幕間古記 『鬼-気-飢 ~ Abyss Of Water ~』

 晴和王国の西側では、よくうしおにの話が語り継がれてきた。

 妖怪の一種である。

 顔は牛、身体は鬼。

 ただ、クモのように見えるとも言われている。

 くもくになどでは、たのおろちの伝説が『おううすすさのおの活躍によってやがて英雄伝に変わってゆくのとは異なり、伝承される姿形も特徴も、ずっと変わらない。

 残忍な性格で、毒を吐き、人を食い殺すことを好むとされる。

 そして、牛鬼の住む山では、一人になってはいけないと伝えられている。

 また、刀を持つか、鬼歯のある刃物を持っていなければ、牛鬼に食い殺されてしまうとも……。




 あるとき、八雲ノ国のとある山に、旅人が訪れていた。

 二人組ではあったが、旅の道連れというやつで、西のしゅう地方から来てらく西せいみやを目指していた。

 片方はノコギリを売りに行くつもりの商人で、もう片方は洛西ノ宮に職を探しに行く乞食だった。

 商人ははまぞうといって、年は三十一、洛西ノ宮には知人がいる。

 乞食はたつ。年は二十三になり、農家仕事を手伝うのが嫌で、乞食をしながら旅をすることにした。先に旅をしていたハマゾウを見かけ、洛西ノ宮に行くというので、タツキがついて行くことになった次第である。


