幕間講談 『大事なのは笑顔。これに尽きると思うわけでございます』
一席申し上げたいと思っておりますけれども。
人間、なにが大事なのかと聞かれると、さまざま答えはあるわけでございます。
お金もそうでしょう。
時間もそうでしょう。
性格だという方もいらっしゃるかもしれません。
まあ、これはわたくしの考えではございますが、笑顔というものは他のなににも代えがたい。
大事なのは笑顔。
これに尽きると思うわけでございます。
もうね、察しのいい方なら、ここでピーンと来ていることでしょう。
ありがとうございます。
その通り、講談の間、ただ笑ってくれると、わたくしとしてはもっともうれしいわけです。
みなさん、素敵な笑顔をありがとうございます。
本当にね、笑ってくれるお客さんがわたくしは好きでね、どうにか笑えるお話をしようと思っているわけでございますが。
憧れるのはやっぱり師匠方。
わたくしの好きな師匠たち、枕でいきなりお客さんの心をつかんで笑わせてしまう。
人間にとって大事なものは……と、こう言うだけで、お客さんはみんな期待してしまうんですね。
それで、笑顔が大事だ、と言えばみんなも笑顔になってしまう。
まさしく笑顔に勝るものはないぞと、不思議な説得力を持っているわけです。
ここにいらっしゃるみなさんなんかですとね、この
ありがとうございます。
その笑顔が見たかった。
わたくしも少しは有名になってきて、『
そこでわたくしは気づきました。
こうなってこられたのには、なにが大事だったんだろう?
そうです。
すでに笑ってくださっているみなさんの笑顔が答え。
はい、大事なのは笑顔。
わたくしが笑顔で話すと、自然とお客さんも笑顔になることもしばしばでございます。
もちろんね、笑顔でいられるのも枕の部分だけで、
『だれか、助けておくんなせえ!』
なんて笑いながら言ってもだれも助けてはくれません。
笑顔を咲かせる場面というのは選ばなければならない。
しかしいつ何時でも笑顔でいられるのはまた、一つの才能かもしれません。
わたくしの友人にちょっと変わった二人組がおりまして。
年はまだ若い。
今年三十五になるわたくしの十四も下です。
見た目はもっと若い。
まだ十代半ば。
男女のコンビでございまして、天真爛漫、常に周囲に幸せを振りまいているような二人。
あるとき、わたくしが芸の上達に悩んでいた最中、二人が言うわけです。
『つまらなそうな顔してどうしたの?』
『笑おうよ。笑う門には福来たるだよ』
そんなうまい話があるのかと心の中でわたくしは思います。
『もし笑えないなら、ボクらが笑わせてあげるからさ』
『サンゾウタさんみたいにうまいことしゃべれないけど、最近おもしろいもの見つけたの』
女の子のほうが差し出したのが笑い袋。
ボタンを押すと笑い声が聞こえるおもちゃです。
それを押して二人は楽しそうに笑っているんですね。
わたくしも楽しそうな二人を見ていると、なんだか幸せな気分にもなって笑顔が伝染しまして。
『あ、笑ってくれた』
『じゃあこれあげるね』
笑い袋をもらって、それでも悩みが解決するわけでもございませんが、なんだか気が楽になったように思ったわけです。
少ししゃべって二人とは別れるんですが。
『頑張ってね』
『きっといいことあるよ』
ひょいと《
その小槌、一つ振ると、振られた相手になにかいいことが起こる魔法で。
わたくしが笑顔で家に帰っていると、さっそく師匠に会うわけです。
おまえの芸、気に入ってくれてる人が増えてきてるみたいだぞ。今度の口演、おまえがメインでいってみるか。
そう言ってくれた。
これは効果があったぞと思ってニヤニヤしながら家に帰るとね、家族もなんだか機嫌がよさそうに見える。
あなた、いいことでもあった?
