10 『西-整-征 ~ Go West ~』

 リラは叫ぶ。


「助けてぇー!」


 顔だけは海面から出ているが、ここへ大きな波が襲ってきた。

 気づいたときには波が視界を遮り、リラは声を上げることすらできないまま、暗い暗い海の底へとどんどん沈んでいった。


 ――もうダメ……。お姉様……ナズナちゃん……ルカさん……。博士、すみません。お父様、お母様、すみません。リラはなにもできませんでした……。サツキ様……あなたに、一度だけでも、お会いしたかったです。


 そのとき、声がした。


「大丈夫ですか?」


 ゴホゴホっと、リラは咳をした。

 目を開く。


「ああ、よかった。目が覚めましたか」

「あら? 今のは、夢……」


 どうやら夢だったらしい。

 リラが目の前にある顔を確認すると、僧侶の身なりをした二十代半ばの男性だった。眉は薄く短く、清澄な目をしている。

 どこかの部屋のようだった。


「リラちゃん! 無事だっただなもね! よかっただなもー!」


 猿顔の青年キミヨシは、顔をくしゃりとさせて涙を浮かべて喜んでいる。

 リラは身体を起こした。

 強面の青年『おんぞう』トオルは冷静に問う。


「船が嵐に遭ったのは覚えてるか?」

「ええ」

「あれが二日前だ。あのあと、船は徐々に浸水していったが、まあなんとか船ごと大陸まで流れついたわけだ。船もボロボロ。オレとキミヨシは大丈夫だったが、リラはおぼれて海水も飲んじまったのか、気を失ってた。そこをこちらの『くん』、せんしょうほうさんが抱えて泳いで岸に運んでくれたってわけだ。今は四月十八日になる」

「そうでしたか。仙晶法師さん、ありがとうございます。お二人にも、ご心配をおかけしました」

「いいえ」


 軽く微笑む『君子』仙晶法師。

 おぼれる夢を見たのもそういう理由だったのだ。


「リラの荷物はそこにまとめてある。他に足りない物があるとすれば、流されちまったことになる」

「荷物……!」


 その荷物をリラが確認すると、大事な物はちゃんとあった。とある本を手に取って、中身を軽く確認してから安堵の息をつく。


「よかった。無事でした。バッグが防水でよかった。これさえあれば……」

「そうか」


 その本について、トオルは聞かない。だが、リラのホッとした顔を見て、トオルも不安が和らいだようだった。自分のせいではないが、この船に乗る提案をしたのはキミヨシなわけだし、トオルも責任を感じていたのである。ただリラの無事を喜んでいるキミヨシよりも細かい部分まで心配してしまうのは、トオルが悲観的な観測をしやすい性格な上、物事を深く見る性質を持つゆえであった。

