10 『どうしてわたしから目をそらすんですか?』

 サツキが道着に着替えてやってきたのは、《げんくうかん》だった。

 玄内がルカに与えた魔法《拡張扉サイドルーム》のうちの一つ《黒色ノ部屋ブラックルーム》で玄内の別荘につながれた扉を通り、その地下の扉に入った。

《無限空間》は、二日前に畳と板を敷いて、普通の地面と合わせて三種類のフィールドで修業ができるよう整備した。それ以外は周囲が真っ白な空間で、出入り口となる扉を持つ小さな城『風雲玄内城』だけが目印になる。

 サツキが愛刀『さくらまるかめよし』を手に城から出て来ると、玄内の他にはだれもいなかった。

 玄内は元の姿に戻っている。


「おう。サツキ」

「早いですね」

「おれは準備もいらねえしな」


 そう言って、玄内はサツキの刀に目を留める。


「そういや、おまえはよく文字を書くよな」

「あ、はい」

「桜丸を打ったよしとみそうは、作家でもあるんだ」


 サツキは、玄内の視線が桜丸にあることには気づいていたから、その話題になっても自然に相槌を打っていた。


「そうなんですね」

「ソウゴとは研究者仲間であり作家仲間でもあってな。あいつは研究者や作家としての才能のほうがあった。刀はそれだけで充分だとおれは言ったんだ。まあ、今でもあいつは村のために鍬や鎌を打ったりするし刀剣屋も続けているがな」

「そうでしたか」


 刀剣屋を営みながらも、ソウゴは確かにずっと本を読んでなにか書いていた。作家と研究者が彼の本職といっていいのかもしれない。


「あいつの魔法については、聞いたか?」

「はい。聞きました。《し》ですよね?」

「あれは便利な魔法でな、おれも使わせてもらうことがよくある」


 サツキには疑問点があった。


 ――使わせてもらう? 魔法を没収したら、元の術者はそれを使えないんじゃなかったか? でも、仕組みがわかれば、同じような魔法を使えるのかもしれない。ルカに《拡張扉サイドルーム》を与えても平気だったみたいに。


 玄内は甲羅の中から、ペンを取り出した。


「あんまりおまえが勉強家だからな、つい作っちまった。《しペン》。このペンを使った場合における一つ前の行動と結果を取り消せる。つまり、書いた文字や絵を消せるって魔法だ。二つ以上前の行動に関しては、ペンを身につけるか手に持った状態で、書いた文字の上を指でなぞると消える。むろん、これで書いた文字や絵に関するものにしか効果はない。やるよ」

「いいんですか?」

「インクもなくならないおまけ付きだ。おれは普段、こんな甘いことしないんだけどな。頑張ってるのはおまえだし、それで手を抜くおまえでもない。ただ少しだけ、おまえの効率が上がるだけだ。好きに使え」

「ありがとうございます」


 サツキは遠慮なく受け取ることにした。

 さて、と玄内は話を切り上げると、本題に入った。


「サツキだけだし、ちょうどいい」

「なんでしょう」

「おまえに魔法をやる」


 そう言うと、玄内は「《魔法管理者マジックキーパー》」と口にして手の中に鍵を出現させた。


「どんな魔法ですか」

「二日前に言ったろ。《とうフィルター》だ」

「でも、あれは組み換えに時間がかかるから、渡せるのは忍びの里に着いて以降になるって」

「もう終わっただけだ」


 さすがに玄内は仕事が早かった。《取り消しペン》まで作った上でだから、サツキも驚いた。


「敵の位置の探知、不意打ちの回避、視野の確保、元の持ち主フンベルトがやっていたような、鎧や衣服の下に武器を隠しているかの判別。できることは多い。使い方は魔法を受け取ると同時に頭に流れ込んでくるから説明不要だろう」


 そう言って、


「《かんしゃけんげん》」


 ガチャっと、サツキの首の後ろに鍵を差し込みひねった。

 すると、サツキの頭の中に魔法の使い方が流れ込んできた。まるで、自転車の乗り方を元々知っていたのと同じような感覚で、その魔法の使い方がわかった。

 透過したときの見え方としては、ガラスでできたものを見るように、元々の物体も視認できる。また、人間も透過可能。そして肝心の透過枚数だが、今のところ五枚まで可能ということだった。

