24 『念のため』

 ミナトは、エヴォルドとの戦いのあと、屋根の上へとのぼった。

 屋根伝いに宿へ帰ったほうが、敵に見つからない。

 そう気づいて走り出したはいいが、一分もしないで足を止める。


「おや?」


 だれだろうか。

 こんな屋根の上を走っている人物が、自分のほかにもいた。

 どうやらかなり野性的な人らしい。


 ――女の人だ。


 腰巻きと胸を覆う布も原始人を思わせる。彼女もミナトに気づいて、屋根を飛び移る足を止めた。

 実は、彼女はアルブレア王国騎士だった。

 名は紀底粒子キティー・リュウシー

 ラナージャの支部に所属する騎士・リュウシーはナサニエルの指示を受けることもせず、独断かつ単独で王女クコを探していた。

 その途中で、ミナトを見かけたのである。

 しかも、その足は止まって動けない。


「……」


 身体中、どこも動かすこともできない。


 ――ヤバイヤバイヤバイ! こいつ、ヤバイ! ヤバイ、こいつ! 本能が告げてる! 野性が叫んでる! 相手にしちゃいけない。でも、逃げることさえできない。


 あまりに研ぎ澄まされた彼女の感覚が、屋根の向こうにいる少年を警戒している。頭の中では警報が鳴っている。硬直してしまって動けない上に、しゃべれない。


「いやあ、こんなところで人に会うとは思わなかったなァ。お散歩ですかい?」


 今も少年がしゃべりかけてくるが、リュウシーはなんと言われているのか、聞き取ることもできなかった。


「?」


 返事がないのを不思議に思うミナトであったが、いつまでもおしゃべりするつもりもなかったので、


「もう暗くなってきてるのでお気をつけて。失礼します」


 にこりと微笑み、さっさとまた走り出した。

 ミナトがリュウシーから遠ざかり、百メートル以上距離ができたところで、汗がたらりと流れ落ちる。

 さらに十五秒、ミナトとの距離が肌感覚でわかり、三百メートルは離れたと思うと、硬直が解けて膝をついた。片手もついて息を整える。


 ――なんだったの、あいつ。三百メートルくらい離れて、やっと即殺をまぬがれた気がする……。


 それが、あの少年の間合いだったのであろうか。


 ――今まで出会った、だれよりもヤバかった……。


 あるいは、まだ会ったことのない自国最強の騎士・グランフォード総騎士団長はそれ以上なのだろうか。そんなことをぼんやり考えたが、ふと我に返る。

 目的を思い出して、ゆっくりと立ち上がった。


「と、とにかく、あいつはもう近くにいない。アタシにはやることがあるんだ。確かめたいんだよね、王女の意志を。そして仕掛ける。行かなきゃ」


 リュウシーはまた屋根の上を走り出した。




 ミナトが走っていると、屋根の上から人が見えた。


 ――また騎士だ。


 どうもさっき船着場でサツキが言っていた騎士だとわかる。


「うーん。あんまり関わりたくもないが、サツキとルカさんはあっちを通って宿に帰るだろうからなァ」


 騎士を見下ろし、ミナトはすぐに結論を出す。


「やっぱり、サツキに引き合わせるのはよくないねえ」


 尾行しよう、とミナトは思った。

 騎士は屋根の上まで気を回すことなく、左右ばかりを気にしてずんずん前進を続ける。

 しばらく歩くと、騎士はなにかを発見したらしい。

 ミナトも道の先へ視線を投げると、それがなにかを察した。


「ああ、仲間か。服が似てるもんね」


 その仲間の騎士は、道に倒れ伏していた。よく見れば、片腕がない。いや、道の端に落ちている。肩は簡単に応急処置が施されていて、止血も済んでいるようだった。

 血もしぶいてそこらを赤く染めていたが、汚れも少なく、ミナトから見てもあまり嫌な感じはしない。


 ――結構うまく斬ったのかな。


 という程度である。

 騎士は、仲間の元へと駆け寄り、揺すり起こす。


「おい! 大丈夫か! おい! ジャストン!」

「……あ」


 ジャストンと呼ばれた騎士は目を開ける。

 仲間の顔をみとめて、声を漏らす。


「オレは……いったい……」


 それから雷に撃たれたようにガバッと自らの力で身を起こし、周囲を見回す。


「そうだ! 戦ってたんだ! それで! それで! このオレをォッ! くそう! どこだ! あいつ! 『いろがん』! しろさつきィィィイッ!」


 その名が出た瞬間、ミナトはやや目を細める。

 ジャストンはなおも叫び散らかし、


「くっそう! ちきちょう!」


 仲間の騎士の腰に提げられた剣を強引に奪い、バリバリと食べ始めた。


「このオレを! このオレを、馬鹿にしやがって! オラアアァ!」

「な、なんてことをすんだ。お、おれの家宝の剣なんだぞ」

「うるせえ! オラアアァ!」


 騎士はジャストンに突き飛ばされ、地面に手をつく。そこで初めて、騎士は転がった腕に気づいた。


「腕……? おまえ、片腕が……『緋色ノ魔眼』にやられたのか」

「……ああ」


 苦々しい顔で顎を引き、ジャストンは声を上げ、仲間の剣の残りを豪快に摂食しながら叫ぶ。


「許さねえ! オレの腕を……許せねえ! 今度会ったら殺して殺して踏みにじってやるー! へっ! おまえなかなかいい剣持ってたんだな。この量、この強度なら、どんな剣士だろうが怖くねえ!」


