鳶隠ノ里編 余談ノ巻【おまけの短編集】

幕間閑談 『ここは思い出売り場。人の思い出が集まる場所だ』

「コウタくん。今日は早番だ。午後、ちょっと付き合ってくれるかい?」

「いいですよ。ミオリさん」

「ちょっと講談を見に行きたいと思ってね」




 晴和王国、王都。

 この世界的な大都市の治安を守る組織、王都見廻組。

 かくひらこうはその新人隊士であり、『がくせん』とも称されていた。

 年はまだ十六歳。

 来週の創暦一五七二年四月十五日には十七歳になる。

 そのコウタの一つ年上のおおうつおりは、正確には隊士ではない。

でんせいかん』の異名を取り、コウタにとっては頼れる先輩のような存在ではあるのだが、ミオリの父が見廻組の組長・おおうつひろということで、不定期に手伝ってくれる。

 パトロールは二人組で出ることが多く、コウタはミオリかヒロキと行動するのがほとんどだった。

 今日もミオリが相方で、午前中のみの早番。

 仕事も終わって、コウタはミオリと王都の街を歩いていた。


「ミオリさんはお笑いが好きですよね」

「うん。まあね」

「誘ってもらえてうれしいです。ミオリさんってひとりでも見に行くんですか?」

「そうだね。ひとりのことのほうが多いよ。時々スモモに付き合ってもらう程度だね」

「へえ」


 二人並んで歩いているが、ミオリのほうが気持ち前にいる感覚がする。そのミオリが道を右に曲がろうとしていた。


「あれ? こっちって、演芸場も歌舞伎座もありませんよね?」

「普段、講談で言えばそのどちらかでやることが多い。前者はただ笑いを見るためのもので、後者は歌舞伎の前に講談や落語をして、それからお芝居も見るお得なやつだ」


 王都の歌舞伎座では、そうした形式の時間帯が存在した。

 演芸場なら王都にいくつかあるが、近くだとこの道を右ではない。だからコウタが不思議がっているのだと、ミオリには察せられた。


「今向かっているのは、とあるお店さ。そのあと演芸場に行こうと思うが、寄り道にも付き合って欲しい」

「いいですけど」


 ふと、コウタは正面方向から歩いてくるひとりの女性に気づいた。彼女はミオリとコウタのことなど視界にも入らないようにまっすぐ歩いている。五十歳くらいでメガネをかけ、品がよさげな雰囲気の人である。

