幕間芸談 『上には上がいるもんだよなあ』
芸の道というのはどれも一通りでなく、果てしがない。
どの道においても、これまでなにかを極め尽くした人はいるだろうか。
たとえば、茶の湯の道を茶道。
華の道を華道といい、剣の道は剣道という。
日本では江戸時代になってから武芸や芸能においても道の精神が生まれたともいわれ、かつて武士たちが励むべき習いを弓馬の道といったが、これを武士道と呼ぶようになったのも江戸時代からだとされる。
道というのは、修業をいくらやっても際限がない。
だがなにより、精神性がとても大事になる。
誠実に向き合い、尊敬の念を忘れず、どこまでも歩いて行くのが道そのものなのかもしれない。
ある春の日。
晴和王国の『
創暦一五七一年、この年イチゴロウは十五歳になる。
背に負った剣は、己の身長ほどもある長剣。
この長剣が似合うだけある長身で、一メートルと九十二センチもあった。
「ぼくもようやく剣士として旅立ちを迎えた。だが、ぼくは道場でも一番だった。だれにだって負けない自信があるぜ」
高い志を胸に、いきり立っていた。
肩で風を切って歩く。
「やはり行くなら洛西ノ宮がいい。あそこには今、修業の旅に赴いている『剣聖』がいるらしい。王都の道場で一番だったぼくが目指すにふさわしい相手だ」
自分が通っていた小さな道場で一番だった誇りを大事に掲げ、洛西ノ宮を目指すことになった。
すると、道中、おもちゃのような刀を持っている二人組がいた。
自分と変わらないか少し上くらいの年齢であろう。
「なんだあれは。剣の道を冒涜するやつめ。正々堂々、ぼくが精神を叩いてやる」
いきり立つままに、イチゴロウは二人組に向かって歩いてゆき、声をかけた。
「やい! 剣の道がなにか、おまえたちは知らんのか!」
「ボク? 知らないよ」
「アタシも」
二人が答えるや、イチゴロウは肩を怒らせた。
「そんな気持ちで剣を持つなど、許せん! さあ、決闘をしようじゃないか!」
「遠慮しておくよ」
「うんうん。アタシもアキも、そういうのはちょっと」
サンバイザーを頭につけた二人組は、易々とイチゴロウの宣戦布告を拒んでいった。
「ねえ、エミ。このおもちゃの刀がいけなかったのかな?」
「それで剣士と間違えられちゃったのかもしれないね」
相談している二人に、有無を言わさずイチゴロウは斬りかかった。
「来ないならこちらから行くぞ! てええええい!」
背中の長い剣を引き抜き、二人組のおもちゃの刀を打った。
「《
「飛んだあああ!」
「ごきげんよーう!」
二人組はバットで白球が打たれたように空へと飛んで行ってしまった。
それを額に手をやって見送りながら、イチゴロウは言った。
「これは魔法さ。長い刀身の中で、ぶつかった場所によって飛ぶ距離が変わる。先端ほど飛ばない。柄に近い位置ほど遠くに飛ぶ。今、ぼくは、一瞬で相手の懐に入り、柄に近い場所で打った。だから相当遠くに飛んだはずだ。だが安心しろ、流血することもない」
剣を背中に戻し、イチゴロウは指先で鼻の頭をこすった。
「ぼくは、正々堂々、剣の道を極めているからな」
旅立って最初の決闘は制した。
幸先がいい。
イチゴロウが気をよくして歩いていると、自分ほどではないが、大きな剣士がいた。
ガタイはイチゴロウよりいいだろうか。
年は上のようである。
さっそく声をかけた。
「そこのおまえ! ぼくは
「なんだ? どんなやつかと思えば、若造じゃねえか。年はいくつだよ」
「ぼくか! ぼくは今度十五になる! おまえはいくつなんだ」
