幕間金談 『この砂はいろいろと使い途がある砂じゃ』

 青い海から潮風が吹き込む。

 時には強い風が流れてきても、岬の大きな黒松が防風樹の働きをして、いつも海の方角からこの町を見守っていた。

 町は、城下町といった。

 この時代、晴和王国における宿場町でも最大級の田留木城下町は、賑やかで穏やかな町だった。

 創暦一五五二年のことである。

 今から二十年前になる。

 とうごうただよしは、田留木城下町に住んでいた。

 船大工をしている四十五歳で、妻や子供たちと人並みな暮らしをしている。

 棟梁にまでなったのに、今でも若い大工に混じって額に汗して地道に働き、そのせいか下の者たちにも慕われている。棟梁ながらお金持ちでもなかったが、それも気にしていなかった。子供も上の子は大きくなってきたし、そのまま時も過ぎてゆくものかとタダヨシ自身思っていた。そんな生き方も悪くないとも思っていた。

 しかし、ちょうどこの日、国主から命じられた仕事が、タダヨシに変化を余儀なくさせることになった。


「なんてことを命じるんだ、あの国主は」


 家に帰るや、タダヨシは嘆息した。

 妻が尋ねる。


「いったいなにがあったの?」

「実は……」


 タダヨシは話した。

 現在、おうみさきくにの国主はがわもくれんといって、若干二十六歳の若者である。

 父が国主の座から退き大御所となり、モクレンが家督を継いだのだ。

 しかも今は幕末、先見の明もあるモクレンは、これから時流がさらに乱れる可能性も考え、そうなると今後海軍の必要性が高まるとも読んでいる。

 そのため、船大工のタダヨシはとある仕事を命じられた。


「で、その仕事っていうのが、大船を作ることなんだ」

「ありがたいことじゃないの。大きな仕事をいただけたのなら」

「まあ、それがそうもいかない」

「どういかないの?」

「岬に大きな黒松があるだろう?」

「ええ。この町をずっと昔から見守ってきてくれた大切な黒松ね。今では高さも一〇〇メートルに近いんじゃないかしら。長寿と繁栄を象徴する縁起の良い木として、そして、防風樹として町を実際にも守ってくれてるわ」

「あれを、伐れというんだ」

「え?」


 妻は驚愕した。


「ダメよ。ダメに決まってるじゃない。神霊の意味だけじゃなく、実用的な意味でもこの町を守ってきた木だもの。わたし、おばあちゃんからもよく聞かされたのよ。あの木が海からの強風に立ちはだかってくれて、防砂もしてくれているって」


