19 『出会いの前触れ』

 ケイトはその場から離れて歩き出していた。


 ――勝負はあった。もう、見るまでもない。ボクが士衛組に接触するのは明日にしよう。まずはゴーチェ騎士団長とナサニエルさんに挨拶しないと。


 建物が影になり、サツキの姿は見えない。

 しかし、ケイトは振り返ってつぶやいた。


「明日から、よろしくお願いします。局長」




 戦いは続いている。

 サツキは、桜丸を下段の構えから真横に払った。

 足の硬化が甘い。

 そこを衝いた。

 ジャストンは避けなかったが、本人が思った以上にダメージはあったとみえる。わずかによろめいた。

 その隙に、二打、サツキは撃ち込む。これを、ジャストンの腕と胴が、また受け止めた。さらにサツキは足を使った。すねを蹴った。刀と比べて接触断面が大きく押す力が強いため、ノーダメージというわけにいかない。

 サツキは身をひねり、素早くジャストンの後ろに半身回って、後ろ回し蹴りで背中を蹴った。しかも足の底面で突き飛ばすように。


 ――背中も、硬化が甘いぞ。


 と、サツキは声には出さずに言った。


「こいつッ!」


 ジャストンは確かなダメージを受け、拳を振り回す。

 軽い身のこなしのサツキには、それが当たらない。ジャストンの硬化による身体の重さはこんなところでも弊害が生じた。

 トン、トン、トン、と後ろに下がってサツキはジャストンとの距離を取る。


「チッ……ちょこまかと」


 苛立ちが隠せなくなってきたジャストンに、サツキは勝利をみた。

 帽子のつばをつまみ、ジャストンの全身を流れる魔力と筋肉のひずみを再度把握する。


 ――ジャストンのようなタイプは、怒りとパワーが比例することがよくある。しかし魔法との相性が悪い。自我をコントロールできなくなったら終わりだ。硬化の乱れが全身により大きく現れる。


 魔力の乱れと硬化の乱れは連動している。


 ――あと一撃……。


 瞳に集中する。


 ――ここまで、魔力を練り、圧縮しながら戦ってきた。一撃を見舞うために。最後の一撃は、大技の《おうれつざん》じゃなく、カウンター技の《たいおうとう》でもいい。圧縮した魔力の解放をインパクトに合わせ、カウンターの一撃を叩き込めば、かなりの火力が見込めるはず。


 敵の動きを見極め、捌きながら、とどめの一撃に備える。玄内も「魔力を練りながらカウンターに備えておけば、二つの技どちらの選択もできるようになる」と言っていた。


 ――ただの切り返しのカウンターではなく、高火力のカウンター技。それが、本当の《たいおうとう》の完成形だ。


 サツキはジャストンの動きから目を離さない。

 細心の注意を払い、魔力の動きもたどっていた。

 魔力の流れが、薄くなった場所も見えている。


 ――あそこだ。肩と右腕のつけ根。上半身の安定感にも欠け、拳にばかり力が集中してしまっているのは、怒りのせいばかりじゃないのかもな。何度か口にしていた「今のオレに」と文句からも、なにかの力を与えられたか鍛えて強くなったものとみられる。どちらにしても、強くなったことで増上慢になり、基礎を忘れ、格下と思っていた俺に押されて我さえ忘れた、といったところか。


 冷静沈着なサツキに対して、ジャストンは「クソ」と口にしては歯を食いしばっている。


 ――もう終わりだ。次で決める。


 サツキは中段に構えたまま駆けてゆき、勝負に出る。


「来たな! オラアアァ! 《ハードストレート》!」


 ジャストンの左ストレートが飛んできた。


「カウンター」


 と、サツキはつぶやく。

《ハードストレート》を流すように刀を添わせて軌道をずらし、さらに一歩踏み込む。懐に飛び込んだ。

 サツキは静かに言った。


「《たいおうとう》」


 刀を薙いだ。


「オラァ!」

「終わりだ」


 やや斜め上に向かって、一閃――この刃は、ジャストンの脇腹を流し斬ってそのまま上へと上がって、右腕をきれいに切り落とした。肩からバッサリと。

 空気を切り裂くように、風が巻き起こった。

 風が収まった瞬間。

 ぼとっと、腕が地面に落ちる。

 腕から血が噴き出して初めて、ジャストンは悲鳴を上げた。


「ぐわあぁぁああああああう!」


 ジャストンは、一言二言喚くと、そのまま気を失った。

 サツキはルカを振り返った。


「ルカ。彼を死なないように手当できるか?」

「こんなやつ、野垂れ死にさせればいいのよ。サツキに手をあげるなんて」


 冷めた目でジャストンを見下ろすルカは、サツキの隣に並ぶ。


「俺も、できれば『殺し』はしたくないからな」


 ルカはサツキの顔を見て、その奥にある繊細な神経に触れた気がした。


「わかったわ。応急処置だけね」


 手早く手際よく、ルカは止血を済ませ、そのまま道に寝かせておく。


「そのうち仲間が来るでしょ。行きましょう」

「うむ」


 二人は歩き出した。

 もう夕日も沈みかけている。

 だが、歩く方角が宿とは反対だった。


「どこへ?」


 サツキが尋ねると、ルカは立ち止まり、サツキの頭を自分に抱き寄せた。


「ルカ……?」

「こんな顔、クコたちには見せられないでしょう? あなたは局長なんだから」


 自分を見上げる小さな局長を、ルカはクールな中にも優しさを含んだ瞳で見返す。


「これまでも、何度も人を斬ったし、私たちはきれいに生きてきたわけじゃない。この先も、きっときれいには生きられない。でも、自分の攻撃によって腕を斬り落とし、向かい合って苦しそうにする敵を見るのは、初めてだものね。いえ、何度見ても慣れるものじゃないわ」


