37 『虹-工-降 ~ Fly To The Next Stage ~』

 サツキたち士衛組を乗せた旅客船『アークトゥルス号』は、もうその船旅を終えようとしていた。

 目的地――ガンダス共和国の港町『せんきゃくばんらいこうわん』ラナージャまで、あと三日とせずに到着する。

 広く晴れ渡った昼下がり。

 船の甲板で、サツキはクコとミナトの二人と剣の修業をしていた。

 今日はめずらしく、アキとエミにルカ、ナズナとチナミとヒナ、玄内までいる。

 アキとエミは、ナズナとチナミとヒナの三人と遊んでいる。玄内は甲羅の天日干しなのか、日光浴をしてくつろいでいる。サツキにはそう見えても、玄内はサツキたちの修行の様子をしっかり観察していた。

 ルカはアキとエミの会話を聞きながら、サツキたちの修業も見ていた。


「この三ヶ月で、本当に成長したわね。サツキ」


 ぽつりとルカがつぶやくと、これに玄内が言葉を返した。


「剣だけじゃねえ。智恵も、魔法も、拳も磨かれてる。智恵はおまえとサツキくらいしかたいして成長してないかもしれねえが、戦闘力って話なら、もちろん士衛組全員が大幅に強化された」

「智恵も、私はサツキほどでは……。けれど、いい船旅になりました」

「ああ」


 バンジョーが鮎を持ってやってきた。


「先生! 鮎の塩焼き、できました!」

「お! どれ、味見だ」


 玄内が頼んでいたものらしく、バンジョーは鮎の塩焼きの串を差し出す。


「どうぞ!」

「おう。……うん、いいぞ。うまく焼けてる」

「しゃああ! 先生のお墨付きが出た、みんなも食ってくれ!」


 バンジョーがみんなの分も配り、甲板にいるみんなで食べる。


「『ひととせじるしもくたん』でやると違うな。フ」


 玄内がニヤリと笑う。

 塩焼きをしていた調理場所は魔法でつながった玄内の別荘の中庭であり、そこで玄内愛用の木炭を使ったのである。

 サツキも久しぶりに鮎の塩焼きを食べた。


「去年も夏に食べたが、やっぱり夏に鮎の塩焼きは最高だな」

「いいですよね! わたしも夏に晴和王国まで来たときにいただいたことがあるので懐かしいです」

「晴和王国の鮎の旬は初夏から夏にかけてだから、おいしい時期だわ」

「僕も好きだなァ」


 クコとルカとミナトもほおぼる。


「バンジョーくん、味付けバッチリだよ!」

「おいしーい!」


 アキとエミがピースサインをして、バンジョーがニカッと笑い、「だろ!?」と親指を立てる。

 ナズナがチナミに微笑みかける。


「おいしいね」

「夏の名物のひとつ。キャンプがしたくなる」

「いいね! あたし、チナミちゃんとまたカレーもつくりたいよ!」


 ヒナが明るくそう言うと、チナミは「それもいいかも……」とつぶやき、「今なんて言ったの?」と耳のいいヒナに聞かれて「なんでもありません」と返してじゃれている。

 みんなが鮎の塩焼きを食べ終えて、サツキはまた修業に戻る。

 相手はミナト。

 神速の突きが来て、サツキはそれを払おうとした。

 が。


「おや?」


 ミナトの手が止まる。

 そのとき、アキとエミが騒ぎ出す。


「なんだか海が白くなってきたぞー!」

「そうだね! 白ーい!」


 アキとエミはうれしそうにはしゃいで、バンジョーは体勢を崩して尻もちをつく。


「おっと! 船が揺れてんのか?」

「うわあああっと!」


 と、ヒナが体勢を崩し船の揺れに任せて走り出し、戻ってきて、


「それだけじゃないわ! 音が聞こえる! 変な音!」


うさぎみみ》をピンと立ててなにかを捉えたらしい。


「あイテ」


 バンジョーに続いてヒナも転んで床に顎を打ちつける。

 ナズナは心配そうにチナミの手を握る。


「大丈夫、かな?」

「わからない。でも、ここにはみんながいる」

「う、うん」


 チナミとしては、玄内がいるだけで大事には至らないと思っていたが、この予測できない現象に、かろうじて冷静でいることしかできない。

 サツキたち三人も修業を休止して、


「どうかしてるらしい」


 とミナトがニコニコ笑った。


「一体なにが起こったのでしょう。船の揺れ、白く染まり出す海、わたしたちにはまだ聞こえない音。サツキ様、なんだと思いますか?」


 クコに聞かれて、サツキは考えていた答えを述べる。