 防砂とは、土砂が崩れないように防ぐことである。


「この町の北の山にも、『うえかんのん』がいる。自然は大切にしないといけない。特に、あの黒松は特別だ」

「ええ」

「いくら国主の命令とはいえ、ワシは伐るなんてできない。黒松は船舶材にもなるが、やっぱりあの岬の黒松は特別なんだ。でも、伐らないと、どんなお咎めを受けるか……」

「そうだったのね……」


 これには妻も悩んでしまった。

 やがて、妻は決心したように言った。


「あなた。わたしたち家族はこの田留木城下町から離れることになってもいい。断るべきだわ。あの黒松を伐ってこの町にいたら罰が当たると思うもの」

「そう言ってくれるか。悪いな、ワシの仕事のせいで」

「船大工は立派な仕事よ。それに、悪いのはその命令で、あなたじゃないわ」

「ありがとう。おかげで、ワシの心も決まったよ。明日、さっそく断ろう」


 そんなわけで、翌日、タダヨシは登城した。

 造船所の棟梁であったタダヨシが代表であり、決定権があったので、妻と話した通りの説明をして、いかに黒松がこの町にとって大切かを説き、丁重に断った。

 しかし、それで許してくれるモクレンではなかった。

 タダヨシは田留木城下町を追放されることになってしまった。

 肩を落としてタダヨシが家へと歩いていると、隣人のかねきよたきがニヤリとしながら近寄ってきた。

 キヨタキはタダヨシと同い年で、友人でもある。しかし、金持ちなのを鼻にかけ、タダヨシを見下しているのだった。


「どうした? タダヨシ」

「ああ、キヨタキか」

「噂じゃあ、タダヨシが今日城に行ったのも、大船をつくる仕事を引き受けるためだって聞くけど? 名誉なことじゃん。それがなんでしょぼくれた顔になってんの」

「それが、あの岬の大切な黒松を伐って船をつくれというお達しだったんだ。だから、ワシは断った。それはできない。この町を守る黒松だからな」

「は? え、本気で言ってる?」

「冗談で言うものか。ワシらこの町の人間は、代々あの黒松に守られてきたじゃないか」

「ハハッ」


 おかしそうにキヨタキは笑った。


「いや、伐ればいいじゃん。守ってきたって、どう守ってきたのか、実態はよくわからないんだからさ。祟りなんてあると思ってる?」

「おまえはいつもそうだよな」

「せっかくの大仕事だったのに、バカだなあ。あとで状況が悪いとなったらそのとき考えればよくない?」

「……」

「人生やったもん勝ちなのは事実なんだし、オレならまず引き受けてみるけどね。いや、船大工は疲れるばっかりでコスパ悪くてオレ向きじゃないから、金貸しとかやってるわけだけど、オレがタダヨシなら引き受けて、町がヤバくなったらなんか策を打てって進言するんだよ。そうしてまた仕事をもらえば一石二鳥じゃん」

「金がなにより大事で、ずるい生き方で稼いできたおまえには、なにを言っても通じないか」

「まあね。そうかもな。オレならいろんな方法ですぐに稼ぐ道を見つけて実行していくけど、それはずるいってより頭を使うからの成果であって、タダヨシみたいな生き方はできないわ」


 キヨタキは悪びれもなくせせら笑った。

 実際、キヨタキは金貸し以外にもいくつかの商売があり、違法ではないが人道的でないものも含まれるし、本来的には普通の仕事もやり方にずるさがある場合も多い。それで一部の人には恨まれたり嫌われたりしているが、逆に一部の人に好かれるような支援活動も行っていたりする。人間、その中身もひととおりではないものだが、人気取りについては計算であろう。


 ――こいつは、本当に頭もいい。それで一部の動物だけ支援することで、いい人だって思って応援する民衆もいるくらいだ。人気もある。嫌われてもいるけど、やったもん勝ちなうまい生き方をしてることも事実だ。しかし、ワシとはやはり相容れないタイプの人間だな。


 タダヨシはひらりと手をあげて歩き去る。


「じゃあな。ワシは田留木城下町を追放になった。もう会うこともないだろう」

「うわ……。残念だな。ああ、じゃあな」


 軽く笑いながらキヨタキも去っていった。

 家に帰り、タダヨシは妻に田留木城下町を追放されたことを話した。

 造船所にいる仲間たちにもそのことを話した。造船所の棟梁であるタダヨシが別の場所でまた造船所をするために道具一切は持っていくとしておきながらも、残る者は残るよう言い渡した。