 敵を幾度も斬ってきた。が、顔を見て斬って、斬られた相手の苦しむ顔まで見たのは、サツキにとって初めての経験だった。噴き出す血と転がる腕を見るのも初めてだった。


「……俺は、強くなった。戦闘中、それがうれしかった。でも終わってわかったんだ。俺はまだまだ弱い。らなきゃられる。殺しなどしたくないけど、今の実力じゃ相手を殺す覚悟がないと戦えない」

「そうね」

「殺さず勝てるくらい、強くなりたい」


 サツキのこの心中は、クコには話せないものだった。話せば、サツキを召喚した責任を感じてしまう。きっと落ち込みもするだろう。だからか、ついルカにそんなことを漏らしてしまった。

 厳密にいえば、まだサツキは人を殺したことはない。『かぜめいきゅうとびがくれさとでも斬っただけで命を奪ってはいないし、ジャストンもルカが応急処置をしたし死にはしないだろう。


 ――もしかしたら、ミナトがマサミネさんを斬ったあとも、こんな気持ちだったんだろうか。


 ミナトも人を斬りたいわけじゃない。おさろうを斬ったときみたいに加減もできないから、あれだけの大怪我をさせた。だからミナトは眠れなかった。実はサツキもあの船でコタロウに挑まれ戦ったが、船旅の修業の集大成としては物足りないくらいの実力差で勝てたほどだ。しかし、マサミネにはどう頑張っても今のサツキでは勝てない。

 今までのジャストンとの戦いだって、まともに戦うことさえできず逃げるのもチナミに助けてもらってやっとだった王都、アサリとスダレの手助けのおかげで打開策もない戦況から離脱できた浦浜、というものであった。

 それが、冷静に分析しながら勝てる力がついた。けれども、余裕ではない。手加減まではできない。そして、それでも戦うしかない場面は、いつでも起き得る。


 ――俺もミナトも、手当してくれる人がいなければ死んでしまうほど、瀕死状態にさせた。今までは拳がメインで戦っていたからわからなかったけど、武器を持つことは覚悟も必要なんだ。怖いものだな。やっぱり、強くならなければ……。


 帽子の下でサツキの顔は見えない。だが、ルカにはどんな顔をしているのかがなんとなくわかった。


「頑張りなさい」


 ルカは、抱き寄せているサツキの頭に優しく手をやる。

 サツキは少しだけルカに身体を預けると、しかしすっとルカから離れる。


「頑張る。俺は強くなるよ」

「うん」


 愛しげにサツキを見ていたルカであったが、次の瞬間、不思議な笑みを浮かべることになる。


「考えていた答えが、やっと出たしな」

「答え?」

「士衛組は、命を奪うことなく勝つぞ。そうしないと、士衛組に残虐性がつきまとう。たった一人の死でも、そしてそれが殺されそうになったことによる返り討ちでも、ブロッキニオ大臣側がそれらを利用して人殺しの悪評を喧伝する可能性もある。だから、圧倒する。それができれば、士衛組は正義の看板を掲げたときに、味方を得やすくなる。悪を斬るだけが正義じゃない。勝つだけが理念じゃ足りない。俺たちがすべきは、手心を加えるほどの圧勝だ」

「サツキ……」


 ルカは目を瞠った。

 まさか、心痛めているばかりだと思っていたサツキが、この状況で、政治まで考えているとは予期すらしていなかった。


 ――ずっと、サツキには政治的な着眼もあるとは思ってた。でも、強くなりたい気持ちを、そうもあっさり俯瞰的な視点まで交えて、組織の運営にも結びつけるなんて……。


 今、ルカが感じているのは狂喜か恐怖か。両方かもしれない。


 ――やっぱり、ただ強くなりたいだけの常人じゃない。ちょっと、恐ろしくなるくらい。けれど、私はそんなあなたに喜んでついていくわ。


 参謀として、秘書官として、天下を見据えた視野で躍動しようとするサツキを補佐する覚悟を、改めて持ち直した。

 まだ自分にはない規模の視野を有する局長を支えるのは、ルカの事務、財務、行政、人事などのあまねくサポートだ。

 いっそう智恵を磨き、サツキについていく。

 そんな気持ちを強く抱き、ルカは言った。


「共に、強くなりましょう」

「うむ」


 ルカは微笑する。


 ――サツキなら、アルブレア王国を掌握できると確信した。王国がひれ伏すことになる。圧倒的な力の前に。


 今はここにいない王女へ、ルカは心の中で語りかける。


 ――光栄に思いなさい、クコ。あなたが召喚した勇者は、非凡な才能を目覚めさせた。


 だが、サツキの顔を見ると、儚げにも見える。その繊細さに抱きしめてあげたくもなる。不思議な少年だと思った。


「サツキ。平気?」

「うむ、もう大丈夫だ。ありがとう、ルカ。行こう」


 サツキの二面性なのか、強さと弱さの混在か、判断はできない。ただ、強くなるのはこれから。まだ底知れない怪物がサツキの中に潜んでいる……その一端が覗き見えただけ。そうとも言える気がする。