「《とうフィルター》で船の下まで見通してみたが、白いばかりでわからなかった。だが、この一帯だけが海も白く滲んでいる。なにかが下からせり上がっているとしか……」

「まさか……!」


 驚き口を押さえるクコに、玄内がニヤリとして言った。


「そのまさかだ。おまえら、真っ白なクジラを見たことがあるか?」

「真っ白な……? ありません」


 最初に答えたクコと同じく、みんなも見たことなどないため、黙って玄内の言葉の続きを待つ。


白鯨アルビノクジラ――普段は深海に生息してる魔獣だな。その身体には膨大な魔力を内包し、水流を無視して、波を起こさず船に近づくこともある。人間に知られている範囲では、最大体長は300メートルと観測された。深海では日光が届かないため、紫外線を受けずに身体が真っ白になったってわけだ。目は退化して小さくなり、赤い。哺乳類だから肺呼吸をするが、大きく特殊な肺と肉体構造により、十年に一度の呼吸で深海での生活をできるらしい」

「つつつ、つまり、今日がその十年に一度の日なんすか!?」


 バンジョーが飛び上がって玄内に聞き、「そうらしい」と言われると海面を見に走り出した。

 アキとエミ、ナズナとチナミとヒナ、クコも船の端まで行って白鯨アルビノクジラを見ようとしている。

 サツキはミナトを横目に見て、


「ミナトはこんなときでもニコニコしてるんだな。どういう神経してるんだ」

「いやだなァ、サツキだって落ち着いてるじゃないか」

「俺はこれでも驚いているのだ。深海は一万メートルほどの深さの場所もある。だが、人間の視力では、たった十メートルの深さで海中は青の世界になり、二百メートルも来ると暗くなって灰色の世界になるという。四百メートルではまったく視界を持てない」

「だから白いんだねえ」

「とはいえ、そんなに大きなクジラがいるとは思わなかった。本来的な最大級のクジラの十倍もあるんだぞ」

「あはは。確かにサツキは興奮してるや。楽しそうだねえ」

「う……」


 それは事実でもある。動植物にも興味関心のあるサツキは、そんな生物がいると聞かされると、恐竜でも見たかのようにテンションが上がっていた。表面にはあまり出ないが。


「海は未知と神秘の世界であり、このクジラ以外にも深海で生活する魔獣化した魚介類や海獣は多いわ。深海という未開の場所を求めた結果、地上よりも魔獣化した種が何倍もあると聞く」


 ルカがそう教えてくれた。


「へえ。そうなのか」


 とサツキが話を聞く横で、ミナトは頭の後ろで手を組み微笑む。


「怪獣って言うのは、恐竜みたいなものかな?」

「それは字が違う。海の獣で海獣。海に住む哺乳類だ。他にもアザラシやジュゴン、ラッコなんかも海獣なんだぞ」

「海から生まれて陸上まで来て肺呼吸を身につけたのに、また海に帰るなんて、おもしろいねえ。生命とは不思議だなァ」


 サツキがミナトとそんな会話をしていると。

 突然、船が震動し出した。

 強い衝撃を受けているようだった。

 そして、船は空を飛んだ。


「浮いてるー!」

「わーい!」


 両手を挙げてアキとエミが喜んでいる。士衛組の面々も驚いたり楽しんだりいろいろだった。


「飛んでます!」

「飛んでるんじゃなくて飛ばされてるのよ! あたし高いところ苦手なのよー!」

「この水しぶき……潮を吹いたっぽい」

「クジラが、潮を……吹いて、それに……乗っかったの?」

「その潮に乗って空を飛んでんのか! すっげえな!」

「あはは。まいったなあ、これは大変なことになってしまった」

「ミナトはのんきね……。先生、なんとかなりませんか?」

「まあ、なるようになるだろ。もう少し様子を見て、あいつらがなんとかしないで笑ってるようだったら、ギリギリのところでおれが助けてやる」

「お願いします」


 とサツキは玄内に言った。それからフウサイを呼ぶ。


「フウサイ」

「はっ」

「もし危なくなったら、俺より他のみんなを優先的に助けてくれるかね」

「御意」


 影に潜んでいたフウサイも、姿を現して答える。

 小躍りするアキとエミといっしょになって、バンジョーも陽気に騒ぎ出す。船はもう地上何百メートルもの高さになっていた。実際は二百メートルもなかったと思われるが、指標がないから自分たちにもわからない。

