幕間逸話 『親子ペアー』

 今からは七百年もの昔。

 あるところに、心優しい働き者の息子がいた。

 病気で寝たきりの父親に代わり、まだ十歳になったばかりだというのに毎日働きに出ていた。

 まだ幼く、ろくな仕事もできないから、山で拾った薪を集めてそれを売ることで生計を立てていたのである。

 息子はごんかみひこ、父はごんかみもんといった。

 親子は二人暮らしだった。


「いつもすまないな、ヒコベエ」

「なんで父さんが謝る?」

「本当はわしが働かないといけんのに」

「病気なんだから寝てなきゃダメだよ。それじゃ、今日も行ってくるね」


 ヒコベエはたったか元気よく出て行った。

 そんな息子を見ると、いつもモンジは気の毒に思って心が痛かった。

 モンジが病気になって寝込んだのは一年ほど前だから、もう一年もこんな暮らしをさせている。

 父親として、早く病気を治して働きたかった。


「わしが手がけている橋も、半ばまではできてるんだがなあ。身体が治らないと、橋も建たない。村の人たちが外に出やすくなるよう、橋を建ててやりたいなあ」


 このあたりでは『はしめいじん』のモンジとして通っているが、モンジが働かないと村と外の橋は架けられない。もどかしい毎日であった。

 一方のヒコベエは、息子を想う父の気持ちもなんのその、幼い自分が働くことを辛いとも思わず、朝から日差しの強い夏の日だというのに、今日も山に薪を探しに出かけたのだった。

 山を登っている間、木々を少しずつ集めていく。

 集めた薪は村に降りて売り、その日の食事を買うのであった。

 売れたお金を小さな手のひらで握りしめる。


「今日はこんだけか。でも、ジャガイモは買えるぞ」


 ジャガイモを買うときも、近所でも評判の孝行息子だったヒコベエはおじさんに褒められた。


「偉いなあ、ヒコベエちゃんは。これはおまけだ」

「うわあ。ありがとう、おじさん」

「お父さんを大事にな」

「はーい」


 ヒコベエはうれしくて跳ねるように歩いた。


 ――おまけ、もらっちゃった。だから、ちょっとだけ余ったな。お金。


 このまま家に帰ろうかと迷っていると、普段は見ない行商のおじいさんが佇んでいた。いや、商品などないからただの旅人かもしれない。

 おじいさんは帽子をかぶり、白くて長いあごひげをいじりながら、ひょうきんな顔でヒコベエを見た。


「こんにちは。おじいさん、行商かい?」

「そうじゃよ」

「このお金で買えるもので、病気の父さんが喜ぶものってあるかな?」


 手のひらを差し出す。

 ちょこんと乗っているお金を見て、おじいさんはそれをつまむように手に取った。代わりに、赤い木の実を一粒乗せてやる。


「病気ならなあ、向こうの山にある金色の山梨が効くぞ」

「教えてくれてありがとう。おじいさん」

「ええんじゃ」

「それで、この赤い木の実はなあに?」

「困ったときには食べるとええよ」

「困ったとき?」

「困ったときのことは、困ったら考えればええんじゃ。それでな、金色の山梨は沼の側にある。いいか? その途中、竹藪がある。通り抜けるのは、竹藪が風に揺れたときだけにするんじゃ。そして、木には西から登るんじゃぞ」

