27 『王女の意志』

「カバディ、カバディ、カバディ……」


 不思議な呪文のような声が聞こえてきて、誘われるようにケイトは路地へと入ってゆく。


 ――カバディ。カバディ。カバディ。カバディって……いったいなんなんだ……。


 発声源に近づき、顔を出すと。


 ――アルブレア王国騎士。


 自分もアルブレア王国騎士のはずなのに、ケイトは相手を見た瞬間、サッと身を隠していた。


 ――もう一人は、クコ王女。今日はなんて日だろう。サツキさんの戦いを見たあとに、クコ王女の戦いの場にも出くわすなんて。


 クコの対戦相手は、アルブレア王国騎士の中でもケイトの知らない人間だった。

咆吼の猛獣ビースト・ファンタジア紀底粒子キティー・リュウシー

 カバディというスポーツを元につくられた魔法《アウトorバディ》を使い、クコにゲームを仕掛けてきた猛獣。

 リュウシーはクコに近づきながらずっと同じ単語を繰り返している。


「カバディ、カバディ、カバディ……」


 互いが互いをハントするような緊迫感。

 ケイトは目を凝らして、二人の戦いを観察する。

 最初に、リュウシーが動いた。

 大きく踏み込み、噛みつくような迫力で手を伸ばす。タッチが目的だが、クコはまるで獣の爪から逃れるように、それを瞬発力を駆使してかわす。

 さらに、クコは身を低くして、足をガッチリ絡め取るように手を突き出した。

 パッとリュウシーが下がり、また見合う。

 その間も、リュウシーはずっと言い続ける。


「カバディ、カバディ、カバディ……」


 だが、その口元には笑みが浮かんでいる。


 ――やるね。ホントにやるよ、『純白の姫宮ピュアプリンセス』! いや、あなたはもうただのプリンセスなんかじゃない。純白以上に純粋な野性だ! 超一級の狩猟犬だよ!


 また攻撃を繰り出して、これもかわされる。

 今度はクコも切り返しにタッチを狙う暇もないと見えるが、下がったリュウシー相手に、距離を保ったままでいるわけでもない。

 攻めの姿勢も見せていた。

 じりじりと数ミリ単位に距離を詰めつつ、いつでも噛みついてきそうなステップを刻んでいる。


 ――目覚めてきたね、本能! ただのカウンターパンチャーじゃいられないってかい? でも、アタシだって生粋の猛獣! この咆吼はあと二十秒しかもたない。次で決めるよ!


 クコが、ほんのわずか、腰を沈めた。

 そこで、リュウシーの脳に電撃が走った。


 ――来る!


 狩猟犬のように、クコが飛びかかった。

 しかしリュウシーはもう動き出している。避ける動きを取り、同時に獲物に噛みついていた。

 猛獣の牙はクコの首か肩か胸、どこを狙うのか。攻撃をかわされた瞬間、クコは考える。


 ――考えてもわからない! ここです!


 リュウシーのカウンターと、クコの第二攻撃が交錯する。


「……」

「……」


咆吼の猛獣ビースト・ファンタジア』リュウシーの咆吼カバディが止む。

 すとん、とクコの肩から力が抜けた。


「まさか、足をタッチされるなんて……」

「いい動きだったよ。獣の嗅覚で避けようとしてた。でも、まだアタシの野性のほうが上だね。アタシも考えてない。最後は考えず、嗅覚でタッチした。頭脳戦でもあるけど、最後は本能が勝負を決めるんだ。これが、これまで何人ものハンターを倒してきた猛獣の力さ! これで、『アウト』二つ目だね」


 首をタッチされるかと思って、上半身への警戒も忘れず、カウンターも読んでクコは第二の攻撃を繰り出した。だが、それは猛獣の野性には届かなかった。

 クコはつぶやく。


「でも、負けられない。負けられないんです。わたしには、守りたいものがたくさんあるから」

「守りたいもの?」


 リュウシーに聞かれて、クコはハッキリと答える。


「はい。わたしは、アルブレア王国を守らなければなりません。そのためにお城を出ました。しかし、わたしだけの力ではやっぱりどうにもならないんです。それは、最初からわかっていました。だから託したんです。サツキ様に。わたしがサツキ様を守るから、サツキ様にはアルブレア王国を守って欲しいと!」

「なるほどねえ」

「わたしはサツキ様とそう約束して、いっしょにアルブレア王国を守ろうとここまで来ました。守りたいものは他にも数えきれません。そのすべてを守る力はなくとも、みなさんが力を貸してくれたら、アルブレア王国を守ることはできるって確信もあります。今のわたしにできること、その最初の一つが、サツキ様との約束を守ることです。そのために、ここで負けてみなさんと離ればなれになるわけにはいかないんです!」