 トオルが仕切り直す。


「さて。これからどうするかだが」

「おそらく、あの船は修理するまでにかなりの時間がかかってしまうだなも。リラちゃんには目的があるって話だっただなもね?」

「だったら、船の修理を待つより、歩いて行ったほうが早い」


 二人にそう言われて、リラは考える。


「はい。そうですね。わたくしには、目的があります。これ以上、遅れたくはありません」

「オレとキミヨシは歩いて行ってもいいと思ってる。急ぐ旅ではないけどな」

「せっかくだなも。ここでリラちゃんと別れるのは忍びない、どちらを選んでも、我が輩たちはお供するだなもよ」


 明るい笑顔のキミヨシにリラの表情もやわらぐ。


「ありがとうございます。では、いっしょに歩いての旅をしてくださいますか? キミヨシさん、トオルさん」

「もちろんだなも! ね、トオル?」

「ああ。そのつもりだ」

「心強いです。なにからなにまで、本当に感謝いたします」


 そこで、やっとリラは先程から抱えていた疑問を口にした。


「それで、ここはどこなのでしょうか」


 キミヨシはウインクして言った。


れいくにだなも」


 黎之国。

 ルーンマギア大陸マギア地方、その中でも東に位置する国家で、以前はそうくにと呼ばれていたが、現在はそれが三分割され、三国時代の真っ只中にある。

 三国の中でもっとも北にあるのが、黎之国であった。

 国力は三国の中で最大。

 とうとうという人物が国を治めている。

 かなりの名将として知られているが、辛辣さも目立つ。『ぼうくん』や『らんせいかんゆう』だと噂される一方で、内政もうまいらしく、評判は真っ二つに分かれる。

 キミヨシは続ける。


「ここは黎之国の海岸で、仙晶さまはこれから西に征くところらしいだなも」

「西へ?」

「だなも。仙晶さまは、夢でお告げを聞いたらしいだなも。世界を平和にするために、れんじくへ有り難い経典を取りに行くように、と。蓮竺は黎之国での呼ばれ方で、一般的にはガンダス共和国だなもね。そのためにまず、西の都・せいあんに行き、とうとうさんの許可をもらうだなも」

「なるほど。でも、許可とはなんの許可でしょうか」


 リラにはそれがわからない。


「今の黎之国では、国外へ出るのに許可が必要だなも。とうとうさんはいろんな面で厳しい方みたいでそんな法律を作っていて、しかもその許可が下りるかはわからないそうだなも」

「では、断念する可能性もあるのですね」


 ここで、仙晶法師が口を開いた。


「いえ。お告げをいただいたのです。私は今の黎之国には懐疑的です。この国の平和、そして世界の平和のためならば、国禁を犯しても成し遂げる覚悟です」

「そうですか」

「行き先も我が輩たちと同じ! ならば肩を組んで行くのがいいだなも。やあやあやあ、方針が決まっただなもね!」


 キミヨシがそうまとめてしまった。

 それを聞いてリラはつい笑いがこぼれる。


「ふふ。そうですね。せっかくです。いっしょに行くのがいいですねっ」

「だなも」

「ああ。それもそうだ。仙晶法師さんの元で学びながらの旅なら、充実したものになる」

「精神的にも修行をさせていただけるのはいいだなもね。うきゃきゃ」

「ええ。それは構いませんよ」


 と答え、仙晶法師がリラに向き直った。


「リラさん。体調はいかがです?」

「はい。もうすっかり良くなりました」


 しっかり休ませてもらったから、体力が充実している実感もある。


 ――これも、トウリさんが《へんそう》の魔法でリラの『体育』の数値を加算してくれたおかげだわ。今までのリラでは、もう少しの休みが必要だっと思うもの。


 リラはベッドから起きて、


「仙晶法師さん。どうして、経典を手に入れることができたら、世界平和につながるのでしょう」

「それには、二つの道理があります。第一に、そこには様々な魔法が記されているのです。書いた作者は、昔異世界からこの世界にやってきた異世界人だという話です。第二に、私の魔法が経典によって平和をもたらす可能性を持っているからです」

「仙晶さまの魔法は、《我物与魔ギフト・スピリット》だなも。魔法道具を作り出すだなもね」


 横からキミヨシが得意げに解説する。


「まあ。すごい魔法ですね」

「自分が見たことのある魔法の効果しか、魔法道具にすることはできないだなも。一度作った物は、二度と作れない。要するに、見たことのある魔法を魔法道具にできるのは一回のみだなも」

「ですから、私の魔法によって、世界を平和にする魔法道具を作ってゆく。それを正しい心を持つ人間に使ってもらうのです。あるいは、私自身が使うかもしれません」

「なるほど。お話はわかりました。あの……その異世界人の方は、どうなったのでしょうか」


 リラが聞くと、『君子』仙晶法師は微笑む。


「無事、元の世界に戻られたそうです」

「そうでしたか」


 よかったと喜べない、複雑な気持ちになる。


 ――リラは、サツキ様が異世界人だと知っている。もしサツキ様に会って、離れがたくなってしまったら、元の世界に帰ってほしくないかもしれないわ。……なんて、会う前に心配することでもないのだけど。おかしいわね。


