幕間裏話 『裏道エクスペリエンス』

「ちょっとおつかいに行ってきてくれないかしら」


 母からの頼みに、娘は素直な笑みでうなずく。


「うん。どこへ行けばいいの?」

しいようろうさんって方がやってる『思い出売り場』なんだけど、サザエは知ってる?」

「わからない」


 困った顔をする娘の横で、友人が言った。


「オレがわかります。二人で行きますよ」

「そう? ありがとう、アサリちゃん。よろしくね」




 晴和王国、あまみやの喫茶店『喫茶あいの』。

 ここに、五人の少女たちが集まっていた。

 少女たちのうちの一人が、その喫茶店を営むマスターの娘だからである。

 マスターはあいかずのり

 カズノリの妻はあい聡富さとみ

 そして、この夫婦の娘があいざえ

 サザエを含めた少女たちは、年齢もバラバラだが、十九歳から十三歳の間になる。もっともそれは学年制の話だから、創暦一五七二年四月十二日現在、サザエと友人のアサリは十八歳だし、最年少は十二歳。

 五人は、王都少女歌劇団『春組』のメンバーだった。

 リーダーは『はるぐみれいじんさわつじあさ

 男物の浴衣をまとい、髪も短い。一七三センチと背も高く、花形スターである。

 サザエはアサリと同い年で、『おうのマドンナ』と呼ばれる。メンバーの中では優しいお姉さんという感じである。ふんわりとした長い髪もそうした印象を強くしていた。

 他の三人は、十七歳になる『女優』たちやす、アサリの妹で十六歳になる『おうまちさわつじだれ、最年少の『きたかんとういちばんぼしたかさきつきがいる。

 ホツキがコヤスとスダレに手帳を見せていた。


「いいでしょー」

「素敵だね」


 スダレがそう言ってくれる。


「近所の文房具屋さんで買ったんだよ。《ぞんちょう》って言って、いろんなことができるんだから」


 コヤスはニヤッとして、


「でも、宝の持ち腐れにならない? ホツキに手帳なんか書けるかなー」

「書けるよ。ボク、コヤスに《しょく》で食べられないようにするんだもん」


 言い返されて、コヤスは苦笑を浮かべて謝る。


「ごめんごめん。つい紙を見ると食べて記憶しておこうとしちゃうから」

「台本とか歌詞を覚えるにはいいけど、周りのことも考えてよね。ボク、日記食べられたとき恥ずかしくて顔から火が出るかと思った」

「いいじゃん、あれは。どうせプリン食べたとかみんなと遊んだとか、あとはサザエが褒めてくれたとか、たいしたこと書いてなかったし」

「ボクにとってはいろんなことなの! やっぱり《マインペン》で書いておかないとだね。ショウタさんに言って、『春組』みんなの分も買ってこようかな」

「悪いね、ウチの分まで」

「コヤスのはないに決まってるでしょ」

「だよねー。あはは」


 魔法道具《マインペン》で名前を書くと、その名前が書かれた人しかそれに触れなくなる。ホツキは過去の経験からしっかりと名前を書いていた。

 三人が話している横で、サザエが母・サトミに用事を頼まれ、アサリがいっしょに行くことになった。

 それを聞いて、ホツキが言った。


「サザエ、ボクも行くよ」

「ありがとう、ホツキちゃん」


 ホツキはサザエを慕っているためついて行こうとするが、コヤスに止められる。


「ダメ。ホツキ、あんたは明日の浦浜公演で初披露する曲の歌詞を覚えてないでしょ」

「帰ってからでもできるよ」

「じゃあ、明日の劇の台本は覚えてる?」

「う……」


 言葉に詰まり、ホツキがうなだれる。妹か弟をなぐさめるように、サザエがホツキの頭を撫でてやった。


「頑張ってね、ホツキちゃん」

「うん」

「すぐに戻るから」

「わかった」


 こうして、三人は残り、サザエとアサリが出かけることになった。

 父のカズノリも「ヨウジロウさんによろしく伝えてくれ」と送り出してくれた。




 サザエとアサリは『喫茶あいの』を出て歩き出す。

 アサリはそのままだと人目を引いて目立つので、ハットをかぶっているが、そのハットの下からサザエを見て言った。


「ホツキもサザエに懐いているもんだね」

「そう? だったらうれしいわ。なんだか、弟か妹がいたらこんな感じだったのかなって」

「オレはスダレって妹がいるけど、兄弟もそれぞれだよ。オレも妹とは仲が良いつもりだし、これから行くヨウジロウさんのところも仲が良かった」

「良かった?」


 なにか察した様子のサザエに、アサリはうなずく。


「まあ、あとで話すよ」

「ええ」

「あ、そこを右だ」


 アサリが角を指差す。

 角には、アイスキャンディーを売っている自転車が停まっている。『凍結』の旗をたなびかせる男性がいた。年は六十に近い。白い麦わら帽子がトレードマーク。王都に暮らすサザエは昔から知っている。


