35 『蓮-連-聯 ~ Go Go West ~』

 七月九日。

 リラは、キミヨシとトオルと黎之国に渡ってから約三ヶ月、仙晶法師や豚白白との出会いを経て、ようやくれんじくに到着した。


「ガンダス共和国――蓮竺に、到着したんですね!」

「ついに! ついにだなも!」

「やったーだっちゃ!」


 リラとキミヨシと豚白白が、三人そろって「ばんざーい」と手をあげて喜び合う。

 トオルがクールに言う。


「あとは経典だな」

「そうだなもね」

「では、さっそく。経典のあるという寺院に向かいましょうか」


 仙晶法師が呼びかけ、一行は寺院に向かった。

 寺院の門をくぐる。

 そこは、蓮が咲き乱れている美しいところだった。


「蓮の花が綺麗です!」

「幻想的だなもね」


 うっとりするリラとキミヨシ。美しいものへの感動も人一倍強いのが、この二人だった。

 豚白白はお腹を押さえて、


「レンコンが食べたくなってきただっちゃ」

「食い意地が張ってるだなもね、相変わらず」


 うきゃきゃ、とキミヨシが豚白白のお腹を撫でる。


「はあ、撫で心地抜群だなも」

「なにをしていますか、キミヨシさん。行きますよ」


 仙晶法師のあとに続いて、四人は寺院の中に上がり、和尚さんと話をする。その人物は仙晶法師とは旧知なのか親しげに話したあと、とある部屋に通してくれた。


「こちらです。どうぞ、ごゆっくり」


 そう言って、和尚さんは下がった。

 部屋に残った五人。

 豚白白は外の蓮の花をにこにこと眺めているが、四人は経典に注目していた。仙晶法師は黒い小箱に手をかけた。


「では、開けますよ」

「開けちゃってくださいだなも」


 キミヨシは目を輝かせ、リラとトオルは息を呑む。

 パカッと開かれた小箱の中には、一冊の本が入っていた。


「これが、有り難い経典だなも?」

「ええ。では、読ませていただきましょう」


 手を合わせて礼をしてから仙晶法師は本を手にして、ページをめくってゆく。リラも隣で見ていた。

 トオルとキミヨシもじっと経典を見て、豚白白も途中から読んでいった。


「すごい数の魔法ですね。これらがあれば、世界を平和にすることもできましょう」

「じゃ、じゃあ! おいらの妻の足も治るだっちゃ?」


 豚白白が前のめりになって仙晶法師の顔を覗き込むと、仙晶法師はこくりとうなずいた。


「ええ。もちろんです」

「わーい! やっただっちゃー」


 豚白白がバンザイするが、


「ただ、すぐにとはいきません。これを見ればみるほど、私の自分自身の至らなさが見えてくる」

「だっちゃ?」

「なにを言ってるだなもか、仙晶さま」


 キミヨシと豚白白が首をひねると、仙晶法師は答えた。


「つまり、私もまだまだ修業が必要だということです。豚白白さんの奥さんの足を治すにはもう少し、世界平和のためにはさらに励まなければなりません」


 要するに、これを見てすぐなんでもできるほどに仙晶法師の魔法が万能ではなく、実現には修業が要るということだった。

 それを聞いて、豚白白はほっと胸をなで下ろす。


「それなら、ここから黎之国に帰るまでにはおいらの妻の足を治せるようになってくれてる気がするだっちゃ」


 そんな希望的観測でいいのかとトオルは呆れるが、豚白白にはなにも言わず仙晶法師に向き直る。


「では、仙晶法師さんはこの先どうするんですか?」

「私は、もうしばらく旅を続けねばならないと悟りました。どのみち、とうとうさんの目もあるのですぐには黎之国へも帰れませんでしたから、ちょうどいい」

「なるほど……」


 トオルはつぶやき、考えてしまう。


 ――オレには留学の目的がある。だから、仙晶法師さんについて行くことはできない。いや……仙晶法師さんが、さらに西へ行くというのなら……。


 しかし、仙晶法師は言った。


「キミヨシさん、トオルさん、リラさん。あなた方にはなにか大切な目的があるのでしょう? だからついてきなさいとは言いません。豚白白さんはついてきてくださいますが、みなさんはどうなさいますか?」