聞かれて気づくと、わたくしの笑顔が妻も笑顔にしていたみたいでね、五歳になる娘もいつも以上に幸せそうに見えるんですね。
やっぱり笑顔は幸せを呼ぶもんだなあなんて思いましたよ。
今回わたくしがするお話も。
笑う門には福来たる。
こういったお話でございます。
ありがとうございます。
お客さんの笑顔が見られるのはうれしいんですけどね、別にでまかせでしゃべるわけではありませんよ。
題目は『九代目将軍
ちゃんとした講釈があります。
あるんですけど、落語のお話としてしか今はやられていないもので。
元々は講談だったものが落語として広まったお話になります。
そういったお話もいくつもございますが、せっかく講談で始まったものなら我々講談師もやりたいと思いましてね。
落語にも慣れていないお客さんにもわかりやすいように、そして現代風にちょっと書き直してみることにしたんです。
ただ、自分だけでは難しい。
そこで頼んだのが、みなさん噂だけはご存知、『万能の天才』玄内さん。
玄内先生にお願いして書いてもらったものを、今から披露していきたいなと思ってるんです。
お客さんの視線、わたくしもちゃんと感じてます。
誤解なさらないでもらいたいのは、ウケなかったときに都市伝説にもなってる玄内先生になすりつけようとしてるわけではないということです。
みなさん笑ってますけど、玄内先生はちゃんと実在しますから、あの方のせいにしたらわたくしが怒られてしまいます。
ただ。
責任の一端は、玄内先生にもあるのかな。
みなさんの笑顔が見られて会場も温まったところで、そろそろ始めたいと思います。
枕にこんなに時間をかけて申し訳ないですが、いつもよりは短く本題に入っていますから。
どうぞ本日もよろしくお願いいたします。
時は創暦一三七五年。
今から二百年ほど前。
王都のお隣、
当時も今と変わらず城下町であり宿場町でした。
ただ、今ほどは栄えておりません。
ちょっと王都に近いばかりの小都市でございました。
ここに、この物語の主人公・ワラビという男の子が生まれます。
なんとワラビ、家は平凡、取り柄もない。
頭脳も普通なら容姿も並、体格にも恵まれておりません。
とてもじゃないがそれでは主人公なんぞ務まらない。
そんな絵に描いたような冴えない少年でした。
先に断っておきますと、もちろん、大人になればなんらかの才能が開花するなんてこともまるでない。
しかし、たったひとつ、他の者とは変わった点があったのでございます。
それは笑顔。
別にね、特別に可愛いらしい素敵な笑顔だったというんじゃありません。
なにがあってもニコニコ笑ってる。
楽しいときは当然ながら、つまらないことがあっても、嫌なことがあっても、怒られたあとだって笑ってる。
最後のは慎んだほうがよろしい。
でも笑ってる。
そうなれば困ったことも起きます。
『あんたは頭も良くないんだから家の手伝いでもなさい』
母には叱られる。
それでもニコニコ。
家庭内だけならまだいいです。
外に行っても、なんだいこの子は、と変な目で見られるし、
『今、おれが柱にぶつかったの見て笑いやがったな!』
目を血走らせて怒鳴る相手のことも、まだニコニコ見ちゃう。
『ああもう勘弁ならねえ! このガキが!』
ポカンと殴られることもありました。
ワラビを殴った男は気分が晴れません。なぜなら、まだ笑ってるから。
『なんでい。まーだ笑ってやがる。気味が悪い。帰ろ』
不気味なワラビから離れたいもんだからスタスタ去って行きます。
ただいま、とワラビが家に帰ると母は呆れます。
『あんたケンカでもしてきたの?』
『しないよ』
『じゃあなにしてきたのよ。そんな頭にこぶつくって』
『殴られてきただけだよ』
息子を殴られれば、親は心配しますし不安にもなります。夫に相談するんですね。
『あの子、殴られてきたって』
『いいじゃないか。ああやって笑ってるなら大丈夫だ』
『可哀想じゃない。だって、あんなこぶつくって。元はといえば、あなたが変なこと吹き込むからああなるのよ』
『まあまあ。大丈夫だから。あの子は立派になるから』
『立派になるって、殴られてもただヘラヘラ笑ってれば偉くなれるの? 大旦那になるとか、棟梁になるとか?』
