34 『剣-見-献 ~ Nightmare ~』

 七月八日。

 アキとエミは、サツキの部屋にいた。

 クコとルカといっしょに五人でかるたをしている。ルカはアキとエミとは近くの村の出身なだけあって、二人に対しての付き合いは悪くない。

 読み手はルカで、四人がカードを取ってゆく。


「じゃあ、次が最後よ」


 最後の一枚をルカが読み、それをクコが取った。


「取れました!」

「ええと、合計は……アキさんとエミさんがそろって勝ちね」

「やったー!」

「わーい!」


 二人は満足したらしく、サツキの部屋を出る。


「じゃあまた明日ね。おやすみ」

「ごきげんよーう」


 部屋に残った三人も手を振って見送る。

 アキとエミはすぐには寝ないで食堂へ向かった。


「今日は寝る前にちょっとだけ飲みたい気分だ」

「そうだね」


 お酒もたしなむアキとエミは、食堂でお酒をいただくことにしたのである。

 廊下で、フウサイを発見する。


「フウサイくん見っけ!」

「風に隠れててもわかるよ?」


 二人に見つかってしまい、フウサイは姿を現した。


「《ふうじん》を見破るのは、《いろがん》を使うサツキ殿の他にはあの自称料理バカだけ。だというのに、さすがでござるな、二人共」

「別に普通だって」

「それにしても偉いね、こんなときにも修業してたの?」

「仕掛けのない建物の中、小さな風さえ味方にできるよう、動きに磨きをかけていたでござる」

「昔からがんばり屋さんは変わらないね!」

「そんなフウサイくんには《うちづち》。はい。きっといいことがあるよ」


 エミが《打出ノ小槌》を振り、ウインクする。


「でも、無理は禁物だよ」

「でもでも、応援もしてるんだからね」


 フウサイは「感謝するでござる。では」と修業に戻っていった。


「じゃあボクらは食堂に行こう」

「うん」


 食堂では、こんな時間までバンジョーが料理を作っていた。


「バンジョーくーん! 精が出るね」

「またお料理? バンジョーくんも偉いなあ」

「おう! アキとエミか! 昼間料理人仲間たちに聞いたおでんを作ってみたくなってよ。つまみになるかわかんねえけど、食ってくか?」

「いいねえ! すっかり夏だけど、晴和人はおでんが好きなんだ!」

「そうそう! ほくほくのおでんは晴和人の熱い魂だよ!」

「でも、せっかくなら……」


 アキはいつも下げているカメラからスプレーを取り出した。


「これを使わないとね! はい、エミ」

「うん」


 エミに向かって、アキがスプレーをかける。そのスプレーはアキからエミに渡り、今度はエミがアキに吹きかけた。まるで虫よけスプレーをかけるかのようである。


「これでよし!」

「お? 二人してなにやったんだ?」


 バンジョーの問いに、アキとエミは得意げに答えた。


「この《たいかんはんてんスプレー》を吹きかけると気温の体感が変わるんだよ、バンジョーくん」

「実はね、このちょっとあったかい気候が、スプレーをかけた今のアタシたちにはちょっと寒いかな? って涼しさに感じてるの!」

「でも、体感が変わるのは気温だけだから、おでんで口をやけどしないように気をつけないといけないのさ」

「やっぱりおでんはあったかいのが美味しいもんね。なんか夏なのに、無性に寒い中おでんを食べたくなることってあるでしょ? これは、それに応えてくれるんだよ」

「冬なのに夏の空気をまとって冷やし中華を食べたいってときにも使えるし、ぽかぽかの春なのに肌寒い中焼きいもを食べたいときにだって使えるんだ」


 と、アキが親指を立てる。


「へえ、便利だな! 最高じゃねーか!」

「仙晶さんにもらった魔法道具だからね。バンジョーくんにもやってあげるよ!」

「いっしょに食べよーう!」

「おー! で、仙晶ってだれだ?」

「それはね……」


 季節は夏。

 七月だが、三人は晩秋のような気分でおでんをいただいたのだった。




 その頃、サツキはクコとルカが部屋を出て行ったことで、一人になっていた。

 サツキはつぶやく。


「もうすぐ、この船旅も終わる。あの海賊たちとの戦いで成長は実感できた。でも、なにかが引っかかってる」


 ――俺は、自分があと一歩成長できるって考えてるのか? いや、今も成長はしてるし……仲間たちかな……? みんなの成長を手伝いたいのか? 局長として?


 考えるが、答えが出ない。


 ――ナズナは大きな武器を手に入れた。クコも戦術の幅を持たせる力を手に入れた。やっぱり、俺自身の成長なんだろうか……。


 気がつくと、愛刀の桜丸を手にしていた。


「ちょっとだけ、剣の修業をしよう」


 夜の甲板へと足を運んだ。




 甲板に片足を入れて、しかし引いた。

 人がいる。

 二人。

 片方は、いざなみなと

 もう一方は、噂に聞く剣豪にして、サツキとクコに剣術を教えてくれている『けんせいがきまさみねはっねんりゅうの師範代。背が高く、袴がよく似合う。着物の下でわかりにくいが、引き締まった身体をしていることがわかる。細く見えて筋肉質なのである。

 サツキは、この二人が放っている空気を感じ取って、理解する。


 ――試合をするのか……?