「どうして?」

「北からは影が映る。南からはすべる。東からはよく見える。だから西なんじゃ」

「わかった」


 本当は半分以上よくわかなかった。しかし、それには理由があるらしく、言いつけを守ったほうがいいようだということだけはわかった。

 話が終わると、ヒコベエはお礼を言って立ち去ることにした。


「ありがとう、おじいさん。父さんの病気、治してみせるよ」

「きっと治してやるんじゃぞ」


 ヒコベエがきびすを返して、また別の行商を見つける。


「あ。なんか売ってる。おや? 方位磁石みたいだぞ。でも、買えないや。ねえ、おじいさん。そういえば、方角はどうやって……」


 言いながら振り返ると、そこにはもう、さっきのおじいさんの姿はなかった。


「おかしいなあ。いつの間に」




 家に帰って、ヒコベエは今日のことを父・モンジに話した。

 ジャガイモを食べながらヒコベエは言う。


「だから、明日は向こうの山に行くよ。そこで金色の山梨をとるからさ」


 モンジは不安そうに眉を下げる。


「危なくないか? 大丈夫か?」

「大丈夫さ」


 まだ心配がっているモンジに、ヒコベエが聞いた。


「ねえ、父さん。西ってどっちだったかな?」

「そりゃあ、向こうだ」


 と、モンジが家の隅を指差す。


「方位磁石みたいに、どこでもわかるようにしたいんだ」

「なるほどな」

「あのおじいさん、西から木に登れって言うからさ」

「朝、お天道さまが登るほうが東、昼、お天道さまが一番高いところが南、夕方、お天道さまが沈むほうが西だぞ」

「そうか。そうだったんだね」


 わかったよ、とヒコベエは理解した。

 その日の晩、山登りする体力をつけるためにもヒコベエはしっかり眠った。

 翌朝、日の出と共にヒコベエは出かけて行った。


「金色の山梨、楽しみにしててね」

「気をつけてな。途中で引き返してもいいんだからな」


 モンジがよろよろと立ち上がって見送り、元気なヒコベエがずんずん歩いて行った。

 山は険しかった。

 途中、足場の狭い道では崖から落ちそうになったし、古びた吊り橋はロープが切れないようにゆっくり丁寧に歩いた。


「もうお天道さまもかたむいてきた。南はわからないなあ。西の時間には間に合うようにするぞ」


 その心意気でしばらく歩くと、昨日のあのおじいさんが言っていた竹藪が見えてきた。


「あ、竹藪だ」


 トコトコ駆けて行って、竹藪の前に立った。


「おじいさん、竹藪が風に揺れたときだけ通り抜けるようにって言ってた。待とう」


 ヒコベエは待った。

 立ち尽くした。

 辛抱強く待っていたが、お天道さまはどんどんかたむきが大きくなる。


「風、早く吹かないかな。このままじゃ、お天道さまが沈んじゃうよ。そうしたら、方角がわからなくなるよ」


 それでも待った。

 もう行こうか、ただ通り抜けるだけじゃないか、そんな思いもあったが、とにかく待った。

 そして、ついに風が吹いた。

 竹藪が揺れる。


「今だ」


 ガサガサと竹藪を通り抜ける。

 すると、そこにはもう、金色の山梨の木が見えた。

 大きな実をたくさんつけている。

 おじいさんが言っていたように、木の側には沼があった。


「なんだ、こんなに竹藪の近くにあったのか。でも、どうして待ってないといけなかったんだろうか。まあいいや。あとは西から登るんだ」


 お天道さまは徐々に赤くなってきていたから、西がどっちなのか、ヒコベエにはすぐにわかった。


「西はこっちだぞ」


 木を登る。

 大きな木だが、幹がしっかりしているから登りやすかった。

 金色の山梨をもぎ取り、ヒコベエは笑顔を咲かせた。


「やったあ!」


 そのとき、沼の水面が大きく揺れた。

 不思議な波紋が広がるのを見下ろして、ヒコベエは気づいた。


 ――そうか。そうだったんだ。この沼には主がいて、風が吹くときだけ眠っていたんだ。でも、ぼくがしゃべって起こしてしまったみたいだぞ。


 少し、息を詰めて、水面を見守る。