『心が立派になる。いや、もう立派な心がある。それでいいんだ』
肝心の夫がこんな調子です。
というのも、ここには魔法が関係します。
ワラビの父が、幼いワラビ少年にこう言った。
『おまえにはな、魔法がある』
『え? ぼく、魔法使えたの?』
『おお、使えたとも』
『どんなの?』
『そりゃあおまえ、《
『運?』
『うん』
深ぁーくうなずいて、父は言い聞かせる。
『まだおまえは魔法が下手くそだから、自分じゃあコントロールできないが、いずれできるようになるさ』
『ふーん。じゃあ、今のぼくは運を持ち越してるんだ』
『ああ、そうともさ。だから今日はいいことが起きなかったろ?』
『そうだ。ずっといいことなんて起きてなかった気がする。生まれてからずっとだ』
『ああ、そうだろう。だが、貯めた運はいつか使えばいい。それまでじぃっと貯めておくんだぞ。貯めるコツは、笑うことだ』
『コツなんてあったのか』
『おお、当然じゃねえか。笑う門には福来たるって言うだろ?』
『へえ』
『ガキだからまだおまえは知らねえか。そういうことわざがあるんだ。それが運を集める秘密になってるのさ。笑う分だけ運も集まってくるから、ニコニコとその運を貯めておけよ』
『わかったよ』
『よし。良い子だ』
こんなことを幼いうちに教えられ、それを素直に聞き入れて育ったから、ワラビはずっと笑ってばかりいたんですね。
しかもこの魔法、実は真っ赤な嘘で。
父親は、なんの才能もからっきしなワラビを見抜いていた。
反面、性格のすこぶるよいことも見抜いていた。
だからその性格のよさが腐らないよう、そんな呪文をかけておいたということです。
かくして布石は打たれた。
くさびは打ち込まれた。
ワラビは成長します。
ニコニコしながら、なんにも大した能力も身につけないまま、ニコニコ成長します。
大人になると仕事もする。
今の創暦一五七二年現在、子供も家業を手伝うのは幼いうちからやりますが、早くて十二、三歳で仕事に就いたり旅に出たりする。この時代では、十か十一からそうだった。現代よりも二、三年早い感覚だ。
十三になったワラビも仕事を見つけた。
かごかきだ。
人を駕籠に乗せて運ぶ仕事でございます。
えっちらおっちら、人を乗せて毎日運びました。
駕籠は二人で担ぐものだから、ワラビも前か後ろか、相方と担ぎます。
相方がいくら疲れた顔をしても、ワラビは笑っておりました。
『若いのに愚痴もこぼさず、偉いなあ』
七つ上のかごかきの兄さんに褒められても、ワラビには普通のことでしたから、兄さんのほうが偉いじゃありませんか、ぼくは新米です。ニコニコとそう言います。
頭は普通だが性格が素直で上からは可愛がられてました。
しかしかごかきに出世なんてたいそうなものはありません。
ただ運ぶだけです。
人数が五人のかごかき屋で、その最年少のままでしたから、ワラビは二十歳になっても変わりません。
そのうち、上がやめて下が入り、ということもあったが、それでもワラビの給料に変化もない。
また十年が経つと、結婚もして子供も生まれて、それでも十三歳の頃から一切の仕事の成長もなかった。
これはさすがに、漫然と真面目にやるだけだったワラビにも問題はあるかもしれませんが、生活はなんとかできていました。
創暦一四〇八年。
ワラビが三十三歳になると、子供が三歳になります。
しかも、この年は将軍が交代して、九代目将軍の誕生だ。
有名な
サカキといえば『
このめでたい年は、そんな新将軍誕生の一方で、ワラビのいる黄崎ノ国がどんどん不況になっていった時期でもありました。
賄賂やら不正が横行していた。
そのせいで庶民の生活ばかりが苦しくなる。
賢い者は職を求めて王都に逃げ、黄崎ノ国の者はこの数年での不況を憂うばかり。
家でもニコニコと笑うばかりのワラビに、妻は頭を抱えます。
『あなた、いい加減に田留木を出ませんか?』
『両親と暮らしてるんだから、置いていくわけにはいかない』
『でも、暮らし向きも、ねぇ……』
『大丈夫。おれは運を貯めてるんだから。明日があるさ』
『ずっとそれ言ってるけど、これまで一度でもいいことあった? その魔法で』
