幕間海道記 『虎-誇-己 ~ Remain A Dream ~』
晴和王国の港町、『世界の窓口』
創暦一五七二年七月十六日。
船は、明日にはガンダス共和国の港町、『
この日、船内では、一人の剣士が獲物を探していた。
「どいつがいいか」
剣士は、
それなりに名前の通った剣士で、『
しかし、それほどの剣士も、この船旅では名前も知らない少年剣士に敗れ散った。
――あのガキ。
名前を思い出しただけで、あの剣士の目にも留まらぬ居合いに敗れた恐怖が蘇る。白刃が閃くのも一瞬、自らの剣は払われ、気づいたときには、真っ正面から斬られていた。
――あんなガキに負けるなんざ、思いもしなかった。侮り過ぎたか。オレの実力なら負けるはずもないんだ。ただ……オレも一目置く『
コタロウは首を横に振る。
「いや、まさか。あんなやつに負ける人じゃねえ。オレよりも腕が立つ実力者だ、なにか事故があったんだろう」
そういうことに決めた。
そして、コタロウは獲物を探す。
――身体の傷は癒えた。オレが剣士として再起するための踏み台、弾みをつける踏み台、だれがいい……。あの誘神湊以外のやつで調子を取り戻すんだ。
夜。
船内をウロウロ歩くが、ターゲットを定めることはできない。二十二時を過ぎては、歩いている者も少ないのは当然だった。
甲板まで来て、コタロウは一人の少年を見つけた。
あの誘神湊と同い年くらいだろうか。
――剣士。
持っているのは真剣。
名前も知らない刀だが、悪い剣とも思われない。
――オレの持つ、八十振りあるとされる業物の一つ、『
一歩近寄ると。
少年は振り返った。
音を立てずに歩けるコタロウだが、気配も消していたのに、なにかを感じ取ったのだろうか。
――狩りをする獲物の殺気、それを感知したか? それとも、たまたまか? 試させてもらおうじゃねえの。
一度立ち止まったコタロウであったが、また少年に向かって歩いてゆく。
距離は十メートル。
剣を持つ少年は、素振りをやめてこちらを振り返ってからというもの、警戒を緩めない。
その態度も気に入った。
「おまえ。名前は?」
「
少年は名乗った。
サツキの名を初めて聞き、コタロウはするりと剣を抜いて言った。
「こんな時間にも修業とは偉いねえ。強くなりたいか」
「はい」
「そういえば、おまえの素振り、この船が浦浜を出た日にも見たぜ。その翌日も。それ以降はちょっとした事故で見られなかったが、少しは成長したようにも見えるな」
「ありがとうございます」
依然ピリッと張り詰めたような警戒心でコタロウをにらみ返すサツキ。
コタロウはニヤリと笑った。
「この三ヶ月の成果ってやつ、オレが見てやるよ。剣を持つ者なら知ってて当然だろうが、オレは『
「……」
「やるよな?」
ちょうどいい相手だった。
確実に自分より格下とわかる腕前、名もない剣を使う少年、弾みをつけるには格好の存在である。
サツキは帽子のつばをつまみ、至極冷静に答えた。
「お願いします」
瞳が緋色に光った。
サツキの目の色が変わった。静かに灯した火が揺らぐことなく燃えるように、淀みない。
コタロウはすでに斬りかかっており、それでもサツキの瞳の変化には気づく。
――なにかその瞳に秘密があるか? だが、関係ねえ。そんなの関係ねえってんだよ。
距離はすぐさま詰まり、剣と剣がぶつかる。
ガキン、と荒々しい音が響く。
連続するコタロウの攻撃に、サツキはついてきた。
「思ったよりやるじゃん」
一度距離を取り、コタロウはサツキに告げる。
「んじゃ、そろそろ見せてやるよ。オレの魔法を」
「……」
静かに見返すのみのサツキに、舌打ちが出る。
「チッ」
――んだよ、こいつ。反応が薄いってか、なんていうか。オレはクールぶってるやつが大嫌いなんだよ。
コタロウは魔法を口にした。
「《
サツキの瞳が注意深くコタロウを観察する。
なんと、コタロウの全身に虎のような模様が入ってゆく。あまつさえ、刀にまで模様が刻まれた。身体の筋肉も目に見えて増したようにも思われる。
「オレは『暴虎』。最強の虎だ。この模様が入ると、オレの全身は筋肉量を増す。そして、周囲に溶け込み、輪郭をぼやかす。それによって、獲物に近づくことができるってわけ」
特に、両腕と肩の筋肉が増量した、とサツキはみた。
愉快さと不愉快さを合わせたように、コタロウが顎をやや上げた。
「なんとか言えよ。言いたいこととかねえの?」
「では、フェアに。俺の魔法も教えます」
「いらねえよ? おまえの話なんざ」
「そうですか」
すんなりサツキが引き下がり、コタロウは優越感を満たした。
――それでいいんだ。格下のくせにオレのマネして同等みたいな顔すんな。
コタロウはニヤリと笑って宣言した。
「んじゃ、あと五回。オレの攻撃はあと五回で片がつく。四度の連撃を受けきったら、必殺技でとどめをさしてやるよ」
「四回」
「ああ。殺さねえから安心して受けな! いくぞッ!」
虎のような皮膚になったコタロウは、さっきまでとはまるで違う筋肉を使ったみたいに、飛びかかるように斬りつけてくる。
「……」
「どうよ!」
「……っ」
「とら! とら! とら!」
サツキは四度の攻撃を、すべて捌ききる。
――クッソ! うぜ。オレの剣は輪郭をぼかす。これでこいつは剣筋を捉えられねえはずなんだ! なのになんだってんだよ!
