幕間美談 『幾星霜の時も木を絶やすことなかれ』

 昔、じょうまちの北には山があった。

 今よりも緑の少ない山で、それというのも、木を切り倒して炭にしたり建築の材料にしたり、使ってばかりいたからである。

 この時代、ちょうどおと幕府が開かれて、王都には人が集まり、ここが王都から近いこともあって木材を売り飛ばして稼いでしまおうという領主の方針からであった。

 そんなある日、大雨が降った。

 例年にない雨は、三日四日と降り続き、五日も経つとようやく降り止むが、山はたくさんの水を吸った。

 翌日。

 地盤の緩んだ山は、土砂崩れを起こした。

 この山に住むいしうちという家の大黒柱が、土砂崩れに巻き込まれてしまった。

 十五になる長男とまだ十二の次男も、夫を亡くした妻も大変悲しんだ。


「ひどい雨だった……父さん……」

「人間、自然の力には勝てないね……」


 二人の息子は悲嘆に暮れ、母は随分と泣いた。

 長男は、いしうちたけ

 次男は、石内かつ

 母は、石内

 残った三人の家族は、力を合わせて生きていくことになった。

 タケルは母ユミコと弟ヒロカツを励ます。


「これからは、おれが一家の大黒柱だ。頑張るからな」

「ぼくも働く年になったし、どんどん働くよ」

「うん。頼むぞ。母さん、おれが孝行するから心配するな。父さんみたいな悲しいことには、もうだれもしない」

「ありがとう」


 こうして新たな生活が始まって、家族は一生懸命に働いた。

 兄のタケルは額に汗水流して働いたし、弟のヒロカツは要領がよく、無理せず智恵を生かして稼いできた。

 そんなヒロカツを頼もしく思いながら、母ユミコは息子たちのためにおいしい食事を作ってやったものだった。

 しかし、タケルには妙な習慣があった。


「あれは、土砂崩れのあとからかね……」


 ユミコの記憶では、あの痛ましい事故以来、タケルに変わった習慣ができたのであった。

 その習慣というのは、木を育てることだった。

 杉の苗を育て、それを裏庭に植える。

 ばかりか、山中を歩き回って植えた。

 仕事で疲れていても、仕事が終わると苗を植えて回った。

 ヒロカツは不思議がった。


「兄ちゃん、木を植えて稼ごうっていうんだろうかな」

「そろそろ、木材の需要も減る。今から植えたって、育つ頃にはそんなに要らなくなってるよ」


 母と弟がそんな会話をしている頃、タケルは山を歩いて木を植え、水をやっていた。


「そら。水だ。《いくせいそうみず》。おれの魔法で、育つのがぐっと早くなる。すぐに大きくなるんだぞ」


 木に語りかける通り、タケルの魔法は植物の成長に関係した。

 じょうろで水をやると、植物の成長を大幅に早めることができる。

 約三倍の早さで成長し、効果を持つ期間は三年。

 つまり、それ以降は普通の成長をするが、また水をやると三年効果を持続できるのである。

 そうなると、三年で約十年分の成長をすることになり、十年といえばなかなかに育ってくれるというものだった。


いくせいそうの時を経ても、しっかり根づいてくれよ」




 それから五年の月日が経った。

 王都という都市が大きくなっていった最盛期に比べると、随分と木材の需要も減った。

 その間にも、タケルが育てた木はいくつも切り倒されてしまった。

 領主が、これは都合がいいと喜び、王都へ売ってしまったのである。元々、タケルはこの山に住んでいるが、この山の持ち主でもない。山は国のものであった。

 だから、領主の一存で木が切り倒されても文句を言えない。

 しかしそれでも、タケルはまたせっせと苗を植えて回った。崖などの危険な場所にもあるし、岩の上にまで植えられており、それらの切りにくい場所の木はそのままにされた。

 木材の需要の減少とタケルの頑張りの成果で、山にはかなり緑が増えた。

 この五年、タケルがそうやって木を植えて回っているときにも変化は絶えず起きている。

 すぐ近くでは、弟ヒロカツが家を出ることになった。


「ぼく、しょうくにに行くよ」

「なんでまた」


 タケルが聞くと、ヒロカツはにこにこと言った。


こうほくみやに仕事があるんだ。割のいい仕事みたいだし、やってみようと思ってさ」

「あんたが決めたことなら、母さんは応援するよ」


 ユミコにヒロカツがニッと笑って、


「ありがとう! 頑張ってくる。もしかしたら向こうで暮らすことになるかもしれない。もうこっちに戻らない可能性も結構あるんだ。でも、たまには顔見せに帰るからさ」

「好きにしな。あんたが元気なら母さんはそれでいいから」

「ヒロカツ、頑張れよ」

「おう。兄ちゃんもありがとう!」


 要領のよいヒロカツは、いい仕事を見つけると、山を出て光北ノ宮へ移った。

 残ったのはタケルとユミコの二人きり。

 幸い、タケルは働き者だったから、ユミコの暮らし向きも悪いものでもなかった。

 ただ、近くに住む人々にはいろいろと言われた。


「変わり者なお兄さんのほうが残ったのね」

「まだ山を歩き回って、木を植えてるんでしょ? もう木なんて売れないのにねえ」


 そうみんなに笑われるが、ユミコは呆れたふりをして、


「あの子ったら」


 と苦笑をしてみせる。




 さらに数年が経った。

 タケルの山歩きは有名だったが、孝行息子というのも有名で、老いてきた母のために、健康によいお酒があると聞けば買ってきてくれたり、二十五歳のタケルにも結婚の話が来ていた。


