幕間旅行記 『火-皮-肥 ~ Salamander In Volcano ~』
「ミホ、早く行くわよ!」
「せっかくの旅行なんだから急いで! ミホ姉!」
姉と妹に声をかけられ、三姉妹の次女は目をこすりながらぼんやり答える。
「わかったよぉ」
創暦一五六六年七月二十七日。
現在、
ミホは姉妹と両親、そして祖父母と共に
祖父が船大工ということもあり、大きな船を使わせてもらって、
船に乗り、風を受けながら姉が言った。
「五州地方なんて初めて行くわね!」
「ホントだよ! リホ、楽しみだなあ。ね? ミホ姉」
姉の
妹の
この頃はまだ妹のリホより十センチ以上も背が高い。姉のサホは大きいからこちらも十センチほどの差があり、三姉妹は背の順に並ぶと階段にようになる。
ミホはリホを見返り、
「そうだねえ。まだ眠いよねえ」
「話聞いてないし!」
リホが楽しそうにつっこみ、三姉妹は船の操舵輪を握る祖父の元に行った。
祖父は、
まだ、『大うつけ』と呼ばれる
「おじい様、アタシもなにか手伝おうか?」
「はいはーい、リホも手伝うー!」
サホとリホがタダヨシの手伝いを申し出るが、ミホはにこにこと微笑み、
「がんばって~」
とエールを送る。
タダヨシは優しく孫たちに言う。
「大丈夫だよ。ワシもあんまりやることないくらいだ」
あっはっは、と笑って、サホとリホも笑った。
ミホは海を見つめてつぶやく。
「海っていいなぁ~」
晴和王国は、主に四つの大きな島とその他の島々からなっている。この四つの島のうち、もっとも南西に位置する島を五州地方とも呼ぶ。
この頃から六年後の創暦一五七二年――サツキがこの世界にやってきた現在も、晴和王国の島の形は変わらない。
五州地方は五つの国に分かれていた。
東郷家が今回の旅行で出かけるのは、
『
タダヨシがここのカルデラが見たいということで、少し時間ができた機会に、家族旅行することになったのであった。
数日をかけて五州地方にやってくると、七月三十一日には向蘇ノ国に到着した。
八月一日。
三姉妹は朝から宿の外に出て、火山地帯に向かった。
祖父のタダヨシも同行する。
四人は山を歩いた。
「このあたりは、変わった植物もあるな」
「他にはいない魔獣が出るってのは聞いたことあるけど、植物もめずらしいのがあるのね」
サホにはその違いがよくわからないが、いろいろな物を見るのは楽しかった。
まだ五歳のリホもなんでもめずらしがって、みんな以上に元気によく歩いた。
「どんどんのぼろう!」
「リホ、元気ね。アタシは疲れてきたわ」
「なに言ってんの、サホ姉。ミホ姉もがんばってるでしょ?」
「そうね。いつもは眠そうなミホだって……」
二人がミホの姿を探して、タダヨシも足を止めて振り返る。
「い、いない!」
三人はミホがいなくなっていたことに初めて気づいた。
その頃、ミホはふらふらと山道を外れて、茂みをくぐっていた。
そこで、トカゲを見つけた。
「かわいいトカゲだぁ~」
しかし、すぐにミホの表情が変わる。
「トカゲが、怪我してる」
黄色い皮膚を持ったトカゲで、他の動物に襲われたのか、怪我をして弱っていた。
「どうしよう。治してあげないとだよね」
祖父のタダヨシに話を聞こうとするが、振り返ってもだれもいない。そこでやっと、ミホは自分の置かれた状況に気づいた。
「そっかぁ……。わたし、みんなとはぐれちゃったんだ」
ぽつねんと立ち尽くし、数秒後、我に返ってトカゲを拾い上げた。
「ぼーっとしてる場合じゃなかった。この子を助けないと。とにかく山をくだろう」
ミホは山を下りていった。
ここがどこなのかわからずとも、下に行けばいい。
人の気配を感じて足を止め、木の陰から男女の二人組を見かける。