「こんにちは。タカアキさん」

「こんにちは。サザエちゃん、お出かけかい?」

「ちょっとおつかいです」

「気をつけてね」


 はーい、とサザエが返事をして、二人は角を右に曲がった。

 二人は並んで歩いているが、道案内をしてくれるアサリのほうが半歩前にいる。それで、サザエはふと気づく。


「そういえば、アサリちゃんは道詳しいわよね」

「多少ね」

「だって、ずっと王都に住んでるわたしより詳しいもの」

「ああ、確かに」


 と、アサリは笑った。


「道を覚えるのって向き不向きもあると思うけど、いろんな道を通るのが大事なのかしら? わたし、いつも同じ道ばっかりだからぁ」

「いろんな道を通ってみるってのは一つかもね。だが、オレはちょっとした裏道を使ったのさ」

「へえ。ここって裏道だったのね~」

「ははっ。違うよ、そっちの裏道じゃない。裏技で道を覚えたって意味」


 サザエは感心したように聞いた。


「どんなふうに覚えたの?」

「それこそ、今から向かうヨウジロウさんが関係する。あの人のお兄さん、しいげんいちろうさんの魔法のおかげなんだ」

「魔法で覚えたのね~」

「まだヨウジロウさんの家まで時間がある。オレが歌劇団に入ったときの話でも聞かないかい?」


 ええ、とサザエはうなずいた。

 アサリが語り始めたのは、サザエと出会った頃のことだった。




 今から約四年前。

 創暦でいえば一五六八年。

 この年、サザエはすでに王都少女歌劇団『春組』に入ってすぐであり、まだ歌劇団がそれほど有名ではないときだった。

 一方のアサリは、まだメンバーでもなく、浦浜にある実家に住んでいた。

 アサリとサザエが十五歳になる年であり、スダレが十二歳になる二ヶ月ほど前の話。

 お隣の喫茶店で、アサリとスダレの姉妹がスパゲッティを食べていると、マスターが言った。


「弟夫婦の娘が、アサリちゃんと同い年なんだけど、歌劇団に入ったんだよ」

「歌劇団?」

「なあに? それ」


 二人の疑問に、マスターは説明する。


「王都少年少女歌劇団。歌って踊って、劇もやるんだ。一度見たけどよかったよ。らく西せいみやにもあるらしい。発祥はそっちだったかな」

「ふーん」


 なるほど、とアサリは一つ理解する。


 ――だから最近、歌劇団のポスターを貼るようになったのか。


 ちなみに、まだアサリには、店内の置かれたジャズを流す貝殻が、その少女の手によってつくられた魔法道具だということはわからない。


「それで、アサリちゃんもどうかな? その子、サザエちゃんっていうんだけど、サザエちゃんが他のメンバーも探してるようなんだよ」

「オレは向いてないよ。男っぽいし」

「そうかな? 綺麗だし合うと思ったんだけど。気が進まないなら無理することないし、家から出て王都で暮らさないといけないもんね」


 後日、アサリが一人で喫茶店に来てまたスパゲッティを食べていると、店の奥から少女が顔を出した。

 おっとりとした雰囲気、髪が長くておしとやかで、アサリとはまるで違うタイプのようだった。

 頭の回転のよいアサリはすぐに悟る。


 ――店の奥から出てきた。おそらく、親戚。マスターの弟の娘。名前はサザエっていったかな。歌劇団の人か。


 少女はアサリを見ると、瞳をらんと輝かせて飛び込むようにやってきた。急にアサリの手を取って言った。


「あなたがアサリちゃんね! 歌劇団、入らない?」


 おとなしそうな見た目とは正反対な積極性に、アサリはやや驚きたじろぐ。


「オレが?」

「うん。どうかな?」

