幕間延劇 『娘は延命の法を頼みに東へ歩く』

 今より四半世紀も前のこと。

 創暦でいえば一五四五年ほどであろうか。

 季節は冬。

 十二月の初頭であった。

らく西せいみやに住む、やすかどえんめいという陰陽師が旅に出た。

 エンメイの旅は修業の旅であり、東へ東へと歩いていた。

 修験者のごとく歩きつめ、東の都『おうあまみやに辿り着いたそうな。

 そこには父と知り合いの陰陽師もいたから、学ぶこともほどほどに、王都を発った。

 さらに東へ進んだ。

 そうして、エンメイはこの年の暮れに、『ひかりみやこしょうくにを通りかかった。


「この国には、世界樹がある。こうした場所でも、徳を積まねばな……。まずは世界樹を目指してみるのがええやろな」


 まだ二十代も前半のエンメイだが、体力よりも智力ばかりを鍛錬してきたものだから、歩くのもつらくなってきた。

 喉も渇いた。

 照花ノ国の中心地である『みやここうほくみやから、世界樹を目指して西に進路を向け歩いていた、しんしんと雪降る大晦日、エンメイは農家に立ち寄った。


「ごめんください。どなたか、いらっしゃいますか」


 中からは、若い娘が出てきた。


「はい。どちらさまでしょうか」


 娘はこのあたりではちょっと見ない美人で、年は十六か七か。農家の娘らしくもなく、色も白かった。


「旅の者です。喉が渇いて。水を一杯いただけますか」

「そうでしたの。少々お待ちくださいませ」


 台所へ駆けて行ったとみえ、すぐに娘は戻ってきた。おぼんを手に持ち、水を入れたコップをエンメイに差し出した。


「どうぞ」

「ありがとうございます」


 ごくごくと飲み、エンメイはつぶやく。


「うまいわ。けど、甘いなあ」

「すみません。今、魔法の練習をしていましたのでうっかり」

「いいえ。甘い水もいいものでした」

「よろしければ、おむすびもあります」

「これは、かたじけない。いただきます」


 心優しい娘は、今度は普通の水を持って来ると、黙って静かにエンメイが食べ終わるのを待っていた。

 ごくんと喉を鳴らしておむすびを呑み込み、食べながらも飲んでいた水のコップも空にすると、エンメイは再度礼を述べた。


「ありがとうございました。おいしかった」

「修験僧のお方でしょうか」

「そのようなものです」


 答えながら、改めてエンメイが娘を見ると、「はてな?」と気に掛かることがあり、手首の数珠をじゃらっと鳴らした。


「失礼」

「?」


 目の前の修行僧がなにをしているのか、娘はわからず、小首をかしげている。

 エンメイはちらとまた娘の顔を見た。


 ――今、我が家に伝わる陰陽術の魔法《ようかいがくこう》が一つ、《かい》でこの娘の顔を見たが……なんと可哀想に。やはり死相が出ている。


 代々『陰陽師』として家系が続くエンメイのやすかど家では、いろいろなことを怪異的に見ることができる。

 それによれば、この娘は近いうちに死んでしまうと出ているのである。


「年はいくつになりますか?」

「ワタシは十月に十六になったところです」

「そうでしたか」

「それが、なにか……?」

「飯と水を恵んでくだされたお礼と思って、失礼を承知であなたの顔を見てみたが、どうも死相が出ている。それによれば、十八になる年の冬、一月二十四日に病気で亡くなるということです。まだ若いのに、困ったことや」