――あの人たちに聞けば……ううん、なんかダメな気がする。
男女は言葉をかわす。
「あの
「わかんないわよ。あんたもちゃんとよく見て探して」
「めずらしいトカゲだからな、高く売れる」
「魔獣ハンターとして見逃せないわよね」
二人は懸命に茂みをかき分けて探している。
その様子を覗き見て、ミホは察する。
――きっと、この子があの魔獣ハンターたちが探してるトカゲだ。見つからないように逃げないと……。
そぅっと、ミホはその場を離れる。
が。
道なき道、ミホがいる場所も茂みだったから、足元が見えにくい。
ポキッと小枝を踏んでしまった。
「なにかいるわ!」
「動物か?」
ミホは木の陰に隠れて息を潜める。
少しずつ、魔獣ハンターの二人は近づいてきた。
――もうダメかもしれない……。
緊張で鼓動が早くなる。
そのとき、ミホの左前方を、子ウサギが跳ねた。
これを見て、魔獣ハンターは舌打ちした。
「なによ、ただの子ウサギじゃない」
「ったく、どこにいるんだ。火吹蜥蜴は」
ホッと胸をなで下ろすミホ。
様子をうかがいながら、こっそりと少しずつその場から離れてゆく。
しかし、茂みを歩くうえで音を完全に消すことは難しい。
わずかな音がカサカサと鳴り、それを魔獣ハンターの二人が聞きとがめた。
「やっぱりなにかいるんじゃないかしら?」
「そうか?」
「見て来て」
「おまえが行けよ」
二人が言い合いを始めそうな感じだったので、ミホは思い切って移動する速度を上げた。
「あんたのほうが近いでしょ」
「オレはこっちを見てたんだ。先に気になったのはおまえだろ」
「どっちでもいいわよ、そんなこと」
この隙に、ミホは数メートル離れた。
――よし。今だ。
ミホは駆け出した。
それを見て、魔獣ハンターの二人は追いかける。
「やっぱりいたじゃない!」
「だからおまえがちゃんと見てくりゃよかったんだ!」
「うるさいわね!」
「とにかく追うぞ」
「もう追いかけてるわよ! 遅れないでよ」
「おまえこそ」
言い合いながら追いかけてくる二人はなかなかに走るのも速い。
まだ八歳のミホでは、このままだと簡単に追いつかれてしまう。
「あんた、なにか抱えてるわね!」
「トカゲじゃないか? なあ?」
後ろの二人の声は無視して、腕に抱えたトカゲに声をかける。
「大丈夫だよ。わたしが守ってあげるからね」
トカゲがミホを見返し、ミホは力強くうなずいてみせる。
走って走って、茂みをくぐりながら振り切ろうとするが、距離は徐々に詰まってくる。
そのとき、ミホの後方で変な声が聞こえた。
「うわあ!」
「痛ーい!」
二つの声は、魔獣ハンターのものではない。
「痛いはこっちのセリフよ!」
「邪魔だッ、おまえら!」
殺気立って怒鳴り散らす魔獣ハンター二人に答えたのは、のんきそうな二人組だった。頭にサンバイザーをかぶり、虫取り網を持っている。
「ボクたちトンボを探してただけなんです」
「すみません。大丈夫ですか?」
ぶつかってもピンピンしてる二人組が、ぶつかった拍子に倒れてしまった魔獣ハンター二人に手を差し出す。だが、魔獣ハンター二人は手を払って立ち上がり、ミホ追走を再開した。
「クソ! 邪魔なのよ」
「イライラするぜ」
走り去る二人に、サンバイザーのコンビはにこやかに手を振った。
「気をつけてー」
「ごきげんよーう」
魔獣ハンター二人は顔だけ振り返らせて、
「気をつけるのはおまえらだ!」
「ご機嫌どころかあんたたちのせいでイライラしてんのよ!」
文句だけ残して二人はミホを追いかけた。
この時間のロスは大きかった。
おかげで、ミホは茂みを抜け出すところまで来ていた。
――やっと道が見えた。でも、このままだと……。
道に出ても、障害物がなくなるだけで、自分が走りやすくなることは相手にとっても走りやすくなることでしかない。