 半数ほどはタダヨシについてきてくれると言って、半数ほどが残ると言った。

 そして数日後には、荷物をまとめて東に向かった。


「どこでもいい。海さえ側にあれば」


 居を構える場所も、どこにするかは決めていない。

 ただ王都のほうへと歩いていると、かわぐらに辿り着いた。


「川蔵か。ここもなかなかいいか」


 ここはこの時代、まだ黄崎ノ国の領土だった。

 ちょうどいい岬があって、そこに造船所をつくることにした。

 タダヨシを中心にして、田留木城下町からついてきてくれた仲間とつくられた造船所はまだまだ立派とは言えないが、再出発ができた。




 ひと月もした頃、タダヨシは田留木城下町の噂を聞いた。

 話してくれたのは妻である。


「ねえ、知ってる? 田留木城下町で、わたしたちが伐るのを断ったあの黒松だけどね、あのあとも伐ろうと試みてるらしいのよ」

「それで、伐られてしまったのか?」

「ううん。それが、何度も伐ろうとしたみたいなんだけど、そのたびに失敗してしまうんだって。その上、事故も起きて。岬にあるから、そこから海に落ちちゃった人がいたり、伐ろうとした斧の刃が割れてそれが自分に返ってきて怪我をしたり」

「不吉だな。黒松の祟りだろうか」

「天罰かもしれないけど、なにか人智を超えた力っていうのもあるのかもね」

「ふむ。ワシはやらなくてよかった」

「本当に。あと、隣に住んでたキヨタキさんっていたでしょ?」

「あいつか」

「ええ。あの人、あなたが断ったあと、モクレンさんにあの黒松を伐るようにって献策してたみたいなのよ。でも、それがことごとく失敗して、なんだか人気にかげりが出てるらしいわ」

「まあ、あいつのことはいい。人気がかげったくらいじゃ、あいつの頭のよさなら金稼ぎに支障もあるまい。別の人気取りもやるだろうし事業だって別のを始めるだろう」


 しかし、とタダヨシは黒松のことを考える。


 ――誰もあの黒松を伐らないという約束でワシは追放になった。それを破って伐ろうとしたのは、キヨタキのせいだったか。約束が違うとワシが言っても対抗できるよう、キヨタキなら手も打っていたんだろうな。