『おれはコントロールが下手くそだからな。どこかで使っていたんだろう。おまえに出会えたのも、こうして結婚できたのも、自然と運を解放していたおかげだと思うんだ』
『もう、あなたったら。正直なんだから』
まあ、なんだかんだこの夫婦は幸せだったんでございましょう。
しかしどこの家もこうのんきではいられない。
ここに登場するのが、新しく将軍になった音葉榊です。
サカキは黄崎ノ国から民が王都へ流れてきていることを知ると、つぶさに調べさせます。
『なに? 不正の横行がありそうだ、と?』
家臣も有能でしたから、すぐにそうした噂は手に入れます。
『それで、証拠はあるのかね?』
『いいえ。それが……。偽文書まで作って、うまくやってるようでして』
『なるほど。では、視察に行くか』
まだ将軍になって一年目、年はワラビより一つ上の三十四の働き盛り、さらには元来がバリバリ働くサカキですからさっそく視察を開始します。
一度目は挨拶に終わり、一応は歓待を受けること食事の席まで用意されるのですが、王都への帰りにおかしな町人を見かけた。
かごかきか、とサカキは近寄ります。
お供の側近が慌てて、
『駕籠ならばこちらでお呼びしますのに。あんな庶民の質の悪そうな駕籠など……』
『いや、いいのだ。庶民も将軍もない。私はなるべくならば質素倹約といきたい。それによって、民がどう暮らし、なにに困り、なにをするのが良いか、考えが及ぶというものだ』
『将軍様、お食事も普段は質素でございますが、それは奉行たちがやればよいことで将軍様は特別な……』
『
サカキはかごかきに歩み寄り、声をかけます。
ひとつ、乗せてくれないか。
相手はサカキの顔を知りません。偉い相手だとはわかりそうなものだが、そのかごかきは察しが悪い。ただニコニコしているだけです。
『はい。どうぞ』
うむ、とサカキは駕籠に乗ります。
駕籠の中から呼びかけました。
『して、かごかき』
『はい。なんでしょう?』
『なぜ、そなたは笑っているのだ』
『父の教えでございます。笑う門には福来たると言って、笑っていれば福が集まってくるとか。それゆえ、笑っております』
『笑っている場合ではなかろう。この黄崎ノ国は国主どもが不正を行い、民が苦しんでいると聞く』
『そんな噂もございますな。しかしそれも笑っていればいつかはなにかがどうにかなるとあたしくは思っております。いいえ、いっそそうなればいいなと期待している。いや、実はなにも考えてもいないのであります』
あはは、とかごかきは笑いました。
なんというアホなかごかきであろう。
駕籠のあとについて歩いていたサカキの側近どもは呆れ果てるやら笑えてくるやらで、それに目ざとくかごかきが気づくと、また笑って言い募る。
『みなさんの元には福が集まって参りましょう。いやあ、あたくしどもがみなで笑っているのですから、ここには福が集まり、福が通る。めでたいことで』
『そなた。名はなんと申す』
サカキが尋ねるや、かごかきはにへらと笑って答えますには。
『ワラビといいます。へへへ』
『覚えておこう』
王都に戻ったサカキは、重臣たちと相談します。
『私の魔法を使うにはまだ足りない。手紙を送ろう。偽文書も見せてもらったが、書き手は同じはずであろうからな』
『はい、将軍様。それで、そのあとは』
『むろん、もう一度の視察だ』
『かしこまりました』
手紙のやり取りをする。
これがサカキの魔法にとってはとても重要なことで、不正を暴くための種まきともなるのですが、サカキは手紙のやり取りをしながら、また田留木へと視察に参ります。
それでもいました。
ニコニコ笑うとぼけたかごかきが。
『また会ったな』
『ああ、これはお客様。お懐かしい。ひと月ぶりですか』
『ワラビ、町をぐるりと回ってくれるか。そのあと、田留木城に参るぞ』
『町を回るなんて変わったことをなさいますね。こちらは商売としてありがたいことですが』
『ならばよいではないか』
『はい! 喜ばしい限りです』
『話をしながら回ろう』
そんなことを、月に一度はしました。
視察をいちいちするのも手間なのに、サカキは労を惜しみません。さすがは九代目将軍様。のちの世の我々は九代目の偉さを知っておりますが、当時の側近どもは将軍様が出張るほどのものではないのにと内心面倒にも思っていたそうでございます。
