7 『天衣無縫の商人』

 ヒナの目に入ったのは、晴和人の二人組である。


 ――あっちは晴和人じゃない。て、ただの針売りか。興味ねー。


 一人が呼び込み、もう一人が会計をしている。二人はマリンセーラーのような水兵服に身を包み、船乗りにも見える。それが針を売るのはおかしかった。

 しかし、そんなヒナとは反対に、チナミはそちらに興味を移していた。


「あれが気になるとは見る目があるね。あの針も良い商品だから、気に入ったら買ってやってくれ」


 と、シャハルバードは自分の店の商品でもない物まで親切にすすめた。


「は、はあ」


 ヒナが返事してナズナといっしょに隣の店の前に移動する。チナミのすぐ後ろで針売りを見る。

 針売りをしている猿顔の晴和人の青年が大声で口上を述べていた。扇子を広げて大げさにしゃべっている。


「やあやあやあ! 針売りだなも針売りだなもー! そこのあなたも向こうのあなたも、丈夫な丈夫な針はいかがだなもー!」


 チナミはちょこんと座って見ている。お尻は地面につけず、ひざをかかえるようにして器用な姿勢である。

 猿顔の青年は、道行く人の中から、足を止めてくれた四十がらみの男性をメインに、他の人へも向けてしゃべっている。


「そこのお兄さんも針はいかがだなも? 奥さんも千両の笑顔になる針だなもよ。ええ、その通り、家庭円満の笑顔を千両で買ったらこの針がついてくるようなものだなも! 家庭の幸せ叩き売り! あの天女様の羽衣もこの針で縫ったという針だなもー」

「羽衣に縫い目がないから、天衣無縫なんて言葉もあるのよ」


 ニヤリと皮肉な笑みを浮かべてヒナが口を挟むと、猿顔の青年は扇子をパチンと閉じてヒナを差し示す。


「な、なによ」

「よくぞ言ってくれただなも! その天衣無縫、この針を使ったから縫い目がまるで見えないゆえの伝承だなも! 天女様も愛したこの縫い針、なんと今ならサービスでもう一本おつけするだなもー!」

「か、買います!」


 さっきから話を聞いていた四十がらみの男性が言って、それに続くように何人かが針を買っていた。この針売りこそが天衣無縫の明るさを持っているように思えて、ヒナは明るさの押し売りにジト目になった。


「うさんくさー。なんで丈夫な針だって言ってるくせに、その針を二本も出すのよ。すぐ折れる証拠でしょ」


 そんなヒナのぼやくような疑問にも、針売りは笑いながら、


「なくしたときの予備だなもよ。なんせこれはあの天女様ご用達の針、泥棒が家に入ってもお金を取る前にまずこの針が盗まれてしまう! ああ大変! 困ってしまうだなも! でも、二本あれば安心だなも?」


 最後にとぼけたように言って、観衆を笑わせ、また数人がくれと言った。

 ヒナは呆れてチナミとナズナに声をかけた。


「あたしたちは行きましょ。ほら、バンジョーにお肉と野菜と果物頼まれてるんだから。ぼーっとしてる余裕はないわ」

「そ、そうだね」


 ナズナはヒナのそばに移動するが、裁縫好きなチナミはじぃっと針を見つめて、


 ――あの針でサツキさんの着物を縫ってあげたら、喜ぶかな……?