 ――サツキ、あなたは強い目的意識で心は安定を取り戻したかもしれない。でも、まだ傷ついてる。自分では忘れたつもりでも。だから、お姉さんが少し癒やしてあげるわ。リフレッシュして、またみんなを導けるように。


 柔らかな微笑みでルカは提案した。


「ちょっとアイスでも食べて行きましょう。気分転換よ」




 サツキとルカは、海岸線のほうまで来た。


「アーチ状に湾曲したこの海岸線は、『光のネックレス』と言われているのよ」

「なるほど。ふむ、ネックレスに見える。夕方になってきて、街の明かりが灯るからか」

「ええ。ネックレスについた宝石みたいじゃない?」

「うむ。きれいだ」

「別名、『マリーン・キューピッド』。これはキューピッドの弓矢のアーチをイメージしてるのね。素敵な出会いをもたらす海岸線とも言われてるわ」


 ルカはそれから、心の中で付け足す。


 ――そして、いっしょにこの夜景を見た二人は幸せになるとも言われているの。夜景と呼ぶには、少しだけ早いけれど。


 決して声には出さないが、ルカはサツキとこの海岸線を眺めて満足し、アイス売り場へ移動した。

 コーンのついたアイスを買って、二人は食べるのにちょうどいい場所を探す。

 アイスを手に持ったサツキが子供みたいで、ルカは口元が和らぐ。


 ――可愛い。意外とアイスも好きだったのね。うれしそうな顔しちゃって。


 連れてきた甲斐があったわ、と思いルカも気持ちが晴れる。

 サツキのためでもあったが、自分の気分転換にもなった。


「ここは『せんきゃくばんらいこうわん』と言われるラナージャの中でも割と静かな場所だから、どこでもゆっくりできそうね」

「そうだな。あっちに公園があるぞ」

「行きましょうか」

「うむ。食べたら帰ろう。このラナージャには、ナサニエルという騎士がいるとクコが言ってたしな」


 出かける前。

 クコはナサニエルについて、サツキとルカとミナトにこんなことを話した。


「ゴーチェ騎士団長に遭遇したときにもサツキ様には言いましたが、このラナージャの支部にはナサニエルさんという騎士がいます」

「強いと言ってたな」

「はい。その方は、バスターク騎士団長のように、実力で騎士団長になることを目指しています。ライバルのような存在だったようですね。常に実力を磨き、勝つことにもこだわっていると聞きます」

「勝ちへのこだわり・執念は、しばしば実力にも大きく反映されるものだ。時に実力以上を発現する」

「ええ。ですから、本来は戦闘など起きないガンダス共和国で、ゴーチェ騎士団長の下についているような人物ではないのです。仲間を決闘や工作によって蹴落とすというのは、どんな組織でも起きておかしくないのですが、それを理由にラナージャの支部への配属を命じられたと噂になっています」

「よほど、そのへきが強いということか」

「おそらく。でも、実力は本物です。バスターク騎士団長と同じくらい強いと考えていいです。サツキ様、ナサニエルさんには近づかないようにしてください。遭遇したら逃げるようにお願いします。相手の能力を奪うとも聞いたこともあります」

「わかった。それで、どんな容貌なんだ?」

「はい。背は……」


 と、その間もミナトはちゃんと話を聞いているのかいないのか、窓の外を眺めていた。

 ルカはしっかり頭に入れていたので、ここまでもナサニエルには気をつけていた。幸い、遭遇もしていない。


「そうね。ただ、食べるときはのんびりでいいわ。せっかくだもの」

「うむ」


 うなずくサツキを見やり、ルカは考える。


 ――その騎士から逃走する準備もあるからこっちは心配ない。問題はミナトね。そもそも、あのときちゃんと話を聞いてたのかしら……。


 サツキがアイスを見ながら歩いていると。

 そこに、予想だにしない現象が起こった。

 唐突に、なんの前触れもなく、一瞬前までなにもなかった空間に、二人の人間が出現した。サツキとルカの目の前にである。


 ――瞬間移動?


 二人は、二十歳くらいの青年で、そのうちの一人がサツキとぶつかってしまった。

 しかも、サツキの持つアイスが青年の服にくっついてしまった。

 あまりに突然のことに、サツキはなにがなんだかわからない。ルカも今の状況がまるで意味不明だった。なんらかの魔法によってこの場に現れたのだろう、とぼんやり思っただけである。


「……」


 サツキがまずは謝ろうとしたところで、青年のほうから声がかかった。


「すみません。大丈夫ですか?」

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