20 『秘-緋-疲 ~ Heart Cryptograph ~』

 同じ頃。

 ルーンマギア大陸南東の海の上では、旅客船『アークトゥルス号』が穏やかに航海していた。

 船内には三十人ほどの乗客がいて、船員も含めれば全部で四十人以上になる。

 料理を作る人はちゃんといるし、乗客のバンジョーが調理に参加することさえある。

 個人が持ち込んだ物をいつ食べても自由だが、ひと月半以上も経つとそんな食糧などない者がほとんどである。

 しかし、魔法を使えば保存もできる。

 玄内は、魔法《甲羅格納庫シェルストレージ》によって、経年劣化せずに物を収納できる。これによって食べ物を保管していた。できたてをいつでも食べられるための工夫なのである。

 船内の自室で、玄内は腕組みしていた。


 ――さあて。今日はなにを食うか……。おれの胃袋は、なにを求めてるんだ?


 自問自答し、現状を整理する。


 ――この海の旅でも、割といろんな料理を出してくれるんだよなァ。バンジョーがいるからなおさらだ。しかし、最近はこの海で釣った魚をすぐ調理して出すことも増えてきた。魚もいいが、今のおれはその気分じゃない。なんというか、しばらく海ばかり見ているせいか、まぶたの裏側に風光明媚な世界を描きたい気分なんだ。


 そのとき、廊下からドアを隔てて話し声が聞こえてきた。

 会話は、サツキとミナトによるものらしい。


「サツキの旅は、どこか立ち寄る場所って決まってるのかい?」

「俺はガンダス共和国のあと、しんりゅうじまに寄ることが決まってる。それから、ヒナのお父さんの裁判があるイストリア王国だな」

「へえ。イストリア王国っていうとパスタとピザのイメージだねえ」

「ミナトは……」


 廊下の会話は遠ざかってゆく。だが、ヒントを得られた。


 ――そうだ。ピザにしよう。


 独りでグルメを楽しむ玄内はそう結論づけた。

 さっそくピザを取り出す。

 テーブルに置かれたピザは、当然できたてである。


 ――やっぱり、マルゲリータだよな。イストリア王国は景観のいい国だが、ポパニは特にいい。目を閉じてこの香りをかぐだけで、おれはあの港町に降り立っている。


「では。いただきます」


 玄内はピザを口に運ぶ。


 ――おお、これだ。この味。本場ポパニで買っただけあって、噛めば噛むほど記憶が鮮明によみがえり、おれのまぶたの裏側に一枚の絵が描かれてゆく。


 おいしそうにピザを食べながら、玄内は考える。


 ――海の青はすがすがしく、街並みなんかは爽やかにこう彩られて……。ああ、おれはこの味を舌にふくめるだけで最高の画家になれる。おれは今、この船でだれよりも芸術家だ。リラなら描きたくてうずうずする景観を、おれはまぶたの裏側に描いてしまった。


 ピザを食べ終えると、今度はデザートを取り出した。


 ――イストリア飯なら、最後にドルチェもいただかないといけねえな。ドルチェもポパニ発祥のスフォリアテッラにするか。この焼き菓子は、パイ生地はパリパリと固めの食感なのがまたいい。前にこれを食ったのは、夜に入ったレストランのデザートだった。だからかね、おれがまぶたの裏側に描いたポパニの絵は、きらびやかな夜景へと時間が移り変わってゆく。


 世界旅行というだけでなく、時間旅行までしている気分であった。

 玄内は目を閉じ、ひとりこっそりと至高の時間を過ごす。




 その頃、ナズナが廊下を歩いていた。玄内の部屋の前を通り過ぎて、首を回して歩く。


「どこ……かな……」


 ナズナは、サツキを探していた。


 ――サツキさん、どこにいるんだろう……。最近、いつもミナトさんといっしょにいるし、今もそうなのかな?


 実は、ナズナには目的があった。

 魔法についてである。

 ――超音波の魔法、どうやって使うのがいいか、聞きたいな……。あんまり、タイミングがなくって聞けなかったけど、今日こそは……!


