幕間奇談 『いいか? マヨヒガっていうのはな……』

 桜のつぼみがふくらみだしている。

 もう数日で花を咲かせるであろう。

 けれども、三月の風はまだ冷たかった。

 特に、すいおうくには晴和王国の中でも東北地方にあり、冬の寒気は未だ悠然とここに住み着いていた。

 現在の日本でいう岩手県、宮城県、山形県のあたりがそうで、粋奥ノ国の中でも東にある山の中の貧しい家に、娘は嫁いだ。

 娘は、おんといった。

 夫のおんやすまさの名字になり、二人は貧しいながらも楽しく幸せに暮らしていた。

 キミカの生家は裕福でもなく貧乏でもなかったが、こう暮らし向きが変わって慎ましくなっても、なんにも気にならなかった。

 少しばかり普段からぼんやりしたキミカだったから、ヤスマサが優しいだけで幸せだったのである。

 ヤスマサのほうも、こんな山の中の貧しい家に嫁いできてくれて、文句ひとつ言わずにいつもニコニコしているキミカが大好きだった。


「ねえ、ヤスマサさん」

「なんだ、キミカ」

「また明後日からお仕事に出るんでしょう?」

「おう。今度は城壁の普請仕事だ」

「すごい。城壁の普請なんて名誉なお仕事だわ」

「都まで行くから、ちょっとばかし時間もかかるかもしれないな」

「じゃあ、たんと食べておかないとね」


 大工仕事をしているヤスマサは、たびたび家を空ける。

 山の中から毎日仕事現場へ通うのも大変だし、仕事現場も一カ所にとどまらない。


「おれの《食溜ドカベン》の魔法があれば、何日分だって食い溜めできるからな。キミカのうまい飯をたらふく食べておかないとだな」


 ヤスマサの《食溜ドカベン》は、食い溜めできる魔法だった。

 胃袋が大きいのかはわからないが、ヤスマサが自分で試したところでは、最大で一ヶ月は食い溜めできた。


 ――明日は、ヤスマサさんにたくさん食べていってもらわないと。せっかくなら、美味しい物食べさせてあげたいわ。


 日が暮れてくると、夕食を二人で食べて、キミカは目薬を差した。


「よいしょっと」

「なんだ、キミカ。目薬なんか差して。これから出かけるのか?」

「ちょっとそこまで、シロフキでもとってこようかと思って」

「夜になると白くなるフキか。あれはうまいし栄養もあるって聞くしな」

「ヤスマサさんの好物でしょ。だから明日たくさん食べられるようにね」

「そうか。じゃあおれも行く。すぐ近くでちょっととったら戻るぞ」

「うん。わかった」


 そうと決まれば、ヤスマサも目薬を差した。

 さっきキミカが使っていた目薬である。


「キミカのつくる《あんぐすり》があれば、暗い夜でもよく見える。そうでもしないとシロフキは見つけられないからな。いい魔法だ」

「ふふ。それじゃあ行こう」

「おう」


 こうして二人はこのあたりでだけ見られる珍しいシロフキを探しに出かけた。

 いつもなら家の近く数百メートルの範囲をいっしょに探すだけなのだが、今度は城壁普請という有難い仕事だったから、キミカは張り切っていた。


「わたし、あっち見てくる」

「遠くには行くなよ」

「はーい」


 キミカは夢中になって探した。

 ひとつ、またひとつとシロフキを見つけ、背負っていたカゴも半分以上埋まってきた。


「ふう」


 達成感と共にひと息ついて、キミカは振り返った。


「あら?」


 周囲を見回す。


「ここ、どこかしら」


 どれくらい歩いてきたのかもわからなければ、この山もだいぶ歩いてわかっていたつもりなのに、まったく見覚えもない場所に来ていた。


「早く帰らないと」


 くるくると頭を動かしてどちらへ行くべきか考えるが、どこへ行けばいいのかさっぱりだった。

 なにか手がかりはないだろうか。

 そう思ってひらすら歩いた。

 すると、いつからそこにあったのか、立派な黒い門が目の前にそびえていた。


「だれかの家かしら。でも、この山にこんな大きな家はなかったような……」


 門までは十数メートル。

 キミカはそちらへと歩いた。


「こんな遅い時間だけど、道に迷ってしまって、わたしには頼れるのがこの家しかない」


 迷惑を承知で、キミカは門の前に立ち、中へと呼びかける。


「ごめんくださーい! 夜分遅くにすみません。ごめんくださーい!」


 少し待っても、なんの反応もない。


