18 『踏切スカイショック』

 浦浜のどこかを漂う屋形船。

 その屋根の上で、少女がひとり、耳を塞いでいた。それも、カチューシャになっているうさぎの形の耳をぎゅっと握る。


「なんて騒音よ。やめなさいよね、まったく」


 しかし、周囲のだれもこの音が聞こえていない。

 少女・うきはしの鋭敏な聴覚のせいだった。

 本来ならば届くはずのない遠距離で拡散された超音波を拾ったヒナは、音が止むと、耳から手を離して脱力した。


「やっと静まった。超音波かしら……。で、この船の行き先はどこだっていうの? ここから船の中に降りていくのも無賃乗船みたいで気が引けるし……」


 腕組みして考えていると、視界の端に、とある少年の姿を見つける。


「……あれって!」


 それは、ヒナが探していた少年・しろさつきだった。


「城那皐よね?」


 この海沿いの道を歩いている。隣には何度か見かけたことのある長身長髪の少女がいるが、そんなのはヒナには関係ない。

 やっと見つけたサツキに、ヒナは口元がにやけそうになって、それに気づいて表情と気持ちを引き締める。


 ――そうだ。早く声かけないと!


 ヒナは立ち上がり、口に両手を添えて叫んだ。


「ちょっと待ちなさーい! 城那皐ぃー!」


 呼ばれて、サツキは角を曲がる手前で振り返った。


「……」

「どうしたの?」


 振り返ったサツキの様子に、ルカが聞いた。


「いや。今呼ばれたような気がして」

「私にも聞こえた気がしたけど、なにもいないわよ?」

「だな」

「海から聞こえたし、どうせ河童か海坊主よ。行きましょう」

「うむ」


 二人は角を曲がって歩いて行った。

 呼びかけたヒナはといえば、こちらもちょうど角を曲がったところだったのである。

 つまり、叫んだ瞬間に屋形船が角を曲がり、サツキが振り返って姿を探し始めたときにはこの屋形船自体が彼の視界から消えていたということだった。

 ヒナは膝をつき、ガクッとうなだれる。


「もうっ! みんなしてあたしを馬鹿にしてぇ」


 だが、ヒナはすぐに立ち上がった。


「ていうか、だれが河童か海坊主よ! あたしの《うさぎみみ》で全部聞こえてるわよ、あのオンナぁ。今度会ったら言い返してやるんだから。覚えておきなさい」


 見えないあいてを指差して文句だけは言っておく。

 ぐるっと見回して、ヒナは一点で視線を止めた。


「よし。あそこになら陸地に飛び移れる。いくわよーっ!」


 数歩ばかりの助走をつけ、ヒナはぴょーんと跳んだ。

 高低差がある。

 飛び降りればいい。

 ほんの三メートルの高さから着地すればいいだけだから、ヒナは余裕を持って跳べた。

 が。

 ヒナが着地しようと右足を地面に伸ばした、ちょうどそこへ。

 猛スピードで自転車が突っ込んできた。しかもその自転車は、パンダのおもちゃみたいなデザインだった。


「うそ!?」


 自転車の運転手はヒナの存在に気づかない。チャイナ服風の女騎士で、


「ちゃあああああ! 《大熊猫加速パンダッシュ》!」


 と叫ぶばかりである。


「避けてええええぇぇー!」


 このままではぶつかると計算したヒナが声を張り上げると、女騎士はヒナを見上げた。


「なにアルか?」


 そして。

 見上げる女騎士の顔面に、ヒナの右足の靴底がめり込んだ。

 ヒナは女騎士の顔面をクッションにしてぴょーんと跳び、腕を広げて綺麗に着地した。


「ど、どうも。お世話になりました」


 引きつった笑顔でお礼を述べて、ヒナはピッと一礼してくるっと身をひるがえらせて、ゆっくりと逃げるように歩き出す。

 しかし、もちろん声はかけられた。


「ちょっと待つアル! そこのガキ!」

「んんー?」


 と、ヒナは白々しく額に手をやって遠くを見るポーズで、周囲を見回す。


「おまえしかいないアルよ、黒兎」


 ヒナはゆっくりと振り返って、引きつった苦笑いで頭の後ろをポリポリかく。


「で、ですよねー」

「アタシは浦町矢春ホチョウ・ヤーバル。おまえは?」

「いいお名前ですね。あたしは浮橋陽奈っていいます。このたびは申し訳ないことでございました。はい。でも、今日はお日柄もよく。ええと、ですから……ご、ごきげんよーう!」


 たびたび出くわした元気を振りまくサンバイザーの知人を思い出して、ヒナはあの挨拶を使ってみた。

 すでにヒナは猛ダッシュしている。

 当然、ヤーバルは許してくれなかった。


「浮橋陽奈! おまえ、あのくノ一のガキ以上にムカつくアルぅー! 待つネー! ちゃあああああ! 《大熊猫加速パンダッシュ》!」

「なんで今日はこんなに変な騎士がいるのよー!」


 ヒナは建物の上に飛び移ったりしながら、サツキがいた方角へと走り出した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る