浦浜編 四方山話【おまけの短編集】

幕間挿話 『可変フューチャー』

「これは一種の催眠術みたいなもんだ」


 玄内は言った。

 亀の姿をしているが、元々は人間で、今は魔法による呪いで亀になってしまっている。

 しかし、言葉もしゃべれば、着物も身につけ、二足歩行である。

 異世界からやってきた少年、しろさつきもこれにはもうすっかり慣れた。

 サツキは聞いた。


「だから、時間の経過がなくなるんですか?」

「ああ。この《げんくうかん》の中でも、相手が一人だけのときにしか使えない。時間の経過がなくなるってことは、身体が年齢としを取らないってことにもなる。しかし、確かにその時間はあり、肉体的な成長や疲労はないが、精神には疲労も溜まるし、学んだことは身になる」

「つまり、それで戦闘経験だけ積むんですね」

「そういうことだ。これを、《しんたいてきへんくうかん》という。他のやつらもいないし、今からここで特訓だ」

そう言ってパチンと指を鳴らすと、玄内が元の姿に戻った。五十がらみの渋い男性で、筋骨隆々な身体は逞しい。

「はい! お願いします!」


 二人は修業を開始した。

 浦浜に到着した夜のこと。

 すなわち、出航前夜。

 サツキは自分の目でも捉えきれないスピードの強敵、カナカイアのことを玄内に話した。

 新たに仲間になった少女、うきはしに音で探知してもらってようやく勝てたのだが、自分だけでも勝てるようになりたい。

 だから、玄内に申し出た。

 すると、実戦経験に勝るものはないと言われ、この《げんくうかん》に《しんたいてきへんくうかん》を展開してもらい、修業しているのである。

 空手の組み手、剣術の打ち合い。

 どれくらいやったろうか。

 玄内が言った。


「よし。一旦、終わりだ」

「はい。ありがとうございました!」

「ありがとうございました」


 互いに礼をして、玄内は指をパチンと鳴らした。

 サツキは肌に触れる空気が異なったのを感じ取る。また、衣装も道着から部屋着の和服に戻った。玄内も亀の姿に戻り、部屋着になっていた。


「一種の催眠術。特別な空間。だから、今日は部屋着で来てもいいってことだったんですね」

「ああ。もうここは現実と同じように時間も流れている。どうだった?」

「頭を使ったあとみたいに、肉体を使ったときみたいな疲労はないです」

「精神にのみ疲労はくる」

「確かにかなりの経験を積んだように感じます」

「これには制限もあってな。一人の人間相手に、一日に何時間以内にするか。それも人間の身体機能と照らして、おれがカバーできる範囲で調整してやる。だから気にせず思い切りやれ」

「はい」

「明日以降、船旅の間はちょくちょくやってやるからよ」

「お願いします!」


 これで鍛えてもらえたら、かなりの成長ができるようにサツキは思った。


「本当に時間が進まないって助かりますね」

「まあ、時間ってのは有限だからこそ価値がある。アキは時間を止めちまうような反則技ができるし、エミは空間に干渉することで間接的に時間を省略する。それ以外にも、おれの知り合いには、時間を売るやつもいる」

「時間を?」


 どうやって? というのがサツキの疑問である。


「《省略券スキップチケット》って魔法さ。そのチケットを使うと、記録した事柄をスキップできる。おれは睡眠をスキップするのによく使うが、おまえにもいつか必要なときには使ってやる。今はまだいいだろう」

「はい」


 サツキにはまだその《省略券スキップチケット》の感覚がわからないため、曖昧な返事しかできなかった。

 続けて、玄内は言った。


「おまえは魔法も武術も筋がいい。身体の使い方次第ともいえる。おまえが元の世界に戻ったとき、それがサツキが転移した元の時間であった場合、肉体の年齢がその当時と変わってしまう。それはわかるな?」

「はい。もし一年かかって元の世界に戻ったとき、俺は中学一年生になる年齢のはずが、中学二年生になる際の年齢の姿になります」

「それはおまえにとって不都合も多いだろう。三つ、選択肢をやる」

「三つ……」

「その一、その後の肉体との齟齬ができにくいタイミングで肉体の年齢を止める魔法を施してやる。つまり、二か月程度なら気にならないってんなら二か月後に肉体的な成長を止める。半年でもいいなら半年後、できれば今すぐがよければ今すぐ肉体の年齢を固定する。おれが鍛えておまえの才能と努力がそれに応えられれば、腕力もあと少しだけで最後まで戦えるはずだ。アルブレア王国を取り戻す、その最後のときまで」


 おまえは軍事的采配を握り司令官として動くのが最重要だからだ、と玄内は考えていた。

 そうなれば、サツキは二年後だろうと三年後だろうと、元の世界に戻ってもせいぜい数ミリから二センチくらい背が伸びた程度で済む。


「その二、おまえが元の世界に還るとき、記憶だけは残すが肉体のみを元の状態に戻す。逆行させるわけだが、知識も経験もなくならない。鳶隠ノ里でフウミさんがやっていたみたいに、あとで術が解けるものじゃない。敵との戦いに備えて肉体を鍛えていくには好都合だ」


 現実的に考えると、そんなことができるなら、それに越したことはない。肉体の強化も戦闘力において大きなウェイトを占めているからである。


「その三、なにもしない。五センチ以上背が伸びようと、召喚されたそのときに戻ってもいいって考え方だな。ただ、あとから、さっき挙げたその二の逆行を施すこともできる。おれに他の方策が立てば、別のやり方もできるかもしれない。が、それには期待するな」


 むろん、逆行以外にも方法がないわけではないだろうが、新たななにかをアテにするわけにはいかない。

 サツキはほとんど考えることなく答えた。


「その三。今はなにもしないでいいと思ってます」


 玄内はニヤリと口元をゆがめた。


「そうか」

「いつ元の世界に戻れるのか、戻る方法があるのか。わかっていません。だから、もし戻れるとなったら、そのとき、その二の逆行など、考えさせてもらってもいいでしょうか」

「ああ。当然だ。ただ、逆行にはリスクもないわけじゃない。さっき言ったように、せっかく筋力を鍛えてもそれがなかったことになる。知識、記憶、経験は残っても、魔法についてはその限りじゃない。それに、調整も細かくはできない」

「それは、俺がまたこの世界に戻ってきたいとなったときの問題ですね」

「ああ。今現在、おまえが使える二つの魔法を習得した状態くらいに逆行したいとしても、もう少し前のまるで魔法がない状態まで逆行しちまうかもしれねえってことだな」

「たったの二週間ですからね。俺が魔法を知って。小さな誤差も大きな変化になるのはわかります」

「だから、おまえが元の世界に戻るとなったら、おれの《魔法管理者マジックキーパー》で魔法は没収しておいてやる。また会ったら還すってことだ」

「はい。助かります」


 気になって、サツキは問うた。


「でも、先生は逆行させる魔法も使えたんですね」

「まあな。そんな魔法の使い手がいたわけでもないが、不思議な水が湧き出る泉があった。その水を解析して類似した魔法を作ったんだ。その水を飲んだやつは善良だったからいいが、おまえも大丈夫だろう。身体が覚えた技と身体能力はリセットさせてそのときに戻るが、知識や記憶はなくならない。欲張って若返り過ぎなければな」

「じゃあ、この《しんたいてきへんくうかん》で身につけた動きはどうなるんですか?」

「そこは特別だ。忘れねえさ。だから、思いっきり修業しろ。おれが徹底的に鍛えてやるからよ」


 サツキはやる気をみなぎらせてお辞儀した。


「はい。よろしくお願いします!」

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