だが、かごかきのワラビは半年経ってもサカキが将軍様だと気づかない。
駕籠の中ではいろいろとサカキはワラビに政治について話します。
『天下において大事なのはなんだと思う?』
大変に難しい問題です。
学者でも返答にはそれぞれ思うところがあり迷いもしましょう。智恵のある人も考える。
しかしワラビは笑って言います。
『お客様も気づいておいででしょう。あたくしが思うのは笑顔のことばかりです』
『うむ。それもひとつの正解だと私は思うのだ。昔の偉い人はこう言った。食と兵と信がなければならん。その三つが大事だというのだ』
『食べ物と兵隊と信義ということですか?』
『そうだ。民が生きるための食糧、国を守るための兵力、人と人をつなぐ信義。そなたはいずれが大事と思う?』
『偉い人が言ったのものではなく、あたくしの見解でございますか』
ふむ、なかなか鋭い。
サカキは目を光らせます。
ニコニコとしてなにも考えていなそうだが、意外にバカではないらしい。
ただ、ワラビは答えがおぼつかない。
『あたくしでしたら、人は人がなくては生きられない、ゆえに信でしょうか。まあ、兵が最初にいらないのは偉い人もそう言うでしょうがね』
『偉い人というのもまた、信を取った。兵を最初に捨てた。そなたと同じ意見であったぞ』
『これはうれしいことです』
どれほどうれしいのか判然としないワラビに、サカキは自らの考えについても述べておきます。
『私はな、その順序は正しいと思うのだ。信は食を分け合い、あるいは食を生み、あるいは食を満たす元になる。もしかすると、信というのは食を耐える力にもなる。食ばかりがあっても信がなければ生きづらい。そうした人間の本質とは昔も今も変わらないであろう』
『ええ。おっしゃる通りで』
『では、世を作る人間はなにをなせばよいか。つまり、政治を預かる者が大事とするのはなにか』
『はあ、なんでございましょう』
『世を暗くしないこと。すなわち、明るくすることだと私は思っている。今の田留木はな、そなた以外は暗い顔した者が多い。それではいけない』
『それにはあたくしも同意です。はい』
『ふふ。そなたは意外に政治も話せるな』
『いいえ。話されているのはお客様で、あたくしは聞いているばかりで』
二人はそんなことを言って笑っておりました。
この二人が出会って一年、ようやくサカキは動き出します。
『田留木にゆくぞ』
ついに田留木城へと乗り込むわけでございます。
しかし重臣たちは笑って、
『ああ、またあのかごかきに会いに行きますわけで? あのおとぼけのかごかきを、えらく気に入られていますなあ』
これまで、サカキは他の仕事もバリバリしていたわけですから、田留木の視察はほとんどしておらず、田留木に行くといえばただかごかきのワラビに会うのが目的になっていたほどです。
それゆえ重臣たちはまたお気に入りのかごかきに会うのかと笑っておりました。
『確かにワラビには会う。が、目的は田留木城の連中の不正を暴くにある。準備はできた。ついて参れ』
颯爽とサカキがゆけば、重臣が一人と側近が二人従います。
いよいよ田留木城下町にやってくると、かごかきのワラビを探します。
お、いたぞ。
見つけるや、いつものように指示を出す。
『今日は散歩はいい。田留木城へ頼む』
『あそこにいるのは困った政治をなさる偉い人ばかりなのに、また行くんですか。半年ぶりくらいでしょうか』
『そうなるか』
駕籠を降りると、立ち去ろうとするワラビに命じます。
『そなた。ついて参れ』
『あたくしなんかには場違いというものです。本当にお呼びですか?』
『むろん。ゆくぞ』
はい、と素直に返事をしてしまいワラビはサカキについてゆく。
城内に入ると、さすがは将軍、みなは頭を垂れている。
ワラビはそっと耳打ちします。
『もしかすると、お客様はとんでもなく偉いお方で?』
『いや。偉い人というのは、いつか話した食・兵・信について語ったような人を言う。あるいは、汗水垂らして働く民もこれまた平等、偉いと言うべきだ。が、今から私が会うのは偉くもなんともない者どもだな』