「きっと向いてないよ」

「そんなことないわよ。あなたみたいな人がいたら、歌劇団も人気になると思うの」

「歌劇団ってそもそも人気なんじゃないのかい?」

「ううん。リョウメイさんが来て、これから……って、ええと、まずね、歌劇団はたけくにうすすさのおさんっていう人が経営するようになったの。買収っていうのかしら。それで、その軍監で参謀の陰陽師、やすかどりょうめいさんが管理者として人気を高めようとしてるわ。洛西ノ宮では知名度も大幅に上がって、今は他にも二つの場所で歌劇団を運営する計画みたい」

「スサノオって、今噂になってる『あかふううん』か。すごい人みたいだね」

「わたしも見たことはないんだけど、リョウメイさん曰くとんでもない人なんだって」


 アサリは、サザエの言葉が一度途切れたところで、苦笑しながら言った。


「で、そろそろ手、離してもらっていいかな?」

「あっ! ごめんなさい」


 それから、二人は歌劇団の話から王都の話など、いろいろとしゃべった。同い年だからか、性格もまるで違うのに気が合って、明日も喫茶店に来ると言ってその日は家に戻った。

 お隣だから行き来は楽だ。

 風呂に浸かりながら、アサリは考える。


「歌劇団、か。それもちょっとおもしろいかも。あと、王都も気になるな」


 自らに唐突に降ってきた未来の可能性に、アサリは迷い、あれこれ想像を巡らせながら眠りについた。

 翌日もアサリとサザエは話をした。

 スダレもやってくると、


「あなたもかわいい~」

「そ、そうですか? えへへ」


 と、スダレが照れて、サザエがぽんと手を打つ。


「スダレちゃんだったかしら。あなたも、あと一年か二年したら歌劇団に入って、いっしょに歌ったり踊ったりしましょ?」


 チラッとスダレがアサリを見て、サザエに向かって笑顔でうなずく。


「はい。お姉ちゃんのことも、よろしくお願いします」


 結局、アサリはそのあと自分がどんなことを考えたのかも忘れたが、歌劇団に入ってみる気になった。

 ごく短い距離の上京だが、初めてのひとり暮らしをすることになる。

 上京には、スダレも見送りについてきてくれた。

 王都の町を歩き、二人は話す。


「人が多いね、お姉ちゃん」

「ああ。まったく、世界最大の都市とはよく言ったものだね。オレが入ることになった寮には、サザエはいないらしい」

「サザエさん、実家も王都だからね」

「オレも道を覚えるのが苦手なわけじゃないが、この王都はさすがに初見だしわからないな」


 二人で道に迷いそうになりながら歩いていると、スダレが人とぶつかってしまった。


「ご、ごめんなさい。すみません」

「こちらこそごめんね。全然気にしないでいいよ」


 メガネをかけた男性で、三十代の前半だろうか。男性はアサリの手に持っている歌劇団の寮について書かれた紙を目を留めると、驚いたように言った。


「え、キミたち歌劇団の子?」

「オレだけです。といっても、これから入るんですけど、今日こっちに来たばかりで道もわからなくて」


 アサリの顔を見て納得したように男性はうなずいた。


「なるほどねえ。うん、キミはスターになりそうな顔してるよ。実はおれも歌劇団は好きでさ、せっかくだから地理を覚えるのにいい場所教えるよ」

「地理を覚えるのにいい場所、ですか」

「そう。あ、おれはとうありこれって飴細工師さ。今度来たらつくってあげるよ。おれもあの『ばんのうてんさい』にちょっとばかし学んだこともあるから、王都の裏側っていうのも爪の先くらいは知ってるんだ」


