鳶隠ノ里編 風の迷宮ノ巻

1 『失礼つかまつる』

 翌日。

 四月十一日、朝七時。

 馬車では鳶隠ノ里まで行けないということで、士衛組の七人は歩きで田留木城下町を出た。

 この『難攻不落の城下町』は、城だけが城壁を持つ一般的な形式と異なり、城下町ごと一つの城塞の中においた防衛断面を持っていた。

 北部が山になっており、南部が堀を作る。

 堀は防衛的観点からよく用いられるが、北部から侵入しようとする相手は堀切によって馬による侵入を阻むつくりになっている。

 ちょうど紙で山折りと谷折りを作った際の谷の部分をイメージしたV字の地面がそうで、それを上から奇襲もできるようになっており、士衛組一行はそんな堀切を通り抜けて複雑な山の中を進んだ。

 木漏れ日が柔らかく、小動物しか住んでいない優しい森にしか思えない穏やかさである。

 途中、観音堂があった。


「あら。観音様ですね」

「うむ。『植木観音』とある。そういえば、昨日『さきてい』のヤスコさんが言ってたような」


 クコとサツキが話している横で、チナミが脇にある石碑に書かれた文字を読む。


「『幾星霜の時も木を絶やすことなかれ』」

「自然を、守るのは……大事、だよね」


 ナズナが微笑み、先に進んでいたバンジョーが呼びかける。


「おーい! こっちに獣道があるぜ」

「まだこの道を進むはずよね」


 ルカが地図を見て、クコも確認する。


「そうですね。バンジョーさん、今行きます! まだ道なりでーす」




 一時間ほど歩き、九時になったところで。

 クコが紙を見ながら言う。


「そろそろ指定された距離になると思いますが」

「あとは西に進めばいいんだな」

「はい」


 サツキも紙を見せてもらって確認し、西へと歩を向ける。


「まっすぐには進めなかったし、少しズレているかもしれないけど、おおよそ正しい道を通っているはずだわ」


 ルカは地図を読むのも苦手としないので、合っている確信もある。

 だが、しばらく歩いて。

 一行は足を止めた。


「獣道はこのあたりで止まってます。林の向こうにはさらなる森が見えるだけで、なにもないようですね」


 クコは困ったようにつぶやく。


「うむ。あんな森があったらな……」


 茂みも濃いようだし、とても里があるようには思えない。

 照らされた若葉の色は微笑むようにそよ風に揺れる。

 しかし玄内は呆れたように言った。


「よく見てみろ。ありゃあ絵だ」

「え?」

「絵?」


 ナズナとチナミが首をかしげ、森を見上げる。手前は確かに木々の葉が光っているが、奥まった場所は絵になっていた。作り物である。


「だまし絵、あるいはトリックアート。この茂みを突っ切るぞ。来い」


 玄内の先導でみんなが続いてゆく。

 濃い茂みをかき分けて、緑のトンネルを抜けると。

 そこは、里だった。




かぜめいきゅうとびがくれさと

 堂々と看板も出し、『鳶隠ノ里』と書いてあった。

 里の雰囲気はのどかで、悠久の時間が流れる、自然の中にある集落といった感じがある。とても忍者の里とは思えないが、家並みはやや大きめの屋敷が多く、二十軒近い屋敷が点在していた。