「死相……ですか……」


 娘は驚いていた。

 得体の知れぬ旅の僧侶が言うことに、どれほどの信憑性があったものか。しかし、娘は素直にエンメイの言葉を信じ、唖然としている。

 そこに、娘の父親がやってきた。

 一仕事終えた様子である。


「お客さんですか。そこらで育てているいちごの他、なにもない家ですが、よければゆっくりなさってください」

「どうも、先程お水とおむすびをいただいたところです。そろそろ失礼しようとしたところでしたが、ちょっと気になったことがありましてな」

「ほう」

「娘さんに、死相が出ているのです」

「死相! これはなんとしたことだろう」


 まだ四十代も後半といったところの父親は、若い娘の死相の話などを持ち出されて大変驚いた。

 父親はエンメイに怒るでもなく真剣に向き合ってくれたので、エンメイはちゃんと説明した。


「それは本当ですか?」

「気の毒ですが、死相に出ていることですから」

「天はなんて無慈悲なことをなさるのだろう……。僧侶の方、なにか娘を救う方法はありませんか」

「ワタシ、まだ死にたくはありません。助かる道があるのでしたら、どうか」


 二人に頼まれて、元より救う方法を教えるつもりであったエンメイは、その方法の確認のために懐から厚い本を取り出した。


「我が魔法に、《かいてん》というものがあります。自分さえ知らないことをも、怪異の力を借りて知ることができるものです。これで、ちょっと調べてみましょう」

「有難い! お願いします!」

「よろしくお願いします」


 エンメイはさっそく本を開いた。


 ――すでに知っているが、その確認や。


 この辞典を引いて調べてみたところ、自分の知っている方法でよいらしいとわかった。


 ――これをやるには、死の一年以上前でなければいけない。まだ間に合う。ほんまよかったわ。あとは、この娘がちゃんと果たせれば、命は救われるはずや。


 あとひと月遅かったら、間に合わないところであった。

 さっそく、エンメイは口火を切った。


「今から言うことを、来年の一月二十四日までにしてください」


 二人は深くうなずいた。


「これは、死の一年以上前でなければ効果がありません。ただ、なるべくならば早い方がいい。年を越して、三が日を過ごされたら、行動してもらいたい」

「なんでもします」


 娘が言うと、エンメイは丁寧に教えていった。


「まず、お酒を用意なさい。甘いお酒がいい。杯は三つ必要です。それから、ちょうど都合がいいことに明日から正月です。正月のご馳走を重箱の一つでいい、それもご用意を。また、ここはいちご農家ということですから、いちごも気持ちばかり持たせて、日の出とともに東へと向かってひとりで歩きなさい」

はな城のほうへですか?」

「目的地はそこではありません。大事なのは、旅立つ際に目隠しをすることです。家の戸を開けて外に出るときには、ちゃんと目隠しをしておくのですよ。そして、手には杖を持って歩きなさい。さすれば、杖の先がなにかに当たります。それは岩です」

「岩の前に出るのですか」

「そこからはもう進めませんから、そこで目隠しを取りなさい。きっと、そこには岩の上に三人のお坊さんが座ってなにか仕事をしています。黙って彼らにお酒をあげて、おせち料理も馳走してやり、いちごも食べさせてやりなさい。彼らがすべて食べ終えたとき、三人のお坊さんに頼んでみなさい。エンメイに言われてやってきたと言えば、都合してくださることでしょう。くれぐれも、娘さんひとりで。家を出たら、誰もついて行かずひとりでやり遂げるのですよ」

「わかりました。ありがとうございました」

「本当にありがとうございました! そんな方法まで教えてくださるとは、なんとお礼してよいか。時間さえあるなら、今宵の年越しは共にしませんか」


 父親に誘われるが、エンメイは首を横に振った。


「いいえ。急ぎますから」


 急いでいるわけでもなかったが、にこりと笑ってエンメイは辞した。

 家の前でエンメイはふと振り返り、数珠をじゃらっと鳴らした。


「これを忘れてはあかんかったわ。《ようかいがくこう》が一つ、《ゆうかい》。本来は、怪異を使って拐かして誘い出す術やけど、今回のは現世と黄泉との狭間へ誘うものや。そして、《けっかい》。これで、式神を使って妖怪の結界を張った。あの娘は危ないもんに横から拐かされることなく、安全に辿り着けるやろ」