 それを考えても仕方ない。キヨタキが次になにをするのか、そんな心構えで彼と争うつもりもない。

 追放された身だから、戻るつもりもなかったし、首を突っ込むつもりもなかった。

 それに、タダヨシは新しい生活をスタートさせたばかりで忙しかった。

 タダヨシは造船所をまた一からコツコツ仲間と共に大きく育てる毎日を送って、その後はキヨタキのことも忘れていた。

 そんなある日、おじいさんが造船所に訪れた。

 背の高い、長い白髪のおじいさんで、髪と眉で目も隠れている。

 だが、それを不気味とは感じなかった。


「我はまつというものじゃ。少し、休ませてくれんか」

「はい。どうぞ。よろしければ、ワシの家が近くにあるので、そちらで休んでいかれますか? そっちならお茶の他にお食事も出せますし」

「いいや。大丈夫」


 造船所の休憩室で休ませてやり、お茶だけ出してやって、おじいさんと話をした。

 すると、ひょんなことから、話題は田留木城下町の黒松のことになった。


「黒松っていうのは、普通だと十五メートルから四十メートルくらいじゃ」

「それと比べると、田留木城下町の黒松は立派なものです。一〇〇メートル近くありますから」

「うむ」

「そういえば、ワシは黒松を、あの世とこの世の境に植える境木だと聞いたこともあります」

「その通りじゃ。神社や仏閣にもなあ、よく植えられる。神様が降臨する場所になるから、黒松というのはそれを迎える役目があるんじゃ」

「へえ」

「それをおまえさん、守ってくれたそうじゃな」

「あ、はい。いいえ。実は、口約束だけで、それも破られてしまったみたいなんです。だから、あとはあの黒松が無事なのを祈るのみです」

「うむ。それで充分じゃ。おまえさんの想いは守ってくれることだろう。時に、おまえさん」

「なんでしょう」

「造船所を大きくしたいと思っているようじゃな」

「はい。まだ三ヶ月ほどの造船所ですから、これからです」

「船は出来たか?」

「一応、ひとつはありますが」

「ちょっと乗ってみるか。いっしょに来てくれるか?」

「構いませんが」


 案内してやりながら、やっとタダヨシはピンときた。


 ――そうか。このおじいさん……名前はオマツさんといったか。オマツさんは船を使う仕事の人だな。いい船だと認めてもらえたら、買ってくれるかもしれん。


 タダヨシはオマツを船の前につれて来て、いっしょに船に乗ってみた。

 オマツは腰を下ろすと、タダヨシに言った。


「よし。船を出してくれ」

「え? 今ですか?」

「そうじゃ」

「わかりました。どんなものか、見てください」


 船の宣伝と思い、タダヨシは船を造船所から出した。

 海を走りながらタダヨシは聞いた。


「どうでしょう? 悪くはないと思いますが」

「ふむ」

「うちの者が精を出してつくったので、性能は保証します」

「あっちじゃ」


 急にオマツが指を差すことしばしば、その都度、タダヨシは船をそちらに向けて走らせた。

 しかし、あっちこっち走っているうちに、タダヨシにはここがどこなのかわからなくなってきた。


「晴和王国からも離れてきたな。陸地が見えるまで、数時間もかかるだろうか」


 たった二人で、しかも客を乗せたまま、こんなところまで来るんじゃなかったと後悔した。

 日も暮れてきて、オマツはタダヨシに言った。


「よし。今夜はここで錨を下ろすんじゃ」

「わかりました」


 二人、布団を並べて眠ることになった。

 タダヨシが一度眠りかけたところで、その目がくわっと見開かれた。

 理由は簡単だった。


 ――やけに静かだな。波の音が、しない……?


 気になって外に出てみると。

 海が、砂漠に変わっていた。

 月に照らされて、黄金色に輝いている。


「な、なんで砂漠になってるんだ!? しかし……綺麗だなあ」


 見とれていると、タダヨシの横にオマツがやってきた。


「下りるか」

「え?」

「梯子を垂らすんじゃ」

「わ、わかりました」


 半分夢心地に、非現実的な現象を目の当たりにしていたタダヨシだったので、なにがなにやらわからず、言われるままに梯子を垂らした。


「これは現実なんだろうか……」

「知らん」


 タダヨシの独り言にそう答えて、オマツが先に下りた。

 遅れてタダヨシも砂漠に下り立つ。

 恐る恐る足先で触れても砂だったし、足を着けてみても沈むことはなく、砂の上を少しばかり歩いて、月を見上げた。


「不思議なこともあるもんだ」

「さて。この砂はいろいろと使い途がある砂じゃ。使う者によっては悪いことにも用いられるし、使わずに持っているばかりで腐らせるやつもおる。そういうやつにはやれん砂でな、しかしおまえさんなら大丈夫じゃ。持っていても腐らせず、上手に使えるじゃろうて」