「とても広いおうちだし、玄関じゃないと声が届かないのかも。ちょっと、失礼しますね」


 一応そう断ってから、キミカは門をくぐった。

 門の中は、大きなお屋敷のようだった。

 庭の様子も、キミカにはよく見える。

 正面には明かりも見えないため暗いが、《あんぐすり》のおかげで庭に咲く紅白の美しい花々もハッキリとわかった。


「うわぁ。きれいなお花」


 花に近づいて香りを楽しんで、正面玄関へと向かった。

 暗い玄関に呼びかける。


「ごめんくださーい。だれかいますかー?」


 やはりなんにも返事がないので、裏手に回ってみた。

 そこには、牛小屋やら馬小屋、豚小屋があり、たくさんの家畜が飼われているようだった。


「なんて数がいるんだろう」


 牛も豚も馬も、みんな一斉にキミカを見た。


「ご、ごめんなさいね」


 家畜たちの視線を受け、キミカはつい謝ってしまう。


「別に、なにかしようっていうんじゃないの。ただ、道に迷ってしまってね」


 弁明しながらも、キミカはすぐ近くにいた子馬を撫でる。


「なんだか、みんな連れ出して欲しそうに見えるけど……」


 ここにいても仕方ないと思って、「ごめんなさいね」とまた言うと、小屋を出た。

 屋敷の裏の勝手口が見えた。


「あら? あそこは明るいわ。だれかいるのね」


 キミカは走った。

 勝手口の前で、呼びかける。


「ごめんくださーい。だれかいますかー?」


 今が夜の何時なのかわからないが、まだ家の人が起きていてもおかしくない。

 また返事がないので、今度はついに勝手口から中に入らせてもらった。


「すみません。道に迷ってしまったんです。上がらせてもらいますね。だれか、いないでしょうかー?」


 中に入って数歩、立ち止まって人を呼んだ。


 ――おかしいわ。家の中で呼んでも、だれも来ない。明かりだってあるのに。


 そわそわと落ち着かないまま、キミカは歩き出した。


「すみませーん。だれかいないでしょうかー? わたし、道に迷ってしまったんですー」


 呼びかけながら歩く。

 が。

 この屋敷は相当広いらしく、部屋の数もかなりのもの。

 明かりの灯った部屋もいくつもあったが、それでも人の気配はない。


「だれも、いないのかな……」


 不安になってきたところで、足が止まった。


「あ」


 見れば、広い座敷に膳が並んでいた。

 こんな時間ながら、だれかこれから食事をするのだろうかと思われた。というのも、膳からは湯気が立ち上り、料理ができてからあまり時間が経ったとも考えられなかったからである。


「だれかが食事をするんだわ。席も、二、四、六、八……二十人以上も。もしかしたら、お客さんがいらっしゃるのかな」


 この座敷には金の屏風が飾られているし、来客用に違いない。

 豪勢な食事のいい香りがキミカの鼻をくすぐる。

 朱と黒のお椀に目を落として、思わず手に取った。


「うわぁ。きれなお椀。長者様にでもならないと持ってないようなお椀だわ。これでご飯を食べたらどんな味がするかしら」


 そっとお椀を膳に戻す。

 少し待っても人が来ないので、キミカは再び屋敷内を歩き出した。


「すみませーん。だれかー」


 どれだけ呼ばわっても、人は姿を見せない。

 別の部屋では、火鉢があり、鉄瓶の湯がたぎっている。

 これは明らかについ今し方まで人がいた証しに相違ない。

 また別の部屋では、きらびやかな着物が飾られていたし、甲冑や刀剣、絵巻物の部屋もあった。

 ひな人形が飾ってある座敷もあれば、和傘が並んだ座敷もあり、うちわや扇子、風鈴、ガラス細工など、ないものなどないほどだった。

 そして、奥の座敷を開けて、キミカは息が止まりそうになった。


「毛皮……」


 クマの毛皮であった。

 ばかりか、大きな包丁やら猟銃、鹿の首の剥製といった、猟師のような部屋だったのである。


「もしかして、山男の家かしら」


 あまりに広い家にたったひとり、人を探していたキミカであったが、緊張の糸が強く張り詰められて、恐ろしくなりいてもたってもいられなくなった。

 はあ、はあ、と息せき切って屋敷内を走る。

 どこかで、足音が聞こえた気がした。


 ――やっぱり、だれかいる……? でも、ここにいたらいけない気がする。早く、早く……!