 と考えて、ふところからペンギンの顔の形をした巾着《しょうげんぶくろ》を取り出し、お財布からお金を出す。


「一つください」

「はいまいど! ありがとうございますだなもー」


 景気よく針売りの青年が答えて、チナミは手のひらを差し出す。

 すると青年はウインクして、


「おまけのおまけだなも。他の人には内緒だなもよ?」


 と縫い針を三つくれた。

 サービスで一つおまけの上に、さらにもう一本つけてもらえたのである。


「ありがとうございます」

「晴和の人間同士、ここで会えたがなにかの縁だなも」


 こそっとささやき、猿顔の青年はまた他の客の呼び込みの口上を述べ始めた。

 チナミが遅れてやってくると、ヒナが頭の後ろで手を組んで言った。


「どうせあんなの普通の針だよ」

「でも、なんだか良い針のように見えてしまって」

「それがあいつのやり口なのよ。ねえ?」


 ナズナに同意を求めるヒナだが、ナズナはにこっとチナミに微笑みかける。


「良い針だといいね」

「うん」


 うなずき、チナミは付け足す。


「ナズナにも縫ってあげる」

「ありがとう」


 焦ったようにヒナがチナミの背の高さに合わせてかがんで、


「ねえチナミちゃん? あたしにも縫ってくれるよね? ね?」

「普通の針は興味ないのでは?」

「う! い、いや~! 見れば見るほど味があるっていうか、良さそうな針じゃない。やったね、チナミちゃん。すごい針ゲットだ」


 頑張って言い繕うヒナがおかしくて、チナミは普段無表情にも見える口元に小さな笑みを浮かべ、すぐに表情を戻す。


「しょうがないです。私の分と合わせて、三人分なにか縫ってみます」

「チナミちゃん! ありがとう~。楽しみだっ!」

「楽しみだっ」


 がばっとヒナが抱きつき、ナズナもマネして抱きついた。照れるチナミは、


「さあ。果物屋さんはすぐ近く」


 と歩き出す。


 ――サツキさんの分と合わせて四人分……なにを縫おうかな。




 屋台では。

 猿顔の青年が、針を客に渡す。


「どうもありがとうございますだなもー!」


 振り返って、


「トオル。もう今日はいいくらいに売れただなもね」


 苛立ちをたたえたような顔の青年は、その実まったく怒ってもいないし至極冷静だった。だがその印象から『ちんもくげきりんとおるとして彼の出身国である晴和王国では一部で名も知られている。