 リラがベッドから出ると、トオルが言った。


「そろそろ正午になる。飯を食ったら出るか」

「だなもね。我が輩は、『エルタニン号』の船長さんたちに、もう船には乗らずに歩いて旅をするって伝えてくるだなも」


 家から飛び出してゆくキミヨシに、リラは「お願いします」と頭を下げた。

 食後。

 仙晶法師は言った。


「三人はそのかっこうでは目立ちます。キミヨシさん、トオルさん、リラさん。着替えてください」

「でも、着替えなんてないだなも」

「そうだぜ」

「私の持ってる服は僧侶服ですから、どこかで……」


 リラはおずおずと申し出た。


「あの。そういうことでしたら、わたくしに任せてください。魔法で作ることができます」

「すごいだなも!」

「へえ」


 キミヨシとトオルが注目する中、リラは仙晶法師に言った。


「すみませんが、どのような服がよいか、資料はないでしょうか」

「それならば、こちらを」


 仙晶法師は本を開いて見せてくれた。絵本のように挿絵が入っている物語であった。


「これなら旅の修行服にもよいでしょう」

「ありがとうございます。色鉛筆かクレヨンか絵の具はありますか?」

「絵の具ならば」

「お借りします」


 絵を参考に、リラは空中に服を描く。


「《真実ノ絵リアルアーツ》」


 三人分の衣装を書き終え、できあがった服をキミヨシがキャッチする。キミヨシは拍手した。


「すごいだなもー!」

「そんな魔法が使えたのか。やるじゃねえか」

「いいえ。えへへ」


 キミヨシとトオルに褒められて照れるリラに、仙晶法師も称賛の言葉を贈った。


「素晴らしいです。道具を作る私の魔法と似たところがありますね。では、ついでに共に旅立つみなさんにプレゼントです」


『君子』仙晶法師は手を合わせて祈る。

 すると、道具が出てきた。

 一つは棒、一つはスコップ、一つは絵本である。


「キミヨシさんにはこの《にょぼう》を、トオルさんにはこの《月牙移植鏝ジョイントスコップ》を、そしてリラさんには《ほん》をどうぞ」

「ありがとうございますだなも」

「有り難く頂戴します」

「わたくしにまでありがとうございます」


 まず、仙晶法師は《にょぼう》をキミヨシに渡し、この魔法道具について説明した。


「《にょぼう》は武器として使いなさい。伸ばすことも縮めることも思いのまま。しかしそれだけです。過信せず扱いなさい」

「わかりましただなも」

「次に。《月牙移植鏝ジョイントスコップ》は、厚さ一メートル以内の物ならば掘れば貫通させて空間をつなぎます」


 仙晶法師はスコップ状の魔法道具|月牙移植鏝《ジョイントスコップ》でドアに穴を掘る。さっくりと切り抜かれ、まったく力を込めた様子もない。空いた穴をくぐる。


「そして、通り抜けたあとにスコップの裏面で撫でるか叩けば元通りになります」

「綺麗に戻っただなも!」

「すげえな」

「まあ!」


 三人は驚いた。

 ぱかっとドアが開いて仙晶法師が廊下から戻ってくる。


「また、厚みがある場所や異なる地点をつなぐこともでき、その場合、二カ所に穴を掘ります。接合された地点同士の移動は一瞬でできます。ただし、一度に一つの接合部しか作れません。戻すときは、こちらもスコップの裏面で撫でるか叩きます」

