9 『異国の雲』

 クコは、晴和王国にある玄内の別荘の一室に入った。

 お茶とヨウカンをテーブルに置いた。


「すまねえな」

「バンジョーさんからの差し入れです。どうぞ召し上がってください」

「あいつ、わかってんじゃねえか」


 ヨウカンは玄内にとっての万能食であり、好んで毎日食べている。自分の甲羅の中に入れて携帯している分もあるが、今回はバンジョーのお手製である。

 さっそく、玄内は一口かじる。


「うん。うめえ」

「先生、サツキ様たち大丈夫でしょうか」

「気にするな。平気だ」


 玄内にここまであっさり言われても、不安はある。ミナトは強いし、ルカも強い。もし騎士たちが仕掛けてきても返り討ちにできるとは思う。なんなら、サツキが一人で散歩しようと、サツキが敵に気づくことさえなく、フウサイが影から守り抜いてくれるだろう。だが、意外な相手と敵対することもないわけでもない気がしていた。


「思ってもない相手が襲ってくることもあるのではと思いまして」

「まあ、あるだろうな」

「じゃあ……」


 と言って、自分が駆けつけても目立つばかりでよくないとはわかっている。


「それでも、あの二人がついてりゃ心配いらねえさ。特に、ミナトは……あいつの強さはおれもまだ判じかねる」

「ミナトさんは、とても強いと思いますが……」

「ああ。あの年で、強すぎるってことだ。あいつ、魔法もやばいのを持ってるかもしれねえが、どうせ雑魚相手じゃ剣の修業のためだとか言って使わないんだろうな。そんなのが隣にいんだ、むしろミナトが敵の息の根まで止めないかの心配をしてやるといい」


 くすりとクコは笑った。


「はい。そうですね」


 これも玄内なりの気遣いなのだろう。だが、ミナトがどんな魔法を使うのか、クコは考えたこともなかった。


 ――いずれ、知るときも来るでしょう……。


 そう思い、クコはサツキへの心配を一度引っ込めた。

 意外な敵が出てくることはあっても、おそらく大丈夫だろうと信じて。




 その頃、船着場周辺では――。

 サツキ、ミナト、ルカの三人は、カフェの二階でケイトを待ち続けていた。

 カフェはイストリア王国風で、穏やかな時間が流れている。

 待ち始めてから、船が二隻やってきた。しかしどちらも晴和王国からのものではなく、当然ケイトは降りてこない。ケイトの姿を知らないミナトには判別のしようもないが、サツキとルカが二人で目をこらしても見つからなかったのである。


「今日、来るかしら」

「明日の可能性のほうが高いし、船にトラブルがあれば明後日以降になることもあるからな」

「そうよね」


 ルカはサツキの隣にいられたらそれでいいから、来なくても気にしていなかった。ゆっくりカフェでくつろぐだけでいい。

 サツキとルカは本を読んでいたが、たびたび会話もした。コーヒーを飲みながら過ごしていた。

 ミナトはカラメルソースたっぷりのプリンを食べる。


「おいしいなあ、これ」


 窓から雲を見上げたり街行く人を眺めていたり、のんびりしたものだ。さっきまでミルクプリンを食べて、二皿目だった。ミナトが甘い物好きなことはサツキも知っていたが、カレー屋でもバンジョーのつくったどら焼きを食べたばかりなのに本当よく食べるものである。


「ねえ、サツキ。こんなに楽しくのんびり過ごしていていいのかなァ? 魔法とかで見つからない?」

「まず大丈夫だ」

「根拠は?」

「追っ手に、物体の透過を可能とする使い手がいた。その騎士は先生に魔法を没収され使えなくなった」

「なるほど。だから安心だと」

「その騎士以外のことを考えても問題ないからだ。同時期に会する騎士たちの中で、同じ系統の魔法の使い手を送り込む可能性は低い。すぐに魔法を使えなくされたり倒されたりする見立てはしていないだろうからな。だからこれまでも少数精鋭で騎士たちは現れた。クコの王国脱走を誰にも知られたくないようだし、今後も路線を変えることはないだろう。他に気をつけるなら、音で探れるタイプか。しかしそれも、超音波という形で探知する使い手がいたし、その騎士も魔法は没収済み。同系統はすぐに来ない理屈で、こちらも警戒は不要。匂いを手がかりとするタイプがいたとしても、その使い手に接触したこともないことから、匂いを知られる可能性があるのはクコのみ。クコは宿から動かないから大丈夫。魔力の感知についてはわからないが、それについて警戒しても意味がない。対策の立てようがないからな。他の手段は今のところ考えようがない」