「はあ……。でも、いったいなんに使うのですか?」

「いいからできるだけ船に載せるんじゃ」

「は、はいっ」


 返事をし、慌てて船の中にあった桶や器という器に、砂を詰めていった。梯子の上り下りは大変だったが、何往復かして、やっと終わった。


「おまえさん、それでいいのか?」

「え? はあ……。あ、では最後に、ワシの魔法でひとつ」


 船大工の道具になっている小槌を取り出した。


「この小槌で打った物と同じ物を、出すことができるんです。分量は打った分だけですが」


 たとえば、本を一回叩いたら、同じ本を一冊だけ小槌から出せる。その本を十回叩くと、十冊出せるのである。しかも、出したいときまで小槌の中に保管しておくことができる。


「《てんふくせい》っていいます」

「悪くない魔法じゃ。ならば、手がしびれるまで打っておけ」

「はい」


 本当に手がしびれるほど砂を打ったとして、なにに使えるのかもわからない砂がそんなに欲しいとも思わない。

 けれども、タダヨシは可能な限り打ち続けた。


「ふう。こんなところでいいですか?」

「いいじゃろう」


 二人は船の中に戻った。

 また布団に入り、オマツがしゃべりかける。


「じきに夜が明ける。きっとな、おまえさんは幸せになれる。いいことが待ってるじゃろう」

「だといいのですが」

「あの砂なんぞがなくても、生きてゆける腕だけは磨くのを忘れるなよ。智恵に勝るものはないとも言うが、それに対抗できるのは腕だけじゃ」

「はい。はい」


 またよくわからない砂の話をふらりとされてるが、もう眠たくなってきてしまったタダヨシは、返事をしているうちにすっかり眠ってしまった。


「ありがとう」


 オマツの声が、夢うつつの耳に聞こえた気がした。




 翌朝。

 タダヨシが目覚めると、船は造船所に戻っていた。


「はて。いつの間に戻ったのやら」


 羅針盤も持っていたし、海で迷うこともないだろうとは思っていたが、戻る手間が省けたらのならそれでもいいかと気楽に考えて、オマツに呼びかけた。


「オマツさーん! 着きましたよー!」


 もう一度呼びかける。


「オマツさーん! あれ? いないのかな」


 船内を回ってみるが、オマツの姿はなくなっている。


「いないか。もう帰ってしまったのかな。せっかくこの船を買ってもらえると思ったが、まあいいか。なんだかよくわからない砂ももらったことだし……そうだ、砂だ!」


 タダヨシは船内の砂を入れた器を見に行った。

 すると。

 なんということであろうか。


「うへえー! あの砂が、砂金になってるぞ!」


 散々いろいろな器に入れた砂が、あろうことか、すべて砂金に変わっていたのである。


「これだけあれば、長者様だ」


 喜ぶタダヨシだったが、すぐに思い直す。


「待てよ。オマツさんは、この砂はいろいろと使い途がある砂じゃと言ってたぞ。ワシなら大丈夫じゃと言ってくれたんだ。悪いことに使ってもいけないし、使わず腐らせてもいけない。うん、大事に使わんといかんな」