「え、おいらは家に……」

「そうだなもねー」


 と、豚白白のセリフを打ち切ってキミヨシは大げさに腕組みして悩む。

 リラは仙晶法師に告げる。


「わたくしは、西へ行きます。会わなければならない人がいます」

「そうですか」


 仙晶法師は優しくうなずいてくれた。


 ――すみません、仙晶法師さん。リラはお姉様やナズナちゃん、そしてサツキ様に会わなければなりません。それから、ここで読ませていただいた経典にあった、異世界人の方のこと、その方がどうやって元の世界に戻ったのか。そしてその方がその後どうなったのか。それらをサツキ様に伝える義務が、リラにはあるように思うんです。


 次に、仙晶法師はキミヨシとトオルに顔を向ける。


「キミヨシさん、トオルさん。お二人もそうなのでしょう。わかっています。キミヨシさんは情に厚いせいで判断に迷うところがあるようですね。そんな迷いはなくすようにしなさい。これから、あなたは大きな判断をいくつもしてゆく。そうでしょう?」

「は、はいだなも!」


 ビシッと両手を身体に脇につけ、キミヨシは頭を下げた。


「ありがとうございましただなも!」

「顔をお上げなさい」


 キミヨシが顔を上げると、涙が浮かんでいる。その雫がこぼれないよう、くちびるを引き締めていた。


「あなたはまるで子供のようですね」


 慈悲深い『くん』仙晶法師の顔を見つめ返すことも、言い返すこともできずいる。


「まあ、オレは大人なんで、こいつらのことは任せてください」


 と、トオルがキミヨシの頭に手をやった。もう片方の手をリラの肩にやる。


「だから、リラも泣くな」

「すみません。なんだか、みんなで過ごした三ヶ月のことが次々によぎって……」


 仙晶法師はにこりと微笑む。


「楽しかったですか? 辛かったですか? 寂しかったですか?」

「全部です」

「それでいい。すべての過去は未来の種になり、今日を越えて生きるのです。昨日に戻ることはできないけれど、明日につながっていますよ。その先に、だれも見たことのない花が咲くのではないでしょうか」

「はい」


 リラは指先で涙を拭い、寂しさの色を希望の色と混ぜ合わせ、小さな微笑みで返事をした。


「キミヨシさんも、今は、涙はしまっておきなさい。私や豚白白さん、リラさんとトオルさんと歩いた足跡を何度振り返ってもいい。それは次の一歩の糧なんですから。でもね、足跡が遠く見えなくなったとき、代わりに支えてくれるのは心です。あなたの胸にはそれが詰まっています。大きくなりなさい」


 涙は止んだ。頬に残った雫を拭うことなく、ぐすんと鼻をすすってから、ニッと笑顔を浮かべてみせる。


「はいだなも、立派になりますだなも!」

「ええ。あなたには笑顔が似合いますね」

「だって我が輩、『たいよう』だなもよ」


 仙晶法師は小さく微笑みうなずいた。


 ――実は、これからあなたが言い出しそうなこともわかっています。どうせ、私と豚白白さんが心配で、分身……つまり『子』を置いていくと言うのでしょう? それなのに、自分自身の別れとして、こうも気持ちを大きく揺らせる。感情量が多いというか、豊かな心というか。


 そして、仙晶法師は手を合わせて祈る。


「《我物与魔ギフト・スピリット》」


 魔法道具を作り出した。それも二つ。さらに一つの魔法道具を取り出す。


「さて、三人にはこれらの魔法道具を差し上げます。どれでもお好きな物を選びなさい」


 三つの魔法道具を見て、三人はそれらがどんな物かを仙晶法師に聞いた。




 寺院を出て、キミヨシは笑顔で言った。


「我が『子』たちを頼みますだなも! 仙晶法師さん」

「わかっています」

「豚白白くん、引き続き仲良くしてやってくれだなもー!」

「もちろんだっちゃー! キミヨシくーん」


 次に、トオルが頭を下げる。


「仙晶法師さん、オレもキミヨシもリラも、アルブレア王国に行きます。だからしばらくは三人いっしょに行くつもりです。ここまで、本当にお世話になりました。多くのことを学べました」