「だから、見つからなければいい。そういうことだね。シンプルだなァ。うん、じゃあ僕はなにも気にしなくていいってことだ」

「うむ」


 ミナトは元からなにも気にしていなかった感じもするが、警戒の必要性もないと知ると余計まったりした顔になったようだった。プリンを一口食べて、雑談をする。


「僕は異国の地には初めて来たが、晴和とはまったく違うねえ。おもしろいなあ」

「そうだな。俺もだ」


 実際、サツキも日本以外の国に行くのは初めてだった。晴和王国は日本のような感じだったし、今は初めての海外という感覚である。

 ミナトは言った。


「土地が違えば人が変わる。人が違えば国が変わる。とは言いますが、土地のせいで変わるよりもそもそもの人が違うような感じですな」


 敬語も交えるのは、同学年であるサツキだけでなく、目上のルカにも言っているからだろう。


たからの私的な意見でも、晴和は特別に思えるわ。自分が生まれ育った国ということもあるけれど」

「まあ、似たような土地の隣り合った国でも仲が悪くて国民性が違うところもある。教育による部分もあるだろうけど、根幹も違うんだろうな。隣国だろうと遺伝子レベルで違うこともよくある。どの人種がどこで足を止めて定住するかもわからないんだしさ」

「ルカさんもサツキも、僕と同じ意見ですね。これからいろんな国に行けると思うと、わくわくするなァ」


 いろんな人がいるからこそ、いろんな土地がある。いろんな土地があるからこそ、いろんな人がいる。

 人や土地がいろんな国という単位を形成し、たくさんのいろんな世界が広がっているのだ。

 通り過ぎゆく人を見て、


「あの人なんか、なにする人だろう。絵描きかな。それとも、研究のためのスケッチだろうか。あっちで商いをしている人はなにを売っているんだろう」


 などと、ミナトは穏やかな日暮れを楽しんでいた。

 時が過ぎ。

 すっかりプリンも平らげたミナトが空を見上げると、漂う雲が赤から黒く色を染めてゆくようだった。

 空が少しずつ暗みがかってきている。


「おや?」


 三隻目の船が港についた。

 サツキも目を上げる。


「……」

「次はどうかしら」


 ルカも船を観察した。

 船からは、見たことのある顔が降りてきた。

 アルブレア王国騎士たちである。十人ほどいる。しかし、サツキの知っている顔は『でんこうのランス』エヴォルドと『鋼鉄の野人アイアンマン』ジャストンだけだった。玄内に魔法を没収された騎士たちはいない。もう戦えないと自分でもわかって、同行しなかった可能性さえある。

 王都での夜、サツキと相まみえた二人――エヴォルドとジャストンに、苦い記憶がよみがえる。特に、ジャストンには浦浜で再戦したときも決め手に欠けて苦戦を強いられ、王都少女歌劇団『春組』の姉妹に助けられて「逃げ」の選択をしたほどだ。

 敵の顔を知っているのは、サツキのほかにはクコだけである。

 サツキは窓から顔が見えないよう身体を下げて、静かに忠告した。


「ルカ、ミナト。今船から降りてきた中に、アルブレア王国騎士がいる。二人は、クコを狙い、俺と顔を合わせたこともある。他の騎士たちは俺の知らない顔だった。王都や浦浜で出会わなかった騎士だと思われる。そして――」


