5 『蝉時雨の時差』
晴和王国、
ここを出発して、深緑色の羽織の青年と薄紅色の着物の少女は数日の旅に出ていた。
王都から列車に乗り、北へ。
列車は『
その中心『
馬車を降りたのち、山を徒歩にて登る。
季節は夏。
山の中ではセミの鳴き声が聞こえる。
夏の夕暮れ時のセミの鳴き声はどこか郷愁的な心地にさせるようだった。
薄紅色の着物の少女は、十歳ほど。梅のデザインの髪飾りをつけたおかっぱ頭で、小さな身体だが明るい顔でせっせと山を登る。疲れなど微塵も感じさせない。
二十歳を少し過ぎたくらいのくせ毛の青年の羽織を小さな手でつかみ、少女は言った。
「もう暗くなってきましたね」
「
「はい、トウリさま」
山を登っていたのは、『
トウリもウメノも、頭にはお面をつけている。お面のデザインは、トウリはかえるおうじ、ウメノはかえるひめで、これらは王都のお面職人『
それは、『匂い』。
お面の種類によって『存在感』や『影』など《打ち抜き》されるものは異なるが、二人のお面は《
「人間の匂いがなくなると、動物や魔獣から気づかれにくくなる。このお面をくれたアキさんとエミさんにはあとでお礼を言わないとね」
「お面の効果すごいですね。いいものをいただきました。おかげで魔獣に会わないです」
ウメノは独り言のようにしゃべる。
「今度のお出かけでは、剣士を探すんですよね。強い人だとは言いますが、お兄さまより強い人はめったにいないと思います。武賀ノ国には『
「言っていた通りさ」
「天才だからですか」
「うん。でも、ただ天才だからっていうのが理由ではない。もっと感情的な部分さ。山に籠もって修行をしている剣士だというが、どれほどのものだろうね」
なにかを察するようにウメノは聞いた。
「トウリさま。あまり乗り気じゃないみたいです」
「そうかな」
と答えるものの、確かにトウリは気乗りしていない。
トウリもさっきのウメノのように独り言らしい調子で、
「うん。そうかもしれない。探しているのは、ただ強い人じゃないからね。ある人に会いたいだけなんだよ」
「キミヨシさまも言ってた……」
と、ウメノはトウリと猿顔の青年の会話を思い出す。
「そう。その子。途中、馬車で聞いた限りでは、たぶんこの山にいるのはその子じゃないだろうし、無駄足になると思うよ」
「そうですか。では、山登りを楽しみましょう!」
おそらくアテが外れるだろうというのに、ウメノは気にした様子もなく明るい笑顔でそんなことを言うので、トウリまで表情が和らぐ。
「それがいい」
ウメノはニッと笑い返し、木の脇までくる。
「トウリさま。見ていてください」
えい、とウメノは木を蹴った。
がざがざと木の葉が揺れる音がする。
しかしなにも落ちて来ない。
「カブトムシもクワガタムシも落ちてきません」
「夜行性だからね、まだこのへんにいるんじゃないかな」
トウリが木の根元でかがむ。落ち葉をめくってみると、カブトムシがくっついていた。
「あ! いました!」
「これからの季節、夜になると、たまにお城にも飛んでくるよね」
「はい! でも、自分で発見すると楽しいです! セミの抜け殻もありました!」
左手にカブトムシ、右手にセミの抜け殻を持って、ウメノはまたウキウキと山登りを再開する。
不意に、空を仰ぐ。
「お星さまです」
「綺麗だね」
「
「うん。海の上でもないと見られないくらいにね」
なにか思い出したように、ウメノはふところに手を入れた。けん玉を取り出す。
「リラさま、無事にラナージャに着いたでしょうか。そろそろですよね?」
「手紙にもそう書いてあったし、着いている頃だと思う」
「では、会いたいって言ってたお姉さんに会えているといいですね」
「測量艦の報告によれば、途中で嵐もあった。リラさんが会いたいというお姉さんがそれに巻き込まれていたとしても、そちらもそろそろの到着だ。会えるといいね」
「はい!」
ウメノは急にパタパタと走り出す。
けん玉を片手にトウリを振り返る。
「おうちがありました。あそこでお泊まりさせてもらえるか聞きましょう」
「灯りがある。だれかいるようだね」
「やさしい人だといいですね!」
トウリとウメノは家の前にたどり着く。
明るい声でウメノが呼びかけた。
「ごめんくださーい」
晴和王国とガンダス共和国では、約三時間半の時差がある。
もう夜になりかけた空の下、トウリとウメノが山を登っているとき――。
サツキたち士衛組のいるガンダス共和国ラナージャでは、まだ明るい空にも、一番星が見えていた。