「今日はこのへんにしようよ、ハマゾウさん」

「もう少し歩かないか?」

「なんで? もう暗いぜ?」


 ハマゾウが先を急ぐ理由もわからないので、タツキは素直に疑問を向けた。


「このあたりの山には、牛鬼の話がある」

「牛鬼だって?」

「知らないのか」

「おお。知らないな」

「顔が牛で、身体が鬼。クモみたいにも見えるっていう妖怪だ」

「どうせ噂だろ?」

「噂は噂だが」

「見たことある人ってのはいるのか?」

「どうだろう。いるにはいると思うが」

「そら、やっぱりただの噂だ。そういうのは、怖い話が好きなやつが創作したって決まってるんだよ。今日は疲れたしここで休もう。早く飲もうよ、ハマゾウさん」


 牛鬼の噂があることによる不安よりも、タツキの酒好きに呆れた様子のハマゾウである。


「おまえは本当に酒が好きだな」

「いやいや、ハマゾウさんの持ってる酒がうまいだけさ」


 元より金もなく職を探しに行く乞食のタツキは無一文だから、食べる物はハマゾウに恵んでもらっていた。

 だが、酒が好きなばかりでなく、遠慮もない。それでもハマゾウは旅の相方としていてくれるだけで気晴らしになると気にしていなかった。


「調子のいいこと言って。まあ、休むとするか。一人にならなければいいってことだし大丈夫だろう」

「一人に?」

「ああ。一人になると、腹を空かせて飢えた牛鬼がやってくるらしい」

「へえ」

「それから、刀や鬼歯のある刃物を持ってる相手は襲ってこないとも言われている」

「ハマゾウさん、その鬼歯ってのはなんだい?」

「私はノコギリを売りに行くから、ちょうどノコギリを持ってる。ノコギリにはな、三十二番目の刃があって、これを鬼歯っていうんだ。字は『刃』とも『歯』とも書く」

「じゃあ、なにも心配することないじゃないか。あっはっは」


 タツキは笑い、さっそくテントを立て、酒盛りを始めた。

 しばらく二人で飲み食いしていると、ハマゾウが人の気配を感じ取る。いや、人かどうかもわからない。

 何者かの気配に、ハマゾウが目線をさまよわせる。

 瞳は吸い付くようにテントの入口に注がれた。

 おじいさんが覗いていたのである。

 わずかに隙間を開け、十センチほどの合間から顔を覗かせる。

 ピタッと目が合う。


「なにしちょる?」


 急な問いかけに、ハマゾウは警戒しながら答える。


「今晩はここに泊まろうと思って、飯を食べてました」

「二人おるんだな。なして泊まる?」

「ほら、このノコギリを売りに洛西ノ宮へ行くためです」


 ノコギリを取り出し、掲げて見せると、おじいさんは無言ですうっと入口を閉めて去って行った。


「はあ……」


 たったこれだけのやり取りでも、ハマゾウはドッと疲れた気分だった。

 なんにも気にした様子もないタツキは酒をあおってケラケラ笑う。


「変なじいさんがいるんだな、この山には」

「あれは、牛鬼かもしれない」

「今のが? まあ、あんな不審者がいたら、そら怖いか。あっはっは」


 と、タツキは冗談を言われたような気で笑う。

 この日、それ以降は何事もなかったが、タツキは酒をだいぶ飲んでしまって、翌朝はつらそうだった。


「ハマゾウさん、ちょっと休ませてくれよ」

「あんまりこの山にいるのはまずい気がする。午後には出発しよう」

「わかった。わかったよ」


 しかし、タツキは午後になっても横になって動かず、


「せっかくだしさ、今日もここに泊まろうよ。ねえ、ハマゾウさん」

「いや、少しでも歩こう」


 あんまりハマゾウが真剣なので、昼の三時を過ぎた頃になってようやく歩き出して、たったの二時間も歩いて、日が暮れた。


「もう暗い。山の中だけど、今日はここまでだな。ねえ、ハマゾウさん」

「そうだな。仕方ないが」

「まさか、昨日のじいさんのことがそんなに心配なの? 大丈夫だよ」

「だといいが」


 結局、暗い山道を歩くのも厳しいから、この日も山にテントを立ててそこで一晩過ごすことにした。

 昨日と同じように酒盛りを始めると。

 また、ハマゾウは嫌な気配を感じ取った。

 入口へと視線を向ければ、やっぱりいた。


「なにしちょる?」


 あのおじいさんが、昨日と同じようにして、わずかな隙間から覗いていたのである。

 ハマゾウは言葉を選ぶようにして答える。


「今晩はここに泊まろうと思って、飯を食べてました」

「今日も二人おるんだな」

「いっしょに旅をしてますから」

「ノコギリはあるか?」

「はい。どれもちゃんと三十二本の刃をそろえてあります。鬼歯もあるんですよ」


 ノコギリを見せると、おじいさんはまた、すうっと入口から離れて去って行った。

 まだハマゾウは心臓がドクドクいっているようだった。

 タツキはおかしそうに笑ってハマゾウを見やる。


「あのじいさん、今日もついてきてたんだ。ははは、おれたちのあとつけてきても、なんにもならないのに。ねえ、ハマゾウさん」


 あっはっは、とタツキは笑って、それも酒の肴にしてどんどん飲んだ。


「なあ、タツキ。今日はそれくらいにしておけ。明日こそは山を下りたいんだ」

「大丈夫。平気平気、もし二日酔いしてたらおれのことは置いて行っていいから。ハマゾウさんも飲もう」


 注意しても酒はやめないし、ハマゾウは嘆息するばかりだった。

 やがて、夜も遅くなり、二人は眠りについた。

 この晩もなにもなく、翌朝はやはりタツキが二日酔いになっていた。


「行くぞ、タツキ」

「ダメだよ、おれ。もうちょっと横になる。ハマゾウさん、先に行ってて」

「なに言ってるんだ」

「大丈夫だから。昼には山を下りるからさ。あ、昼飯だけ置いて行ってくれると助かるかな。あと酒も。なんて」


 はは、とどこまで本気かわからない調子で笑った。

 これにはハマゾウもすっかり呆れ果て、


「わかった。酒はやれないが、昼飯だけは置いておくから、ちゃんと山を下りてくるんだぞ。私は先に町に行ってるからな」

「すみませんね、ハマゾウさん」


 二人は、そこで別れた。

 まさかこれが永遠の別れになるとは思わずに。

 ハマゾウは昼過ぎに山を下りると、四時半頃になって町に辿り着いた。

 この日は宿を借りることにして、宿の部屋の窓を眺め、タツキが町にやってくるのを待っていた。

 しかし、暗くなってもやってこない。


 ――あいつ、なにしてるんだ。


 不安と心配で宿を出て迎えに行くか迷うが、もう暗いし、今山に入ったら自分が遭難するかもしれない。

 この日、ハマゾウはいつまでもタツキを待ち続けた。

 タツキはというと……。

 テントもないが、いい洞穴を見つけてそこに留まっていた。


「酒はくれないって言ってたけど、ちょっと預かっておいた分があるんだよな。本当は歩いて山を下りようと思ったが、暗くなっちまったし、今日はひとりでここで野宿だ。飢えを凌がせてもらって、明日出発しよう。酒もあるし、身体が凍えることもあるまい」


 洞穴の中で火を焚き、酒をちびちび飲んで、ハマゾウが多めに置いて行ってくれた食料を食べた。


「たまにはひとりでこうやって酒飲むのもいいねえ」


 そうやって過ごしていると、声がかかった。


「なにしちょる?」

「お?」


 声に気づいてタツキが顔を上げると、洞穴の入口に昨日一昨日と見たおじいさんがいた。今日は顔と身体を半分だけ覗かせている。


「なにしちょる?」

「ああ、飯を食ってるのさ。酒もある」

「今日は、一人しかおらんな」

「せっかちな人でさ、急いで山を下りようってきかないんだ」

「ノコギリはあるか?」

「あれはいっしょにいたハマゾウさんって人の売り物なんだ。おれは無一文、そんなのねえよ」


 ニヤッと、おじいさんの顔にうれしそうな笑みが浮かぶ。

 しかしタツキはまだそれに気づかずしゃべる。


「本当にさ、ハマゾウさんにも困ったもんだよ。普段はすげえいい人なんだけど、怖がりだって初めて知った。まあ、そんなハマゾウさんのこと、今も嫌いじゃないぜ? 面倒見がいいっていうか……ん?」