 距離が近づき、コウタは声をかけた。


「どうも。お身体は大丈夫ですか?」


 ミオリはコウタといっしょに足を止め、ただ会釈する。

 しかし、女性はコウタとミオリを一瞥すると、少し迷惑そうに視線を前方へ戻し、通り過ぎて行った。知らん顔されたのだ。


「ぼくたちのこと、忘れてしまったのかな……?」

「彼女は、数日前に道で転んで、コウタくんとあたしで介抱したんだったね」

「はい。その人だと思うんです。でも……」


 常時、凛とした姿のミオリは、今も軽くコウタの肩を叩く。


「ちょうど、寄り道する場所にその答えがある。行こうか」

「あ、はい」



 小さな店だった。

 看板には、『おも』とある。

 古びた印象が、そのまま思い出という単語にぴったりなように思われる。

 コウタは聞いた。


「ここですか」

「うん。ここは思い出売り場。人の思い出が集まる場所だ。入ろう」


 ミオリがドアに手をかけようとすると、中から人が出てきた。二十代半ばの青年だった。頼りなげな顔をしている。困惑しているのかもしれない。


「どうせ、たいした思い出じゃなかったんだ。たぶん。幸い、おれは日記だってつけてるじゃないか」


 青年が悩んだ顔で出て行くのと入れ違いに、二人は店内を進む。

 店主はカウンターに座っていた。

 年は七十二歳、細身で優しそうな目をした男性だった。

 しいようろうといって、ミオリは以前から知っている。


「やあ、ミオリちゃんか」

「こんにちは。ヨウジロウさん」

「ヒロキくんは元気かい?」

「はい。頼もしい限りです」

「それはよかった」


 ヨウジロウは視線をコウタに移す。


「キミは、ミオリちゃんのお友だち?」

「コウタといいます」

「コウタくんは付き添いです」


 ミオリがコウタを紹介して、それからコウタにもヨウジロウについて教えてくれた。


「この方はヨウジロウさん。『思い出売り場』の店主だ。『おくかいにゅうしゃ』と呼ばれ、魔法《思い出売り場》によって、思い出を売り買いしている」

「思い出を……」


 王都には、そんな不思議な店も少なくない。

 ここは世界中でも特に魔法が集まる都市だから、魔法の力によっていろんな店が生まれ、幻想と怪奇には事欠かない。

 王都に上京してきて一年のコウタも慣れてきたつもりだったが、なにか引っかかる。


「あ。ミオリさん、さっきの……」

「うん。そうだよ。あの女性は、おそらくでここで思い出を売ったはずさ。だから我々の記憶をなくしているんだと思う」


 さっそくミオリはヨウジロウにさっきの女性の特徴を話した。すると、やはりミオリの予想は当たっていた。


「五十歳くらいねえ……ああ、確かに来ていたよ。転んだ記憶を消したいって言ってね。恥ずかしい記憶だから忘れたいんだって」

「なるほど。確かに、恥ずかしい記憶を忘れてしまいたいことって、だれにでもある」

「そういうお客さんは結構多いよ」


 二人の会話を聞いて、コウタもそういうことかと納得した。


 ――つまり、ここでは忘れたい記憶を売ることで消せるお店なんだ。さっきお店から出て行った人は、たぶん逆……楽しい思い出を売ったのかな?


 ヨウジロウは説明してくれる。


「恥ずかしい思い出や悲しく辛い思い出を忘れたい人が売ることが多いけど、そうした記憶の価値は低いから安くしか売れないんだ。逆に、楽しい思い出は高く売れる」

「本当なら、お金を払ってでも忘れたい記憶というものだってあるかもしれないよね」

「たとえば、合理主義者の中には、ふとしたときにフラッシュバックする恥ずかしい記憶や嫌な記憶を煩わしく思う人もある。いくら合理主義者といえど感情はあるし、日常のなにかとそうした忘れたい記憶が結びつくことで感情が思考を乱し、時間を浪費する。そう考える人もいる。相手にとっては覚えてもいないことでも、本人は恥ずかしいとか辛いといった感情と共に記憶していることは案外多いものだ」

「あの女性で言えば、あたしたちは転んだ彼女を心配こそしても、それを恥ずかしいものとは思わなかった。しかし、本人は忘れたがった。品のよさそうな人だったし、どんな出来事がどれほどの意味を持つのか、人それぞれだ」


 二人の話を聞いて、コウタは優しく表情を和らげた。


「そうですね。でも、よかったです」

「よかった?」


 ミオリが不思議に思って問うと。


「ああやって普通に過ごしてたってことは、あの女性は転んだことによる後遺症もなく、元気だってことだと思うから」

「ふふ。コウタくんらしいね」


 ついミオリの口元には微笑みが浮かぶ。こんなコウタが好ましく思えて、妙な安心もしてしまう。

 ヨウジロウがコウタに話しかける。


「キミは良い子だね。まっすぐで優しい。人の気持ちに寄り添える子だ。でも、優しいばかりでは危ないことに巻き込まれるときもある。気をつけて」

「はい」

「借金まみれの人が楽しい思い出を売って取り返しがつかなくなったりするのはよくあること。むろん安い思い出は遠慮なく売るしね。一方で、忙しくて仕事しかしていない人や老後に寂しくなった人が楽しい思い出を買い漁ることもある。この王都では、それによって良くも悪くも作り物の記憶しか持たない人間が平然と日常にいる。深入りのしすぎはいけないよ」


 これにはミオリがくすりと笑った。


「思い出の売り買いをしているヨウジロウさんが言うのは、説得力があるようで説得力がない言葉ですね」

「はは。そうだね。わしが買い取らなければ、売らなければ、そんな異形の存在は生まれなかったわけだから。その人の皮を被った空虚な存在などね」


 コウタは不安な気持ちになった。

 なぜだろうか。


 ――もし、人の記憶や思い出もすべてがその人を構成する一部だとすれば、それを売り買いしたら、その人は部分的に分離するようなものなんだろうか。


 でも、身近なミオリだって利用しているらしいのだ。それを思えば、ミオリという人間は不完全な異形なのだろうか。


 ――ミオリさんが思い出を売り買いしていたとしても、ぼくにとっては大切な先輩だ。もしかすると、思い出もいつかは忘れてしまうことがあるように、たとえば髪を切るような、そんなものなんだろうか。