 先日、マサミネについて噂話をしていた二人組の会話を思い出す。


「おれ、佐垣真峰の他流試合、見たことあるんだけど、すごかったぜ」

「そりゃあ言われなくてもわかるって。『剣聖』って噂だもんな」

「いや、見ないと本物のすごさは伝わらないって。なんといっても、居合だ。あれは居合の達人だよ」


 という話である。


 ――俺も実際に、海賊を相手に戦うマサミネさんをこの《緋色ノ魔眼》で見た。あの剣は本物だった。鋭さ、流麗さ、力強さ。そのすべてが圧倒的で、今も瞼の裏に焼きついている。


 ミナトを前に、マサミネが言った。


「昨夜、貴殿の剣を見せてもらった」

「この刀、いいでしょう」


 にこりと邪気のない顔で、ミナトが腰の刀に手をやった。


「そうではない。貴殿が剣を振るう姿を見た、と言ったのだ。ここで、ひとり剣の鍛錬をする姿を」

「まいったなあ。見られてましたか」


 全然まいった様子じゃないミナトである。

 落ち着いた声で、マサミネは切り出す。


「昼間に修業する二人。彼らも、なかなか筋がいい。きっとこれから伸びるだろう。素直で勤勉で、昔の自分を思い出す。つい応援したくなってしまう」

「それはわかるなァ」

「だが、貴殿は少し違う」

「ええ。応援されるような剣士ではありませんよ、僕は」


 マサミネは普段サツキとクコを教えるときの穏やかさではない。空気が張り詰めている。


「ワタシは、キミを最初に船で見かけてから、ずっと気になっていた。キミの剣、『あましらぎく』。それは天下五剣。剣の道に生きる者で天下五剣を知らぬ者はない。それを持つにふさわしい人間か、ワタシはまだ判別できない。どうだろう? お手合わせ願いたい」

「あの二人に竹刀を借りたいところだが、見られるのはちょっとはずかしいですな」

「いや、真剣勝負だ」


 ミナトの瞳が、きらりと光る。


「そりゃあ、旦那。死んでも文句なしってことかな。斬り合いですか?」

「ああ」

「今度は船の上で死者が出る。それはどうも、気が進まないねえ」 


 と、ミナトがぼやく。


「心配はいらぬ。貴殿を殺すのはもったいない。命は助ける」


 訥々と言うマサミネに、ポリポリと頭をかいてミナトが返す。


「僕はいいんですがね、斬られるつもりはありませんぜ。僕もこんな名剣士相手に、ほんのわずかな手加減もできそうにない」


 挑発に挑発で返す、丁々発止。

 はた目にはそうも映るが、普通に考えればマサミネの実力は折り紙つき。挑発はミナトのほうだと思うかもしれない。


「では、了承してくれるね。ワタシが勝てば、その剣……天下五剣のうちの一振り、『あましらぎく』をいただこう」


 と、ミナトは自身の刀に目を落とす。


「勝負は受けます。でも、譲るつもりもありません。では、僕が勝ったらあなたの刀をいただきましょうか」

「構わないさ。ワタシの刀は世に十二振りしかない最上大業物、『怪鴟黒風よたかのこくふう』。天下五剣とは釣り合わないが、キミはワタシを殺すつもりで来ていい。ワタシはキミの命までは奪わない。それでいいかい?」