 透過できるのは壁なども含めた物質。単位としては一つの物質になっているかどうかだが、玄内によって使いやすいよう調整されているらしい。コツさえつかめば、一体になっている物質でも、状況に応じて透過したい物だけ透過することだってできるようだ。


「なるほど。人差し指で透過枚数を増やし、中指で透過枚数を減らせる。枚数のリセットはどちらかの指を二秒以上の長押し。はい、把握しました」


 注文通りの設定になっている。


「おまえの目の魔法とは相性がいい。使いこなせるようになるべきだが、雑に使っても役に立つ魔法だ」


 玄内は鍵を手の中に消す。


「少し使ってみろ」

「はい」


 サツキは言われるままに、右手の人差し指でこめかみを一回叩いた。手は左右どちらでもよいらしい。


「あ。お城の扉や壁も透けて見えます。この《無限空間》と馬車を隔てるドアの向こう側は見えませんが、お城の中をクコが歩いて来ていますね」

「よし。あとは使って慣れていけ」

「わかりました」


 クコが扉を開く。


「お待たせいたしました。クコです」


 ちょうどそのとき、サツキはもう一度人差し指でこめかみを叩いた。

 二枚分の物質を透過できることになる。

 そこへ、クコが扉を開けて入ってきた。


「お待たせいたしました」


 その姿に、サツキは思わず見とれてから、慌てて目をそらした。なぜなら、二枚分の物質を透かして見えるクコというのは、上着とシャツ、スカートとストッキングを透かして見える姿だったからである。つまり下着姿だった。


「サツキ様? どうされましたか?」


 不意に視線をそらしたサツキを不思議がって、クコがわざわざ回り込むようにしてサツキの視界に入ってくる。


「なんでもない」

「どうしてわたしから目をそらすんですか? なにか、あったんですか?」


 下着姿で心配そうにするクコが視界の端であわあわ動いて、


「お顔が赤いです。もしかしてお風邪を召されたのでしょうか」


 後ろから抱きかかえるようにして、サツキの額に手を当てる。


「やっぱり少し熱い気がしますね」


 サツキはため息をつく。


 ――二秒の長押しだったな。


 とりあえず枚数をリセットして、サツキは言った。


「これから修業だぞ。精神を集中させよう」


 自分にも言い聞かせる言葉である。クコはそれを聞くと、すぐに顔を明るくさせた。


「はい。サツキ様、いっしょに黙想しましょう」

「うむ。その必要がある。今日は念入りにやるぞ」

「はい!」


 サツキは考える。


 ――ふむ。味方の衣服だけは透けないで見えるようにする調整が必要だな。さっそく、あとで先生に相談だ。




 修業は昼間《とくきんぞう》を見かけたからか、みんないつもより励んでいた。ちょっぴり質が向上したように感じられたのだが、サツキはいつも通り全力なことに違いなかった。

 それぞれがそれぞれの修業をする中――

 サツキは玄内と組み手をしていた。

 互いに決まった動きをする組み手も、たった二日でだいぶスムーズになった。また、とにかくサツキが玄内に突きや蹴り、手刀など攻撃を繰り出し続ける修業では、次にどう動こうかと迷うことがサツキ自身少なくなってきている。


「相手に隙があるのに動けなかったら、それはもったいない。日頃からわずかなほころびのような隙間にも反応し、身体が動くようにしないとな」

「はい」

「おれがあえて隙を作ってみせていることはわかってると思う。いや、だからこそ、おまえはその裏まで考えて動く傾向がある。だが、おまえの目があれば判断が追いつく。まずは的確に隙を衝け」

「わかりました」

「よし。今度はおれの攻撃をすべて受けろ」


 玄内が繰り出す突きや蹴りをひたすらにサツキが受ける修業では、玄内もパワーをセーブしてくれているのか、ダメージが身体に残りにくい。


「先生、痛みによって判断が狂うこともあると思いますが、これもまずは受ける動きが咄嗟にできるようになるためですか」

「だからおれが力を抑えてるのか、ってことか。答えはそうだ。とも言えるが、おれも拳に入れた力を相当に落とすのも難しくてな。今は《あつりょくけいげんくうかん》にしてるから身体へのダメージが軽減される」