――どうする……? また茂みを探して……。
トカゲに視線を落として、ミホは決意する。
――やっぱり、早くこの子をお医者さんに見せないと。
道に出ることを選んだ。
まっすぐ走って道に飛び出す。
あとはひたすら下に向かって走って、あの二人から逃げるだけの勝負である。
――さっきだれかがいたおかげで、離れられた。でも、まだ追ってきてる。
ミホがチラッと見返ると、魔獣ハンター二人の姿が見えた。
「やっと道に出たぜ」
「邪魔物はもうないわよ」
全力疾走するミホを、道に出た魔獣ハンターの二人は追いかけ続ける。
はぁっ、はぁっ、と息せき切って走るミホだったが、小石につまずいて転倒してしまった。
転んだ拍子に靴が脱げる。
でも、腕に抱えたトカゲだけは離さなかった。
横になったまま、ミホはトカゲにしゃべりかける。
「逃げられる……? 動けない?」
問いかけに返事はない。
ただ、いくら自分が食い止めても、この様子では逃げられないだろうということもわかった。
――だよね、もう動けないよね。じゃあ、わたしがなんとしてもこのまま抱えていてあげるから。
そう思って抱きかかえようとしたとき、トカゲは動き出した。
「あ、危ないよ……」
トカゲの姿をハッキリ認めた魔獣ハンターの二人はうれしそうに口元をゆがめた。
「
「予想通りね! こんなガキが持ってるなんてやってくれるじゃない!」
ミホの前に立ちはだかるようにするトカゲは、ボロボロの小さい身体だが、ミホにはなぜか頼もしく見えた。
「もらったー!」
「捕まえたわよー!」
手を伸ばしてきた二人に、トカゲは背中から輝くような炎を燃え盛らせた。また、大きく口を開いた。口からは猛烈な炎を吐き出す。
「あっちいいいいいい!」
「いやあああああああ!」
身体中が焦げるように燃える二人は、地面に身体をこすりつける。
そこに、今度は山の上のほうから、タダヨシとサホとリホが歩いてきた。
タダヨシは小槌を手に持ち、腹から声を出す。
「うちの孫になにをした!」
魔獣ハンターの二人は、
「まだなんもしてねえよおお」
「あんたなんなのよ!」
と苦しげに火と戦いながら言った。
「なら、失せな! 孫に手を出したら許さねえ! 《
もう六十になろうかという年頃のタダヨシだが、この声には力強さがあり、小槌を振ると、五メートルはあろうかという大岩が飛び出した。
「う、うわああ! なんだありゃあ!」
「きゃあああ!」
大岩はあわてふためく魔獣ハンターたちに避ける隙も与えず押し潰した。二人は並んで肩から上だけ岩に潰されずに済んだが、衝撃で気を失っていた。
タダヨシは魔獣ハンター二人に言った。
「ワシの魔法は《
それだけ言い捨てると、タダヨシはミホの元へ駆け寄り、かがんで聞いた。
「大丈夫か? ミホ」
「ミホ、なにしてたのよ」
「ミホ姉、しっかり」
「おじいちゃん。うん、わたしは平気。でも、その子が……元々怪我してたのに、力を使い果たしたみたいなの」
ミホの前でぐったりしているトカゲを見て、タダヨシは状況を理解した。
「そうか。ミホはトカゲを助けようとして、魔獣ハンターの二人から守ってくれたのか。それで、トカゲもミホを守ろうとしたんだな」
「うん」
「わかった。あとは任せろ」
タダヨシはミホを抱きかかえ、ミホの腕にはトカゲを寝かせ、山を下りて行った。
「わたしは歩けるよ。走って転んだだけだから」
ミホはそう言うが、孫が心配なタダヨシはきかずに安静にさせた。
町に戻ってトカゲの治療をしてもらうと、翌日、すっかり良くなったようだった。
「ミホ姉、どうするの? その子」
「山に返す?」
リホとサホに聞かれ、ミホはうなずいた。