 王都に住んでいなくとも、晴和王国にいれば『万能の天才』の噂くらいは姉妹ともに聞いたことはある。


 ――げんないさんっていったかな。『万能の天才』って名高いのは知ってるけど、飴細工まで教えているのか。本当になんでもやるんだな。


 アリコレは悪い人じゃなさそうだったし、二人は素直についていった。アリコレの話を聞きながら歩くこと数分、とある店の前にやってきた。

『経験売り場』

 看板にはそんな文字がある。


 ――王都には変わった店もたくさんあるけど、これはまた随分と変わった店だ。経験を売るって、どういうことだろう……?


 疑問を抱きつつアサリが店に入ると、カウンターに腰掛けた店主らしいおじいさんは、別のおじいさんと楽しそうにおしゃべりしていた。二人の顔はどことなく似ているし、兄弟かもしれない。


「ゲンイチロウさん。お客さんを連れてきました」

「いらっしゃい。かわいいお客さんだねえ」


 店主のおじいさんは、しいげんいちろう

わざしょくしゃ』と呼ばれ、王都の裏側の人たちに重宝されている。このとき七十歳。弟のヨウジロウが六十七歳、つまり三歳差である。

「この子、歌劇団に入るんだって。王都に来たばかりで道もわからないから、教えてあげて欲しいんだ」

「アリコレさんが世話を焼くなんてめずらしい」


 くすりと笑うゲンイチロウに、ヨウジロウが言った。


「いやいや、アリコレさんは歌劇団が好きだから」

「そうだそうだ」


 おしゃべりしながらも、ゲンイチロウはアサリに魔法のことを説明した。


「わしの魔法《けいけん》は、人の経験を売買するものなんだ。ここでいう経験とは、すなわち技。技術といえばいいのかねえ。たとえば、自転車に乗る経験を売れば、自分は自転車に乗れなくなる。逆に、その経験を買った人は自転車に乗れるようになるってわけさ。自転車に乗れなくなっても、また乗り方を自分で覚えれば乗れるようになる。ただし、ここで経験を売ったという記憶も残るし、それをあとで補完するのも自由。どうだい? わかったかい?」

「理解しました」

「ここにいる弟のヨウジロウは、《おも》って魔法で思い出そのものを売買する。そっちだと、なにを売ったのかも忘れてしまうから注意だよ」

「生きるのに辛い記憶を売ったり、ちょっとした娯楽のために使うなら悪くないしおすすめだよ」


 と、ヨウジロウが言った。


「今からあなたに売るのは、道を覚えた経験。道を歩いて道を覚えた経験を売ってくれる人もいてね、それを買ってもらえると、記憶というよりまるで技術のように道を知ることができる。値段もそれほど高くない。が、今回はちょっとサービスするよ」

「いくらでしょう?」


 おずおずとアサリが尋ねると、ゲンイチロウは紙に書いて差し出した。カウンターをすべるように出された紙には、アサリでも買える額があった。


「サービスで安いのもあるけど、歌劇団の周囲の道だけだから。もしまた道を知りたくなったら、そのとき買い足すといいよ」

「買います」


 アサリは、決断した。

 こうして、だれかが道を覚えた経験を買うことになった。

 ゲンイチロウがまた別の紙を差し出した。名刺くらいの大きさの紙で、そこにはどんな経験かが書かれている。


「今度来たときのために、売り方も教えておくよ。うちで用意しているこの紙に、売りたい経験を書く。名前については守秘義務を守るために記載の必要はない。それをわしが認めれば、わしがハンコを押す。『買い』と書いたハンコだ。逆に、お客さんが経験を買うときには、名前を書いてもらって、わしが『売り』と書いたハンコを押してやれば取引成立。この紙はお客さんに持っていてもらうが、取引が成立すればいつ捨てても構わない。細かく刻んで焼いても問題ない。簡単だろう?」