 ミナトは空を見上げる。


「風の揺りかごで流れゆく、そんな雲に憧れてた。こんな高さに来ても、まだ届かないんだね」

「ん?」


 とサツキが首をかしげる。


「いいや。ただ、ならばいっそ……もっと流れてみるのも、悪くないと思えるんだ」


 白鯨アルビノクジラの潮で吹き上げられてここまで昇ってきたが、そろそろ勢いも止まりかけてきた。

 クコが下を指差す。


「見てください! 虹です! 円い虹ができています!」


 呼びかけられてサツキはクコの横に来ると、いっしょに虹を見下ろした。


「本当だ。すごい」

「綺麗だね!」


 ヒナもサツキの横に来て虹を見た。


「うむ」

「あたしのお父さんから聞いた話だと、雨が降らねば虹はできないように、辛く困難なことがあった後には良いことがあるって言われてるのよ」

「じゃあ、きっといいことがあるな」

「もちろんよ」


 ニッとヒナが笑って、その後ろから玄内がやってくる。


「円虹は、努力が実を結ぶことを意味してるらしい。次の成長の段階に入ったとも言える。まあ、おれはそれほど詳しくない分野だがな」




 その頃、晴和王国。

『王都』と呼ばれる魔法の都、あまみや

 寿司屋『ほたる』で、三人の客を板前が相手にしていた。


「アッシはうれしいなあ。またアサリちゃんとスダレちゃんが来てくれて」

「昔からよく来てるけど、アタシはここのお寿司が一番好きです」

「ありがとね、スダレちゃん。ついこの前までは、こーんなにちっちゃかったスダレちゃんがもう年頃の女の子になったんだもんなあ」


 と、板前は親指と人差し指を軽く広げて、少女の小さかった頃の話をする。


「そこまで小さくありませんよ、それだと一寸法師です。あはは」

「いやあ、そっかそっか。スダレちゃんと初めて会ったのは三年前くらいだから、割と最近だったもんね。あっはっは!」


 常連客の少女とおしゃべりする板前は、最高の笑顔である。

 その少女の隣、仮面のような特殊なメガネをかけた青年は、カウンター席の端にある花瓶に目を移す。黒いスミレと青いバラが生けられている。

 青年、『だいおんみょうやすかどりようめいが口を開く。


さし寿はうまいなあ。ネタもピカピカしてるわ」

「へへへ。リョウメイさんの口に合ってよかったよ。今じゃあ、リョウメイさんも常連だもんね」


 板前のぜんけいぞうは、お調子者と思われるくらいに明るく愛想もよく、小柄でメガネをかけている。年は三十代の半ばくらいになる。

 リョウメイの連れの二人の少女、王都の夜の華といわれる王都少女歌劇団『春組』のさわつじあささわつじだれは、姉妹でもあり、姉のアサリが『はるぐみれいじん』の異名をとる花形スターなのである。

 男物の浴衣をまとうアサリは、歌劇団の管理者でもあるリョウメイに問いかけた。


「めずらしいですね、リョウメイさんがオレとスダレを誘って食事なんて」

「別におかしなことあらへんやろ。寿司を食うならここの常連の自分らを誘うのが自然や」

「なにか、理由でも?」


 それでもアサリが問いを向けると、リョウメイはその真意をさらりと口にした。


「旧友の門出のお祝いに、寿司でも食おう思ってな」

「旧友の門出……?」


 またアサリにはわからないことを、この怪異の専門家は言う。


「下界に降り立つことにしたみたいやねん。この動乱の世という下界に、崇高な剣の世界からな」

「ああ」


 と、アサリは察した。


「『しんそくけん』、ですか。むしろ、リョウメイさんがせっついたのでは?」

「ご明察や。海の外に出るのはうちが勧めてん。少年探偵はんへのお土産にと思てな」


 話がわからずにいたスダレが、とある単語に反応する。


「え、少年探偵って、サツキくんですか?」

「スダレ、あれ以来、あの子のことが気になってるんだったね」


 姉にそう言われて、スダレは頬を赤らめる。


「べ、別に、そんなこともないけど、ちょっと心配でもあったから」


 本人に面と向かってでは「さん付け」するのに、姉と話しているうちに認識的に「くん付け」になっているくらい、スダレはサツキに親近感を持っていた。


「サツキはん、出会ってもう随分仲良うなったみたいやねん」

「で、下界に降りるとなるわけですか」


 アサリが続きを引き取り、スダレが質問する。


「それも、《かい》でえたんですか?」

「怪異に関する八つの魔法の総称、《ようかいがくこう》。そのうちの一つ《かい》では、陰陽術により怪異的な未来視ができる。あくまで、怪異的に。つまり、怪異的な因果を読めるだけ、でしたね」