 気合を入れて探していると、サツキを発見した。


「さ……」


 言いかけて、口をつぐむ。

 今日もミナトといっしょにいた。

 別にミナトがしゃべりにくい相手だということではないが、二人だけで話がしたいから、つい隠れてしまった。


 ――サツキさん、ミナトさんといっしょだ。修業、するんだ……。


 サツキは、クコと修業することが多く、その際にマサミネに剣を見てもらうこともよくあるが、最近ではミナトと二人だけで修業する時間がもっとも長いかもしれない。

 場所もまちまちで、内容も毎回同じではない。今は、サツキが空手の動きを教えていた。組み手をしている。


「こうやってサツキに空手を教わるのも勉強になるなあ」

「とても空手を学び始めたばかりには見えないよな、ミナトは」

「まいったなあ。先生がいいって言いたいのかい? あはは」

「違う。ミナトは剣の道を極めんとしているから、別の武道にもそれが通じているのだろうと思ったんだ」

「それはサツキもだね。いや、だから……それがわかるのかねえ」


 と、ミナトが突きを繰り出す。サツキはそれを受けて、


「さあな」


 短く言った。

 それを五分もすると、ミナトは息をつく。


「ま。今日はこのくらいにしておくか。またあとでね」

「早いな」

「僕は人の気持ちとかそういうのは察しがいいほうではないけど、感覚はそれなりに鋭いほうだと思ってるんだ。空気の動きとか、気配とかね」


 じゃ、と言ってミナトはどこかへ行ってしまった。

 少しの間、陰から二人の修業を眺めていたナズナだが、会話が聞こえなかったためミナトが去った理由はわからない。

 ただ、サツキが一人になったから出て行くことにした。


 ――サツキさんが、一人になった。今が、チャンス、だよね。


 サツキの元まで小走りで行くと、


「ナズナか」


 とすぐに気づいた。


「あの……ちょっと、いいですか?」

「うむ」

「わたしの、お部屋で」


 ナズナの申し出を受け、サツキはナズナの部屋に行くことにした。

 部屋に入ると、ナズナがベッドに座った。

 ほんの少し座る位置をずらし、サツキを見上げて、小さな口を開く。


「あの……おとなり、どうぞ」

「うむ。ありがとう」


 隣に座り、サツキはナズナがしゃべり出すのを待つ。

 おずおずとナズナは切り出した。


「えっと、わたし、魔法を、先生にもらったんですけど……」

「うむ」

「どうやって使うと、いいのかなって……」

「そういうことか。もらったのは、《超音波破砕ドルフィンペレット》と《超音波探知ドルフィンスキャン》だったな」

「はい。イルカさんの、超音波の……魔法です」

「いっしょに水族館で見たよな」

「はい。イルカさん、かわいかったです」

「うむ」

「イルカさんは頭がいいんだって、サツキさんが言ってましたよね」

「うむ。人間くらいに脳が大きいらしいんだ。コミュニケーション能力も高いって聞く。軍用のイルカもいて、ソナーっていう水中の超音波で小魚なんかを気絶させたりもするんだ」

「す、すごいです」

「それが、先生も言ってた武器破壊的用途に通じるものになると思う。水中じゃないけどな」

「難しそうですね……」

「うむ。簡単ではないかもしれない。でも、超音波は、音である前にそもそも振動だから、振動による効果を考えるといいんじゃないかな。例えば、そうだな……、音の振動で火を消せるだろう?」

「そ、そうなんですか?」


 興味津々に尋ねるナズナに、サツキは言った。


「ある特定の振動を与えて火の周りの空気を揺らすと、火を消せるんだ。そんな感じで、俺は相手の魔力を消すようなこともできたらいいと思ってる。相手の体格と魔力量によって固有振動数みたいなものは異なるけど、俺がそれを見て目安をナズナに教え、ナズナが微調整してその音を出すって具合にさ」

