8 『未来の賭け』

「いやあ、本当にシャハルバードさんと出会えた我が輩は幸せだなも」


 キミヨシが調子よく、しかし本心からそう思っているように言った。ナディラザードもこれには苦笑する。


「でも、キミヨシくんも兄さんから商売のイロハを学ぼうなんて奇特な人よね」

「シャハルバードさんはさすがだよ。そんなシャハルバードさんに学びたくない人はいませんよ、ナディラザードさん」


 クリフがまた心酔したようなことを言っているが、心酔はいつも通りのことながら、今回はちょっとだけ違うポイントもある。そのためナディラザードはくすりと笑う。


 ――初対面では兄さんのこと殺そうとしていた元暗殺者アサシンなのに、兄さんに学びたくない人はいないなんて、よく言うわ。


 また、それとは別にナディラザードは兄・シャハルバードの商人としての特殊性について話す。


「兄さんは人に投資するのが商人としての本分よ。《じんぶつとう》の魔法でキミヨシくんたちに投資するつもりで兄さんのほうが同行したがるのはわかるけどさ、そんな兄さんから商売のことなんて学べないじゃない」


 と、ナディラザードは呆れる。

 リラは思い出すように言葉を紡ぐ。


「シャハルバードさんの魔法《人物投資》は、確か、相手にお金をあげたら、五割追加分の金融券を発行する。相手がシャハルバードさんから与えられた分のお金を稼ぐと、シャハルバードさんの金融券が換金可能になる、というものですよね」

「そう。期限はない。もし儲けが出なかったらお金は返ってこない。実際に自分の元へと還ってくるのは五割増しの金融券だから、五割の儲けが出るわけね。きのうだって、前に二十万両投資した分が換金可能になって、三十万両が還ってきたしね」


 ナディラザードがまとめると、シャハルバードはニッと笑う。


「情けは人のためならず。世の中はそうやってできてる」


 それはシャハルバードの人生観のようなものだった。


「ワタシはこれぞと思った人間に投資するんだ。もしリターンがなくても後悔したことはないさ」

「普段は平均で十万から百万両の投資をしてるけど、おおよそ成功してるし、リターン失敗の分が気にならないくらいに稼げてるから言えることなんだよね」


 アリが笑うと、クリフが得意顔になる。


「それはシャハルバードさんに人を見る目があるからさ。さすがはシャハルバードさんだよ」


 二人が言い合っている横で、シャハルバードは思う。


 ――三人共いい顔をしてる。リラくんは、もしかしたらあのアルブレア王国の王女なんじゃないかと思うが、自分から言うまでは聞くまい。トオルくんも育ちがいい名家の子なのがわかる。しかしそれ以上に、才覚でのし上がれる機略を備えてる。で、キミヨシくん。彼はおもしろい。口も回るし知己もある。愛嬌だけでも食っていけるだろう。だがなにより、明るいのがいい。しかも底抜けに。


 クリフは目の前の壺を眺めて、


「この壺を売ってくれた人はすごかった。あのシャハルバードさんが七千万両を投資してやるって言ったんだから、オレも驚いた」

「そうだね。シャハルバードさんもたまに一千万両以上を出すけど、五千万両以上の額を出すのは、滅多なことないもん」


 と、アリも同意した。


 ――だが、このキミヨシくんにはワタシが今まで出会った中で最高額を出せる。三億両ってとこか。


 シャハルバードはそうやって、だれにだったらどれだけの額を出せるか算出することがよくある。だが、その中でもキミヨシを規格外に評価していた。それも将来性に賭けている。


「キミヨシくん、トオルくん。今日で充分に稼げたんだね?」

「はいだなも」

「ナディラザードがリラくんの服も縫えたところだし、そろそろ出発するか」

「わかりました。すぐに準備します」

「とりあえず、行き先はメイルパルト王国でいいですよね?」


 クリフが馬車の準備を始め、アリが屋台を片づけながら聞いた。


「ああ。そうだろう?」

「はい。よろしくお願いします」


 リラがぺこりとお辞儀をした。


 ――お姉様宛にこのガンダス共和国へと届く手紙には、藤馬川博士がそう書いていたはずだわ。そこには、リラの役目もある。行き違ってしまっていても、少なくとも、そこで会える。