 ――さっき一瞬だけ見えた影は大きかったもの。落ちたらひとたまりもないや。そろそろいいかな……。


 影が動くのも見えないし、主もまた静かになったろう。

 そう思ってヒコベエは木をするすると降りてゆく。

 だが、誤って、ヒコベエは北側に出てしまった。

 と。

 同時に、沼から大きく跳ねる影があった。


「しまった! こっちは北! 影が見えちゃった!」


 目を見開いてヒコベエが見たのは、この沼の主だった。

 大きさは五メートル、いや十メートルくらいあるんじゃないかと錯覚するほどに巨大に見える。

 ただの魚とも思えない、怪物のような魚だった。深い深い海底にはこんな魚もいるんじゃないかと思われるような異形の怪魚は、ヒコベエを一口に呑み込んでしまった。


「うわああああ!」


 ヒコベエは叫び声を上げた。

 ただ、当然ながらその声はだれにも届かない。

 怪魚の腹の中で、ヒコベエは考えた。


「どうしようか。このままだと死んじゃうよ。……あ、そうだ! あのおじいさんが、困ったときに食べるようにってくれた赤い木の実があったじゃないか!」


 懐から例の赤い木の実を取り出し、口の中に放った。

 味は甘かった。

 おいしいと思ってモグモグ咀嚼していると、身体がムズムズするような心地になる。


「なんだろう。なにかが起こってるのかな?」


 一体なにが起こっているのか、ヒコベエにはわからない。

 しかし、着実に変化は起こっていた。

 真っ暗な怪魚の胃袋のどこかに、頭がぶつかる。

 次に腕や肩も胃袋のどこかにぶつかり、狭い胃袋に締めつけられるような感じがした。


「やああ!」


 大きく腕を伸ばすと、バツン、と音がした。


「あれ? 穴が空いたぞ。外が見える。でも、どうして……」


 すると、また身体がムズムズしてきた。


「そうだ、穴ができたんだ、まずは外に出よう」


 穴から外に出て、沼を泳いだ。

 水面から顔を出して、その穴の大きさに驚く。


「主の身体に大きな穴が空いてる。そうか、ぼくが一瞬大きくなったんだ。あの木の実のおかげだ」


 そんなわけで穴が空き、元の大きさに戻ったヒコベエがすかさず穴から抜け出したのであった。

 怪魚は苦しそうに跳ね回り、ついに沼から飛び出して、息絶えてしまった。




 ヒコベエは金色の山梨を手に、帰宅した。

 もう外は真っ暗で、何時に夜が明けてもおかしくない深夜のことである。

 ずっと心配して起きて待っていた父のモンジは、我が子の帰りをたいそう喜んだ。


「よかった。無事に帰ってこられたんだな」

「ちゃんと金色の山梨をとってきたよ」

「ありがとう」

「父さん、早く食べなよ。きっと良くなるからね」

「じゃあ、いただこうか」


 モンジは金色の山梨を食べる。

 たった一口かじっただけで、「んん!」と顔色がよくなってきて、食べきるともうすっかり昔の健康そうな父の顔に戻っていた。


「やったあ! 父さん、治ったんだね!」

「たぶんなあ。良くなったような気がするんだ。もう今からでも働けそうだぞ!」


 急に力こぶまでつくってみせるモンジを見て、ヒコベエはあははと笑った。


「ダメだよ、まだ夜中なんだから、今は寝ないと」

「そうだったな! はっはっは」


 あはは、と二人は笑い合って、その夜は眠りについた。

 翌日。

 朝から早起きして、モンジは身体を動かしていた。

 あとから起き出したヒコベエは、いつもは隣に寝ているはずの父がおらず、布団がしっかり畳まれていることに驚き、外に飛び出した。

 外ではモンジが準備体操をしている。


「父さん! やっぱり良くなってたんだ!」

「おはよう、ヒコベエ! 父さんはもうすっかり元気だぞ!」

「父さんが元気になったぞー! やったー! やったー! 元気になったんだぞー!」


 はしゃぎ回るヒコベエに、モンジは爽やかな笑顔で告げる。


「これから、父さんはまた精一杯働くからな。半分まで手がけていた橋も、完成させてやる。そうすれば、行商の人たちもこの村に来やすくなるし、村の人も外に出やすくなる」