「ワープ地点を作れるってことか」

「そうとも言えますね。しかし、一度結んだ二地点の穴は片方を閉じればもう片方も同時に閉じられてしまいます」

「誰かが穴を埋めてしまったらどうなるだなも?」

「問題ありませんよ。ワープ地点を消せるのは術者だけです」

「なるほど。使い道はいろいろとありそうだな……」


 ――たとえば、敵の城など危険な場所に乗り込むとき、まず拠点となる地点に穴を掘っておき、城内で危機を感じたらその場で穴を掘ってワープする。ってこともできるわけだ。


 などと難しい顔で考えるトオルに、仙晶法師は《月牙移植鏝ジョイントスコップ》を手渡した。


「これでそこの床に穴を掘ってご覧なさい」

「はい」


 と、トオルは穴を掘った。中が暗くて底が見えない。必要な面積をくりぬけば、深さは関係ないらしい。また、掘ったときの土も出ない。


「豆腐みたいに柔らかいぞ、これ」

「続いて、廊下に出て、穴を掘ります」


 促され、トオルは廊下に出た。


「掘りました」

「よろしい」


 仙晶法師が部屋の扉を閉めて、


「では、穴へ」

「はい」


 トオルは穴に足を入れた。

 すると、ひゅんと吸い込まれるようにトオルが穴の中に消えた。

 瞬間、トオルは部屋に掘った穴の中から飛び出した。


「おお。一瞬で移動しやがった」

「穴を埋めてみてください」


 仙晶法師の指示を受け、トオルがスコップの裏面で固めるように部屋の穴を撫でる。

 仙晶法師が黙って扉を開けて、廊下の穴も塞がれているのを見せた。


「本当につながってるのですね」


 リラが仙晶法師を見やる。


「ええ。使い方の説明は以上です。武器ではないので、戦闘があればご自分の刀をお使いなさい」

「そのつもりです。オレの刀は良業物『りくごうはちまさ』。剣術が少しできるくらいだが、仙晶法師さんのことは守りますよ」


 お願いします、と仙晶法師は会釈した。


「最後に。《ほん》は物をその絵本の中にしまうこと、そして取り出すことができます。今着ている服など、あなた方の荷物はすべてその絵本にしまいなさい」

「はい。そうさせていただきます」

「では、三人とも着替えてください。部屋にはそちらに二つあります。あと、キミヨシさんはこちらを頭に」


 キミヨシは仙晶法師から金色の頭飾りを受け取った。


「かっこいいだなもね。ありがとうだなも」


 リラはキミヨシとトオルの二人とは別の部屋で着替える。着ていた服は絵本にしまった。


「本当にしまえる。すごい物をいただいてしまったわ」


 絵本を片手に部屋まで戻ってくると、キミヨシとトオルはすでに着替えて待っていた。

 金色の頭飾りをつけたキミヨシが嬉々とした顔で仙晶法師に聞いた。


「ところで、この頭飾り、実は魔法道具だなも?」

「鋭い。さすがですね」

「いやあ。それほどでもないだなも」

「それは、《きん》です。私が声に出さなくとも、いくら離れた場所にいても、私の声があなたに届きます。(こんな風にね。キミヨシさん、《きん》を取ってみてください)」

「本当に聞こえただなも。どれ」


 と、キミヨシは頭についた飾りを取ろうとしても取れない。


「ん? おかしいだなも。うりゃああぁ!」


 頭が縦に伸びて変形するんじゃないかというほど引っ張ったが、いくら力を入れてみてもびくともしなかった。


「はあ、はあ……。なんなんだなも? これは」

「実は、その魔法道具の持ち主は私ということになっているので、私の意志がなければ取ることはできません。あなたは行動力がありすぎるきらいがあるようなので、私がいつでも見ていられるようにしておいたほうがよいと思いましてね」

「うげー。なんて物渡すだなも。はぁ、やられただなもね」

「しゃべりかけられるのは私からのみです。その点は気をつけてください」

「我が輩はただの受信装置ってことだなもか」

「その通り。私からはあなたのいる場所もわかりますので、ある意味では発信装置でもありますが。さあ。着替えも済みました。荷物をまとめたらここを発ちますよ」


 荷物をしまい準備を整えると、一行はさっそく家を出た。

 リラは家の外に出なかったから知らなかったが、ここはお寺だったらしい。

 きんせいという名である。


「お寺でしたのね」

「ええ。このきんせいは私の故郷とも言えます。しばらくせいあんにいたこともありますが、今はちょうど戻ってきていたところでした」

「うまくいけば船より早くガンダス共和国までたどり着ける。ちょっと道草食っても三ヶ月もあれば余裕だろうぜ」


 トオルがそう言ってくれて、リラは気持ちが楽になった。


「はい」

「では、行くだなも! 遥か西へ!」


 キミヨシのかけ声で、四人はせいあんへ向けきんせいを出発した。

 こうして、リラの西さいゆうたんが始まったのだった。

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