将軍の来訪に、裏では歓待の宴の準備をさせ、国主は広間で待っておりました。
そこへ将軍がかごかきのワラビを連れてやってくる。
『面を上げよ』
ははぁっ、と顔を上げる国主に、サカキは電光石火に質問します。
『そなた。不正をしていると聞くが、どうだな?』
国主は、ギクゥッとします。額の汗を拭きながら苦笑を浮かべて、
『そそそ、そんな、滅相もございません』
『調べてはついている』
『といっても、噂でございましょう。ここ数年、我が国の景気がよろしくない。ええ、おそらく王都へ行く若者どもが多いゆえ、この小都市も活気がなくなり……』
『黙らっしゃい!』
肩をビクッとさせ、国主は縮こまります。いざというときのために用意していた言い訳も、黙れと言われたらそれ以上は口を開けません。
ただ国主、偽文書も周到に作り、証拠など残していない。わかるわけないと思っているから、黙って押し通すつもりでした。将軍からの言葉が途切れて沈黙が流れると、勝ったと思った。
しかし、やり手の九代目、鋭い尋問が始まります。
『どうも偽文書を作っているそうではないか。これまでの金銭の流れを見せてみよ。文書という文書を引っ張り出せ』
言われるままに集められた文書を見比べ、サカキは問います。
『おかしなものだ。計算はぴったり合っている』
『そうでございましょう』
『が。もしこれが仮に本物であるならば、不審な点があると思わぬか』
『い、いいえ。はい。思いません。なんでございましょう?』
『これだけ民が困っている。この黄崎ノ国は、暗い。世を暗くすることは政治を預かる者のすることではない。それなのに、なぜなんの策も打たぬ』
『そ、それは、策を練っている最中で……』
『黙らっしゃい! ここまで待ってみたが、こうも成果を出せずにおるようでは、国主を務めるには力がないと言わねばなるまい。そうであろう?』
『そ、それは……しかし!』
国主もなかなか懸命に知恵を絞りそうと額に汗して、声を上げる。
サカキはそこに追撃した。
『能力がない者に任せるのは民の不幸。実はな、不正の証拠となる文書を持っているのだ。見よ』
まさか、と国主は焦ります。そんなはずはないから当然です。
ぽいと投げてみせたのは、国主も知らない文書でした。しかも、筆跡までちゃんと間違いなく自分のものだ。
『そんなまさか。こんなもの。知りません!』
『しかし、現に証拠としてそこにあるではないか。不正をした額も書かれている。せめてその半分にも満たぬほどなら、情状酌量の余地もあったものを。額に合った罪を償え。筆跡も同じゆえ、言い逃れはできぬぞ』
言われて、国主は目を通す。
さあ、ここで驚いた。
書かれた額は、実際に不正した額よりもずっと多い。その額に見合った罰となればとんでもないことになる。どんな罰かもわからぬのに、余分な罪まで着せられて焦ってしまった。
国主は懺悔します。
『それは偽物です』
『偽物?』
『本当の額というのは、実は……』
話を聞いて、サカキは深くうなずきました。
『うん。わかった。確かに、その文書も偽文書であったようだ。額が大きい。しかし、それで罪がなくなるわけではない。政治を預かる者には責任がある。その責任を負うに足りないその肩ではまずい。国主を退いてもらおうか』
『それは、もう……はい』
『ついては、そなたも計算は得意なようであるし、幕府の勘定方の補佐でもしてもらうとするか。肩にかかるものは小さいが、生活に困るほどな職ではない。まあ、しばらくはただ働きをしてもらうが』
『ははぁっ! ありがとうございます!』
左遷で済んだようなものです。大変に寛大な処置と言えます。
ここで反省を促しつつ、民を苦しめた分をしっかり働いてもらうのが罰です。
しかし、このままでは終われません。
そうなると、黄崎ノ国の国主の座がぽっかり空いてしまった。
ぽかんと事の成り行きを見ていたワラビは、それでも口元には笑顔を浮かべていました。
サカキの目はそんなワラビに注がれます。
『ワラビ』
『ははぁっ! 将軍様! 将軍様とはつゆ知らず、友人のごとくしゃべってしまい、申し訳ないことで』
『ふふ。笑いながら謝ることか。謝る必要もない。面を上げい』