 やっぱり自分の場合はこの造船所のために使おうと思った。

 このあと、造船所に部下の船大工たちが集まってくると、昨晩の不思議な話を聞かせてやった。


「だから、この砂金で造船所を大きくしようと思う」

「あの、棟梁」


 船大工のひとりが手を挙げたので、タダヨシは聞いた。


「なんだ?」

「そのオマツさんって人、もしかして黒松の精霊だったんじゃないでしょうか」

「なに? 黒松の精霊?」

「黒松は雄松とも言うでしょう? 名前も同じだ。棟梁が田留木城下町を追放されてまで守ったから、その恩返しだと思うんです」

「なるほど……あながち、そう間違いでもないかもしれん。やけに黒松に詳しかったしなあ」


 それで、タダヨシたち船大工仲間の間では、あれは黒松の精霊だったということになった。

 その数年後、幕末は終わった。

 しかし、次に始まったのは新戦国時代だった。

 黄崎ノ国の国主・モクレンはその優れた手腕で関東一円で最大の実力者と呼ばれるようになった。

 ついた異名は『かんとうしゃ』。

 ただ、モクレンにも隙はあり、モクレンが北伐に出たときに国を襲われそうになったところ、お隣の武賀むがくにがそれを防ぎ、その後の交渉で川蔵が武賀ノ国の領土となった。

 もっと広い領土をくれと言ってもいいのにそれで済ませた変わり者が、武賀ノ国の新しい国主で『おおうつけ』とも呼ばれるたかおう

 世間でもあの『大うつけ』の考えることはわからんと言われるくらいだが、モクレンもやられっぱなしでは終われない。

 西側のかさくにの領土を切り取り、国土では武賀ノ国に川蔵を明け渡したよりも広がったことになった。

 さて。

 こうなると、タダヨシのいる川蔵はオウシの武賀ノ国の手に渡ったのである。

 また、さらに、タダヨシの運命は不思議な転がり方をして、変わり者のオウシに見初められ、鷹不二氏の船大工になった。

 それも、黒袖大人衆というたいそう立派な位と肩書きをもらった上でのことだった。

 タダヨシもこのときには六十を過ぎていた。人間、いつどんな人生の天変があるものか、まったくわからないものである。

 逆に、田留木城下町に残ったお隣さんのキヨタキだが。

 あれ以降も黒松を伐る策謀はやめなかったが、ついに伐ることはできず、度重なる失敗でモクレンから遠ざけられ、手を引くことになった。

 金貸しは今も昔も有用な仕事だから、それだけは続いているが、当時やっていた他の仕事は時流と共に通用しなくなりながらも、他の稼ぎ方もうまいこと見つけて、人生やったもん勝ちを貫き楽しく暮らしていた。

 が。

 二十年後となった今、次なるお金を稼ぐ方法を考えて歩いていると。

 向かい側から歩いてきた老婆がふらりとよろめき、キヨタキのすぐ脇にきた。


「おっと。汚ねえな」


 避けたキヨタキが、老婆を不快そうにひとにらみして、また歩き出したときだった。


「おまえは知らないだろうけど、おまえのせいでワタシの人生は滅茶苦茶になったよ」


 キヨタキにはまったく覚えもない相手であったが、どうやら恨みをかっていたらしい。サックリと心臓を刺されてしまった。


 ――うまく人気も取ってきたはず……なのに、どうしてだ……? ていうか、だれだ、こいつは……。


 そう思っても、振り返ることさえできない。

 報復の理由もわからないまま、キヨタキは死んでしまったということだった。

 それに比べると、立身出世もそれもこれも、タダヨシの人生はうまく転がったものだった。

 キヨタキが六十五歳まで生き、タダヨシのほうは何歳まで生きるのかはわからないが、二人の人生どちらが得だったのか、人によって捉え方も違うだろう。

 しかし、価値観が違うがゆえ、いろんな生き方があり、どの生き方が正解とも言えない。

 お金に関する考え方もそうかもしれない。

 タダヨシはあの黒松の精霊・オマツが砂金をくれたことから、造船所が大きくなって、そのおかげでお金持ちになったと世間からは思われているが、砂金も仲間たちに還元していい船をつくることに使い、自分だけがいいようにはしなかった。

 創暦一五七二年四月。

 タダヨシは近所のアイスクリーム屋を離れた場所から見て言った。


「実はな、あの夜、ワシの小槌にはたくさんの砂金を入れておいた。《てんふくせい》で作っておいた砂金、あれはむやみに使わず、大事に取っておこう」


 この別腹のように残している砂金については、妻にだけは打ち明けている。


「必要になったらその都度使うのがいい」

「それがいいわね」

「幸い、ワシの《てんふくせい》を知ってるのは大将とトウリくんの他は、仲のいい友人数人だけだからな」

「ええ」

「お金ってのは、アイスクリームと同じだ」

「アイスクリーム?」


 そのとき、ちょうどサンバイザーをかぶった男女の二人組がアイスクリーム屋を訪れた。


「今日は久しぶりにアイスクリームを食べよーう」

「うん! エミ、どれにする?」

「これ。チョコバナナ。アキは?」

「ボクは大納言あずき」


 店先でアイスクリームを選んでいる二人を眺めながら、タダヨシはにこりと笑って妻に話す。


「アイスクリームの買い置きを考えてごらん。あれば食べたくなって無意識に食べてなくなってしまう。なければ食べようと思わない。必要なお金を理解して、その分だけ使い、あとは貯めておけばいい。それがお金を貯めるコツだ」


 地道に働き、お金を大事に使う。お金を丁寧に扱う。そうした心がけのおかげもあり、タダヨシはお金に困ることがなかった。


「ほら。ちょうどあの子たちみたいに、食べたくなったときに買いに行けばいい」


 おいしそうにアイスクリームを頬張る二人組の笑顔につられて、妻も微笑を浮かべた。


「そうかもしれないわね」

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