「トオルさん、二人のことをよく見てあげてください」

「任せてください」

「豚白白も、ありがとな」

「感謝してるのはこっちもだっちゃ」


 最後に、リラが綺麗にお辞儀をした。


「仙晶法師さん、豚白白さん。本当にありがとうございました。おかげさまで、楽しい旅ができました。またお会いできたらうれしいです」

「私もですよ。こちらこそありがとうございました。きっと、会いに行きましょう」


 泣いて笑ってここまで来て、また西へ。それが、この三人が行くべき道なのだと仙晶法師は知っている。


「リラちゃーん、気をつけてねだっちゃー」


 豚白白は心配して笑顔と寂しさがどっちつかずの顔である。

 別れの挨拶をして、リラとキミヨシとトオルは歩き出した。豚白白はいつまでも「さようならだっちゃー!」と手を振ってくれていた。

 仙晶法師と豚白白の姿が見えなくなる。

 リラはキミヨシとトオルに聞いた。


「餞別としていただいた魔法道具ですが、お二人はそれでよかったのですか?」

「もちろんだなも。リラちゃんこそよかっただなも?」

「はい」


 うなずくリラに、トオルが言った。


「まあ、オレたちはしばらくいっしょだ。リラがその姉と再会する目処が立てばそこで別れることになるだろうが、それまでオレとキミヨシがサポートしてやるさ」

「三人、力を合わせて頑張ろうだなも!」

「はい、頑張りましょう!」


 これで、リラの西さいゆうたんは終わり。

 しかし、旅はまだまだ続く。

 新たなはじまりの風がそっと吹き、リラ、キミヨシ、トオルの三人をさらに西へと連れてゆく。

 三人は共に歩く。

 次の目的地、『せんきゃくばんらいこうわん』ラナージャを目指して。




 その頃。

 晴和王国では、夏の日差しが降り注ぐ季節となっていた。

 武賀むがくに

 鹿じょうの一室。

『運び屋』たか栖萌々すももが手紙の山を前にして座り、大きく伸びをした。


「まだまだあるよぉ、手紙」

たか氏に仕える人たちへの手紙は、一度お嬢のところに集まって、それをお嬢の魔法|運《はこぶね》で届けるんだもんね」


 同じく鷹不二水軍一軍艦の『化学者軍医ケミカルメディックまつながが横から言った。現在、この部屋には二人しかいない。


「わたしの《はこ》の魔法は届けるのも一瞬だし、効率いいのもわかるけど、大変だぁ。昨日王都に遊びに行ってたから手紙も溜まってるしさ」


 あはは、とヤエは苦笑する。


「よく『無性に王都行きたい』って言うとるけんね、お嬢。でも、ミオリちゃんと王都少年歌劇団『東組』の公演見たり楽しんだんやろ?」

「うん、歌劇団よかったよー! ミオリんちでお寿司も食べた! めずらしくミオリパパもいたから、『ほたる』のお寿司取ってくれたんだよね」

「ヒロキさんも太っ腹やねえ。いいなあ、あたしも行きたかったと」

「今度いっしょに行こうよ」

「お嬢はいいとして、あたしがいるとミオリちゃんしゃべりにくいやろ? ほら、あたしとは五つ違うけん」

「いいんだよ、そんなの。ミオリも昔からよく見廻組の仕事手伝ってるくらいだもん。周りは年上ばっかりだしさ。いや、コウタくんは年下か」


 スモモが首をぐるりと回しているのを見て、ヤエが笑いかける。


「肩凝った?」

「うん! 取ってくれるの?」

「任せといて。あたしの魔法、《はりりょう》の効果の一つ、《抜取針ばっしゅばり》なら体内のものなんでも取り除けるけん。肩凝り腰痛、イライラ、やる気、眠気、なんでもね」

