幕間剣劇 『誘神湊は首斬り問答を斬る』

 こんな噂が流れていた。


ちょうげんには、化け物が出るらしいよ」

「化け物は問答するっていうよね」

「なにを問答するんだろう」

「さあ」

「でも、それに答えられなければ、首を掻き切られるんだって」

「こわーい!」


 創暦一五七二年四月五日、夜。

 澄厳寺とは遠く離れた王都でもすでに噂が広まり、照花しょうかくにの『がわおんせんがい』にまで噂がささやかれるようになっていた。

おうおくしき』と称されるこの地に構える最大の温泉旅館、の一室で、灯りを消して怪談でもするように噂話を楽しんだ二人は、布団にくるまったまましゃべる。


「その噂の澄厳寺、しんくににあるんだよ」

「へえ。アキ、アタシたちは今回そっちまで行かないけど、今度行くことがあったら立ち寄ってみようよ」

「エミは好奇心旺盛だなあ」

「アキは嫌?」

「いいに決まってるよ」

「やったー!」

「こんな妙な噂が巷を不気味に歩いているから、近頃では、近寄る人はいなくなってるっていうけど、ボクらが行くときには解決してるといいね」

「うん。それで、その化け物ってなんて名前?」

「この化け物を、人は『くびもんどう』と呼ぶんだってさ」


 化け物『首斬り問答』の本当の名前は?