「そんなものまであるんですね」

「圧力軽減といっても、身体へかかる押す力みたいなものだけだからな。怪我しにくいだけだし、たいして痛くないくらいに思っておけ」

「はい」

「さて、次はクコとの剣術修業に移れ」


 サツキはクコと剣術修業をする。

 一方、玄内はルカとチナミの修業風景を眺め、二人に声をかけた。


「ルカ。チナミ」

「はい」

「はい」

「おまえらは、互いに修業の相手になる。今後、おれがサツキと組み手を始めたら、おまえら二人はいっしょに修業しろ」

「どういった修業をすればよろしいですか」


 ルカの問いに、玄内は指をパチンと鳴らした。棒が出現する。その棒を手に取り、ルカに差し出した。


「槍と同じサイズ感がある。だが、これはゴムでできてる。やや固めのゴムだな。空気抵抗は槍と大差ないが、身体にぶつかったときの衝撃が弱くなる」

「つまり、私がチナミを狙って《ねんそう》を」

「そうだ。チナミはそれをひたすら避けろ」

「はい」


 こくりとチナミは顎を引く。


「サツキとクコが竹刀で打ち合うときもだ。今も少しやってみろ」


 ルカとチナミの修業をしばらく見て、玄内は腕組みしながら言う。


「ナズナも混ぜて、ルカが二本の棒で二人を同時攻撃するパターンもやるか。ルカ、二本からが難しいぞ」

「はい」

「わたしも、ですか」


 ナズナがふわっと空から降りてきて聞くと、


「ああ。痛くはないから安心して避けろ」

「は、はい」


 返事を聞き、玄内はバンジョーの元へ移動する。


「パンチは随分とやってるみたいだな。ここからは受け身だ」

「押忍!」


 バンジョーが気合の声を出し、みんなも修業に励む。




 修業を終え、一同は馬車から宿の部屋に戻った。

 小田原が箱根越えのための宿場町だったように、田留木も宿屋が多くて泊まる場所も見つけられた。

 みんなが寝静まった頃、サツキは本を読みながらノートを取っていた。

 宿ではバンジョーが同室であり、玄内は研究があるとのことで別荘にいる。クコとルカが同室、ナズナとチナミが同室になる。

 バンジョーはぐっすり眠っているから、サツキは今夜もいつものように月明かりで勉強していた。

 築城の方法や、そのときに効率を上げるための褒美の出し方など、武将の知恵を見ては書き写して情報をまとめる。武将ごとに仕方や狙いが違うからおもしろい。


 ――アルブレア王国に到着したら、城を築く必要があるかもしれない。戦いは、長いものになるな。


 不思議と、集中と共に頭が冴えて、ペンはノートを走る。

 だが、切りの良いところでひと息つくと、肩や腰が痛み「う」と声が出た。


 ――明日、また起きるときつらいんだろうな……。でも、まだ足りない。


 手に持つペンを強く握る。


 ――玄内先生にもらった《取り消しペン》、これは本当に便利だ。ルカには《みちびしおり》をもらった。支えてくれる人がいるんだ、もっと頑張らないと。俺は他の人の何倍も勉強して頑張らなければ、同じスタートラインにすら立てないと思うから。


 サツキは眠たい目をこすり、ぎゅっとまぶたを閉じて、開く。


 ――ちょっと目はかすんできたけど、まだやれる。


 数十秒の休憩で目を休ませる間、サツキは目を閉じたまま考える。


 ――俺はスポーツマンガとかスポーツアニメが好きだった。へとへとになるまで頑張って戦ってて、自分も頑張ろうって思えた。そういうので言えば、俺が今やっている勉強はそんなかっこいいものじゃないし、息が切れて倒れるようなものでもない。その瞬間を出し切ることは大変だけど、一瞬にかける気力の頑張りじゃない。地味で目立たない、ただの積み重ね……その一欠片にしかならない。恐怖に立ち向かうわけでも、叫べば頑張りが伝わるものでもない。だれかに頑張りを伝える必要さえない。でも、人は人だ。自分は自分だ。己の戦いをしないと。アルブレア王国を救うために。そのときを、クコが笑顔で迎えられる戦いにするために。だから、智恵も磨くんだ!


 気合を入れて、目を開き、また勉強を続ける。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る