 キミカは大急ぎで屋敷を駆けて、勝手口から外に出た。

 庭を回ってあの黒い門をくぐり抜け、深く息を吐いた。


「はあ……。怖かった……」


 胸の鼓動を落ち着かせ、振り返って、また走った。




 結局、キミカは自分でもどこをどう走ったのかわからぬまま、自分の家の近くに戻ってこられた。

 心配して探していたヤスマサが優しく迎えるように抱きしめて、無事を喜んだ。

 家に戻ってから、キミカはあの大きな屋敷の話をヤスマサにした。

 話を聞いたヤスマサは腕組みして言った。


「それは、マヨヒガだな」

「マヨヒガ?」

「このあたりでは結構有名な話だから、キミカも知ってるかと思ったが、聞いたことなかったか?」

「うん。なかった」

「いいか? マヨヒガっていうのはな……」

「マヨヒガっていうのは?」

「不思議な家なんだ。山中の幻の家とも言われているし、迷い家とも言われる」

「へえ」

「行き当たった者は、山の神からのご加護をもらえるんだが、必ずその家のものをなんでもいいから、一つ、待ってこないといけない。物じゃなくて家畜でもいい。山の神がその人にご加護を授けるために現れたんだからな」

「わたし、なにも持ってこなかったわ」

「知らなかったんだから当然だ。持ち出してきた物が幸運をもたらすとか、お金持ちになれるとか言われるが、おれたちはおれたちで、地道に働けばいい」

「そうね」


 ふふふ、とキミカは笑った。

 ヤスマサもはっはっはと笑って、その日は眠った。

 翌日、キミカは昨晩集めたシロフキをヤスマサにたらふく食べさせてやり、そのまた翌日、ヤスマサを送り出した。

 それから一週間が過ぎた頃。

 この短い間にすっかり温かくなり、桜も点々とつぼみが開き始めていた。

 すっかりマヨヒガのことなんて忘れていたキミカだが、家の近所の小川にまたフキを取りに行ったとき、なにやら川上から流れてくるものがあった。


「なんだろう」


 小川の縁にしゃがみ、流れてきた朱色の物を手に取る。


「あら。きれいなお椀」


 朱と黒のお椀だった。美しいお椀を愛でるように見つめ、それから周囲を見回す。


「でも、だれの物かしら。うーん……」


 持ち主がわからないし、また川に流すのもどうかと思ったので、キミカはそれを家に持ち帰った。

 しっかり洗って、お椀を眺める。


「きれい。ただ、だれの物かもわからない、人様が使ったかもしれないお椀。それを食事に使うのも……」


 そうは思ったが、その日はせっかくだからとお椀でご飯を食べた。


「おいしい。きれいなお椀で食べると、味まで変わるようだわ。でも、これっきりにしましょう。あとで持ち主が現れたり、使っていてヤスマサさんに汚いと怒られても嫌だしね」


