幕間雑記 『紫-死-試 ~ Violet Room ~』

 紫色の部屋であった。

 一面が濃い紫色で、中央のテーブルも紫色、それを囲う私たち五人が腰かける椅子までもが紫色なのであった。

 およそスピリチュアルな色彩とは感じられず、ただ妖しかった。

 私を含めた五人というのも、浮世から離れた不思議な話を聞きたいという、ちょっとした物好きたちである。

 とはいえ、ただの物好きにしては目つきの怪しい者もいるし、普通じゃない顔に見える者もいる。この紫色のせいであろうか。

 今さらながらではあるが、私はここが薄気味悪くなってきてしまった。可能ならば、今にもここから出ていきたい。

 別に、私は異世界の扉を開けてみたいほどに退屈ではない。なんとなく、王都の町を歩いていたら、この『ようかいかん』という館が目に入り、それがなにかもわからぬまま、冷やかし半分の暇つぶしに入ったに過ぎないのである。


「さあ。それでは話し始めましょうか」


 どこが上座なのかもわからない紫色の部屋で、まだ三十前の若い青年が声をかけた。

 彼がこの席の主催者なのかもしれない。

 青年は名乗った。


「申し遅れました。僕はおしこうすみといいます。この『妖怪館』の主をしています。みなさんは、話をされたい方のみ名乗ってください。偽名も結構です。だれか、話したい方はいますか?」


 マスミが一同を見回す。

 話を聞くだけならば名乗る必要もないと聞き、私はもう黙って話を聞くだけ聞いて帰ろうと思った。

 しかし、マスミと目が合ってしまう。


「あなたはどうでしょう?」

「いいえ。私は話せることなどありません」

「そうですか? どんなお話でもいいのです。作り話も歓迎。話したくないのであればそれもよし。他の身近な人へは話せない懺悔をしたいというのであったら、それもよし。ここはなにを話しても許される部屋なのですから」

「懺悔……」


 その単語を受けて、ひらめくものがあった。私は急に話したくなった。舌が動き出そうとしている。もう止められなかった。


「では、なんでもよろしいのですね」


 念を押すと、マスミはうれしそうに口の端に笑みを覗かせ顎を引いた。


「ええ。もちろんです」

「話をさせてください」


 こうして、私はとある懺悔話をすることになってしまった。いや、したくてすることだからその言い方は適当ではない。


「まずは、私の名前から。私はうつゆうへいと申します」


 むろん、でまかせの偽名である。


「ユウヘイさん。それではお願いします」


 マスミにうなずきを返し、私はしゃべり始めた。


「みなさんは、人を殺したことはあるでしょうか。おそらくほとんどの方がないと答えるでしょう。私もないと答えます。しかし、本当にあれをやったのが私なのか、その判断に迷うこともあります。そもそも、完全犯罪というものは、自分が殺したことをだれにも確定させることのできない犯罪とも言えるわけですが、私の場合はしたくて完全犯罪を引き起こしたのでもありません。たとえば、私のした行動がたまたま事故を誘因するものだったとして、その可能性が高くもなかったとします。それこそ、ここで転んだら危険であろうという場所に、バナナの皮を捨てたとしても、それでだれがどう転ぶか、果たしてまず転ぶものかもわからない。バナナの皮を捨てただけでは殺人罪に問われることもない。けれども、試行回数を重ねれば、いつかは殺せるかもしれない。そんなことを、退屈で仕方なかった私は何度もやりました。どれもこれも、退屈な光景を眺めるだけで、人が死ぬこともない。しかし、一度だけ、本当に死んだ人がいました」


 ここまで私がしゃべると、四人は私の話に聞き入っていた。

 彼ら四人の色は、黄色から橙色になっている。

 私の魔法《彩色眼鏡メンタル・トーン》を使えば、彼らの感情の色が見える。気持ちが高ぶるほど赤い色に近づき、気持ちが冷めるほど青い色になる。青色は冷静さでもあるが、ぞわっとする気味の悪さは青色を振り切り紫色になる。逆に、感情への刺激が強くなり過ぎて怖気が来ても、赤色を振り切って紫色になる。彼らは今も気持ちが高揚していっているようだった。

 手応えを感じて、私は話を続ける。


「どんなトリックを用意したのかといいますと、トリックというほど巧妙なものでもありませんでしたが、ただ、ひとつの簡単な仕掛けを打っただけでした。それは、階段の上に犬を置いておいたのです。置くと言ったらイメージが湧かないかもしれませんね。たまたま、観察するのにちょうどいいアパートがありましたから、その二階に犬を待たせておいたのです。階段をのぼったすぐ横に犬を連れて、ドアノブにリードをくくりつけておきました。もし犬が嫌いな住人が二階に戻ってきて、犬を見て驚いてくれたら……そう考えたら、存外脈があるのではないかと考えたのです」