しかも、筋力を大幅に増加させたはずなのに、力でも負けずに切り返してくる。
――オレのパワーを、どうしておまえなんざが受けられんだよ! 普通は刀を取りこぼすだろっ!
目の前の剣士が、それほどの握力を有しているようには、到底思えない。自分のパワーが以前より落ちているとでもいうのだろうか。
コタロウは思っていることとは違うことを言う。
「やるじゃんかよ、おまえ。んじゃ、約束通り、見せてやるよ! オレの必殺技ってやつをよ?」
跳び下がったコタロウだが、また距離を詰めるように飛びかかってきた。勢いをつけてパワーを増すための動作である。
「必殺、《
大空からの剣。
振り下ろされた剣を、サツキはその速さもパワーも跳ね返すように、鮮やかに打ち返した。
「《
剣と剣がぶつかり合う。
「とらああああああ!」
コタロウは目を見開いた。
――嘘だろ!? 受けられた? いや、この爆風は……!
力で打ち負かす必殺技を大空から振り落としたコタロウであったが、サツキの剣はそれを跳ね返してしまった。
「うおおおおおおおおおおおおお!」
身体ごと吹っ飛ばされて、剣もポロッと手放してしまう。
マストの柱にバン! と背を打ちつけ、コタロウは目を開けようとしてうまく開けられずにまばたきしている。頭もふらふらしていた。
「て、てめえ……」
「お手合わせ、ありがとうございました」
サツキが礼を述べると、コタロウは「てめえ……」としゃべりかけ、緋色の瞳を見返し、ついにそのまま気を失ってしまった。
次にコタロウが目覚めると、船の医務室だった。
外の音が聞こえてくる。
騒々しくにぎやかだった。
「なんだ? オレは……」
医務室のドアがノックされる。
入ってきたのは、『剣聖』佐垣真峰であった。
「失礼。おや。起きていたようだね」
「あんた……マサミネさん。もう怪我は……」
「ワタシのほうは大丈夫。良い医者がいたんだ。今朝には完治したと言ってもいい、とのことだよ」
「そうですか」
「コタロウくん。キミのほうは、また負けたようだね。相手は、サツキくんかな?」
「サツキ……そうだ! 城那皐! あいつの名前は、城那皐だ」
マサミネは穏やかに聞いた。
「彼、すごく成長したと思わないかい? 本当に驚く。伸び盛りとかってレベルじゃない。指導者がいい。それも二人いる。ワタシも剣を振り方を教えたが、彼を強くしたのはその二人だと思う」
その二人とは、マサミネの治療もしてくれた
――玄内さんとクコくんは、サツキくんを今後さらに引き上げることだろう。
「おまけに、あれだけ優れたいいライバルもいる。本人の資質もいい。努力も欠かさない」
「でも、オレが負けたのは、油断したからでッ」
「果たして、本当にそれだけかな? 彼の魔法と相性が悪かったのもある。ただ、実力は認めるべきだ」
「クソ」
拳を握りしめるコタロウ。
それを見て、マサミネは優しく聞いた。
「まだ拳を握りしめるハートがある。だったら、また上を目指すんだろう? 剣の道を、歩くんだろう?」
「……」
問いを向けられると、コタロウの拳からは力が抜けた。
――また、歩く……? 歩くって、また負けたのにか? クソ。本当なら、あいつに勝って、弾みをつけるはずだったんだ。でも、オレは……。
マサミネは窓の外を見て語る。
「ワタシも、あの剣士、『神速の剣』
「オレは……」
横に置いてある愛刀、業物『残夢』を手に取る。
「オレの誇りは、もうボロボロです。己を見つめ直す時間が欲しい。剣士の目指すべき夢は、あんたに預けておきますよ。マサミネさん」
コタロウは刀をマサミネに差し出して、そこで初めて、マサミネの腰に刀がないことに気づいた。
――この人、刀は……。
マサミネは刀を受け取り、悲しいのか、うれしいのか、それとも別の感情なのか、よくわからない顔で言った。
「では、預からせてもらおう。この刀と出直すとするよ。ワタシの夢はまだ残ってる。この胸に」
そして、マサミネは去って行った。
ドアを出るとき、マサミネは横顔を振り向かせた。
「そうだ、これを言いに来たんだ」
「?」
「もうじき到着するよ。ラナージャに」
マサミネが消え、部屋にひとりきりになる。
放心したように下を見つめ、どれほどそうしていたか……。
コタロウが窓の外を見ると。
船は動きを止めた。
目的地、ラナージャに到着したらしい。
陸上へと降りる階段には、凛とした少年の姿があった。
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