幕間秘話 『逆行ベイビー』

 昔、あるところに、おじいさんとおばあさんが暮らしていた。

 仲のよい夫婦で、互いを思いやる優しい二人だった。

 けんぞうのりといって、創暦一五五七年で、共に八十九歳になる。

 今からだともう十年ほど前のお話。

 晴和王国は幕末を終え、新戦国時代が始まって五年が経った頃である。

 ケンゾウとノリコは店を畳もうかと相談した。


「なあ、ノリコ」

「どうしたの、あなた」

「もうわしらは年だ」

「そうねえ」

「なのに、子供がない。だから、店を畳んでもいいんじゃないか?」


 店は食べ物を作って売っているのだが、店をやる体力もなくなってきていた。


「それも仕方ないわね」

「子供がいればなあ」

「本当に」


 この仲のよい夫婦の唯一の心残りは、子供がいないことだった。

 老舗と言われるほど先祖代々続いた店を畳むのもさみしかったが、子供がいないことが二人にはもっともさみしいことでもあった。


「いつ閉めるか」

「すぐに閉めたら、食べたいって言ってくれる近所の人にも悪いしねえ」

「じゃあ、残りの具材からみて、一週間で閉めるとするか」

「それがいいかもね。張り紙しておきましょ」


 ノリコが「一週間後に店を閉めます」と書いた紙を店に張って、二人はあと一週間だけ頑張ろうと働いた。


「さみしくなるねえ」

「ここの味、好きだったんだけどな」

「もう年だし、よくやってくれたよ」


 などと、近所の人たちはそれぞれに言った。

 九十を前にしてまでやっていたのだから、本当によくやってくれたとありがたがる人のほうが多い。

 数日後、ケンゾウが仕込みをして、具材を使っていたとき、シイタケだけがあと一日分足りないと気づいた。


「あれま。シイタケがあと一日分、足りない」

「シイタケ抜き。それで安くして売ったらどう?」


 そんなノリコの提案にも、ケンゾウは首を横に振った。


「最後に作る肉まんなら、うまいもんを作りたい。このあと、ちょっとシイタケを採りに行ってくる」

「わかったわ。店番は任せて」


 昼食をいただくと、ケンゾウは午後一番に山へ向かった。

 このあたりだと山まではそれほど近くもない。

 シイタケくらいなら、近所で買ったほうが楽だ。

 それでも、ケンゾウは山に行った。

 お金に困っているわけではなかったが、せっかくならノリコの好きな山菜も採って来てやりたかったのである。


「ノリコのやつ、山菜が好きだからな。うまいもん食わせてやるぞ」


 年も八十九、山道を歩くのも大変になってきたが、ノリコの喜ぶ顔を思えば山も登れた。

 しばらく歩いて、ケンゾウは水の音を聞いた。


「ちょうどいい。水の音がする。喉が渇いたからな」


 音のするほうへ、音のするほうへと歩いていくと。

 小さな泉があった。

 泉には上から細く水が降り注ぎ、少しだけ甘い香りがするようだった。


「いい香りだ。しかし、なんでこんな香りがするのやら」


 ケンゾウは両手を伸ばした。


「一杯、いただきます」


 軽く泉で手を洗って、両手で降り注ぐ水を受け皿にして、ごくごくと飲む。コップ一杯分くらいをいただいた。


「ん! なんだ、お酒か? なんだか、力が溢れてくるようだぞ」


 ありがとうございました、と泉にお礼を言って、ケンゾウは気力をみなぎらせて山菜採りを再開した。


「力が湧いてくる。やるぞー」


 たっぷり山菜を採って、ケンゾウは日が落ちる前に家に戻ってきた。


 ――山まで少し遠いし、日暮れまでに帰れるとは思わなかったが、あの水を飲んでから力がみなぎって仕方ない。そのおかげだな。


 家に帰り、座りながら店番をしているノリコに、ケンゾウは陽気に呼びかけた。


「おう。帰ったぞ」


 呆けた顔で、ノリコはケンゾウに言った。


「……あら。間違えてますよ」

「なにを間違えてるって?」

「ここはって名前の家で、お店も出してるんですよ」

「なにを馬鹿なこと言ってるんだ。山菜もたっぷり採ってきたからな。今夜はうんと食うぞ。わしは腹も減ったし、作ってくれ」

「若い子はたくさん食べないとですものねえ。でも、なんでうちで食べるんです?」

「また馬鹿なことを言ってる。わしがわしのうちで飯を食うのは普通だろう」

「どこのわしかは存じませんが、このあとおじいさんが帰ってくるので、お客さんならそれまで待っていてくださいね」

「いつまで寝ぼけてるんだ? こんなに採ってきたんだ。食べよう。これ、おまえが好きなふきのとうだぞ」


 嬉々として山菜を見せるケンゾウを見て、ノリコは目をしばたたかせた。


「あれまあ。わたしの好きなものまでご存知で」

「忘れるわけないだろう。何年おまえと夫婦をやってきたと思ってる」