 そして。

『首斬り問答』がする問答とは、これいかに……。




 創暦一五七二年四月六日。

 旅の剣士、いざなみなとは王都を目指して歩いていた。

 六月で十三歳になる少年だが、相手が大人であろうと関係なく、剣の相手を探していた。修業の旅である。

 今は信果ノ国。

 次の目的地は王都だった。

 だが、日も暮れかけてきた。

 そろそろ今宵の宿を探さなければならない。

 宿を求めようにも、このあたりは民家もほとんどない。

 向こうから歩いてくる二人の青年の噂話を耳にする。


「澄厳寺にお参りに行くなら、もう一つ向こうのお寺がいい」

「ああ、そうだな。『首斬り問答』が出るっていうしな」

「しかし、次に来るっていう和尚さんも気の毒だよな」

「不安に違いないよ」


 ミナトはそんな会話を聞き、足を止める。青年たちの背中を見ながら、知らないその名前がおもしろくて小さく笑った。


「どんな問答だろうねえ」


 ふっと、横を見ると、ちょうどその澄厳寺があった。

 目の前を通りかかったから噂を聞くことになったのか、なにかに招かれているのか。

 不思議な心地でミナトは寺を眺める。


「なんだか普通に見えるなァ」


 すると、寺の中から一人の和尚が出てきた。

 両手を合わせて静かに歩み寄る。


「旅のお方ですか」

「ええ。僕は旅の剣士です」

「剣士。それはそれは。つかぬ事をお聞きしますが、今宵の宿はお決まりで?」

「いいえ。宿を求めて歩いてたところです」

「なんと! これも巡り合わせでしょう。よろしければ、今宵はこの寺に泊まっていきませんか」


 昔は寺が旅人を泊めることもよくあったそうだが、近頃ではめっきり聞かなくなった。

 ミナトは疑問に思って尋ねる。


「僕などを泊めていただけるのは有難いのですが、どうしてそうよくしてくださるのです?」


 和尚は首を小さく動かして周囲を見やり、


「噂話は聞きませんか? この寺には、『首斬り問答』という化け物が出るという噂話です。旅のお方でしたら、知らないかもしれませんが」

「ああ、そういえば、ついさっき通りすがりのお人が話していたなァ」


 とミナトは思い出す。


「ワタシは本日よりここに来ることになった和尚でございますが、怖くて仕方ないのです。剣士と見込んで、どうか一晩だけでも」

「そういうことでしたか。こちらこそ宿を探す手間が省けます。よろしくお願いします」

「ありがとうございます。なんと心強いことでしょう」


 そんなわけで、ミナトは『首斬り問答』が出るやもしれない澄厳寺に泊まることになった。

 夜の帳が下りてゆく。




 夕食をいただき、ミナトは湯に浸かった。

 湯舟でぼんやり考える。


「本当に出るんだろうか。『首斬り問答』」


 見てみたい気もするし、危険な化け物になど出会いたくないとも思う。

 風呂を出て、和尚に声をかけた。


「お風呂いただきました。よいお湯でした」

「そうですか。それはよかった」

「和尚さんは入られないのですか?」

「ええ。まあ」


 すたすた歩いて、和尚はミナトを部屋に案内する。

 だだっ広い部屋に布団が敷かれていた。

 和尚は別の部屋に寝るというので、ミナトはひとりで眠ることになった。


「ごゆっくり」

「はい」


 ミナトは布団の上に座った。


 ――やっぱり、『首斬り問答』なる化け物など出やしなかったな。


 ホッとしてロウソクの灯りを吹き消す。

 明日は朝から修業でもしようかと思い、さっさと眠ることにした。

 寝つくのは早かった。

 が。

 きぃーっと床板の軋む音がして、ミナトは目を覚ました。


 ――なんだろう。まだ暗い。和尚さんが起きたのかな。


 今が何時なのかもわからない。

 また寝ようとしたところで、部屋の障子に影が映った。

 和尚の影であった。

 すぅっと障子が開かれる。

 妙な気がして身体を起こした。


「おや。和尚さん。いかがなされました」

「……起きていましたか」

「いやあ、ちょうど目が覚めたところです」


 和尚はミナトの枕元にある刀に目を移し、それから問うた。


「大足二足、両足八足、二眼天眼通にして、いろべにとは、これいかに?」

「なぞなぞは得意じゃあないが……」


 ミナトはにこりと微笑む。


「色紅となるのは湯に浸かったときでしょう」

「ほう」

「あなたはそれゆえ、風呂に入らなかった」

「……」

「二つの眼が天を見るとは上を向いた眼のことで、大きな足とは二つのハサミのこと。ここにその足の数とくれば、答えは蟹です。答えはいかに」

「ううむ!」