「あはは。またそのお話ですか。気遣いはいいのに」

「そうか……」


 マサミネは、ついに剣を抜いた。


「ワタシはその刀が欲しい。だが、謙虚さを学ぶことは、キミの未来をよりよくするだろう」


 それを振るう。

 ビュンビュンと音が鳴る。

 すごい風切り音である。


 ――海賊たちを相手に、《かざあなり》をしたときとは比べ物にならない。あれが『剣聖』の本気。即殺される。


 と、サツキは息を詰める。

 マサミネが刀を一度鞘に戻し、居合の構えを取る。十八番の居合をするのだろう。離れた場所からでも、《風穴斬り》ならば、刀の先だけ相手の間合いに入れることも可能。

 それを見て、サツキは止めようとした。あのマサミネを相手にしたら、ミナトが殺されてしまう。


「準備はできたかい?」

「はい。どうぞ」


 ミナトがさらりと答える。


「――っ」


 サツキは止めるために声を上げるようと口を開く。

 が。

 遅かった。

 マサミネは斬った。

 ミナトも、一瞬にして、刀を抜いた。

 けれどもそれは。


 ――見えなかった。


 速い。

 とてつもなく速い剣だった。


 ――いつの間に、抜いた? いや、斬ったんだ……。


 ばかりではない。


 ――なぜ、ミナトはもう、あの一瞬でマサミネさんの背後まで……。


 サツキは《緋色ノ魔眼》を使っていたが、まるで見えなかった。

 ミナトは刀の血を払い、懐から懐紙まで取り出してきれいに血を拭う。そして、流れるように美しい所作で、刀を収めた。


「居合なら、無策に先に動くのはよろしくない」


 マサミネを見ると、彼の身体の正面から血が噴き出した。バッサリと袈裟に斬られたのである。


「……カハッ……ァ……」


 呼吸も苦しそうに、マサミネは倒れた。

 サツキは、自分まで呼吸が苦しくなる。


 ――あいつは、何者なんだ。


 マサミネを斬ったからではない。

 正面から斬ったのに、まったく返り血を浴びないのだ。いったいどんな斬り方をしたというのか。それを、自分もマサミネも目で追えなかったわけだが。


 ――剣の化け物か……。いや、そうじゃない、ぼうっとしてるヒマはない! 先生に治療してもらわないと! まだ命は助かるかもしれない!


 急いでサツキは玄内の部屋へと走った。

 甲板では、ミナトがマサミネに言う。


「その刹那の時間に死を回避できたのはさすがです。そうだなァ……この船で一番医療の術があるのは、あの人かな」

「……はぁ、はぁ……」

「いいですよ。しゃべらなくて。僕が玄内さんという方のお部屋へ連れていきましょう」

「……」


 マサミネは、震える手で腰から鞘を外し、律儀に刀を床に置く。それが最後の力だったのか、そのままばたりと倒れ伏した。

 すると突然、フウサイが現れた。


「ミナト殿、こちらは拙者がお連れするでござる。影分身によって医務室へ運ぶゆえ、ご心配なく」

「ああ、フウサイさん。ありがとう存じます」

「礼には及ばぬ」

「そういえば、浦浜のあの日以来、ずっとしゃべる機会がありませんでしたね。それでは、この方をお願いします」

「御意」


 フウサイの影分身がマサミネを運んでゆく。


「まさかフウサイさんにまで見られていたとはなァ」


 気づかなかったというように、ミナトは薄く微笑んだ。


「玄内殿への報告も拙者が」


 サッと影分身がまた一体、船内へ消えて行った。

 目に前にフウサイがいなくなるが、ミナトは言葉を続ける。


「それはすまないことです。しかし、フウサイさん。僕は、あなたに用がある。サツキと僕を巡り合わせてくれたあなたにお礼がしたかったんです」

「……」


 少し離れた高い場所にいるフウサイの本体。

 それにも気づいていたようで、ミナトはフウサイを見上げて言った。


「あなたは刀を二本、背中に差している。うち一本は名刀です。大業物『かざまつりそううん』。良い刀だ。しかしもう一本はなまくらでしょう」

「確かに。名も無い刀でござるが」

「だから、さっきいただいたこの『怪鴟黒風よたかのこくふう』を差し上げます」

「いや。いただけぬ。拙者の仕事に支障はなかったゆえ、そのような高価なものは……」

「でもね……」


 二人の間が、一瞬で詰まる。

 ミナトは《しゅんかんどう》で、フウサイの目の前に現れた。

 そして、剣を抜いていた。

 キーン、と金属音を響かせたのも一瞬、続いてガキンと金属が砕ける音がした。


「いざって時、なまくらは役に立ちませんぜ?」

「……」


 フウサイは、斬りかかってきたミナトに、咄嗟に刀を抜いて対抗した。だが、そのとき抜いた刀が折れてしまったのである。


 ――なんて技術でござろう。拙者に抜かせる刀もこちらになるよう、ギリギリの太刀さばきで斬りかかってきた……。この船上、《風神》で風に消えることも間に合うが、つい刀を抜きたくなる業は実に見事。


 さすがのフウサイも驚くばかりだが、ミナトは平然と『怪鴟黒風よたかのこくふう』を鞘に収め、それをフウサイに突き出すように差し出した。


「一本ダメになってしまったので、これを」


 にこっと無垢な微笑みを浮かべるミナトに、フウサイは肩の力まで抜けてしまう。ミナトから最上大業物『怪鴟黒風よたかのこくふう』を受け取った。


「では。有り難く頂戴するでござる」

「はい」


 うなずき、ミナトは遠く夜空を見つめる。

 月明かりに照らされてつややかに輝くミナトの黒髪が、風に揺れている。まるでさっきの斬り合いなどなかったような、静かな顔つきだった。


「ミナト殿」

「ああ、フウサイさん。あなたにこの船の予定を聞けたから今こうしてここにいる。感謝してます」

「それはもう」

「ただ、少しの間だけ、一人にしてもらえますか。夜風に当たっていたいんです」

「御意」


 ミナトが「ありがとうございます」と言ったときには、フウサイは姿を消していた。

 海面へと視線を下ろし、ミナトはつぶやく。


「リョウメイさんの言っていたマサミネさんとは、これで試合も果たせた。強かったけど、やっぱり物足りないや」


 再び、月を見上げた。


「僕はこれからどうしたいのかな……なんて。決まってる。僕はいつか、サツキと本気で戦いたい。でも今は、サツキといっしょにいたい。できることなら、サツキの旅に……」

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