パッとワラビが顔を上げると、サカキはピシッと言い渡します。
『黄崎ノ国の国主の座が空いた。これからこの国を良いほうへ、明るいほうへと導く国主が必要となる。政治の心得はなんと言ったか覚えているな?』
『はい! 世を暗くしないこと。すなわち、明るくすることでございます』
『よし。それがわかっていればよい。であれば、そなた以上の適任者はいまい』
『今、なんと……?』
ワラビは耳を疑います。
しかし笑っています。
サカキも微笑を返します。
『ワラビ、そなたを黄崎ノ国の国主に任ずる!』
『こ、こここ、国主!?』
びっくり仰天、ワラビはのけぞりました。
なんの取り柄もなかった平凡な男は、かごかきから一転、黄崎ノ国の国主を奉ずることと相成りまして、肩書きも国主となるわけでございます。
『ワラビ、かごかきであったそなたは、これまでたった一人を担いでいた。だが、これからはその肩に何万人もの責任がのしかかることになる。やれるな?』
サカキが目を細めて期待を表すと、ワラビはにこりといつもの笑みを浮かべます。
『もちろん、将軍様の君命とあらば、慎んで承ります」
『よし! これにて、一件落着!』
将軍の合図に一同がわぁっと歓声を上げる中、ワラビは頭をかいてこう言います。
『いやあ、しかしまさかあたくしを国主にするために駕籠に乗っていろいろ教えてくださっていたとは知りませんでした。まんまと担がれていましたようで』
さて。
落語ではかごかきのワラビが担がれていたというところでオチとなり終わりなのですが、実際のお話はあとほんの少しだけ記されております。
国主となったワラビは、思い込みだけで使えなかった例の魔法《明日があるさ》を、数年後にはついに使えるようになる。
これだけでも立派だが、するとすぐに、これまたニコニコと運を貯め始め、台風の多い年には国民のために運を解放して、良い運を国民へと吹かせます。
たったの三年で民に慕われる国主となるワラビ。
『
そんなワラビ、それから十年をかけて貯めた運を使うのがこれまたおもしろいのですが、それは講釈のお話ではなくまた別のお話でございます。
みなさんの笑顔はうれしいのですけれども、冗談ではなく本当に別の場所に記されたお話でしてね。
小座川記のほうに残っているお話ですので、気になった方は王都の本屋や貸本屋を当たってみてください。
締めにはなりますが。
ご存知、現在の黄崎ノ国の国主であります『
そのご子息であられる
まだ二十歳になる前、この先どうなってゆくでしょう。楽しみに成長を待ちたいと思っております。
ちなみに、本編中には当然のこととして書かれていなかった部分の解説ですが、サカキが用意していたほうの偽文書は、あれはサカキの魔法によるものです。音葉榊公の魔法《
これによって、偽文書を作ってみせたわけですね。
手紙のやり取りも文字を集めるための布石だった。
九代目将軍・音葉榊公が初めてこの魔法を公の場で使ったお話でもあったのでございます。まあ、種明かしはちゃっかりしなかったわけですが。
表面的には紙なんかに書かれた文字を手の中に吸い取るものだと、後年まではそう思わせていたのだからたいしたものです。さすがは九代目将軍。
今回は『九代目将軍
みなさんも存在を疑っていた玄内先生も喜んでくださるでしょう。
また落語家の方がよくやっていて講談師がやらなくなったネタをやってきたいと思いますので、温かく見守ってくださるよう、どうぞよろしくお願いいたします。
本日はわたくしがトリとのことで。
みなさん、気をつけてお帰りくださいませ。
本当にね、たくさんの笑顔を咲かせていただきまして、みなさんに福が訪れるよう祈りながら、ぜひともその笑顔のまま会場を出てくだされば幸いでございます。それがわたくしに還る福となりましょう。
なぜってそりゃあ。
ぞろぞろと笑顔のお客さんが出てくるなんて、そんなにおもしろいならおれも今度見に行ってみようかな、となってくれること請け合いでしょうからね。
最後までお聞きいただき、誠にありがとうございました。
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