「どうだい? 結婚は」

「おれはまだどっちでもいいな。でも、次の山でそろそろよくなってくるのか……」

「ん?」


 笑って首を振り、タケルは答えた。


「いいや。なんでもない。うん、おれなんかに結婚の話が来てるなら、ちょうどいい頃合いなのかもしれない」

「そうかい。じゃあ、相手にはそう答えておくわね」

「母さんの孝行はちゃんと続けるからな。心配ないぞ」


 ふふっとユミコは笑って、タケルが明日の準備をしながら言った。


「母さん、いつも水仕事してくれてありがとな。最近、手が荒れてると言ってたろ」

「ええ」

「いい塗り薬が売ってるらしいんだ。明日買ってくるよ」

「そうかい。ありがとうね」


 翌日。

 外は雨だった。


「じゃあ、いってきます」


 いってらっしゃいと息子を送り出し、ユミコは空を見る。

 まだ雨はそれほど強くもないが、このあと激しくなるだろうと思って、タケルの背中に声をかける。


「今日は雨が激しくなるだろうから、早く帰ってくるんだよ」


 しかし、雨の音に阻まれて、声は届かなかった。

 その夕方。

 雨は激しくなっていた。

 ユミコはタケルの帰りを待っていたが、いつも帰る時間になっても戻らない。


「もしかしてあの子、塗り薬を買うために帰りが遅くなってるんじゃ……」


 待っても待っても帰ってこないので、ユミコは勝手口から顔を出した。

 外を見た、ちょうどその時であった。

 向こうの山が雪崩を起こした。

 土砂崩れである。


「あら、まあ……」


 瞬間、夫を亡くしたときの記憶が蘇る。

 嫌な予感がして家を飛び出して、しかしなにもできずに、雨に打たれながらタケルの帰りを待つ。

 どれほど時間が経ったか。

 その日はユミコも家に入って、タケルが帰ることもなく、ひとりで眠りについた。

 翌朝。

 戸を叩く音がする。

 ユミコが外に出ると、近くに住む人だった。


「ねえ、ユミコさん。息子さんが、土砂崩れに遭ったって」

「え……」


 聞くと、一目散に駆け出していた。


 ――あんな向こうの山なんて、普段なら行く必要もないのに……。やっぱり、わたしの塗り薬を買うために……。


 現場に行くと、ひどい土砂崩れの跡だった。

 そこにいた人たちは、ユミコに昨晩土砂崩れがあったことを教えてくれた。


「土砂崩れに呑み込まれた家も、何軒かあったみたいだよ」

「可哀想に」

「それより可哀想なのは、タケルくんか。親孝行のために手荒れに効くっていう塗り薬を買いに行って、それで……」

「タケルくんが木を植えてた山は大丈夫だったんだろ?」

「杉の木の根っこが、岩や土をしっかり抱えていたからな」

「そのおかげでたくさんの家が助かったってのに、タケルくんが土砂崩れに遭うなんて、皮肉だな……」

「きっと、土砂崩れで父親を亡くしたから、そんな思いをする人が出ないように、タケルくんは木を植えてたんだ……」

「よく十年も続けたもんだよな。あの木の根っこみたいに気持ちが強いよ」

「根強いとか根気強いって、このことだったのか」

「あたし、タケルくんのそんな気持ちも知らずに笑っちゃって、申し訳ないことしたわ……」

「あんな親孝行な息子を亡くすなんて、惜しいことをしたもんだ……」

「木を植えて育てるのは、みんなでやらなきゃいけないことだったんだ! みんな、これからはちゃんと自然を育てよう」

「そうだな。領主様が無理言って木を切り倒せと命じてきても、それでもびくともしないくらいにやろう」


 人々の心の変化に、ユミコはタケルの気持ちが届いたようだと思ったが、救われない悲しみは癒えようもなかった。つーっと、涙が頬を伝う。


「生きていてくれることが……生きていてくれさえすれば、それがなによりの親孝行なのに……」




 後日。

 兄タケルの死を聞かされて、弟ヒロカツが光北ノ宮から飛んできた。


「兄ちゃんっ、兄ちゃんっ……!」


 母ユミコと共に泣き、このあたりに住む人たちは、立派な行いをしたタケルのために観音堂を建てることにした。

 観音様は『うえかんのん』と呼ばれ、『幾星霜の時も木を絶やすことなかれ』と石碑に書かれた。

 それから二百年もの時が経つと、人々は山には住まなくなり城下町に降りていったが、山の木々を切り倒す際には必ず新たな苗木を植えこれを育てる。

 ただ植えるのではなく、野菜と同じように木を間引くのだが、これを「間伐」といって、根っこを強くさせ、雑木を生やし、土壌を守るといった、よりよい工夫もされるようになった。

 今では山の中のどこかに住むという忍びの一族がこっそり木々の成長を守っているとも言われ、孝行息子のタケルの話は、いつまでも田留木城下町の人たちに語り継がれているという。




 創暦一五七二年四月のこの日も、サンバイザーをかぶった忍者装束の二人組が苗木を植え、観音様にお参りしている姿があった。


「大きく育ちますように」

「幾星霜の時までも、緑に溢れますように」

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