「オレは
センジュも思った以上に若かった。
ガタイがいいのがなによりの特徴で、筋骨は隆々、背もイチゴロウには及ばないものの、一八二センチと大柄である。
「ふん! 年で剣が決まると思うなよ! ぼくは王都で一番強い剣士だ! 洛西ノ宮へ向かう旅でさらに成長して、『剣聖』を倒し晴和王国で一番になるんだ」
「なんだよ、奇遇だな。オレも洛西ノ宮に向かうところだぜ。だが、オレも長年王都の道場にいたが、おまえの名前なんか聞いたこともない。その生意気な鼻っ柱、バキッとへし折ってやるよ」
「やれるものならやってみろ! ぼくの《
牛方とは牛を使って物を運ぶ仕事をする人であり、この牛方は四十歳に近い男性だった。
「おれ?」
急に声をかけられた牛方が聞くと、イチゴロウは大きくうなずいた。
「そうだ。頼むぞ」
「別にいいけど」
返事を聞くと、イチゴロウは構えた。
「ではいくぞ! てええええい!」
「長いだけの剣で威張るな! 踏み込みすぎだ!」
イチゴロウがセンジュの懐に飛び込んだと思ったとき、センジュはうまく引いて大きく丈夫そうな剣をぶうんっと振った。
「《
剣と剣がぶつかると、イチゴロウは中空に投げ出され、空高く飛んで行ってしまった。
「うおおおおおおお!」
空にも見えなくなると、センジュはひとりごちた。
「井の中の蛙め! もっと世間を知って精進することだな! 命は奪わないからよ」
「すげえ」
「牛方、名前はなんという」
上空を見上げてばかりの牛方にセンジュが尋ねると、
「おれは
「そうか。今の勝負、好きに語るがいい」
「はあ」
と、牛方は曖昧に返事をした。
――別にしゃべりたいわけでもないけどなあ……。
とも思った。
センジュは、見えなくなったイチゴロウに対して語りかける。
「もう聞こえてねえだろうが、教えておいてやる。オレの魔法、《
王都から遠い場所に落ちることになるだろう。だからこれもイチゴロウが世間を知るにはいい機会だとセンジュは思った。
センジュはがっしりとした力強い肉体を揺らして洛西ノ宮へと歩いた。
大きく重たい剣もまったく苦にしない足取りだった。
「洛西ノ宮は遠いが、それゆえに、実りのある旅になるだろう。オレもこれまで、かなりの修業を積んできた。王都のどこぞの道場で一番を張る剣士も悠々と倒すほどの実力になっている。洛西ノ宮に着く頃には、きっと剣の道も自ずと極めているだろうぜ! そして、『剣聖』を倒すほどになっているはずだ」
へへっと景気よく笑った。
ひたすらに歩いていると、センジュは剣士を見つけた。
剣士は背も低いし細身だった。
背が低いといっても、センジュにとって低いだけで、一七四センチほどと、晴和王国の男性の平均よりはわずかに高い。
「あんな弱そうな剣士がオレより前を歩くなど、言語道断! ケジメをつけやる!」
センジュはおかしなところで闘志がかき立てられ、剣士を呼ばわった。
「おい! そこの剣士!」
「なんでございましょう。アタクシでありますか」
細身の剣士は慇懃だった。
「そうだ。見たところ、オレと同い年くらいか」
「アタクシは今年十九になりますが」
「オレもだ。おまえはどうしてこんなところにいる?」
「ええ、アタクシは
「思いのほか、やるようだな。人は見た目によらないってか」
「そういうあなた様は」
「おう。オレは
「さようでございましたか。はいはい、アタクシもしらみつぶしな決闘は望むところでございますから、あなた様のような重たい剣は、軽くて速いアタクシの剣で吹き飛ばして進ぜます」