 のそのそと近づいてくるおじいさん。


「…………」

「……っ!」


 不思議に思ってタツキがおじいさんを見上げていると、おじいさんの姿が変わっていった。


「うああああああ! う、う、牛の顔!」


 おじいさんの顔は牛のようになった。

 身体も変わっており、話に聞いていた鬼のようだった。クモみたいな形になるとも言っていたが、まさにそれだった。高さは三メートルほどもある。


「牛鬼! 牛鬼いいいいいいい!」


 おじいさんは、牛鬼だった。


 ――ほほほ、本当に、いたんだ! 牛鬼は!


 飢えた牛鬼が自分を食らいに来たのだ。

 そう悟るや、タツキは慌てて飛び上がって走り出す。

 牛鬼の横を通り抜けて山を駆け下りてゆく。

 だが、牛鬼は動きが速かった。

 すぐに追いついて前に回り込まれた。


「うああああああ!」


 タツキは進行方向を変えて走り出す。

 すると、水を見つけた。

 淵だった。

 流れの緩やかな川だが、川底は深い。


 ――あそこに、逃げよう。あそこの木に登れば、あの身体じゃあ登ってこられないだろ。


 急いで木に登ろうとしていたところで、牛鬼が追いつく。


「あああああああ! やめてくれええええ!」


 牛鬼は、後ろからタツキに覆い被さるようにして、そのまま淵に引きずり込む。


「たす、助けてえええええ!」


 ボコボコボコと水泡が淵から上がってくる。

 その後、タツキの身体が再び水面から出てくることはなかった。




 翌日。

 気になったハマゾウが山に引き返してくると、淵を見つけた。


「そういえば、牛鬼は淵に現れることも多いと聞くな」


 近寄ってみる。


「あれはっ!」


 なんと、淵にはタツキの着物が破れてズタズタになって、岩に引っかかっていた。


「食われたか……。昨日、ちゃんと言い聞かせたのに……。無理にでも、連れて行けばよかった……」


 牛鬼は淵から抜け出して人を食いに来ることがあるという。

 川や滝で見られることもあるようで、牛鬼と名のつく地名は晴和王国の西側にはよく見られる。

 ハマゾウもその語り手として、何人もの人に教えて回った。

 決して、一人にならないようにと。

 そして、刀か鬼歯のある刃物を持っておくようにと。

 だが、それでもまれに牛鬼に食われてしまった人もいるようだと噂がある。

 約五百年前の話だった。

 妖怪の多かった時代、こうした噂はよく広まる。

 現在では人口が増えた影響で、妖怪の現れる場所も限られてくるため、妖怪に出会わずに一生を終える者も少なくない。

 たとえば、妖怪がよく出る洛西ノ宮でも、たまに遊びに来る二人組の客がするおしゃべりを店の主人は信じない。


「牛鬼はでっかいクモみたいなんだよ」

せんしょうさんとれいくにを旅してたときに見かけたのは、五メートルくらいあったの」

「まあ、妖怪は特にこの洛西ノ宮じゃあよくいるけどさ、晴和王国にはさすがに牛鬼なんていないでしょ。そこまで大きかったら目立つよ」


 おかしそうに笑う主人。今はこの主人が営む店『かなもの』には客もなく、三人はお茶を飲みながら話を続けた。


「仙晶さんが言うには、晴和王国でも長く生きてるとそれくらいになるんじゃないかって話みたいだよ」

「それに、牛鬼はね、《どくしょう》っていう魔法でおじいさんとかおばあさんの姿に化けるみたい。毒ガスを吸った人には人間に見えるだけで、本当は化けたわけでもないって聞いたよ」

「やまんばも牛鬼もたまに噂は聞くけど、いたらこの洛西ノ宮にも現れるってもんさ。そういや、アキくんとエミちゃんはやまんばの友だちがいるとか言ってたよな?」

「うん」

「いるよ。笹栗原の山にね。そういえば、最近会ってないなぁ」


 他の妖怪は見かけたことがあるから信じているが、見たことのないやまんばや牛鬼は信じないという店主であった。




 そして――。

 創暦一五七一年十二月。

 寒さも徐々に厳しくなってくるこの時期、おとなずなは八雲ノ国に来ていた。

 借りていた山小屋で、魚を釣りに行った父の帰りを待っている。読んでいた本を閉じて、小さな照明を灯した。温かい光がぼぅっと広がる。

 窓際に移動して、空を見る。


「もう、暗くなってきちゃったな……」


 太陽も沈み、夕焼け色も消えかける。

 外を眺めていると、ナズナは嫌な視線を感じて振り返った。

 山小屋のドアが、わずか十センチほど開いている。

 おじいさんが顔を覗かせていた。


「なにしちょる?」

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