「なんだか、できそうな気がしてきました」


 にこっと微笑むナズナだが、サツキとしてはまだ理屈の説明がちゃんとできていないように思う。


「俺も思いつきだから、クコやチナミやヒナを相手に練習してみていいかもな」

「はい」


 あとは……とサツキは考える。その横顔をナズナはじっと見つめる。


「うむ。そうだな。地面を超音波で振動させるっていうのはどうだろうか」

「地面を?」

「実験でさ、ビニールの膜を張って、その上に砂や塩を置き、振動で膜を震わせ共鳴させると、砂や塩が弾けるように飛び上がるんだ。触れなくても、音で物を飛ばせるんだぞ」

「おもしろいです」

「これを人間相手にやってみたくないか? 地面に超音波を放ち、そこで振動を起こして人間を弾くんだ。ほとんど飛んだりしないと思うけど、数センチでも浮くとかなりの隙を作れる」

「は、はい」

「まずは小さな物を上に飛ばせるようになるといいのかもしれないな」


 もっと聞きたいのが、ナズナの真剣な顔から伝わってくる。どんどんサツキとの距離も詰まっているほどである。


「それから、音を可視化――つまり、目に見える模様にすることができるんだ」

「模様ですか?」

「クラドニ図形という。それみたいに、ナズナが超音波を発することで振動模様を作り、魔力の形状や流れを変える。さっき言った魔力を消すっていうのも、模様みたいに考えてみるとおもしろいかもしれない。星やハートなど形を作ってみてもいい。魔力で模様を作ったら、《いろがん》を持つ俺だけに読めるメッセージを、木や壁や地面なんかに残す芸当もできる」

「サツキさんだけに、ハートを送る……」


 ぽつりとサツキには聞こえない声でつぶやき、ナズナはひとり顔を真っ赤にした。


「どうしたんだ?」


 気になってサツキが問うが、ナズナはブンブンと顔を横に振った。


「い、いいえ。でも、楽しそう、です」

「うむ」

「わたし、練習します。サツキさん……わたしの練習、つ、つきあって、くれますか?」

「もちろんだ。いくらでも付き合うぞ」


 うれしさではにかみそうになるのを隠すように、やや顔をうつむき加減にして、


「は、はい。ありがとう、ございます」


 そう言うと、ナズナはすぅっと飛んで、口を開いた。小さな声で発声練習のように「あー」と声を出す。

 超音波を発したのだとサツキにはわかった。

 声に出さなくても超音波を発生させることはできるが、ナズナにとっては軽く声を出すほうが性に合うらしい。


 ――もしや……。


 サツキは《いろがん》を発動させた。

 すると、壁に模様が浮かんでいた。


「おお。さっそく、ハートマークを作ってみせてくれたのか。すごいな」

「え」


 ナズナは驚く。まさかすぐに見られるとは思っていなかったのである。


「こ、これは、ちがいます」

「ん?」


 と、サツキは首をひねるが、すぐに納得した。


「いや、いいんだ。ありがとう」

「ふぇ……そ、それって……」


 ナズナはチラとサツキの緋色の瞳を見て、耳まで赤くなってしまった。

 サツキは腕組みしてうなずいた。


 ――まだ本当に描きたかった模様にはできなかったような口ぶりだが、最初からこれだけできるんだからすごい。やっぱり、ナズナは感性が豊かみたいだ。論理より想像力でなんでもやってみるといい気がする。あとは、俺がその都度なにかヒントになるようなことが言えたらいい。


 さすがに数少ない多重能力者なだけあって天才肌のようだった。

 恥ずかしそうにするナズナに、サツキが言った。


「これからも毎日見せてくれ」

「ははは、はひ……!」


 うっすらと汗さえ浮かべて返事をするナズナだが、サツキはそれに満足している。健気にもこれから毎日ハートマークをサツキのために描くことになるなど、今のサツキにはわからない。


「きょ、今日は……疲れちゃった、ので……また明日、です」


 ちょこんとサツキの隣に来てナズナは座り直す。サツキが入れ替わりに立ち上がると、


「わかった。また明日」


 そう言って部屋を出た。

 サツキは闘志がみなぎってくる。


 ――ナズナは魔法をもらうばかりじゃなく、こんなにも飲み込みよく成長してる。俺も負けてられないぞ。今からまたミナトを誘って修業でもするかな。


 再びミナトに会うべく、彼の部屋へと足を向けたのだった。

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