「うん! 畑仕事のたびに川を渡る人だっていたもんね。みんな喜ぶよ。それに、あのおじいさんみたいな行商もたくさん来るといいな」

「そうだな」

「父さん、ぼくも手伝うからね」


 本当はもう遊んでいてもいいんだぞと言ってやりたかったが、そんな息子の気持ちがうれしくて、モンジはうっすらと目に涙を浮かべてうなずいた。


「よし! じゃあ、二人でやるか!」

「やろう! 父さん!」




 橋は半年もしないうちに完成した。

 モンジの魔法は《なぎどめ》といって、人や物を波や水の流れから無視するものである。このおかげで、川の流れの影響をまったく受けずに安全かつ大々的に橋を架けていった。


「父さんの魔法はすごいや」

「これだけが取り柄さ。《なぎどめ》を使えばおまえも安全だ。川の流れも無視できるからな」

「さすがは『橋架け名人』の父さんだね」


 親子二人で頑張っているところを、村の人も手伝うこともあったため、予定よりずっと早く完成したのである。


「ヒコベエちゃんは本当に偉いなあ! お父さんといっしょに橋までつくっちゃうんだもんな」

「本当にねえ」

「立派だよ」


 村の人も褒めてくれて、ヒコベエはくすぐったい顔で笑った。


「父さんがすごいんだい」


 そうして村の人たちで談笑していると、完成した橋を渡ってきた村の長者が、モンジとヒコベエ親子を労ってくれた。


「よく橋をつくってくれた。ありがとう。橋をつくれるのはモンジさんしかいなかったからな。ところで、この橋の名前は決めたのか?」

「いいえ。まだです」


 モンジが答える。

 横から、村の一人が言った。


「だったら、『親子橋』ってのはどうだい? 病気で伏せっていた父親の代わりに働いて金色の山梨までとってきた孝行息子と、回復した父の親子でつくった橋だからよ」

「そりゃあいい! ねえ、長者どん」

「ああ、決まりだな!」


 長者も太鼓判をおして、橋の名前も決定した。

 もちろん、モンジも息子のおかげで仕事ができるようになったし橋の名前には大賛成で、ヒコベエもまんざらではなかった。

 それ以来、人の往来が増えた。

 橋を渡って行商もよく来るようになったが、ヒコベエにいろいろと教えてくれたあのおじいさんはというと、ヒコベエが死ぬまでついに一度も顔を見せることはなかった。

 病気だったモンジを治した金色の山梨の木も、あれ以来見かけた人はいないということである。




 ちなみに、ここがどこかと言うと。

 黄崎ノ国の浦浜の一部である。

 ヒコベエの住んでいた付近の小さな村々が合わさって、ここが浦浜と呼ばれる頃になると、黄崎ノ国の中でも随分と大きな都市になっていた。

 特に、創暦一五七二年現在、浦浜は晴和王国の中では『世界の窓口』として晴和王国第二位の人口を保有する都市にまで成長した。

 四月十三日。

 この『親子橋』が架けられた七百年前の当時とまったく変わらぬ橋の上を、サンバイザーをかぶった男女が踊るように渡っていた。


「明日から海の外に出るんだ。楽しみだなあ」

「元気をつけるためにも、今から夕飯だね」

「あ、エミ。あの子」

「ほんとだ。迷子だね」


 小さな男の子に近寄り、話を聞くと、やはり迷子だった。


「ぼく、お父さんとはぐれちゃったの」

「大丈夫だよ。きっと見つかるからね。アタシとアキがついてるもん」

「そうそう。それに、ここは『親子橋』。橋はつなぐ場所。だから、親子の縁をきっとつないでくれるよ」


 二人に励まされ、男の子の顔に笑顔が浮かぶ。


「《最高ノ瞬間シャッターチャンス》」


 パシャリと写真を撮られて、男の子はまた笑った。


「いい笑顔だよ」


 ウインクするお姉さんに、男の子は照れた顔でふふっと安心した表情を見せる。


「ほら。しゃべってる間に、あそこ」


 お兄さんが指差すほうへと男の子が目を向けると、そこには我が子の名前を叫びながら『親子橋』に差しかかる父親の姿があった。

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