幕間昔話 『星空サマーキャンプ』

「チナミ。今日はここでキャンプだ」

「うん。おじいちゃん」


 かわなみは、大好きなおじいちゃんと山を登っていた。

 年はまだ六歳。

 降り注ぐセミの声が夕刻を告げる、晩夏のこと。

 もう八月も終わりかけた、創暦一五六六年。

 場所はしんくに

 こうしてチナミがおじいちゃんと二人で山を歩いていたのは、研究のためだった。

 チナミの祖父『えいきょがんかわせいは生物学者であり、チナミはよくその実地調査についてくるのである。

 二人でテントを張って、おじいちゃんは出かけていった。


「今日はカレーだ。下ごしらえだけよろしくね」

「うん。気をつけてね」


 チナミはひとりになった。

 だが、やることはある。

 おそらく、おじいちゃんは空が暗くなる頃まで研究をしてくるであろう。だからおじいちゃんが戻ってくるまでに、チナミは野菜の皮むきをして、最近できるようになった包丁使いで野菜とお肉を切り、お米をとぐ。あとはおじいちゃんがやってくれる。

 小さな身体でせっせと野菜の皮むきをしていく。


 ――はだかになった玉ねぎ。哀愁がある。


 きれいにむけたことに満足して、薄く切っていく。哀愁の意味もよくわからないが、以前おじいちゃんがなにかの折に使った言葉を使ってみたのである。

 次に、にんじん。


 ――にんじんは、いくらむいても同じ色。


 トン、トン、と乱切りする。


 ――らんぎり。らんぎり。らんぎり。らんぎりは、ちょっとおもしろい。


 にんじんを切り終えると、ジャガイモの処理に移る。


 ――ジャガイモ。この子は、むくと白くなる。はだかんぼ、爆誕。


 ジャガイモをむいて、大きめに切る。チナミはカレーのジャガイモは大きいほうが好きだった。


 ――あとは、お肉。


 肉を取り出して、包丁を構える。


 ――やっぱり、成長期の私を満たすのはこの子。


 ニヤリとしてチナミが包丁を入れようとした、そのとき……。

 茂みが、ガサッと動いた。


 ――動物?