 降りしきる雪の中に、エンメイは消えていった。




 年が明けて、創暦一五四六年。

 正月がやってきた。

 一月の三日。

 エンメイは、星降ノ村に到着した。

さいてのむら』と称されているだけあって、世界樹ノ森に入るにはもっとも近い村の一つでもあった。

 そこで、エンメイは鍛冶士の家に一晩泊めてもらえることになった。


「ほほう。それじゃあ、あなたは陰陽師じゃったか」

「まだまだ修業の身でもありますが」

「お若いのに立派なことじゃな」


 この村の人たちの農具をこしらえてやっているという鍛冶士で、おきがわつねのりといったが、エンメイが見たところ、この人は六十を超えているがまだ死相は見当たらない。


「さっき話してくださった娘さんも、無事に延命できればよいがのう」

「そうですね。あの……」

「ん? なんじゃ」

「余計なお節介ではありますが、ツネノリさんには死相もありませんし、七十以上までは生きられるでしょう。病気などなく、大往生だと思われます」

「それはいいことを聞いた。しかし……」

 うれしそうに微笑んでみせた顔が曇り、エンメイは聞いた。

「なにか、不安がおありで?」

「村の連中の農具を打ってやれるのはわしだけじゃ。だれか、代わりに打ってやれる若いもんが出てくるといいんじゃが」


 じゃらっと数珠を鳴らして、エンメイは《かい》を使いどうなるものかと視てやった。ハッキリと映像が出るものでもなければ、このあとの筋書きがわかるように文章で理解できるものでもない。