ヒナがうれしそうにサツキに言う。
「今日は天体観測日和だわ」
「それはよかったな」
「夜はいっしょに空見上げるとしよ?」
「うむ。ラナージャの緯度経度の空も観察しておかないとな」
「頑張ろー」
「うむ。やるぞ。だが……」
「ん?」
ヒナは小首をかしげる。
宿屋の前。
サツキは言った。
「その前に、やることがある」
新たな仲間を加えた士衛組一行だが、ラナージャでは、まだやらねばならないことがあった。
『
ケイトは、アルブレア王国騎士の一人であり、浦浜で会った。その際、仲間になりたいと申し出てきた。これを了承したが、同じ船に乗ることができなかったため、ケイトとはラナージャで落ち合うことになっていた。
そのため、船着場で待っていなければならない。サツキに遅れること一日か二日になるだろうとケイトは言っていた。
一泊することは決めて、宿を取った。
サツキは局長として方針を示す。
「この船も嵐の影響で一日から二日ほど遅れている。もしかしたら今日のうちにケイトさんは来るかもしれない。だから、今日もこのあと迎えに行ってみようと思う」
「賛成」
ヒナが答えて、言葉を継ぐ。
「でも、まだ外も騒がしそうだし、全員で行くのはなしよね?」
「うむ。特に彼らの目当てはクコだ。クコには人目につかないように残ってもらうとして、ほかのみんなの行動をどうするか。そして、だれがケイトさんのところへ行くかだけど……」
と、サツキは考えた。
騒ぎを起こした手前、いくらクコに宿で待っていてもらっても、残る九人全員で町中を闊歩して船着場へ行くのはよろしくない。
「代表として、サツキは決定でいいと思うわ」
ルカの意見にサツキも異存はない。
「そうだな。もしものときのため、腕の立つ者が最低でも一人は欲しい」
「私が行くわ」
名乗り出たルカに、サツキはうなずく。
「うむ。そうだな。ルカは俺がケイトさんと会ったときにもいたし、向こうも探しやすいだろう。頼む」
「ええ」
ミナトが聞いた。
「みなさんはどうなさるのです?」
一同、それぞれやることがある者もいる。
「オレは夕飯の仕込みとかしてえな!」
「今日はなんだろう。楽しみだなァ」
「おう! 楽しみにしとけ。ただ、その前に食材を調達したかったんだ」
とぼけたようなバンジョーに、ヒナがため息をついて、
「わかったわよ。あたしが買い出しに行ってあげる。ミナトに任せても、ぼやっとしてて心配だしね」
「いってらっしゃい」
しれっとチナミが送り出す言葉を言うと、慌ててヒナがチナミにくっつく。
「えー! チナミちゃん、いっしょに行こうよ」
「……」
「ナズナちゃんも行くんだよね!?」
ヒナにそう言われて、ナズナはうなずいた。
「う、うん。いいよ」
「わかりました。ナズナも行くなら私も行きます」
「やったー! てことで、食材は任せなさい」
とん、とヒナが胸を叩く。
「おれは研究がある」
玄内がそれだけ言うと、ミナトはひらりとサツキの横に並んだ。
「うん。ここが一番楽しそうだ。僕も行こう」
サツキはため息をついた。
「騒ぎを起こしたおまえが一番目立つから、本当なら宿でおとなしくしておいてもらいたいが……まあ、逆に考えよう」
「逆?」
「どのみち、あの騎士たち以外に俺たちを狙う者はないはず。であれば、ミナト一人に敗れた騎士たちがまた挑んでくる可能性は低いということだ」
「ははん。なるほど。そうも読み解けるね。つまり、僕は局長の護衛だね」
「うむ。そうなる」
「じゃあさっそく行こうか」
ミナトに促されるまま、サツキとルカはミナトと三人で船着場まで出かけることになった。
「ああ、そうだ」
サツキは部屋を出る直前、ヒナとチナミとナズナに言っておいた。
「俺たちとは少し時間をずらして出てくれ。念のためだ」
「わかってるわよ」
「お気をつけて」
「い、いってらっしゃい」
ヒナとチナミとナズナに見送られ、サツキとルカとミナトは宿を出た。
フウサイも影分身が物影に潜みながらサツキたちについてきている。本体はサツキの影に隠れ、ほかの分身体は士衛組の仲間の安全確認をしつつ、偵察まで放つ多方面な暗躍をしている。
ミナトは遊びに来ている感覚なので護衛としての役割もどれだけ期待できるか不明だが、フウサイがいれば心配ないだろう。このあと出発するヒナとチナミとナズナにも影分身が目を光らせてくれるのは心強いことだった。
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