「つまり、オレは今からここに名前を書いて、ハンコを押してもらえばいいんですね」

「そういうこと」


 かくして、アサリは名刺サイズの紙に名前を書いた。

 とんっと軽快な音でハンコを押してもらった。

 ゲンイチロウが「取引成立だ」と言ったが、アサリにはまだその実感がない。

 店を出る際、入れ違いに青年が店内に入って行った。アリコレとは旧知なのか、軽く手をあげて挨拶した。


「マサノブさん」

「こんにちは。アリコレさん」

「今日、この子がマサノブさんの経験を買わせてもらったよ」

「ありがとう。うれしいよ」


 青年はそう言って、アリコレとはまたひと言ずつ挨拶を交わして店内に入って行った。

 外に出て、アリコレはこっそり教えてくれる。


「ちょうど今のが、道を覚えた経験を売ることをなりわいにする人だ。おれとは友だちだから名前を教えるよ。まさのぶってんだ。マサノブさんは歩くのが好きで、ゲンイチロウさんとはウィンウィンの関係ってわけさ」

「へえ。じゃあ、一度売って忘れた道も、歩き直して覚えているんですね」

「その通り。また地理を覚えたいときにも、あの人が売ってくれたものを買うことになるよ」


 今度はアサリよりも少しだけ年上っぽいような、しかし童顔でわかりにくいような二人組が店内に飛び込んで行った。


「こんにちはー」

「遊びに来ましたー」


 サンバイザーをかぶった二人は、嬉々としている。

 店の扉が、再び閉まる。

 アサリが彼らを振り返ると、アリコレが教えてくれる。


「あ、あの二人はたまに来るみたいだけど、ただおしゃべりするだけさ。思い出は売らない。買わない。経験も売らない。買わない。とにかくいろんな不思議な経験をしてるってことで、ゲンイチロウさんとヨウジロウさんは話を聞くのが楽しいみたいだよ。お客さんってより友だちなんじゃないかな」


 そんなことをしゃべって前を歩くアリコレについて行く間も、アサリはこのあたりの地理がよくわかった。元々この道を知っていたかのような自然さでわかる。

 少し大きな通りに出て、アリコレは言った。


「じゃあ、おれはこれで。歌劇団、頑張ってね。おれもたまに見に行くかもだからさ」

「はい。オレがちゃんと舞台に立てるようになったら招待します」

「うれしいこと言ってくれるね。あはは。期待してるよ」


 アリコレが去り、アサリはスダレといっしょに寮に入った。

 後日、アサリは舞台に立つようになり、アリコレも招待して恩を返した。

 歌劇団についても、アサリの人気はたちまち爆発して、一人のスターが生まれたことで、王都少年少女歌劇団の知名度は一気に上昇した。すぐに少年歌劇団『東組』のほうでもリョウメイが勧誘した子がスターになり、『東組』も『春組』も王都の夜の華と言われるまでになる。

 スサノオが運営、リョウメイが管理するようになってわずか数ヶ月での成果である。

 世間では『魔王』と恐れられ『文化英雄』ともてはやされるスサノオも、家督を継いですぐにこれだけのことをやりながら、歌劇団は洛西ノ宮でも王都以上の人気を博し、北と南にも歌劇団をつくった。

 その他にも経済政策には事欠かず、武力も高めているという。

 だが、それはまた別の話。




 話を終えたアサリが、サザエに道を教える。


「そういうわけで、オレは道に詳しくなったんだ。で、次が左」

「なるほどね~。でも、懐かしいわね~」

「ああ。サザエがいなかったらオレは歌劇団に入ることはなかったろうからね」

「アサリちゃんなら、きっといずれはリョウメイさんに目をつけられてたわよ」

「どうだろう」


 正面方向から歩いてきていた少女がいたが、それはアサリも知っているものの話したことはない相手であった。


 ――ヒロキさんの娘か。彼女が連れている子は、迷子かな。いつも見廻りご苦労様。


 少女は、この王都の治安を守ってくれている『王都の番人』ヒロキの娘・ミオリである。ただ、アサリはミオリの名前までは知らなかった。今は迷子らしき女の子の手を引き、紙コップを片手に持っている。