 チナミが手を止めてそちらを見ていると、茂みからウサギの耳がぴょこっと飛び出し、身体も出てきた。


「あ! やっぱりここだ!」

「……」


 飛び出してきたのは、子供だった。それも、チナミとはあんまり変わらないくらいの少女である。


 ――……ウサギが、人間になった。


 じーっとチナミが少女を見ていると、少女はウサギみたいに軽快な足取りで近寄ってきた。

 なれなれしくしゃべりかけてくる。


「カレーか。カレーだね?」


 こくり、とチナミはうなずく。

 チラチラと少女の頭に乗っているウサギの耳を見ていると、少女が笑顔でウサギの耳を取り外した。カチューシャだったらしい。


 ――まさかの着脱可能。むしろ、当然か。

 少女がウサギの耳を手に持ち、ニコッとして聞いた。


「これ?」


 こくり。またチナミはうなずく。


「仮装?」

「ちがうよっ! あたしは《うさぎみみ》を持つうきはし! 『がくもう』って覚えてね!」


 すぽっと、ヒナはまた頭にウサギの耳をつける。


「ヒナさん……」


 口の中で名前をつぶやき、チナミは思う。


 ――野生動物の子供みたいな女の子なのに、科学の申し子なんて、変わってる。


 ぼーっとヒナを見つめているチナミに、ヒナが言った。


「あなたは?」

「そうでした。私は海老川智波です。先月、六歳になりました」

「えぇ! そうなの? てっきり四歳くらいだと思った」

「ヒナさん、私は今、包丁を持ってますよ」


 キラン、と包丁を光らせる。

 しかし、子供扱いするなという意味の脅しを含んだ冗談は軽やかに無視されて、ヒナはニコニコとしゃべる。


「まだちっちゃいのに包丁も使えてすごいね! 料理中か」

「ところで、ヒナさんは何歳ですか? 私と変わらないくらいに見えますが」

「あたしは今六歳。次の三月で七歳だから、一応あたしがお姉さんだね!」


 晴和王国のみならず、世界中でも四月が年齢の切り替わりという認識だった。道場や塾といった学校のような場所でも、その年齢制で学びが変わるのである。

 だからチナミも素直にヒナを年上だと認めた。


 ――年上だった。でも、来年にはヒナさんより大きくなればいい。可能性は無限大。


 お隣に住む幼馴染みの女の子より背が低いことが悩みのチナミにとっては、相手が年上ならまだその年になれば身長差もわからないという希望がある。


 ヒナはチナミの切った野菜を見て、


「うわあ。上手だね」

「は、はい。おじいちゃんに教わりました」


 ちょっと照れているチナミに、ヒナは提案した。


「あたしも料理は得意なんだ。せっかくだからいっしょにつくろう!」

「いいですけど。でも、ヒナさんはどうしてここに? まさか、迷子?」


 チナミのじっとりした視線を受けて、ヒナはコミカルに身体をひねる。


「ギクッ」


 しかしすぐに、何事もなかったように胸を張った。


「べ、別にちがうし。あたしはよい子のお手伝いに参上する正義の味方なのだ」

「へえ」


 適当に相槌を打ち、チナミは肉を切り始める。


「ちょっと! 興味ない顔しないでぇ!」

「はい。そうですね。わかってますよ。わかってますからね」

「もはや話聞いてないでしょ!」


 一生懸命にヒナがつっこむのをチラッと見て、チナミは小さく微笑んだ。

 それから、ヒナがチナミの横に並んで強引に手伝いを始める。だが、自分で言うだけあって、料理の手際もよかった。


「じゃあ今度は煮つめていくね」

「それはおじいちゃんが帰ってからやってくれますよ」

「おじいちゃんって?」

「私はおじいちゃんと来たんです。おじいちゃんは生物学者だから、今は植物とかをいろいろ調査してます」

「そっか。あたしはお父さんと天体観測に来たんだけど、お互い目を離した隙に離ればなれになっちゃってね」

「やっぱり迷子でしたか」

「迷子って言わないでっ」


 おしゃべりしながらもヒナは手を動かし続けている。


「でも、おじいちゃんも調査したあとに料理をつくるのは大変かもだから、あたしがつくってあげる」

「そうでしか。では、いっしょにつくりましょう」

「うん」


 チナミが木炭を取り出して、ヒナが火をつける。


「やっぱり『ひととせじるしもくたん』は品質がいいです」

「だね」


 調子を合わせるヒナのことを、チナミが見上げて、


「本当にこの木炭を知ってるんですか?」

「し、知ってるっていうか、使ってみて質がいいと思っただけだよ」

「へえ」


 疑う目をするチナミの視線を避けるように、ヒナはおたまを持って、


「よ、よし。しっかり煮込もうね! お姉さんに任せて!」


 二人はカレーを煮込んでいった。

 味つけもヒナがやってくれて、空が真っ赤な色から紫色がじんわり溶け出す頃には完成した。

 ここで、チナミのお腹がぐぅっと鳴った。


「おや! チナミちゃん、お腹の虫が鳴いてるね」

「わ、私はお腹に虫なんか飼ってないです」

「セミよりも元気だねえ」


 そのとき、今度はヒナのお腹もぐぅっと鳴った。

 チナミはニンマリして、


「哀愁の蝉時雨ですね」

「ど、どういう意味?」


 顔を赤くしてヒナがつっこむが、チナミも哀愁の意味がわからないから、本人にも答えようがない。


「さあ。どういう意味でしょう」

「うわあ。じらされた」


 フッと笑って、チナミはご飯のふたを開ける。


「では、いっしょに食べましょう」

「え、いいの?」

「はい。ちょっと多めにつくったので大丈夫です。今回は縦走ですから、おじいちゃんの魔法道具で食糧もたくさん用意してますし」

「じゅうそう?」

「泊まりがけでいくつかの山を続けて登る予定です」

「へえ」

「おじいちゃんには戻ってきたら温め直してあげます」

「じゃ、じゃあ、いただこうかな」


 ご飯をお皿に盛って、カレーをかけて、二人のカレーライスが完成した。

 座って、そろって、「いただきます」を言って、食べ始める。


「おいしい~! あたし、やっぱり天才かも! あはは」

「んんっ。確かに、おいしいです」

「でっしょー? へへん」


 得意そうなヒナを見てチナミもクスッと笑った。


「ヒナさんは、天体観測でしたね?」

「そうだよ。あたしのお父さんが学者なの。物理の教授なんだけど、今は天文をがんばってるんだ!」

「星ですか」

「うん! 特に、地動説!」

「ちどうせつ……」

「太陽とか月が、地球の周りをぐるぐる回ってるって考え方が、天動説。天が動いてるって考え方。でも、お父さんのはちがう。地球のほうが太陽の周りをぐるぐる回ってるっていう考え方。でも、月はそんな地球の周りを回ってるんだよ」