「うん。助けたかっただけだから」
また四人で山に行って、ミホはトカゲを地面に置いてやった。
「もう魔獣ハンターに見つからないようにね。ばいばい」
しかし、トカゲはじっとミホを見上げたまま動かない。
小首をかしげるミホの足元にすり寄り、頬ずりした。
「もしかして、ミホ姉といっしょにいたいのかもしれないよ!」
「そんな感じっぽいわね」
「どうするんだ? ミホ」
ミホは、今度も迷わなかった。
トカゲを抱き上げる。
「いっしょに来る?」
「ひゅう」
鳴き声を上げた。
「うん。わかった。よろしくね」
「ひゅう」
このあと向蘇ノ国に滞在している間も、ミホはトカゲとずっといっしょにいた。
なつきやすいトカゲも多いが、このトカゲもよくミホになついた。
おとなしい性格だから普段はじっとしているし、温厚で暴れたりすることもない。
帰りの船の中で、サホが聞いた。
「ねえ、そのトカゲに名前ってつけないの?」
「そうだよ、つけようよ」
姉と妹にそう言われて、ミホは考える。
「うーん、じゃあ……サラ。サラにする」
「なんでサラ?」
「かわいいしいいと思うけど?」
「だって、サラサラしてるもん」
三姉妹の会話を聞いて、タダヨシは楽しそうに笑いながら教えてくれる。
「そのトカゲは、魔獣ハンターたちも狙うようなめずらしい種でもあるんだ。あの
「へえ。おじいちゃん、くわしいね」
「いや、おばあちゃんに教えてもらったんだ」
と、茶目っ気のある笑いをして、
「それで、
「あの魔獣ハンターたちもそう言ってたかも」
「大事に育ててやるんだぞ」
「うん」
ミホはサラを撫でる。新しい友だちができて満足そうだった。
その三年後、サラは子供を産んだ。
たまたま火吹蜥蜴を連れた人が造船所を訪れ、二週間ほど買う船を選んでいろいろ乗って試していたのだが、その人の火吹蜥蜴との間に子供ができたのである。
また、タダヨシはその翌年、鷹不二氏に仕えることになった。
船大工として迎えられ、黒袖大人衆という地位も与えられた。
「変わってるわよね、あの
「そうだねぇ」
「でも、おじいちゃんもこの年で出世ってすごいよね!」
膝に乗せたサラを撫でながら話半分に相槌を打っていたミホのことはさておき、サホはなにか予感がある。
「あの人、普通じゃない。せっかくなら、普通じゃない人生がいいわよね」
「なんの話?」
リホが聞くが、サホは「やっはっは」と笑う。
「別に。それより、トカゲを使った蒸気船もうまくいきそうね」
「トカゲじゃなくて
さっきまでは話半分だったくせに、この話題にはしっかり訂正を入れる。
「蒸気船に必要な火力を、このトカゲならまかなえる」
「この調子だと、またおじいちゃん出世するね」
サホは少し思案していることがある。
――やっぱり、必要なのは魔法よね。今創造している魔法が完成すれば、重宝されるものになるわ。必ず。
そして、さらにまた少し時が流れて。
創暦一五七〇年、八月。
ミホが十二歳になった年。
ここ『東郷造船所』に、一人の青年が訪れた。
「トウリさんがここまで来るなんてめずらしいですな」
「ええ」
「蒸気船もこれで三隻。あと五つは所望されてましたか」
「そうですね。可能ならば、軍艦を十欲しいです」
「それで、今日はなんの御用で?」
タダヨシと親しそうに話す青年は、以前にも来たことがある鷹不二桜士によく似ていた。
そっくりな顔立ちの割に、雰囲気がまるで違う。
青年、
「今日は、お宅のお孫さん方の噂を聞いて参りました。ぜひ、我が鷹不二水軍に入っていただきたいと思いましてね」
遠くからトウリを見ていたミホの瞳は、吸い込まれそうだった。
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