29 『正義の味方の心理戦』

 くるりと背を向けて、玄内は歩き出す。


「帰るぞ、おまえら」

「はい」


 と、ヒナとバンジョーの二人はついて行こうとするが、三人は客のひとりに引き止められた。


「お待ちを!」

「ん?」


 と振り返る玄内。

 呼び止めた客は、年の頃は五十くらいか。西欧風の彫りの深い顔立ちの男性で、身ごなしもきれいな紳士である。彼はなにやら手に持ってやってきた。


「どうかこれを受け取ってください。ほんのお礼の気持ちです」


 差し出されたのは、額に入った絵画である。ヒナがよくよく彼のいる個室を見回せば、この部屋には絵画が何点もあった。


 ――お金持ちのコレクターたちが自分のコレクションを見せ合っていたのかしら。お礼の品までもらえるなんてラッキー。


 ヒナは目をくりっと大きくして口元に笑みを浮かべた。


「わ、わたしのも! 受け取ってください。鑑定書つきで価値もあります。どうか」


 この二人が絵画を自慢していたらしく、他の客はただお礼をしたいと進み出てくる者もいる。「大した物はありませんが、こちらを」とお金を差し出す者にも、玄内はすべて断った。


「いや。受け取れねえ」

「なぜ?」


 客の男性は不思議そうな残念そうな顔をする。

 内心では、ヒナも残念で仕方ない。


 ――売ればおいしいものいっぱい食べられるのにっ。現金を受け取りにくいってのはわからなくもないけどさ。それでも……。


 もったいない、と思わざるを得ない。

 バンジョーはあっけらかんとしたもので、「なんか理由でもあるのか?」と思うだけである。損得の計算ができないし好きではないのだ。しかし、なにか思惑があるんだな、というのを察する機微は備えていた。

 その通り、玄内には思惑がある。


 ――この場にいるのは、ルーン地方の要人たちとみた。目の前にいるのはイストリア王国の財界人で絵画コレクター。ミゲルニア王国の大臣、あいつも美術品が好きだったか。シャルーヌ王国とアルブレア王国からは外務を担当する大臣もいる。あそこで座っているのはシャルーヌ王国大臣返照慈恩カエステル・ディオンか。そして、向こうのやり手そうなメガネの男は、アルブレア王国最年少大臣の蓮蹴央園ハスケル・オーウェン


 一方的にだが知っている人間も数名いた。そんなルーン地方では著名な人物たちが相手なら、意味があるかはまだわからないが、布石を打っておきたい。

 士衛組はまだ有名ではなく、アルブレア王国の大臣さえもこの組織をどれほど知っているかわからないし、ましてやそこに王女クコがいることを知る者がブロッキニオ大臣派以外にいるかは依然不明である。

 玄内は、丁重に頭を下げた。


「おれたちはただの通りすがりの正義の味方だ。正義の味方がお礼をもらうなんてのは、美意識に反する。代わりに、その絵画を大事にしてやりな。せっかく守れたもんなんだ、きっとその絵画とは縁があったんだろう」


 と、ほかの客たちにもかっこよく言って、玄内は辞した。ヒナとバンジョーもあとについてを出てゆく。

 当然、伊万里屋にいた者たちは感動した。自分もお礼を、と思っていた者も先ほどの光景を見て、盗賊たちから守ってもらえたものを今一度確認して、安堵と共に感激に震えた。

 外に出て、玄内は副長のクコへ連絡を入れた。


「こちら弐番隊。伊万里屋の盗賊は退治した」

『ありがとうございます。さすが早いですね。続けて、伊万里屋から四時の方向に1キロ地点、盗賊が四人います。彼らの退治をお願いします』

「あいわかった」

『その後、まっすぐ東へ進み、司令隊に合流してください』

「おう」


 通信が終わる。新アイテムはクコからしか通信をつなぐことはできないが、開発者の玄内だけは、自身の魔法を応用してクコへと連絡を入れられる。こうして連絡を入れてみても、双方から自由に通信をつなげられる利便性を実感し、「早くこいつを完成させねえとな」と考えるのだった。

 玄内は振り返り、ヒナとバンジョーに下知した。


「今から四時の方向にいる敵、四人を退治する。その後、東へ向かってサツキたちと合流だ」

「よっしゃ! やってやるぜ!」

「はい。でも、先生?」


 ヒナが首をかしげたまま考えていたのを、玄内は知っている。だから聞き返した。


「なんでも聞け。だが、走りながらだ」

「はい」


 走り出した弐番隊。

 玄内は、『かぜめいきゅうとびがくれさとでも使った魔法《風よけスリップストリーム》で、バンジョーと背中合わせに宙に浮き、腕組みしたまま移動する。


「それ、すごいですね」

「《風よけスリップストリーム》って魔法だ。スリップストリームの要領で空気抵抗を減らすんだ。前にいる人や物を風よけとして利用すれば、自分は歩いたり走ったりせず、ぴったりくっついて移動できる」