 こめかみを人差し指で叩く。


 ――《とうフィルター》発動。


 壁を透過してジャストンたちの様子を観察する。


「フウサイ」

「はっ」


 どこからともなく、有能な忍びの声が聞こえる。


「このことをクコに報告してくれ」

「御意」


 ミナトはこんな状況でもにこにこしている。


「本当に優秀な忍者だねえ。かっこいいなァ。あれほどの人がいれば、この四人でやつら十人くらい簡単にやれるんじゃないかい?」

「あなた、また騒ぎを起こす気? サツキの指示を待ちなさい」


 ルカに鋭く諫められる。だが、ミナトはみずみずしい微笑でさわやかに返答する。


「ええ。むろんですとも。どうする? サツキ」

「この街での交戦は可能な限り避けたい。戦うのは、見つかった場合のみだ」

「なら、今日のところは帰りますか。今のは本日最後の船だ。宿で休みましょうぜ」

「そうだな。まだ騎士たちは船を降りたばかり。はち合わせないよう、もう少ししたら移動だ」


 しかし、ミナトはのんきに立ち上がった。


「顔を見られてない僕は問題あるまい。昼間の十一人との連絡もまだだろうし、彼らが僕を狙うことはないと思う。サツキはルカさんに任せて、僕は一足先に宿へ戻るよ」

「勝手なやつだ。いっしょに帰……」


 呆れるサツキだが、それを遮ってルカはミナトに告げる。


「そう。じゃあまた。私はしっかりじっくり安全を確認してから行くわ。帰りが遅くなるかもしれないから、クコたちによろしく。もしかしたら朝に――」

「あいよ。ごゆるりと」


 しゃべっている途中のルカに手をあげ、ふらりとミナトは身をひるがえす。

 そのとき、不意に、ミナトが咳を漏らした。


「こほ」


 サツキにはなぜかそれが嫌な予感をさせるものに思えて、引き止めるように声をかけた。


「ミナト。大丈夫か」


 しかし振り返ったミナトの笑顔は相変わらずみずみずしい。透明感さえある。


「なにがです? 僕は元気そのものさ。局長はそんなつまらないこと考えるもんじゃあないですぜ」

「ならば、いいが」

「うん。では」


 ミナトは、風が吹くように店を出ていった。




 ミナトが店の外に出たとき、アルブレア王国騎士たちはもう街の中にいた。

 エヴォルドとジャストンの二人は、仲間と共にラナージャの支部にいる騎士・ナサニエルの元へ向かっていた。

 スキンヘッドで首に鎖を巻いた筋骨隆々のジャストンは、左右の拳を叩き合わせて殺気を立てる。


「やっとだ! やっとだぜ! やっとあいつをぶっ飛ばせる!」

「あなたはずっとそれですね。我々の目的は、クコ王女を捕らえて連れ帰ることです。できることなら、クコ王女からもちゃんと事情を聞きたい。私はブロッキニオ大臣の指令もバスターク騎士団長の口から伝えられただけ。アルブレア王国がどうなっているのか、わからないことのほうが多い」

「そんなのどうだっていいじゃねえかよ。エヴォルドさん。オレはあの城那皐をぶっ飛ばしたくてたまらないんだ! 二度もオレから逃げやがって。弱いくせに、格下のくせに、二度もオレに盾突いた。許せねえ」

「話を聞けば、彼らの目的もわかります。もっとも、そのためにも捕縛しないと口を割らないかもしれませんが」


 エヴォルドはジャストンに手を焼く気持ちもありながら、頼もしくもあった。


 ――そのプライドが、己を鍛える原動力にもなっている。それはいいことですよ、ジャストン。しかし、すぐに我を忘れるのが欠点。


 そう思って、エヴォルドはジャストンに助言する。


「あなたはすぐに頭に血が上る。個人への恨みなどの悪感情も、戦闘時には一度忘れなさい」

「……ああ。わかりましたよ」


 ジャストンにとってエヴォルドは、面倒見がよく、だれも近づきたがらない荒くれ者だった自分にも積極的に関わり学問まで勧めてくれた先輩。腕っぷしなら負けないつもりだが、一目置く存在だった。だから素直に返事をする。


「フンベルトやセルニオたち、辞めた騎士の分も我々がこの責務をまっとうしなければなりません」

「うす」


 ジャストンはこの先輩を横目に見て、


 ――真面目な人だぜ。そんなトコも尊敬してるが、やっぱりオレはあの『いろがん』をぶっ飛ばさないと気が済まねえ。いつ出会えるか……。


 二人は街の中に消えて行った。

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