 熱いクコの言葉も、リュウシーはちゃんと聞いて、


「普段こっちの支部にいるアタシにはさ、ブロッキニオ大臣の命令とか意味わかんないんだよ。正直、命令の真偽も怪しいとも思ってる。国王様が王女を国に連れ戻したいと思ってるから、王女をそそのかした士衛組ってのをやっつけて、王女だけ連れ戻せとか。別の人はクコ王女がブロッキニオ大臣を憎んでいるとか言ったり。アタシにはクコ王女が騙されてアルブレア王国に刃向かってるようには見えない。野性のカンでわかる。自分の意志で、ブロッキニオ大臣たちとなにかを賭けて戦ってるんだろうって思う」

「はい」


 キッパリと返事をしたクコに、リュウシーは言った。


「でも、戦いは始まってしまった。なら、引き返せないんだよ。アタシは条件を突きつけたし、それを今さらなかったことにはできない。ルールだからね」

「わかっています。わたしは、勝つつもりで戦っていますから」

「ああ。そうこなくちゃ。アタシはこの条件以上のものをクコ王女に強いる気はない。が、負けたら士衛組を辞めるのは決まってる。全力で来てよ。そういう生死の境目みたいな状況じゃないと、本気の野性の本能は目を覚まさないんだ」

「はい!」


 リュウシーが宣言する。


「どちらがタッチして『アウト』を取っても、次で『スリーアウト』! 決着だよ! 全力勝負だ! カバディ、スタート!」




 カバディが始まるその裏で、ケイトは考えた。


 ――なるほど。サツキさんが言っていた意味がわかった。


 サツキは、クコがブロッキニオ大臣を憎んだりなどしていないと言った。その意味が解けたのである。


 ――クコ王女は、ただ国を守りたいんだ。憎しみによって勝つことではなくとも、国を守りたい。ブロッキニオ大臣について、思うところはあるはず。怒りや憤りだってあるかもしれない。でも、クコ王女は国を守りたいだけだから、憎しみに縛られることもない。


 だから、ブロッキニオ大臣を倒したいと一度も言ったことなんかないのだ。

 カバディが開始されたそのとき、ケイトは他者の気配を察する。

 こんな路地裏まで、だれかが来たらしい。

 ケイトが後ろへ顔を向けると、アルブレア王国騎士が顔を出した。


 ――ボクの知らない騎士。


 服装と空気でアルブレア王国騎士だとわかる。だが、その知らない騎士がケイトを一瞥したとき、クコとリュウシーの声があった。


「おい。やっぱり、この声……」


 言いかけた騎士に、ケイトは魔法を使っていた。


 ――邪魔はさせない。《白昼夢デイドリーム・イリュージョン》。


 かけた魔法は、幻を見せるというもの。しかし、これは特別な幻術だった。


 ――サツキさんや他の騎士たちにも見せた《幻想視ファントム・ビジョン》は、幻の映像を見せることしかできない。そこに、音や匂いは含まれない。身体も自由に動くし、状況によっては異変に気づくこともある。連堂家の者はみなこの魔法を使う。でも、連堂家以外の者は知らない……父や二人の兄にもできない魔法を、ボクだけが使えるということを。


 幻術を扱える特殊な家系、連堂家。その中でも魔法の才に恵まれた三男『げんじゅつこうれんどうけいは、親や兄でもできない芸当ができる。


 ――この《白昼夢デイドリーム・イリュージョン》は、音や匂いも再現する。さらに、意識だけが切り離され、身体は動かなくなる。つまり完全に無防備になってしまう。この魔法をかけられた者は白昼夢を見ていたような感覚になる。同時に一人にしかこの魔法はかけられないという制限はあるけれどね。


 キザに建物に背をもたれさせ、ケイトはクコの戦いを見る。


 ――クコ王女、あなたの意志もわかりました。予感していたことでもあったけれど、ボクと同じ気持ちのようだ。ボクと同じ、アルブレア王国を守りたいって、それだけなんですね。


 建物から背中を離し、ケイトは騎士に近づき、魔法を解除する。


「ご覧の通り。別人のようですね」

「お? おお、おお。そうだな」

「では参りましょう。向こうから声がしたでしょう?」

「おお。お? またこっちから……」

「気のせいです」

「お? おお。そうだよな。ははっ。おお、行くか」


 ケイトはもう姿も見えなくなったクコのほうを流し見て歩き出した。


 ――では、クコ王女。ご健闘をお祈りいたします。また明日、お目にかかりましょう。

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