「さっすがヤエちゃん! ついでに背中のかゆみもよろしくね」

「かゆみも取れるけど、それくらい自分でやりな」


 ヤエが注射器を取り出して、スモモに突き刺す。痛みもないから、スモモは作業を継続する。


「うれしか。これでまた素材が……」

「うわ。ニヤニヤして怖……」


 フラスコを持ってうれしそうにしているヤエを横目に、スモモは苦い顔になる。

 そのとき、スモモが次の手紙を手に取り、「お」と声を漏らした。


「なんしようと?」

「ヤエちゃん、これ見て」

「ん? あ、リラちゃんからやね」

「あの子もよくお兄ちゃんたちに手紙を出すもんだよ。律儀っていうかさ。オウシくんはキミヨシくんのほうが気になってるみたいだけど、トウリくんとウメノちゃんはリラちゃんのこと心配してるもんね。はい、トウリくんへっと」


 手紙がスモモの手からスッと消えて、ヤエが残念そうに眉を下げる。


「あぁ……リラちゃんからの手紙、気になっとったのに……」

「じゃあお兄ちゃんたちの部屋行ってくれば?」

「そうやね。ちょっと行ってくるけん」

「いってらっしゃい」


 部屋を出て行くヤエを見送り、スモモはぼやいた。


「話相手もいなくなってヒマだぁ。あ、ミオリと通話しよ」


 スモモは紙コップを取り出した。相手の魔法《いとつう》で、離れた場所でも会話ができる。


「もしもし、ミオリ? 今、ヒマ? ヒマならおしゃべりしない? ……え、コウタくんとパトロール中だから無理? そんなぁ」




 この城内の上の階、とある一室では、オウシとトウリとウメノの三人が話していた。

 トウリの目の前に、手紙が現れる。トウリはそれをキャッチする。


「あ、お手紙です! どちらさまからでしょうか」


 ウメノが目を輝かせて問いかけると、トウリは薄い微笑で答えた。


「リラさんからだ」

「リラさまですか! 読んでください」


 袖をつかまれて、ウメノにせがまれる。


「じゃあ読むよ」


 オウシは書物に目を落としたまま、トウリの声を聞いていた。

 内容は、彼らの旅がいろいろと綴られていた。

 随分と遠くからやってきたそよ風を肌に感じて、


「で、あるか」


 りゃりゃ、とオウシは笑う。


「『ようかいだいおう首羅王しゅらおうとやらを倒し、家族仲良く暮らすことになったと。では、そろそろれんじくにもついた頃であろうな」

「そうだね」


 トウリが静かに微笑む。


「あいつらの西さいゆうたんもめでたく終わった。あとで聞かせてもらいたいものである」

「姫も聞きたいです!」

「で、あるか。共に聞くとするか」

「はい。トウリさまと三人で聞きましょう」


 うれしそうに言うウメノだが、オウシは急にすっくと立ち上がると、窓に歩み寄り、外を眺める。


「時に、トウリ」

「なに? 兄者」


 トウリの表情が締まる。


 ――この空気、兄者……おれになにか言う気だな。


 そう察した。ウメノはにこにことオウシとトウリを交互に見る。


「なんでしょう? お兄さま」

「難しいことではない。トウリ、ウメノ。二人に、ちょっと用事を頼みたい」

「と、いうと?」

「わしは、あのサルのことを聞いて、ついもうひとりのことも思い出してな。わしとトウリ、そして今も家臣として仕えるコジロウ。我ら三人はいつも顔を合わせる。が、サルとあいつはついぞ見ない」

「なるほど。あの子にも会いたくなったと……」

「まあな。あの『てんさいてきけんぽう』の行方は未だわからん。が、噂ではとある場所でかなりの剣を使う者が修業をしていると聞く。どんな風体かも定かではない。それでも、わしは期待したい」


 もったいぶったオウシの言葉を受け、トウリは薄く微笑んだ。


「わかった。つまり、おれと姫で探してこいと」

「そうなる。場所は……」


 その場所を聞き、ウメノは元気に手を上げた。


「はい! 姫、トウリさまと行ってきます!」


 オウシは腕組みして鷹揚に言った。


「で、あるか。頼んだぞ。わしは、一騎当千のつわものが欲しい。その腕を持つのはやつしかないと思ってるのだ。『しんそくけんいざなみなと

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