 向こうも気づいたかはわからないが、そのまま通り過ぎる。

 後ろからは、ミオリが、


「連絡はないかな。もうだいぶ近づいているし、早々に合流しようか。…………。わかった。ではまた」


 と紙コップと話をしていた。

 あれは魔法で通話できるものだと、アサリも人づてに聞いたことがあったが、見廻組ならではの有効な連絡手段である。


「そうそう、そのマサノブさんは今でも王都の町を歩いてるよ。ゲンイチロウさんは亡くなったのに」


 つまり、もう道を覚えた経験を売る場所もないのに、歩き続けているのである。


「歩くのが好きなの?」

「本当に好きみたいだね」

「そっかぁ」


 やがて、看板が見えてきた。


「ほら、サザエ。あそこが『思い出売り場』だ」

「あら。到着ね」


 店からは、三十代半ばの男性が出てきた。

 同じ劇場で顔を合わせることもある、今注目の講談師である。

こうだんかいらいおおかんばんこんじゃくていさんぞうとは、互いに見知っている。サンゾウタのほうもアサリとサザエに気づいて会釈した。


「ああ、これはどうも」

「こんにちは。サンゾウタさん」

「こんにちは~」


 サンゾウタは店を振り返って、二人の顔を見る。


「こんなところに入ってるのを見られてしまってお恥ずかしい。一応言っておきますけど、誤解ですからね。ぼくは別にここで話のネタを買ってるわけじゃないですから」

「わかってますよ」


 アサリは苦笑して、サザエも「ふふふ」と笑う。


「ま、こっちは《経験売り場》と違って技術にはならない。そんなわけで、ぼくも売ったりはしないんですけど、自分の講談を見た人の思い出を買って、観客の視点で見るんですよ」

「客観的に自分を見るため、ですか」

「ええ。まさに。『万能の天才』のマネなんですがね、あの人、自分で執筆した本を読んだ人の初見の感想とか、そういうのも知りたいって言ってやるそうで。これはいいなとぼくも思ったんですよ。買ってみるとね、ぼくもまだまだ至らない点が多いな、とか。お客さんからだと見ているときここが気になるな、とか。空調もちょっとなんとかならないかな、とか。いろいろ見えてくるもので」


 空調のことなど劇場の人間のやることだから関係ないように思われるが、もしかしたら本当に考えているのかもしれない。アサリは笑いながらもそう思った。


「勉強家ですね~。わたしも頑張らないと」


 と、サザエもすっかり感動している。


「いえいえ。芸の道というのは終わりのない旅。お互い頑張りしょう。では」

「さようなら」

「お気をつけて」


 サンゾウタを見送り、アサリとサザエも店内に入る。

 アサリがヨウジロウに一礼した。


「お久しぶりです。ヨウジロウさん」

「やあ、アサリちゃん。いらっしゃい。今日はどうしたの? 兄さんのとこじゃなくてうちに来るのはめずらしいよね」


 頼まれていたサザエのおつかいのことを話して、手土産を渡す。

 サザエは、ヨウジロウがゲンイチロウの死を知らない前提でしゃべっているように思えて不思議に感じたが、なにか口にしにくい空気があって黙っていた。

 その間も、アサリは考えていた。


 ――たまには、オレもサンゾウタさんみたいに舞台を見た人の思い出を買ってみるか。


 王都には不思議な店も多いし、不思議な魔法も溢れている。

おくかいにゅうしゃ』ヨウジロウに、アサリは注文した。


「すみません。オレの舞台を見た人の思い出を買いたいのですが」


 ヨウジロウは声を立てて笑った。


「ははは。サンゾウタさんみたいなことするね。いいよ。たまにね、新鮮な気持ちでまた舞台を見たいって、その思い出を売るような人もいるから」


 売る側も、そういう意図で売るのか、とアサリは新しい視点を発見した思いがする。

 そこで感じたことを自分で煮つめ直して考えて、アイディアを絞る。


 ――今度、お客さんにもうちょっとアクションを起こしてみるか。ウインクしてみたりとか。そう、たとえば……指でピストルをつくってハートを打ち抜くぞ、みたいに。


 アサリが指ピストルを観客に試すのはこの翌日。

 浦浜公演の時である。

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