「小癪なー! よし、そこの牛方。
「ああ、言ったけど」
さっきの牛方はちょうど同じ速度で進んでいたから、また剣士につかまった。
――また見ろって言うんだろうなあ……。
と思っていると、やはりそうだった。
「勝負に見物人はつきもの。見届けてくれ」
「いいけど」
「ありがとうございます、勝負とはこうでなくてはなりません」
丁重にお辞儀するユウヤに、思わず牛方もお辞儀を返す。
「よそ見してる場合か! もおおおおお! 《
「遅い。我が《
抜刀するや、ユウヤの口調はガラリと変わった。
二人の剣は刹那に切り結ばれる。
重厚なセンジュの剣は、ユウヤの高速の剣に打たれる。
すると、センジュは空高く舞い上がり、飛んで行ってしまった。
「あんな弱々しい剣のくせにー!」
剣を鞘に戻すと、ユウヤはまた雅びた言葉遣いに戻る。
「相手の剣よりも速い剣をぶつけるほど遠くに飛ばせるのがアタクシの魔法なんでございます。ただし、自分ほうが遅いと自分が吹き飛ばされるという条件もありますが」
「もおおおおお! くそおおおお!」
「まーた飛んでいっちゃったよ」
牛方はめずらしい気持ちで空を見上げる。
その横で、ユウヤはもう相手には聞こえないであろうにセンジュに高説を垂れていた。
「弱いも強いも、まず相手を斬ってこそでございますよ。まずは、アタクシの高速の剣に触れることができるようになることです。もっともアタクシより速い剣を振るう者などこの世にいやしないでしょうがね。はてさて、自分の非力を認める。そこから次の段階に進めるというものでしょう。傷一つつけてはおりませんですから、お励みなさいませ」
ユウヤはまた言うこと言うと、ぺこりと空にお辞儀した。
しらみつぶしに剣士を探して進んでいたユウヤ。
このあたりにはいないと足を速めてみたところ、ぼんやりと川を眺めている剣士がいた。
河川敷に座ってにこにこと笑っている。
ただ、剣士といえど、まだ少年であった。
年の頃は十五にならないくらいで、頭を後ろで一つに束ね、だんだら模様の入った羽織をまとっている。
「あんな腑抜けた剣士が今までひとりでもあったものだろうか。これはひとつ、教えてやるのも剣の道を志す先輩としての務め」
ユウヤはそろそろと少年に近寄り、声をかけた。
「これ、少年。アタクシは
相手をかなりの格下と見定め、決めつけて、ユウヤは上から言った。
しかし少年はそんなことは気にすることもなく、にこやかに答える。
「はい。僕は
「『剣聖』を下すなどでもなくそんなあやふやな高みと申すとは、やれやれ」
すっかり呆れてしまった。
――ふらふらふわふわ。意思の弱そうな目をして。この分では、この者の剣の道の奥行きも知れたもの。教えてやるほどでもないか。
少しがっかりしながら、ユウヤは申し出た。
「アタクシは剣の道を極めるようとしている」
「そうでしたか。僕もです」
「そして、『剣聖』を下す者」
「はあ……。『剣聖』……?」
「……」
思わず、ユウヤは言葉を失った。
「なるほど。やはり根性を叩き直す必要があるようで。さあ、少年。アタクシが相手になろう。自分の非力さをよく知りなさい。そして、己を見つめ直し、剣の道を志す覚悟を仕立て直しなさい。まずは打ちのめされることから始めるのだ、よいな」
「あはは」
ますます呆れたことに、この期に及んでも少年は笑っている。
ユウヤは最速の剣をお見舞いすることにした。
「構え!」
号令をかけると、少年は居合いの構えはしてみせた。
――まだまだ浅い。アタクシの最速、くらいがいい!