 聞き手のうちの一人がごくりと唾を飲んだ。彼は急に体温が冷えたように青色になり、他の三人は限りなく赤色になっていた。


「私は待ちました。階段そのものも、階段下から二階部分までもがよく見える場所で、ずーっと見ていました。すると、初老の男性が階段をのぼり始めました。この男性を観察する私は高揚していました。やっと実験が成功するのではないか、そう期待する科学者の気持ちだと言えばよいでしょうか。科学者に怒られるような表現ですが、私は冷静さと気分の高まりが混じりあった気持ちでいたのです。ようやく、男性は階段をのぼり終えました。男性は、すぐに犬に気づきました。吠えられて、驚いた顔をしました。しかし、階段から落ちることはなかった。失敗したか、と私はがっくりしました。初老の男性は部屋に入ります。私は次の退屈しのぎを考え始めたのですが、ここで、アパートの部屋のドアが開きました。初老の男性の部屋ではありません。同じ二階のドアですが、犬が目の前にいる部屋でした。その部屋の住人は当時の私と変わらぬ、二十歳を少し過ぎたくらいの青年でした」


 言葉を切ると、私の次の言葉を期待する四人の顔が目に入り、私はこの話がうまくいったのだとわかった。彼らは赤と青、いずれに振り切ったとしても紫色が滲み出していたからである。


「彼は犬が嫌いだったのでしょう。慌てふためき、そして、うまいこと階段から転がり落ちていったのです」


 彼らは、完全に紫色になった。私は言葉を続ける。


「このとき私が期待したのは、青年がちゃんと死んだのかどうかということでした。ただ、私がその場へ向かって行けば、私に殺意があったと知れることにもなりかねない。先程の初老の男性が騒ぎを聞きつけて出てくることを願った。するとやはり、その通りになりました。初老の男性は見廻組を呼びました。どうやら、ちゃんと青年は死んでいたのです。私はこれを、偶然の重なりから起きた事故を幸運にも引き当てたものか、ひたすら単なる事故を見届けただけなのか、完全犯罪を計画して成功したものか、自分でもわかりませんでした。しかし、ひとつだけハッキリしたのは、このときから私は罪悪感に取り憑かれ、寝ても覚めても死んだ青年の顔ばかりが浮かぶようになってしまったということです。私はあれ以来、懺悔の時をずっと待っていました。そして、今日という日に、この紫色の部屋を訪れたのでした。この部屋が、どんな場所かもわからぬまま。誘われるかのように」


 私は視線をマスミへと向けて、


「終わりです」


 と告げた。

 紫色であったマスミだが、色は緩和して橙色に戻っている。

 マスミはにこやかに言った。


「ありがとうございました。いや、おもしろいお話でした」

「興奮しましたな」

「こんな場所じゃないと聞けない話だ」


 他の二人もそんなことを言ってくれて、私は残る一人の顔を見た。彼は青色を通り越して紫色になった唯一の人だった。


「いかがでしたでしょうか」

「ええ。よかった。ここで聞くのは野暮ですが、続きは? なにか、補足などありましたらなんでもおっしゃってください。どんな補足でも聞いてみたい」


 四十代の紳士は、私にそう水を向けた。まだ寒気のようなものを求めているらしい。

 もし言えば冷めて寒気がなくなるだろう。青色を通って水色にでもなるだけかと思われるが、私は微笑と共に正直に答える。


「では、私が言える補足を一つだけ。これらはすべて、作り話だったのです」




 紫色の部屋を出た私は、王都の町を歩く。

 おかしな場所ではあったが、あの『ようかいかん』というのを私は少し気に入って、足取りも軽かった。

 気分のいいときには楽しい人に会えるもので、正面から見知った二人組が歩いてきた。

 私のような人間には見合わない友人。

 とても素敵な友人である。

彩色眼鏡メンタル・トーン》の魔法を使うと、いつも楽しそうなオレンジ色を輝かせているような二人であった。


「あ、ノブヨシさん!」

「久しぶりですね! こんにちは」


 二人は、めいぜんあきふく寿じゅえみといった。

 日の丸のサンバイザーがトレードマーク。背は共に一六五センチほど。今日は和装であり、それもよく似合っていた。


「やあ。久しぶりだね」


 年は私のほうが十以上も上で、私は今年三十二になる。だからこう気安い口調になるが、彼らはそれ以上に親しみやすかった。


「お散歩中でしたか」

「アイデアをまとめるにはお散歩するのがいいって言ってましたもんね」


 二人は私のことをよく覚えてくれている。普段はあまり会わないのに、他にも知り合いだってたくさんいるだろうに、すごいものである。


「まあね」

「さすがだなあ。なつがわのぶよし先生の新作にも期待しちゃいます」

「次はどんなミステリーなんだろう」


 本当に楽しそうにワクワクした顔をしてくれる二人に、私はちょっとだけ教えることにした。


「ちょうどさっき、おもしろい店を見つけてね。話の種を見つけるつもりが、ひらめいちゃって。そこで披露した話は手応えも悪くなかったし、それを探偵小説の形に落とし込もうと思ってるんだ」

「へえ! じゃあこれから書くのかあ」

「頑張ってくださいね」

「うん。応援ありがとう」


 アキとエミは私に向かってピースサインをした。

 必勝祈願と安全祈願の魔法である。


「《ブイサイン》」

「《ピースサイン》」

「またねー」

「ごきげんよーう」


 二人は忙しいのか、ただ駆け回りたいだけなのか、あっという間に走り去ってしまった。

 私、探偵作家・なつがわのぶよしはおもしろい実験施設ともなる紫色の部屋『妖会館』を見つけたし、友人にも出会えたし、今日はどうも運がいいらしい。

 こういう日に書き始めた話は評判のよくなるような気がして、さっそく帰って執筆に取りかかることにした。

 タイトルは、『懺悔の部屋』。

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