 自称『科学の申し子』たるヒナにはその魔法の性質と発想がわかった。


「へえ。本来のスリップストリームとの違いは、バンジョーが走るくらいの速さでも移動できるって点ですね。そして、後ろで風よけを受ける人はまったく動かなくてもいいところ」

「距離としては一メートル以内に入ればいい。で、聞きたいことがあるんだったな?」


 そこで、ヒナは玄内に質問した。


「はい。なんでさっきお礼の絵画を受け取らなかったんですか? あんな高価そうなもの、手放すのはもったいないですよ。ほかの人たちからもお礼をもらえて、あたしたちの活躍をサツキに見せつけられたのに」

「それはオレも不思議だったぜ。なにか理由があるんすよね?」


 バンジョーもちゃんと理由がわかってないようだったので、玄内は答える。


「ヒナ、おれたちが活躍を見せつける相手はサツキじゃねえ。一般大衆だ。サツキも言ってたろ? 正義の味方として認められるよう行動を積む、と」

「でもお礼くらいいいじゃないですかー」

「お礼でもそうだが、ものをもらうってのはな、一方的でない場合は記憶に残りにくいんだよ。ヒナ、おまえがだれかに助けられたとする。助けてもらったその相手に金を渡したら、そいつのこといつまでも覚えてるか?」

「なるほど。なにもいらないって言われて渡せなかったり、こっちから渡せるものがないのに相手が善意で助けてくれたりしたら、感謝の気持ちといっしょにその相手の顔をいつまでも覚えてるものかもしれない。ってことですね」


 と、ヒナは納得した。

 バンジョーも理解はしたようで、


「あっ、それに絵画は大事にしろって言ってけど、あれもそうですか? 絵画を見るたびおれたちの活躍を思い出せてってことっすよね? 縁があったとか言ってましたよね。それも、おれらと縁があったってことなんじゃないすか」

「そう言っておけば、勝手に思い出すかもな」


 わずかに口の端をあげてにやりとする玄内。

 これを横目にバンジョーは、


 ――よくやるぜこの人は。


 と、感心とおかしさがこみ上げてくる。相手の思考の裏を読むのが得意じゃない割に、バンジョーはなかなか人間通な面を持っているのである。


「ふーん。まあ一応わかりましたけど……」


 ヒナはまだ子供だ。年齢的には中学一年生だが、サツキの世界での年齢感覚ではもう高校卒業が迫る年頃に相当する。その年の子供に理解させるような内容でもない。だが、そんなまだもやもやしているヒナに、玄内は鋭く突く。


「おまえも自分のことを考えればわかりやすい。サツキが、なんの対価も求めずおまえに協力するって言ったとき、感動しただろ?」


 あの日、うらはまでサツキと話した夕方を思い出す。仲間になっていっしょに戦ってくれとは言われたが、戦闘力を期待できないであろう自分を仲間に入れてくれて、地動説証明をいっしょに証明すると言ってくれた。砂浜で見た、サツキのやさしみと希望にあふれた顔は、きっといつまでも忘れないだろう。


「――っ!」


 いきなりぼっと顔が赤くなったヒナを見て、バンジョーが心配して大声で言った。


「おいッ! どうしたヒナ! 顔が真っ赤だぞ! 耳まで赤いぜ! リンゴみたいじゃねーか! まさかさっきの戦いで――」

「ちっ、違うわよバカーッ!」


 さらに、「声が大きいのよ!」とヒナは言ってやりたかった。

 いくら人間通な部分があるといえ、バンジョーにはこの方面の機微はまるでわからない。


「ほへ? なんかまずいこと言ったか?」


 と、首をひねった。

 玄内に、「顔が赤いのは街灯のせいだ。ほっとけ」とつまらないフォローをさせているくらいである。


「確かにこのへんは赤い街灯が多いぜ」


 へへ、と笑う能天気なバンジョーだった。

 しかしヒナも、実例まで出されると、納得しないわけにはいかなかった。玄内とバンジョーの二人には聞こえないほどのかすれる声で、ぽつりとつぶやく。


「今度サツキになんかとびっきりのお返しして、チャラにしてやるんだから……! た、楽しみにしてなさいっ」


 この伊万里屋でヒナたちがした人助けが、のちにヒナ自身を助けることになるのだが、それはまた別の話である。

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