~」と得意の歌を小さく口ずさんだ。

 そのあともにこにこしているリラに、サツキは聞いた。


「マンガがそんなにおもしろいか?」

「ふふ。今は少し、違うことを考えてました」

「違うこと?」

「わたくしがここで会えたのが、サツキ様でよかったです」


 サツキは頭に疑問符を浮かべる。リラが言わんとすることがわからない。脈絡からして、ここにマンガは関係ないようだし、マンガを知ることができてよかった、という意味ではなさそうである。

 ただ、初めてクコがサツキに会ったときも、同じ感想を持った。姉妹で似た感性である。

 当のリラはこうも思っていた。


 ――お姉様。サツキ様は、想像していたより、ずっとステキな方みたいです。


 それに、気づいたこともある。


 ――やっぱりリラ、サツキ様を特別に想っているみたい。会えなかった時間さえ、想いを重ねていたのかしら。


 この少年と歩く道に、恋色の風が吹く。

 それが、サツキとリラのファーストコンタクトだった。

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