 ジャストンが復讐しようと息巻き、仲間の騎士はなだめるでもなく、ただ口を閉ざしていた。

 ミナトも黙って見ていた。だが、見過ごせない。


「我らが局長への復讐なんて、つまらないことを考える輩だ。僕の大事な友人を守るためなら、剣を抜くのもやぶさかではないか……」


 まだ喚き足りなそうなジャストンの前に、ミナトは屋根の上からサッと降り立った。

 距離は五メートル以上は離れている。

 ジャストンは突然空から降ってきた少年を目に映し、最初から敵対を決めたように叫んだ。


「なんだてめえ! どこから出て来やがった!」

「いやだなあ。空に決まってる」


 ミナトはほんの一ミリもジャストンから目をそらさずに答える。

 それがジャストンの気に障った。


「舐めた口ききやがって! 城那皐の前にてめえからだ! てめえなんざ片腕でも余裕でぶっ飛ばしてやるよ! オレは機嫌がわりィんだ!」

「そんなに強い方とは楽しみだなァ。僕は今日、あんまり動いてなくて退屈してたんだ」

「そういうのは本当につえェヤツが言うセリフなんだよおおおおおお! オラアアァ!」


 ジャストンの叫び声が響いたとき、ミナトは刀の鯉口を切った。


「……」

「ギャアャアアアアアア!」


 刹那、ジャストンの野太い悲鳴が上がった。




 ラナージャの空も、もうだいぶ暗くなってきた。

 ヒナとチナミとナズナは、買い物を終えて宿への道を歩いていた。


「たくさん買ったね」

「はい」


 満足げなヒナとうなずくチナミ。

 ナズナは果物をつめた紙袋を両手いっぱいに持ち、にこにこと二人の横に並ぶ。足取りが二人より若干遅いせいか、時折足を急がせる。

 また遅れを取り戻すように横に並んだとき、ナズナは肩をふるわせた。

 紙袋で顔を隠す。


「?」


 チナミはその様子に気づき、そっとささやきかけた。


「どうしたの?」

「アルブレア王国の騎士の人……」


 クコやリラといとこであるため、ナズナは何度もアルブレア王国に行ったことがある。だから騎士を何人も見たことがある。そこで見た顔があったのかとチナミは考えたが、騎士の服はどれも似たようなものだったと思い直す。


 ――確かに、あれは……。


 と、チナミも察した。

 メガネをかけた金髪の騎士。マントにはアルブレア王国騎士のマークも入っている。

 が。

 どうも様子がおかしい。


「?」


 再び、チナミの頭には疑問符が浮かんだ。


 ――なんだろう。悄然としてる。


 さらに観察して気づく。


 ――腰の鞘に、剣がない。


 チナミは足まで止めた。

 普通なら、足を止めてまで見られたりでもすれば、見返されてしまう。だが、相手はまるでこちらを見ようともしなかった。


 ――おかしい……。


 チナミは声を落として、振り返ったヒナとナズナに言った。


「先に行ってください」

「うん? おっと、重いぃ」


 的を射ない首肯をするヒナとそんなヒナの背に隠れるようにするナズナ。ヒナはチナミに荷物を預けられ、倒れそうになっている。

 チナミは立ち止まって、騎士が近くまで来るのを待つ。


 ――相手も剣を持ってないし、子供に話しかけられただけならすぐ戦いになることもないと思う。もし、相手がさっきのケーザンさんみたいに私のことを士衛組だと把握していない限り。仮に戦闘になっても、すぐに地面に潜る。


 距離が迫ったところで、チナミは果敢にも唐突な質問をした。


「すみません。騎士の方ですか?」

「……」


 騎士は声をかけられると、意識がなくなっていたのを呼び戻されたような顔をした。遅れて相手がなにを言ったか耳に届いたみたいな生返事をした。


「ああ、いいえ。もう違います。騎士など、あり得ない……」

「あり得ない……?」


 そのまま、騎士の恰好をした人はとぼとぼと歩いて行った。

 チナミはヒナとナズナに追いつこうと踏み出す。


 ――勘違い……? いや、「もう違います」と言っていた。つまり、昔は騎士だったということ? 別に、今が違うならそれでいいけど。


 二人の元へと戻り、チナミはナズナに言った。


「騎士じゃないって」

「そ、そうなんだ……」


 ホッとしたナズナを見て、チナミも頬の筋肉をゆるめる。


「なんか、あり得ないって」

「あり得ない……?」


 昔は騎士だったのではないか、という推測まで告げずにそれだけ言うと、ナズナは小首をかしげるのみだったので、チナミは付け足す。


「違うし、よかったね」

「うん。チナミちゃん、ありがとう」


 二人が話している横で、荷物をいっぱいに持っているヒナがふらふらしながら言った。


「ちょ、ちょっと! 荷物ぅ」


 しかし、チナミが受け取ろうとしたときには、「うわあああ」とヒナは転んで倒れてしまった。荷物も散らばってしまう。


「ごめんなさい、ヒナさん」

「いいよ、いいって。それより、早く拾って帰ろうよ。また騎士に会いたくないもん」

「そ、そうだよね」

「はい」

「バンジョーも料理の手が進まなくなってるかもだし、急ぐよ」


 このあと、三人は無事に宿へと到着した。

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