 と、アサリがこの『だいおんみょう』の魔法について確認する。


「せや。それだけや。つながりがそう出たわけやから、読みではそうなる。まあ、遠くからあの二人の応援でもしとき。アサリだってサツキはんのこと気に入ったんやろ?」

「ええ。オレは強い意志を持った瞳をした人が好きなもので」


 会話が途切れると、ケイゾウが寿司を出した。


「はい、マグロお待ち」

「ありがとうございます! わあ、おいしそう。いただきます。あむ」


 あむあむ、とスダレが食べてほっぺたを押さえる。


「ん~! おいしいです、ケイゾウさん」

「よかったよ! じゃんじゃん食べてってね」

「はい。大きくて味もバッチリで、お寿司と言ったらアタシはマグロです。あ、リョウメイさんのお寿司は虹色ですね」


 リョウメイはイリデッセンス現象によって虹色に見えるお寿司のネタを、意味ありげに見てくつくつ笑う。


「光の乱反射によるものやな。本物の虹とは意味がちゃう」

「本物の虹?」


 とスダレが素直に首をかしげる。そんな可愛らしい妹の仕草とは反対に、頭の回転のいい姉は苦笑を浮かべた。


「また視たんですか」

「視んでもわかるもんもあってな。この前のリラはんのときとは逆なんや。サツキはんの場合はこの子の性格や人柄ならみんなに愛されてうまく行くやろってのと違って、努力で切り拓くのがわかるんや。この三ヶ月、きっとがんばったんやろな。そう思ってな」

「それと虹がどう関わるんですか?」


 スダレの問いに、リョウメイは雄弁に語る。


「出来事ゆうんは、波のようでもあって、困難のあとには幸福が待ってるもんでな。雨が降らんと虹は架からへん。その虹ちゅうんは、蛇のわざ、つまりごうやねん」

「へび……? ごう……?」


 とスダレが目を丸くする。


「虹って漢字には『虫』と『工』があるやろ。『虫』は蛇を意味するんや。その蛇は龍の一種でもある。しかし、地を這う龍や。『工』は結ぶことと作ること、技を意味する。それすなわち、努力が実を結び確かな技を得、地を這う龍が天を登る龍となる。蛇が脱皮して大きく成長するようにな」

「なるほどぉ! 怪異的な話は難しいけど、理屈はつながるものですね」

「理屈が大事な分野やからな。まあ、龍は龍でも、あの『りょう』……『おううらばんにん』にして『ほほみのさいしょう』は、地に伏して力を蓄えつつ時を見ている龍。しかも、その半身を天に登らせる龍や」

「リョウメイさんの好敵手ですね」


 と、スダレが相槌を打つ。


「いつまで地に伏しているか。おそらく、本格的に動き出すのは、リラはんの大事が終わったあとか……。ともかく、怪異的には虹は蛇を龍にするサインみたいなもんでな。理屈として、特にまるにじっちゅう円形の虹が意味するところはその性格も強まる。次の新しい成長のサークルに入り、蛇の象徴たる富と強い生命力がより良く備わんねん」

「では、ごうとは?」


 アサリの合いの手に、リョウメイは飄々と言った。


「まあ、アサリなら察しもついたやろ。『工』は技をも意味するゆうたな。技はわざに通じて、ごうとなる。ごうとはカルマや。因果の道理であり、意志や行動は結果へと結びつく。修業の『ぎょう』も同じやな。『行く』の漢字を使って修行とも書くのは、行為や行いがごうを指すからや。技を修め身につけるのも、どんな努力をしたのかという行いが結果へと結びつく。良い行いは次の良い転生を促し、悪い行いは次の悪い転生を促すという概念――輪廻転生のようにな。因果はまるで輪廻の円環みたいやろ? 修めるというのは、終わりであり、終わりは同時に始まりでもある。一つの段階を修め、次のステップという円環に進む。せやから、特に円虹っちゅう円形の虹が意味するところはその性格も強まるゆうたわけや」