「ああ。今日の売り上げは上々だ。昨日の五割増しだぜ」

「おお五割だなもか」

「しかし、キミヨシ。なんでさっきの晴和人に三本もやったんだ?」

「いやあ。リラちゃんと同じくらいの子たちを見ると、ついつい、だなもよ」

「まあ、いいけどよ」

「とにかく、旅費もこれでまかなえるだなもね。バンザイだなもー」


 諸手を挙げて喜ぶ猿顔の青年キミヨシは、『たいようわたりきみよし。相方のトオルと晴和王国から旅をしてきた。二人は共に今年二十歳。

 嬉しそうにするキミヨシに、隣の屋台から大柄のガンダス人・シャハルバードが言った。


「別にいいのに、キミヨシくんは意外と強情だな」

「だってこの先の旅でお世話になるのに、頼りきりなんて嫌だなもよ」

「それで、オレも船代を断られたんで。こうやって手間暇かかってる分、オレん家から出してもらったほうがオレとしてはよかったんですが」


 トオルが苦笑交じりにそう言うと、シャハルバードは豪快に笑った。


「そいつは困った道連れを持ったね」

「ハッ」


 と、トオルは笑った。


 ――ったく、ホントだぜ。オレの家なら金くらいいくらでも出せるんだが、キミヨシも考えあってのこと。まあ、付き合ってやるけどよ。


 そしてトオルは、改まったように尋ねた。


「でも、ホントにいいんですか? オレたちも旅に同行させてもらって」

「構わないさ。ワタシがキミたちを気に入ったんだからな。馬車だってないんだろう?」

「馬車がないから本当に助かるだなもよ。うきゃきゃ、シャハルバードさんは話せる人だなも!」


 どこまでも明朗で楽しそうなキミヨシを見て、シャハルバードも自然と笑顔が浮かぶ。

 横から白人の青年クリフが口を挟む。


「さすがはシャハルバードさんだよ。と言いたいけど――」


 言ってるだなも、とキミヨシが小さくつっこむのも無視して、クリフが続ける。


「みなさんもすごい。『ガンダスのかぜ』と呼ばれるあのシャハルバードさんにここまで気に入られるんだから。尋常じゃない」

「いや~。どれほどかわかりにくいだなも」


 と、キミヨシが頭の後ろをかいて照れてみせる。


「おいらは、ただただ話す相手が増えて楽しいや。あねさんも、女子が仲間に加わって話し甲斐もあるってもんだよきっと」

「確かに、ナディラザードさんも楽しそうだ」

「実際に楽しいわよ。そろそろ着替えも済んだかしら。見てくるわね」


 ナディラザードが馬車に顔を入れて、十秒とせずに降りてきた。声をかける。


「ほら。リラちゃんもおいで」


 ナディラザードに呼ばれて馬車から出てきたのは、アルブレア王国第二王女、『画工の乙姫イラストレーターあおだった。


「どうでしょう? 似合っていますか?」

「可愛いだなもよ! ヒューヒューだなも!」

「バッチリだね」

「いいんじゃねえか」


 キミヨシとアリとトオルに褒められ、リラがはにかむ。水兵服のような爽やかな水色のセーラー服である。


「似合ってるぞ。これで、この『ふなり』シャハルバードの仲間だ」

「シャハルバードさん七回目の航海にして、仲間だって認めてもらえたのはリラが初めてだ。むろん、キミヨシとトオルもな」


 シャハルバードとクリフが言って、ナディラザードがリラの肩に手を置く。


「キミヨシくんとトオルくんにはクリフの服があったけど、リラちゃんのサイズはなかったしね。アタシたちみたいな服よりもこっちのほうが似合いそうだったし、なかなかいいじゃない」

「ナディラザードさん、素敵な衣装を縫っていただきありがとうございます」

「姐さん、縫い物ヘタなのにこれはうまくいったね! いや、リラちゃんが可愛いのか。あはは」


 アリが楽しそうに笑うと、ナディラザードがアリの耳をつまむ。


「なによ。アタシだって上達してるんだから」

「わわ。ごめんなさい」

「その辺にしておけ。ナディラザード」

「兄さん」


 ナディラザードは、シャハルバードの妹だった。アリに「姐さん」と呼ばれているが、血縁関係はシャハルバードとナディラザードの兄妹だけで、クリフとアリは仲間である。

 そして、このシャハルバードたち四人はみんな、水兵服のような襟元が共通していた。キミヨシとトオルも彼らの水兵服をいただいたものであった。

 リラは自分の服を見下ろし、スカートの端に触れる。


 ――この服、船の旅で見かけたあの女の子を思い出すわ。あの子、元気にしてるかしら……。


 れいくにに流される前に、海上ですれ違った少女。小さな船に乗った、三姉妹のようだった。アホ毛が特徴の末っ子といった感じだろうか。

 どこのだれかもわからないし、会話もできなかったけど、また会えたらいいなとリラは思っていた。

 トオルが怖い顔を和らげるようにして、


「なにかあったか?」

「いいえ。船の上ですれ違った女の子のことを思い出して」

「そういえばいただなもね。まあ、なにかの縁がつながれば会えるだなもよ。可能性は割とある気がするだなも。うきゃきゃ」


 と、記憶力の良いキミヨシが言った。

 シャハルバードも腕組みして、


「ああ、巡り合わせはおもしろいものさ。出会いは実に不思議なものだね。きっとこの先も、いろんな出会いが待ってる。ワタシとの出会いのように」

「はい」


 今、リラが共に旅をするのはこの六人になる。

 つまり、リラはキミヨシとトオルと出会って船旅を共にし、黎之国に流されたあと『くんせんしょうほうや『みずせんとんぱいぱいたちとの西さいゆうたんを経てれんじくに到着、そのあとここラナージャにたどり着いた。それが二日前の七月十五日。

 そこで、商人の『船乗り』シャハルバードたちと出会い、今後行動を共にしようとしているのである。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る