そこにちょうどまた牛方が通りかかった。
おしゃべりしている間に、ほんの少しの差が詰まり、牛方は本日三度目の声をかけられた。
「すみませんが、そこの牛方さん。よろしいでしょうか?」
「え? またおれ?」
自分を指差して聞き返す牛方に、ユウヤはまろやかに答える。
「ええ。そうでございます。どうか、勝負を見物していってくださいませ。といっても、アタクシは指導の剣。無理にとは言いませんが」
「まあ、いいけど」
どうせ二度も見たのなら三度見たって変わらないと、牛方は足を止めて勝負を見物することにした。
「ありがとうございます。アタクシとその少年のこの立ち合い、あとにはいくらでもお好きに語ってくださいませ」
「別に語りたいわけでもないけどなあ」
言いたいことだけ言うとユウヤも満足したのか、牛方の様子など気にせず、決闘開始の合図を出す。
「それでは! 尋常に、始め!」
叫んだときだった。
互いに居合いの構えをしていたのはコンマ数秒前。
最速の剣を振ろうと剣を抜いて踏み込もうと片足が浮いたところで、すでに、ユウヤの身体は空高くに浮かんでいた。
それどころか、遥か彼方へ向かってぶっ飛ばされていた。
「ぶっとびだああああああ! あいつの剣、どんだけ速いんだ~!」
キランと空に光り、ユウヤは西へと消えた。
ミナトは「ありがとうございました」と一礼したあと、遠くを見るように手を額にやって、にこりと笑った。
「しかし、よく飛ぶなァ。刀を交えた相手を吹き飛ばす魔法とみた。その代わり、あのお方の中でなんらかの勝負に負けた場合、逆にご自分が吹っ飛ばされるのかな」
この推測は当たっていた。
だが、確認するすべはもうなく、ミナトも確認する気さえなかった。
牛方はこれにはさすがにびっくりしていた。
「え? うそ? どんどん強くなってったと思ったら、急にそこまでいく?」
あのユウヤという剣士のなんと思い切りよく飛ぶことか。
「ぶっとびようがこれまでとは桁違いだもんなあ。このまま洛西ノ宮まで行っちゃうんじゃないかなあ……」
「お時間を取らせてすみません。こんな野良試合、わざわざ見ていただくほどでもないんですが、自らの力を誇示したい方もいらっしゃいますからご勘弁を」
「いいえ。それほどでも」
つい牛方も丁寧に返す。
「それでは失礼します」
「ああ。はい。道中、お気をつけて」
少年がまったりと歩き出すと、牛方はすごいものを見たと思い、だれかにしゃべりたくなった。
あの少年は歩き出すと足が速いのかとっとと先に行ってしまったが、道の先から来た馬方に声をかけた。
「さっき、少年が通りませんでした? 髪を後ろで束ねた」
「見ましたけど」
「実はね、あの子すごいんですよ! なんと――」
と、牛方は三人の剣士たちが決闘をしてきた最後に、少年が彼ら以上の力で洛西ノ宮まで吹っ飛ばしてしまったとしゃべった。
「速さで吹っ飛ばす相手を速さでやり返したわけですから、あれです、『
「うん、話を聞く限り、まさにそうですね」
ここから、『神速の剣』の噂は少しずつ広まっていった。
一年後の創暦一五七二年四月には、『
また、牛方はこの日からしばらく、人に会うたびにこのことをしゃべって、自分でも改めてあの剣士たちのことを考えたものだった。
「上には上がいるもんだよなあ。一人目のなんとかって剣士は五キロ先で倒れてたし、二人目のなんとかって剣士も八キロ先で倒れてた。でも、三人目は百キロ進んだけどついに見なかったもんなあ。ほんと、あの剣士、洛西ノ宮まで行っちゃったんじゃないかなあ……」
あのあとのユウヤの行方を知るのは、ユウヤただ一人である。
芸の道というのはどれも一通りでなく、果てしがない。
どの道においても、これまでなにかを極め尽くした人はいるだろうか。
道というのは、修業をいくらやっても際限がない。
だがなにより、精神性がとても大事になる。
誠実に向き合い、尊敬の念を忘れず、どこまでも歩いて行くのが道そのものなのかもしれない。
『神速の剣』の異名を取る少年はその後ついに牛方と会うこともなかったが、牛方のほうは王都で自分の店を出すようになってからも、いつまでもあの少年を忘れなかったという。
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