「へえ」


 話の七割くらいは意味も飲み込めたスダレだが、ケイゾウはまったく理解する気がなかったようで、話半分に寿司を握ってリョウメイに出した。


「虹って綺麗でいいよね。雨が降ったあとだからいっそう綺麗に見える。なんかよくわかんないんだけどさ、とにかく虹を見るなら円虹ってのが一番いいわけ?」


 メガネが光を乱反射させ、リョウメイは言った。


「なにを目的とするかによって変わるけど、そんなええもん見られたら僥倖やろうな。きっと、うまくいくわ」




 ガンダス共和国、ラナージャ近海。

 白鯨アルビノクジラの潮に吹き上げられた旅客船『アークトゥルス号』は、地上何百メートルかという高さから落下運動を始めた。


「ひええええええええ!」

「うおおおおお!」


 ヒナとバンジョーが絶叫する。クコも「大変ですー!」と悲鳴を上げ、ナズナはクコに抱きついた。チナミは、すっころぶヒナをかわして、くるりと飛び上がり体勢を立て直す。サツキは帽子を押さえて船の手すりにつかまった。ルカはさっとサツキの側に来て、甲板を見回す。

 甲板では、アキとエミだけが天衣無縫に笑っている。


「円虹、すごい綺麗だったね!」

「感動しちゃったよ!」

「でも、船をこのままにはできないよエミ」

「わかってる! そろそろ、始めよーう!」


 エミは小槌を手に取り、それを振った。


「《うちづち》やーい! なんか出てこーい、そーれっ!」


 ぽんっ!

 船のマストのさらに上には気球のようなバルーンがつき、ぽんぽんぽんぽんぽんっと船全体に大量のプロペラが取りつけられたように出現する。

 みんながそんな船の変化を目で追えずにいる中、ミナトは透き通る瞳でにこやかに佇み、円虹を見下ろしつぶやく。


「せっかく良い物を見せてもらったし、動乱の世に降りてみようか。サツキの隣で、この世を渡ってみたくなったんだ」


 流れるままに身を任せ、サツキの隣で。

 玄内はどっしり座ったままで、他にはルカだけがそれら船の変身を見ていた。


「まるで、未来の世界の物語に登場する飛行船みたいだわ」


 その声に、サツキが顔を上げる。


「……な、なんだこの船」


 ルカの言う未来の世界とは、サツキのイメージするこの世界の未来とは違った。


 ――俺のいた世界は、この世界より科学が発達していたから、未来の世界とは科学世界だと思ってた。俺の感覚では、俺の暮らしていた時代よりここが少し昔の時代だからだ。しかし、これはなんというか……。


 船のデザイン感を、こう思った。


「スチームパンクの世界みたいだ」

「え、スチームパンク?」


 聞き返したルカに、サツキは考えついたことを話す。


「俺にとってスチームパンクの世界は空想的未来科学だ。SF――つまり、サイエンス・フィクションの一種になる。しかしこの世界ではこれから、蒸気船などの蒸気機関がまず発達を始める。だから、この魔法世界ではスチームパンクの世界こそが、これから進むべき本当の未来になる可能性もあるんだよなって思ったんだ。スチームパンクっていうのは蒸気機関だからな」


 空想だけでは終わらない、本物の未来科学。

 これに、玄内が応じて言った。


「そうかもしれねえし、違うかもしれねえ。そればかりは『大陰陽師』みたいなやつにも読めない。未来が楽しみだな」

「はい」


 また、少しだけ、返事をしていながら思うこともある。

 しかし今は、空を駆け出した船と賑やかに喜び合うみんなを見て、サツキは微笑を浮かべた。


「……それから、先生。船が大丈夫なように助けてくれてありがとうございます」

「礼ならアキとエミあいつらに言え」


 玄内が目を移した先には、アキとエミがいる。


「あ、クジラが跳ねた!」

「かっこいいー!」


 アキとエミが楽しそうにはしゃいでいると、みんなも真っ白なクジラを見下ろした。

 真っ白なクジラがしなやかに跳ねる姿は美しく、絵画や絵本のようだった。


 ――アキさんとエミさんは、あの危険な状況でも楽しそうな声でしゃべってたな。お二人が、この船のために先生に頼んでくれたってことだろうか。


 状況を観測する余裕のなかったサツキには、なにが起こって船にプロペラがついて宙を飛んだのかよくわからなかった。


「わあー」


 着水したクジラがキラキラした水しぶきを散らし、アキとエミをはじめみんなが歓声を上げる。巨大なクジラが入水したというのに、海面は多少揺れてはいるものの、至って穏やかだった。

 ぼーっとしているサツキをクコが見返り、笑顔を咲かせる。


「あのクジラ、わたしたちを送り出してくれてるみたいですね。サツキ様」

「うむ」


 サツキはうなずき、そっと言った。


「先のことはまだわからない。まずは、ガンダス共和国。『千客万来の港湾都市』ラナージャだ」


 空飛ぶ船は、ゆっくりと海上へと降り立つために滑空してゆく。

 次の目的地、ラナージャを目指して。

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