 近くて遠くにいるみんなとの距離を結ぶものはなんだろうか。いろんな出会いと経験を拾い集めて進む先に、答えがあるのかもしれない。




 クコは宿の一室で手紙を書いていた。


「博士からのお手紙を受け取ってから書けばよいのですが、書きたいことがいっぱいあるので、今のうちに書けるだけ書いておかないとですね! せっかく、今は部屋に一人でいるんですから」


 気合を入れて、楽しそうにクコはペンを握る。


「ええと、サツキ様は、とってもがんばり屋さんで、いつもいっしょに修業をして……」


 と、ペンを走らせる。

 知る必要もないサツキのことまで、クコはのろけ話を書くかのような勢いなのである。むしろサツキのことが中心だった。読まされる藤馬川博士もたまったものではないだろう。

 ルンルン気分でサツキのことを書いているクコだったが、便せん三枚分まで書いて、ぐっと背伸びした。


「ふう! 『けんせい』と呼ばれるマサミネさんに修業をつけてもらうことになったところまでは書けました。バンジョーさんにお茶をいただこうかしら。……あ、そうでした。研究を頑張ってらっしゃる先生にもお茶を持って行ってあげないとですね」


 クコが席を立ち、バンジョーのところへ行ってお茶を淹れさせてもらう。

 バンジョーは料理する手を止めて、


「しかしクコは緑茶も淹れられるんだな! 晴和王国ではよく飲まれるけど、アルブレア王国ではあんまり飲まないんだろ?」

「そうですね。わたしは母が晴和王国の出身でしたから、日常的に飲みましたけど、一般的にはあまり飲まれないと思います」

「逆に、先生は緑茶しか飲まねえくらいだしな! 先生に差し入れだ。これも持って行ってやってくれ」


 そう言って、バンジョーはクコに和菓子を持たせてくれた。


「ヨウカンって言うんだとよ。先生はこれくらい常識だから覚えておけって教えてくれたんだ。もしかしたら、先生はヨウカンが好きなのかもな! なっはっは」


 陽気に笑うバンジョーに、クコも笑い返す。


「はい。きっとそうだと思います。では、持って行きますね」

「おう」


 クコが廊下へ出て、それから一度宿の外に出て、裏庭の厩に回った。

 馬車の中に入り、黒いドアノブに手をかける。


「先生、入りますね」


 声が聞こえているかはわからない。

 返事はないが、クコはドアを開けた。

 玄内は、今は《拡張扉サイドルーム》の魔法で作った扉の向こう側にいる。黒いドアノブの先の《黒色ノ部屋ブラックルーム》は特定の場所とつながる扉になっている。

 城下町へ行く道でルカにあげた魔法だが、玄内はこれを馬車内に設置したとき、黒いドアノブの扉は晴和王国の自分の別荘につなげていた。これがあるおかげで、クコたちはどんな森の中を旅していても自由にお風呂にだって入れるし、お手洗いに行きたいときも馬車をどこかに停めてもらう必要さえない。さらには、地下には《げんくうかん》という修業用の場所まであった。

 別荘の外には出られない、という制約はあるが、それくらいささいなことだった。

 また、玄内の別荘というだけあって、そこには書架もあった。

 見たい資料もあるから《黒色ノ部屋ブラックルーム》で別荘に行っているとのことなので、きっと書架にでもいるのだろう。

 廊下の窓から外を見ると、時差のある晴和王国の別荘では、空は暗くなっていた。

 夜空に浮かぶ雲は、星と月に照らされて灰色がかっている。

 ガンダス共和国は夕方になるため、時差をよく感じられる時間帯だった。

 クコが書架の扉をノックすると、


「おう」


 声が返ってきた。


「クコです。お茶とヨウカンを持って参りました」

「入れ」

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