 それぞれが生け垣に囲まれ、武家屋敷のような外観。中身はおそらく、いわゆる忍者屋敷になっていることだろう。


「こんなところに、里があったんですね……!」

「ここが、『風の迷宮』」


 クコとサツキは、初めての忍者の里に好奇心でいっぱいになる。チナミもそわそわしていた。


「なんだか、好きな空気」

「忍者が、いるんだよね」


 ナズナがきょろきょろするその後ろから、玄内がルカに言った。


「どうした?」

「いいえ。武家屋敷のような家屋があるのに、人の気配が感じられなくて」

「それが、ここが忍びの里である証拠だ。忍者は気配を消せるもんさ。おれでも気配をつかめない使い手もいるのが忍者だからな」

「やっぱ忍者の里って言ったらこんなんだよな!」


 バンジョーだけはお気楽そうである。

 一行は里に足を踏み入れた。

 時折、疾い風が吹く。

 サツキは帽子のつばをつまみ、風で飛ばされないようにした。

 どこへ行くべきか、サツキは意見を求める。


「ここからどこへ向かえばいいんだろう。クコは、その『てきにんじゃ』の名前は聞いてるのか?」

「いいえ。『ふうじん』と言われているそうですが、名前は聞いていません」

「フウジン? ん? 忍者でフウジンって言ったら、あのおじいちゃんか?」


 バンジョーがなにかを思い出すように首をかしげるが、クコは小さく笑って、


「まだお若い方なので、人違いではないでしょうか。あそこの家で聞いてみましょう」


 近くにある家で話を聞くことにする。

 が。

 その前に、アクシデントがあった。


「うおぉっ!」


 バンジョーが消えた。目の前からいなくなった。

 しかし、声だけはやたら聞こえてくる。


「なんだこれはよ!? 下ろせ! 下ろしてくれーい!」


 その声と言葉に、一同は上を見上げた。

 木の枝に、足首をロープで縛られたバンジョーが吊されていた。


「……!」


 気配を感じて、サツキは視線を下げてあたりを見回す。


「失礼つかまつる」


 声がした。

 すると、数メートル先に、何者かが現れた。一瞬のことで反応できないほど、突然に出現したのである。


「拙者、よるとびふうさいと申す」


 夜鳶風才は、黒い衣装に身を包んだ忍者だった。口元は黒い布で覆われ、表情が読み取りにくい。身長は一七五センチほど。背中には二本の刀。鼻筋が通り、涼やかな目をした青年であった。

 腕組みをしたまま、フウサイは問うた。


ふみの差出人は、うじでござるか?」


 フウサイは、クコを見る。物事を見分ける嗅覚に長け、勘の冴えたこの忍者には、それを言い当てるのは造作もなかった。


「はい。わたしがアルブレア王国の王女、あおです。わたしはふじがわはかの助言でこちらを訪れました。お話にあった忍者はあなたですか?」

「いかにも。拙者でござる。まず罠を避ける力があるか見させてもらったが、あれにかかるほど間抜けでもなかったらしい」


 つまり、このフウサイが『風神』にして『無敵の忍者』であるらしい。

 上からは、


「おいコラー! だれが間抜けだー!」


 と聞こえてくる。

 これを、フウサイは完全に黙殺した。目もくれない。

 バンジョーは怒鳴ってから、目をパチクリさせてフウサイを見た。


「て、おまえ! フウサイじゃねえか! おい、オレだ。久しぶりだなオイ!」

「……」


 フウサイは、それを無視してクコにしゃべりかける。


「拙者が仕えるに値するかどうか、見させてもらいたい」

「無視すんじゃねー! 幼馴染みが話しかけてんだろうが!」


 フウサイはそこで初めて、バンジョーを見上げる。

 目が合うと、バンジョーはニカッと得意げに笑みをつくってみせた。


「へへ!」


 が、フウサイは鋭い眼光でバンジョーを見てひと言。


「知らぬ」

「ふざけんなー! オレだよオレ、バンジョーだ! だいもんばんじよう! 六歳の頃、よくここに来てオレがつくった飯食わせてやっただろうが!」

「知らぬ」


 あくまで覚えていない態度のフウサイに、バンジョーは苛立たしげに「こいつぅ」とにらんでいる。

 玄内が甲羅からマスケット銃を取り出し、バンジョーの足首のロープを撃った。


「どあッ」


 ロープが切れて、バンジョーが地面に落っこちる。


「いてー! いてて!」


 バンジョーが立ち上がり、ピシッと玄内に一礼する。


「助かりました玄内先生」

「おう。気ぃつけろ」


 と、玄内は低く響く声で言った。

 これを、フウサイはやや目を細めて観察した。玄内の腕のよさがわかって、注意しておく気になったのである。


 ――この一行、あるいは……。


 とまで、フウサイは思った。

 サツキはバンジョーに聞いた。


「六歳の頃、こっちにいたのか?」

「ああ。うちは親も料理人でよ、仕事でこの里にも来たことがあったんだ。どこの里も同じかと思ってたら、本当に見覚えある場所だったなんてな。フウサイって名前を聞くまで、すっかり忘れてたぜ。なんせ、六歳の頃の一年間だけだったからよ」


 そういえば自称「忍者の末裔」だったな、とサツキはバンジョーのセリフを思い出す。

 クコは張り切って、


「幼馴染みっていいですよね。バンジョーさん、思い出してもらえるよう頑張りましょう。わたしも頑張らせていただきます!」

「お友だちは……大切です」


 ナズナも応援するように胸の前で拳を握ってみせた。


「うん」


 チナミがこくりとうなずき同意した。そして、


「特に、幼馴染みは大切。ずっと近くにいる幼馴染みも、常にいっしょにはいられない、昔の幼馴染みも……」


 と、聞き取りにくいほど小さな声でつぶやいた。

 ルカがサツキを横目に見る。


「それより、仕えるに値するか見るっていうと、私たちを試すということになるわ」

「だろうな。フウサイさん、どうすれば認めてもらえるんですか?」


 サツキが尋ねると、フウサイは背を向けて言った。


「まず、拙者についてきてもらいたい。こちらで用意した試練を突破した者を、我が主と認めるでござる」

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