「夫婦?」

「おう。なんだ、また寝ぼけた顔をして」

「この若い子が?」

「それはわしのこと言ってるのか。あっはっは、そんな冗談言ってくれる人はもう近所にもいないなあ。わしらは最年長だもんなあ」

「この声、この服。おじいさん……」


 ノリコは驚いた顔でケンゾウを見回して、上から下まで見て、あッと声を立てた。


「おじいさんの若い頃にそっくりー!」

「いつまでそんな冗談を続けるんだ?」

「本当に、おじいさん?」

「当たり前だろう」


 ニコニコのんきに笑っているケンゾウ。

 もうノリコは年を忘れたみたいに大慌てで立ち上がり、店の奥へ引っ込んで家の中から鏡を取ってきた。

 鏡をバッとケンゾウに見せる。


「いつの間に若返ったの?」

「ありゃああああ! なんだなんだなんだー? なんで、わしがこんな若者の顔になってるんだ! いや、若者っていうより、これはわしの若い頃にそっくりだぞ。二十歳くらいの頃か」


 その通り、ケンゾウは十代後半から二十歳くらいの姿になっていたのである。


「わたしがあなたに出会うほんのちょっと前くらいだと思う」

「そうか! だから、身体中に力がみなぎってきてたんだな! わしは、若返っていたんだ。これはもっと働かないといけないぞ!」


 喜んで家の中を駆け回っているケンゾウに、ノリコが夢中で聞いた。


「どうしてそんな若くなったの?」

「あ、そうだ! そうそう、それを言わないとな! おまえも若返らないと、釣り合わないもんな。それがな……」


 と、ケンゾウは山の中で見かけた泉の話を語って聞かせた。


「今日はもう遅いし、明日、わしが汲んできてやるぞ」

「ありがとう」


 この晩、ケンゾウは若返った身体で寝るのが気持ちよく、ぐっすりと深く眠った。ノリコはそわそわして眠れない。

 明日には若返ると思うと、子供の頃に次の日楽しいことがあるときみたいなわくわくした気持ちで天井を見つめていた。

 隣で眠るケンゾウに布団をかけ直してやり、ノリコはいつしか眠った。

 翌日、ケンゾウは出かけていった。


「今日はすぐに戻ってくるからな! 昼飯の準備して待っててくれよ!」

「はいはい。待ってますとも」


 ノリコはうきうきと見送り、お昼前には駆け足でケンゾウが戻ってきて、汲んできた水を手渡した。

 水を飲む。

 すると、ノリコも若返ってしまった。

 ちょうど店先の長椅子で肉まんを食べていた客が顔を振り向かせて、びっくりしていた。


「若返ったのか」

「おほほ。見られてしまいましたか」


 すっかり若返ったノリコは、今やケンゾウと同じく十代後半から二十歳くらいの乙女になっている。


「なるほど。若返りか。あんまり、他人には見せないほうがいいですよ」

「どうしてです?」


 客は淡々と答える。


「人類の夢はいくつかある。その中でも、不老不死、若返りはその最たるもの。しかし自然の法に反するもの。ゆえに長年、実現されていない。それだけ珍しいものがあるとなれば、人が押しかける」

「でもね、お客さん。その泉の水は、昨日もあったけど、今日は昨日より流れてくる量が減ったように思うんですよ」


 ケンゾウがそう説明すると、客は腕組みして考える。


「ふーむ。変な嫉妬を受ける可能性もあるし、あとになってからそれを出せと無理を言う人もあるかもしれない。別の場所に移るといいです」

「なるほど」

「ちょうどお店も閉めると言っていたし、いい機会じゃない?」


 ノリコにもそう言われて、ケンゾウは決めた。


「そうしよう」

「アドバイスまでいただいて、ありがとうございます。あなた、お名前は?」


 聞かれて、客は答えた。


げんないといいます。よろしければ、その泉の場所を教えてくれますか? どんな状態か調べてみたいので」

「いいですとも」


 そんな会話の最中、玄内は視線を後方へ切った。


「なにか、ありましたか?」

「いいえ」


 ケンゾウと玄内は、その日の午後、肉まんを売り切り、店を閉めてお茶をしながら休憩して、そのあといっしょに泉に行った。

 泉に到着した頃には、もう日も暮れかかっていた。

 オレンジ色を反射してキラキラ光る泉の水は、確かに随分と減っていた。

 だが、なにより驚いたのは、泉の脇に、着物の上に仰向けになった赤ん坊がいたことであった。

 おぎゃあ、おぎゃあと泣いている。


「なんだ、この赤ん坊は」

「もしかして、さっき感じた気配の正体は……」


 玄内がつぶやくと、ケンゾウは手を打った。


「そうか。そうですよ。きっと。これは隣のムラサキばあさんが着ていた着物だ。ムラサキばあさんはわしとノリコより一つ年も下なんですがね、《ごくみみ》って魔法で人の会話を聞くのが趣味なんです」