 話を聞いても、不思議と、コウタにとってミオリは、ミオリの皮を被った、どこか空っぽな存在という恐怖や嫌悪はない。

 ミオリはコウタに穏やかな声で言う。


「思い出の価値は人それぞれだ。価値観が人によって違うように、思い出の大切さなんて言葉では語れないのだろう」


 続きを引き取るように、ヨウジロウが滔々と言葉を紡ぐ。


「わしの近所には、しいげんいちろうという兄が住んでいてね。兄は経験を売り買いする。《けいけん》という魔法を使うんだ。自転車に乗れるようになった経験を買えば、自転車に乗れなかった人もその技術を身につけられるという効果もあって、重宝されてるよ」

「経験を……」

「ああ。でも、思い出はそれよりもちょっとデリケートで、それでいて、技術が伴わないからこそ、軽くも扱われる。簡単に売りに出す人もいるということさ。逆に、意を決して売りに出す人もいる」

「強い気持ちを持って、売りに来るんですか」

「そう。迷いを振り切るようにして、気持ちを強く持って」

「どうしてそこまでして売るのでしょう?」

「簡単だよ。そうしないと、生きていけない人もいるからさ」


 ヨウジロウは遠い目をしてぽつぽつと話し出す。


「もう五年も前かねえ。我が子が亡くなってしまった母親の話だ。はじめの頃は、悲しんで泣いてばかりだった時間をその都度売りに来ていた。そうしないと、悲しみが積み重なって、心がもたなかった。けれど、ついに耐えられなくなって、我が子の死んだ記憶そのものを売ってしまった。彼女は、それ以来王都には来ていないと思う。うちに来なくなった。黄崎ノ国の田留木城下町に住んでる人でね、お休み処をやってる。ういろうが名物で、今でもうちの店のことだけは覚えているらしくて送ってくれるんだ」

「つまり、自分が思い出を売ったことは覚えているんですね」

「そうなるね。でも、なんの思い出を売ったかは記憶にない。その夫があとから来て言うには、夫はそれを知っているが、ただ寄り添うことしかできないらしい。可哀想な話だよ。もっとも可哀想なのは夫のほうで、本人がどう思っているかは本人にしかわからない。今でも明るくお休み処で働いて、死んだ我が子が王都から帰って来るのを楽しみに待ち続けているのだからね」


 それは、可哀想な気がした。

 しかし、ヨウジロウの言葉を思い出す。


 ――そうしないと、生きていけない。それで、今も明るく働けていて、楽しみがあるんだ。叶わない楽しみだけど。幸せってなんだろう。やっぱり、可哀想な気がする……。


 コウタは目を伏せて、言葉を失していた。

 ヨウジロウは飄々と語を継ぐ。


「あんまりしんみりした話ばかりじゃいけないか。わしの近所の兄の店とうちの店に来た子供の話をしよう。その子供は仲良しの男の子と女の子で、明るい子だった。でも、思い出は売らない。買わない。経験も売らない。買わない。その代わり、わしらにいろいろと話を聞かせてくれた。ちびっ子のくせにいろんな不思議な経験をしてるから、それを聞くだけでおもしろい。不思議な出来事に遭遇しやすい気質なんだろう。その子らはすぐ故郷の星降ノ村に帰ってしまったが、わしら兄弟は今でもたまにその子らの話をする。聞いただけで見たことも経験したこともない思い出だが、それがたまらなく楽しいこともある。思い出も経験も、その実態ってのはつくづくわからないもんだねえ」