 それ以来、キミカはお椀を米を量る升に使った。

 キミカ自身、あのお椀でご飯を食べた翌日から身体の調子がよく、あのお椀で米を量ると不思議と米が減らなかった。

 しばらくはそんなことにも気づかなかったが、一ヶ月が経ってヤスマサが戻ってきたとき、


「なんだ、キミカ」


 目を丸くする夫の様子にキミカは小首をかしげた。


「なあに?」

「おまえ、随分とべっぴんになったんじゃないか?」

「そうかしら?」


 それは夫のヤスマサにしかわからないほど些細な変化だった。しかし、ヤスマサをもっと驚かせたのは米のほうだった。


「うまいシロフキをたくさん食べたおかげか、城壁の普請仕事も早く終わったし、早く仕上げたご褒美までもらえたんだぞ」

「またたくさん食べて体力つけないとね」

「おう」

「お米ならまだまだたくさんあるんだから」

「だが、今日はそんなになくてもいいぞ。大事に食べないとだしな。もう残りも少ないだろう」

「え? たくさんあるわよ」

「嘘つけ。おれに心配させないためにそう言ったんだろうが、こんなに食べてるんだ。あとちょっとで……」


 キミカがヤスマサに米びつを見せてやると、それは米びついっぱいの米だった。


「おまえ、おれがいない間全然食べなかったんじゃないだろうな? 大丈夫か? やせちまってないか?」

「たくさん食べた」


 大げさなほど心配して腕や腰が細くなってないかペタペタ身体を触っているが、キミカの身体は健康そのものだった。貧しいせいでほっそりしていた前よりも肉づきがいいくらいである。


「どういうことだろうか」

「そういえば、確かにお米が減らなくなったわ。むしろ、米びつがいつもいっぱいになるのが当たり前みたいになって」

「ん? このきれいなお椀はなんだ?」


 ヤスマサが例の朱と黒のお椀に気づくと、キミカは説明した。川から流れてきて、あんまりきれいだからまた川に流すのも気が引けて、あれでお米を量るようにしたこと、それから実は一杯だけそれでご飯を食べたこと。

 聞いて、ヤスマサは手を打った。


「それだ! おまえ、あのマヨヒガで朱と黒のきれいなお椀を見たと言ったろう?」

「うん。言ったわ」

「それと同じじゃないか?」

「あ! 言われてみれば、おんなじ!」

「きっと、キミカが無欲になんにも持ち帰ってこなかったから、このお椀が自分から流れてキミカのところまで来たんだ」

「うん。そうに違いないわね」


 ヤスマサの説明を聞くとその通りだと思ってしまう素直なキミカは、大きくうなずいて、二人そろって「あっはっは」と笑った。

 キミカはあのお椀を使って以後、ヤスマサの《食溜ドカベン》を思う存分使わせてやれるほどにお米に困らず、ヤスマサも気力と体力がみなぎって今まで以上によく働き、他にもいいことが続いて、夫婦の暮らし向きは裕福なほうへと変わって幸せになった。

 十年も過ぎた頃、夫のヤスマサの稼ぎも大きくなり、大工の棟梁にまでなっていた。

 ただし、家はまだ山の中にある。

 もうお屋敷とも呼べるようになったこの家に、また三十年も経ったあるとき、満開の桜が咲く季節に、旅の商人が訪れた。

 こんな山の中に来るには似合わぬハットとスーツの若者で、首のスカーフが洒落ていた。


「ワタシはふくひろかずといいまして、いろんな商品を集めているんです。それをこの《ほん》にしまって、王都で商売をしようと思っています」

「《取り出す絵本》?」

「この絵本には、物を入れることができるんですよ。このようにね」


 ヒロカズが胸ポケットのハンカチを絵本の適当なページに当てると、吸い込まれるように消えた。ハンカチの写真にしか見えないそれを、ヒロカズは指でつまんで元のハンカチに戻す。


「素敵ですね」

「奥様の魔法は暗いところでもよく物が見える目薬を作るものだとこの近くの村で聞きましたが、本当ですか?」

「ええ」

「だったら、それを売って欲しいんです」


 売り物にするほどのもんじゃないからと断ったが、説得されて、だれかの役に立つのならと少量だけ売ることにした。

 あれからまたあの商人が来ることもなかったが、ヤスマサに話すと「いい親切をしたんじゃないか」と言ってくれたし、子供はどんどん大きくなって、孫もできる年になった。

 こうして栄えたこの家は、今もすいおうくにの山の中にある。

 そして、この家とは別に、関東から東北にかけては、マヨヒガに遭遇した人の話も時たま聞かれた。

 このマヨヒガの伝説は創暦一五七二年現在にも残っており、迷い込みやすい家系もあると言われるし、異界に入り込みやすい人間にはそうした気質があるともいう。

 たとえば、現在二十歳のこの二人組は――。


「あ、エミ。なんか、川から流れてくる」

「本当だね、アキ」


 キミカのように迷い込んだのだが、マヨヒガの伝説も知らないし、無欲になにも持ち帰って来なかった。

 そのため、川から流れて自らやってきたものとみえる。

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