「ふむ。《魔法管理者マジックキーパー》。その魔法、没収だ」


 手の中に出現させた鍵を、赤ん坊の首の裏に差し込む。

 しかし、玄内は無言で手を引いた。


「どうやら、その魔法は使えなくなってるらしい。つまり、記憶もないってわけだ。赤ん坊にまで戻ると、記憶を維持する機能がうまく働かないとみえる。ケンゾウさんは、どれくらいこの水を飲みました?」

「わしもノリコも、コップで一杯分だけです」

「ならば、やはり飲み過ぎでしょう。欲張って飲み過ぎたせいで、赤ん坊にまでなってしまったと考えられる」

「なんとまあ。ムラサキばあさんは欲張りだったからなあ」

「盗み聞きが趣味だったくらいだ。どんな性格だって言われても驚きません」


 ケンゾウもノリコもそれくらいはムラサキの愛嬌だと思っていたものだが、他の近所の人たちからは意地悪ばあさんと言われていた。人の噂話が好きでなんでも《地獄耳》で知っていたから当然かもしれない。


「じゃあ、この子はわしらが育てるとしようか。子供がいなくて寂しく思ってたところだし、ちょうどいいだろう。ムラサキばあさんは独り身で引き取ってくれる身内もおらんしな」

「ええ。育ててくださるなら」


 玄内は泉の水を採取して、魔法によって保管しておいた。

 そして、この泉を《わかがえりのいずみ》と呼ぶことにし、その水を《わかがえりのさけ》とした。

 二人で山から下りてくると、ケンゾウが赤ん坊を抱えているのを見て、ノリコは驚いた。


「その子はどうしたの?」

「隣のムラサキばあさんだ。《地獄耳》の魔法で盗み聞きしていたらしい。あれは人の会話にしか効果がないから、よっぽど頑張って泉の音を探したんだろうなあ。それで欲をかいて飲み過ぎて、赤ん坊になったみたいなんだ」

「そうだったのねえ」

「だから、この子をわしらで育てよう」

「ええ。そうしましょう」


 ということで、夫婦は子供を育てることになった。

 玄内のすすめで店を出すのは浦浜がいいとなり、住まいもそちらに移ることになった。

 まだ十代後半から二十歳くらいの若者同士だが、店を出しても今まで培ってきた商売のやり方と料理の技術で、店はすぐに生活するのに差し支えないくらいになった。

 また、ご近所でも仲良しの若い夫婦と評判だった。

 盗み聞きをするのが好きだったムラサキばあさんも、二人の育て方がよかったからか、素直な良い子に育っていった。

 若返った夫婦は、今でも浦浜で暮らしている。

屋』という店で肉まんとシュウマイをつくって提供し、十年が経った現在、玄内が亀の姿で訪れたときにも二十代後半から三十歳くらいという若い姿で迎えてくれた。


「玄内さん。その節はどうも」

「ようこそお越しくださいました。ムラサキもまた大きくなりましたよ」


 十歳になったくらいの少女、ムラサキがひょこっと顔を出す。


「こんにちは」


 親子三人が幸せそうなのを見て、玄内はフと笑った。


「そいつはよかった。おれはこのあと、また旅に出るんですが、今度は海の外です。しばらくここには来ないかもしれないんで、肉まんとシュウマイ、それとあんまんを十個ずつください」


 それから玄内を見送った親子であったが、ノリコは次にやってきた五人組にも懐かしい顔を見つけた。


「いらっしゃいませ。あら、アキちゃんエミちゃん」

「お久しぶりです」

「食べに来ました」


 その中でもサンバイザーをかぶった二人は以前からの知り合いで、会う度にいろいろと話を聞かせてくれる。この日もいろんな話をたくさんしてくれた。ケンゾウもノリコもムラサキもそれを楽しんだ。


「またねー」

「ごきげんよーう」


 二人に手を振り、ノリコはケンゾウを振り返った。


「アキちゃんとエミちゃん、大きくなって、本当に良い子に育ってるわね。人の成長ってすごいわ」

「そうだな」

「ムラサキも本当に良い子」


 それを横で聞いていたムラサキは、「急にどうしたの?」と言って、照れたのかはにかむ顔を背けて家の中に入って行った。意地悪ばあさんと呼ばれていた頃の面影などまるでなく、照れ屋なだけの素直な良い子の顔である。


「今ではあの泉の水もなくなってしまったと玄内さんも言っていたけど、元々あんなものはなかったほうがよかったのかもしれんな」

「わたしたちは幸せになれた。でも、人の成長ほど尊いものはないものね」

「ああ。だから、時間を大事にして、生きていかないといけないな」

「ええ」


 あの泉の水は、あれ以来見た者はないという。

 夫婦にとってはもうなくなってしまった魔法の水も、実は玄内だけが今でも持っており、それを解析したことで若返らせる魔法を作っていたのだが、それらが使われる日は来るだろうか。

 それはまだだれにもわからない。

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