 和尚はうなった。


「正解です。《かいかい》」


 そう言うと、和尚の姿は大蟹のようになった。

 なんと、和尚は化け物だったのである。

 おそらくその化け物というのも、例の『くびもんどう』であろう。

 いくら部屋が広くとも、大きな蟹は高さが六メートルほどもあり、ここでは狭い。


「刀を置いて出てゆけば見逃すが、いかに?」

「いやあ、それはできない注文です」


 ミナトは刀を手に立ち上がった。


「ならば、お覚悟!」


 そう叫びハサミで斬りかかってくる蟹に言った。


「刀はサムライの魂だ。手放せないんですよ。伊達に刀は差してない」


 キラリと光るハサミを瞳に映し、ミナトは語を継ぐ。


「お寺を壊しては罰が当たる。外でやりましょう」


 言い終えたときには、ミナトの姿は部屋になく、ハサミは空を切った。

 蟹がぐるぐるとミナトの姿を探していると。

 後ろから声がした。


「履物くらいはないと、うまく動けないもので。ちょっと取ってきました」


しゅんかんどう》の魔法によって、そこまでやっていたのである。

 バッと、蟹は振り向いて、


「貴様、いつの間に! 今までいかなる剣士も切り刻んできた我がハサミを避けるばかりか、そんな場所まで……」


 それには答えず、ミナトは問い返した。


「あなたが『首斬り問答』だったんですね」

「人間はそう呼ぶ。が……正確には、我はかにぼうという妖怪だ」

「蟹坊主さん。ところで、今の《かいかい》ってのは変身を解く合言葉かなにかですかい?」

「相手が我の問答に正解すると、変化が解けて蟹の姿になる。答えられなければ、横行するしか身動きも取れなくなる。そのような術だ。貴様ら人間の言うところの魔法か」

「それもなかなかおもしろいものですねえ」

「だが、答えられたからといって、貴様を見逃すつもりもない! 人間ごときが我に剣を向けたこと、後悔させてやろう! もはや問答無用! 食ってやる!」


 ハサミが飛び込んできた。

 鋭く刺すように高速で振り回されたハサミを、ミナトは刀で受ける。

 キーン! と音が鳴った。

 金属のような響きである。


「いやあ、硬いハサミだなァ」

「貴様、出来るな」

「普段あなたが相手にする坊主さん方と比べられりゃあ、ちょっとは鍛えておりますから」

「このハサミを受け止めたくらいでいい気になるなよ。これまで九十九人に挑まれたが、だれひとり、我の身体に傷をつけた者などないのだからな」

「へえ」


 ミナトは口元に薄く笑みを浮かべ、パッと距離を取り、居合いの構えを取った。


「ならば。手応えのある相手に出会えた礼に、僕も本気で斬らせていただきましょう」

「剣、槍、鉄砲、そんなもの、所詮は人間の作ったもの。やれるものなら――やってみろ!」

「《い・てんらい》」


 ミナトが、刀の柄を握った。

 次の瞬間。

 もう、蟹坊主の背中の甲羅が斬られていた。

 恐ろしく速い技だった。

 カチン、と刀を鞘に納めつつ、蟹坊主の背後に着地して、ミナトは悲鳴を聞いた。


「ギャアアァ!」

「この居合いは、《瞬間移動》であなたの背中に回り、それも上空から抜刀して振り落としたものです」


 ゆえに天来。

 天から降りて来たような一太刀であった。

 甲羅は縦真っ二つに割れ、綺麗に一刀両断されている。

 蟹坊主は力尽きたのか、甲羅を残して煙のように消えてしまった。

 妖怪退治は済んだ。

 ミナトはふらりと部屋に戻って眠った。




 翌朝。

 ミナトは布団を畳んで押し入れにしまって、澄厳寺をあとにすることとした。


「あの甲羅はどうにもしようがないし、近くに家はないし、放っておくより仕方ない」


 寺を出る直前、和尚がいた。

 これから寺に入ろうとしているらしい。

 和尚はミナトに聞いた。


「あの、この寺の方ですか?」

「いいえ。一晩泊めていただいたのです」

「ここには化け物が出ると聞きましたが、なんでも『首斬り問答』というそうで、昨晩はなにも出ませんでしたか?」

「あはは」


 ミナトはにこりと笑った。


「出ました。その『首斬り問答』、実は蟹の化け物で、蟹坊主と名乗っておりました」

「え? それで、無事だったのですか」

「まあ、ちょっと戦うことになって一太刀交えましたが、甲羅を斬って退治しましたところで」

「なんと! 蟹坊主は旧戦国の世の武将さえ恐れた妖怪と言われているのです。ありがとうございます! ありがとうございます!」


 和尚はミナトの手を取って感謝し、ミナトの案内で寺の庭に転がる大きな蟹の甲羅を目のあたりにした。