「なるほど。今までとはちがう考え方ですね」

「だから証明するためにはいろいろ大変なんだって」

「証明できるといいですね」

「うん!」


 そのあとも、ヒナは「あ、キレイな星だよ」と空を指差して、星の話をたくさんしてくれた。

 あの星とあの星をつなぐと、こんな星座になるんだよ、と木の枝で絵を描いてくれたりもした。


「その線で、こうさぎ座。強引です」


 チナミはその絵がおかしくて笑うが、ヒナは「だって昔の人が決めたんだもん。あたしじゃないよ」と必死に説明したり、ぺんぎん座はあれがそうだと教えてくれる。ペンギンが好きなチナミはその星座だけは覚えておこうとした。

 あっという間に時間が過ぎて、空が暗くなる。


「おじいちゃん、遅いです」


 そろそろ帰ってくるおじいちゃんを探してチナミが首を動かしていると。

 ヒナは髪の毛の毛先をくりくりいじって、恥ずかしそうに切り出した。


「あ、あのね……チナミちゃん」

「……」

「よかったら、あたしと、お友だちになって?」


 頬を朱に染めて申し出たのがそんなことで、チナミは無表情に繰り返す。


「お友だち……?」

「べ、別に、あたしに友だちがいないとかじゃないっていうか、星の話を聞いてくれる人がいないからとかじゃないっていうか、地動説を笑わなかったからとかじゃないんだけど、その……」

「……」

「もっと、仲良くなりたいなって!」


 精一杯にヒナが言い切る。

 それを受けて、チナミはくすりと笑った。


「言い訳することですか?」

「なっ……べ、別に言い訳とかじゃ。恥ずかしいことなんてないし」

「そうですね。恥ずかしいことではないです。お友だちになりましょう」


 チナミがそう言うと、ヒナは瞳をピカッと輝かせて大きくうなずいた。


「うん!」


 すると、唐突に、ヒナのウサギの耳がピクッと跳ねる。


「あ! お父さんが呼んでる!」

「?」


 首をひねるチナミに、ヒナが説明した。


「あのね、あたしのこの耳は、《うさぎみみ》っていう魔法になってるの。だから、遠くの音でも小さな音でも聞こえるんだよ」

「だから私には聞こえないんですね」

「うん。あ、今向こうでジャリウリコかわいいって言ってる声も聞こえた」


 それはヒナの父の声より遠い場所にいるらしい。だが、声が通るのかよく聞こえる。少年少女の二人組で、「アキはやっぱり動物に好かれるね」とか「また会おう」とか「ごきげんよーう」とかしゃべっている。

 だが、そんなことは今のヒナにはどうでもいい。父親がいる方角とも真逆なのだから。


「ジャリウリコはかわいいです」

「チナミちゃんは動物も好きなんだ」

「はい。おじいちゃんは動物としゃべれます」

「すごいね。あたしもいっしょにおしゃべりしたい」

「また今度です」

「そうだね! また今度! カレー、おいしかったよ。ごちそうさま。バイバイ!」

「はい。また」


 去って行くヒナの背中にチナミは声をかける。


「楽しかった、です」


 しかし、言い終えたときにはヒナはもう闇の中に見えなくなっていた。


 ――聞こえてない、か。


 チナミはもうひと言つぶやく。


「また星の話、聞かせてください。ふふ。なんだか、お姉ちゃんができたみたい……」


 ニンマリしたチナミだが、急に愕然とした。


 ――あ! あの耳で、今の聞かれちゃったかも……恥ずかしい……。


 熱くなったほっぺたを抑えてもだえる。

 その頃、ヒナは合流した父親に今日のことを話していた。


「お父さん。あたし、友だちができたんだよ」


 ヒナの父・うきはしあさはメガネの奥の瞳を優しくほころばせる。


「友だち? こんな山の中でかい?」

「そう。こんな山の中で。あたしより一つ下で、かわいい妹、みたいな感じ。お姉ちゃんなんて、初めて言われちゃった!」

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