 その子に似合いそうなサンバイザーを買ったと言って、ヨウジロウの兄は彼らがまた来るのを何年も楽しみにしているという。


「アキちゃんとエミちゃん、また来てくれないかなあ。もう大きくなってるだろうな……」


 どこか遠くを見るようにつぶやいたが、その声はコウタにもミオリにも届かなかった。それから、ヨウジロウは我に返って言った。


「ちょっと余計な話までしちゃったかな。それで、ミオリちゃん。ご用件は?」


 ミオリがヨウジロウに注文する。


「では、ヨウジロウさん。今回も思い出を売らせてください」

「はい。もちろん。どの思い出かな?」


 どんな思い出を、ミオリは売るのだろうか。

 パッと顔を上げてコウタがミオリの横顔を見ると。

 平然と、ミオリは答えた。


「以前、演芸場に見に行った講談の思い出です。題目は『九代目将軍おとさかき伝より サカキとワラビ』。二か月前でした」

「はい。左手を胸に当てて、右手をこの紙に置いてね」


 左手は胸、すなわち心臓に当てる。

 右手は紙、上部に『思い出売り場』と書かれてあった。


「そのときのこと、ちょっとでもいいから思い出して」


 目を閉じてミオリが思い出す。


「はい。どうも。終わったよ」

「ありがとうございます」




 ヨウジロウには、「またいつでもどうぞ」と言われて、二人は『思い出売り場』の店を出た。

 歩き出して少しすると、コウタは足を止めた。


「え?」

「気づいたかい」

「は、はい」


 うつむいていたコウタが見上げたのは、小さな店だった。


「ここって、ヨウジロウさんのお兄さんがやってる『経験売り場』……? でも、看板も壊れてるし、最近閉店した様子でもないような……」


 看板の経年劣化の具合から、ここ数日で閉店したような店にも見えなかった。少なく見積もっても一年以上は閉め切っているだろう。


「『経験売り場』は、本当にあるんじゃないんですか?」

「あった、だね。昔はあったんだよ。もう二年も前に店は閉まった。ゲンイチロウさんは、悪い人ではなかった。しかし、扱うものが扱うものだったからね。厄介な客に逆恨みされて、斬られた。それが耐えられなかったんだろう。ヨウジロウさんはたぶん、我が子を亡くしたお休み処の母親と同じで、忘れないと生きていけなかったんだと思う。仲がよかったから」

「今でも、ヨウジロウさんはお兄さんが生きていると思ってるんですよね?」

「ヨウジロウさんの顔、見ただろう?」

「……はい」


 それが答えだった。

 しばらく、二人は無言で歩く。

 途中で、ミオリは微苦笑を浮かべて、一度コウタの背中を優しくさすった。


「ごめんよ。この寄り道はよくなかったね。楽しい講談を見る気分でもないだろう。今日はやめようか」


 それには答えず、コウタは足を止め、聞いた。


「あの。ミオリさん」

「なにかな?」


 いつもとなんら変わることなく凛としているミオリに、聞きにくいことを問うた。


「どうして、思い出を売ってしまったんですか?」

「キミは優しいんだね。そんな不安な顔はしなくていい」

「……」

「あたしは、彼らほど重たいものは抱えていない。むしろ、なんてお気楽なものだと思えて笑えるほどだ」

「……」

「思い出の売り買いには、いろんな使い方がある。お気楽なあたしの場合、使い方はひとつ。講談や歌舞伎、本などを見た経験を売って、何度も初見の楽しさを味わいたいだけなんだ」

「……な、なるほど」

「今日見ようとしていた話は好きでね、また最初から新鮮な気持ちで聞きたいと思った。だから売ったのさ。楽しい思い出だけど、あたしにとっての価値は、もう一度楽しむことには勝らない」

「そういう気持ち、ちょっとわかります。ぼくも好きな本があって、もう一度初めて読む気持ちを味わえたら楽しいだろうなって想像したことがあります」

「ふふ。やはりコウタくんは話せるな。今度、その本を紹介してくれ」

「も、もちろんです! あの、それから」

「ん?」

「講談、見に行きましょう。せっかくまた楽しいのを味わえるんですから」

「ありがとう」


 ミオリはふわりと微笑み、散ってゆく桜を見てつぶやいた。


「でも、もうこの話を見た思い出は売れないなあ」

「どうしてですか?」


 理由がわからずコウタが尋ねると、ミオリはどこか照れたように言った。


「だって、コウタくんと見た思い出になるからね。あたしは一人で見たときの思い出しか売りたくないんだ」

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