 甲羅に触れ、和尚はつぶやく。


「これはすごい。本当に人が斬ったものなのか。これほどに硬いものを斬ったというのに、切り口が驚くほどなめらかだ」


 蟹坊主を供養してもらった。

 この蟹坊主の甲羅は、旧戦国の世の武将さえ恐れた妖怪の甲羅ということで、この寺に魔除けとして祀られた。


「これから先、蟹坊主の甲羅は、澄厳寺を守り続けていくことでしょう」


 そんな和尚の言を聞き、ミナトは晴れて澄厳寺を旅立った。


「お気をつけて」

「ありがとうございます。それでは」


 ミナトは基本歩きで、修業がてら走ったりもして、人間が普通に歩いたのではとても進めない距離を移動していた。

 走る足が止まる。


「見えた。王都だ」


 晴和王国最大の都であり、あらゆる魔法が溢れる幻想都市。

 美しい桜の舞う夕焼け。

 王都に足を踏み入れ、懐かしき都を歩く。

 そこで、見知った人影があった。


「どうも。お久しぶりです」

「やあ。久しぶりだね、ミナトくん」

「忙しいお方がこんなところでどうしたんです? カエデさん」

「仕事を切り上げたところでね、このあと知人と屋形船で飲むことになってるんだ」

「へえ。風流ですねえ」


 知人のおとかえでは相変わらず忙しそうだった。その屋形船の席も、なにかの相談事だろう。


「ミナトくんはどうして王都に?」

「修業のためです。いろいろ回って、久しぶりに戻ってきました」

「そうかい。励んでいるようだね」

「ええ。道を極めるのは何年かかるかわかりませんから。では、僕はこれで」

「気をつけて。またね」

「はい。また」


 ミナトは歩き出す。

 一方のカエデは、しばらく歩き、目的の屋形船に乗った。

 そこにはもう相手が来ていた。


「来たか」

「お待たせしました。玄内さん」


 相手は、亀の姿をしている。げんないといえばこの王都でよく通った名前であり、晴和王国中でも有名だった。しかしその存在は幻のようなもので、自身も『まぼろししょうぐん』と呼ばれるカエデとは似通った存在ともいえる。


「先に飲んでたぜ。おまえも一杯」

「では」


 杯を受け取り、注いでもらったものを一口含む。


「そういや、あいつら……アキとエミが晴和王国に戻ってきたらしいな」

「ええ。変わらぬ二人を見ると安心します」

「まあ、今の王都はそんな時じゃねえ。都民が安心できるようにしないとならねえよな」


 カエデは切り出した。


「そのことです。玄内さん、相談というのは、あなた方『おうてんのう』にやっていただきたいことがありまして」

「ああ。……人斬り事件の始末だな」

「はい。リョウメイさんの《かい》によれば、我々の他に人斬り事件の幕を引いてくれる方が現れるといいます。ですから、なるべくこれより人斬り事件が起きないよう、夜の王都を巡回していただきたいのです」

「なるほどな」

「また、明日には他にもいろいろと起こるようで……」


 客を乗せ終えた屋形船は、ゆっくりと川を流れ出した。




「いなせだねえ」


 ミナトは水の流れを聞きながら橋を歩き、足を止めた。

 桜舞う下を川に流されるようにゆったりと屋形船がゆく。

 それを見下ろすと、船からは着物をまとった亀が人間のように指先でおちょこを持って酒を飲んでいるのが見えた。

 川面が美しく揺らめく。


「綺麗だなァ」


 夜桜を眺め、ミナトは風に舞う桜の花びらをひょいと一つつかみとった。桜の花びらを見つめる。


「雰囲気だねえ」


 幻想的な王都を久しぶりに楽しみ、ミナトは橋を渡った。


「懐かしい。久しぶりに帰ってきたが、変わらないねえ。風流ってものだ」


 そこで、四十がらみの男性に声をかけられた。


「キミ、腰に刀は差さないほうがいい。今の王都ではね」

「どうしてです?」

「ここ四日、王都では人斬りが出ているんだ。それも、狙うのは帯刀した者ばかり。噂では幕末の人斬りだって言うよ」

「へえ。怪しい人もいるものですね」

「だから、刀は布に包んでおきなさい。もしくは家に置いておくべきだ」

「ご忠告、ありがとうございます」

「じゃあ」


 親切な男性は通り過ぎていった。

 ミナトは、だれにともなく、ひとりごちる。


「でもね、刀はサムライの魂だ。手放せないんですよ。伊達に刀は差してない」




 かくして、王都の夜は更けてゆく。

 人斬り事件は、翌日、この少年の手によって終焉をみるのだが、今はまだ十三番目の月が夜桜の上に浮かぶばかりである。

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