 だが、それによると。


「ああ、大丈夫でしょう。心配はいりません。託す相手はやがて。それから、おもしろいことがあります」

「おもしろいこと?」

「この村には、それはそれはとても不思議な子が生まれ出ることになります。それも、一度に二人も。この村を、いいえ、世界を幸せにする妖精のような二人です」

「ほう。それはいつじゃろう?」

「さて。おそらく、五年から十年の間でしょうか」

「楽しみなことを聞けたものじゃ。今日はめでたいのう。よい正月じゃ」


 エンメイはにこりと微笑み、ふっと窓の外を見た。


「命を大事に。そして、家族を大事にな」




 一方その頃……。

 娘は三が日を家族と過ごして。

 間もなく、一月四日の夜明けを迎えようとしてた。

 両親と準備しておいたお酒やら杯やらを持って、旅支度ができ、呼吸を整える。白い息を吐き、不安と緊張でドキドキしている胸を落ち着かせた。


「サトミ。教えられたようにやるんだよ」

「気をつけてね。サトミ」


 もしも失敗すれば、両親との今生の別れとなってしまう。

 だから、娘――サトミはしっかりと両親の顔を目に焼き付けた。


「うん。お母さん、目隠しして」

「はい」


 母親が目隠しをしてやり、サトミは杖を手に、戸を開けた。


「いってきます」




 日の出とともに、サトミは東に向かって歩いた。

 ここからまっすぐ東だと、途中でなにかにぶつかってしまうのはわかりきっている。

 しかし、あの旅の僧の言葉を信じて、思い切って東へと進み続ける。

 不思議なことに、なににぶつかることもない。

 両親の声さえ、家を出たときから聞こえてこない。

 サトミはひらすら歩き続けた。

 気づけば冬の寒さもなくなり、妙な浮遊感さえあった。

 いったいいつまで歩いていたであろう。

 時間の感覚もなく無心に歩いていたところで、杖はなにかに当たった。

 コン、と杖が叩いたのは、おそらく岩だと思った。


 ――今、目隠しを取ればいいのよね。


 恐る恐る、目隠しを取る。

 すると、そこには岩があった。

 周囲は暗い。

 夜だろうか。

 あるいは、窟であろうか。

 数歩後ずさって顔を上げると、顔の高さよりやや高い場所に、三人のお坊さんが座っていた。


 ――やった。ここでよかったんだわ。


 お坊さんの後ろにはろうそくが灯っており、お坊さんたちはそれぞれが熱心に仕事をしているようだった。

 一人は帳面になにかを書き記し、一人はそろばんを弾き、一人は調べ物をしていた。

 なにか引き込むような光景に目を奪われていたが、サトミは我に返って、お坊さんの手に杯を持たせた。


 ――甘いお酒がいいと言われたけど、普通のお酒しかご用意できなかった。でも、ワタシが今やっと完成しかかった魔法を使えば、飲み物の味を甘くできるわ。


 マドラーで、瓶に入ったお酒をかき混ぜる。


 ――元々、家で作ったいちごにかける練乳の代わりに、牛乳でも甘い味を楽しめるように思っていたけど、こんなところで役立つなんて……。


 反時計回りに回すと甘くすることができる。

 のちにちゃんと魔法名を決め、時計回りにすると苦くすることもできるようになるのだが、今はほんのり甘くするのみだった。しかし、お酒を甘くするだけならちょうどよい。

 無言で、甘くしたお酒を杯につぐ。

 三人につぎ終えると、次におせち料理を馳走した。

 最後に、実家で作っているいちごをやった。

 お坊さんたちは仕事をしながらもすべて綺麗に平らげると、やっと顔を上げた。


「うまかった」

「滅多に食べられないものをいただけたな」

「しかし、だれが……」


 そこまで言って、同時に、三人のお坊さんはサトミの存在に気がついた。


「そこの娘、そなたが我々に馳走してくれたのかな?」

「はい。延命にと言われてやって参りました。来年の一月二十四日までの命とのことです。どうか、ワタシの寿命を延ばしてはいただけないでしょうか」


 真ん中に座るお坊さんが諭すように言うには、


「人間の寿命というのは、定められたものだ。運命を変えることは、普通はいけないのだ。だから我らの手で運命を変えるなど滅多なことできない」


 ということだが、


「とはいえ、滅多なこと食べられないものをいただいてしまったしな」

「そうじゃな。延命……ふふ、エンメイかのう。あやつに言われてということらしいし、あやつの頼みでは断れまい」

「うむ。あやつの家系には代々、おかしな者がここに直接来ないよう、術で助けてもらうことも多い我らゆえな」


 相談している三人の会話をじっと聞いて、サトミは心臓の鼓動を抑えるように深く呼吸する。

 そのとき。

 まったく、いつからそこに川などあったのか、川が現れたと思うと、河童のような船頭が船を漕ぎ近寄ってきた。その船の上では、眠ったように倒れた若者がいる。

 三人のお坊さんはそちらを見て、うち一人が帳面を確認した。


「うむ。死ぬにはまだ早いらしい」


 そう告げられ、河童のような船頭はまた船を漕いで離れて行ってしまった。川も闇に消えてゆく。

 妙なものを見たと思っているサトミであったが、お坊さんの一人が教えてくれる。


「ただの《黄泉よみふねながし》じゃよ。たまにのう、寿命でもないのに誤って死にかける者がおる。そういった者を我らの遣いの河童が連れてくる。確認のため調べるんじゃ。今のは死相のない青年であったし、そのまま帰ってもらったまでよ」

「さて。娘。名前はなんという」


 再び、真ん中のお坊さんに問われて、サトミは答えた。


とちみねとみです」

「年は?」

「今年の十月二十二日に、十七になります」

「なるほど。何日と出ている?」

「六三〇三日」


 二人の坊さんがしゃべる横で、そろばんを弾いて坊さんが計算して、


「確かに、それだと来年の一月二十四日までじゃ」

「まだ若いのに、それはやはり可哀想なことだ」


 人の運命を変えてはいけない。

 だが、三人のお坊さんは馳走もしてもらったし、ちょっと手心を加えてやることにした。


「そなたは、何歳まで生きたい?」

「結婚して、子供を授かって、その子が大きくなるまで生きたいです」


 三人のお坊さんは顔を見合わせてうなずき合った。


「うむ。この子ならば、問題はあるまい」

「心優しい娘じゃ」

「では、こうしよう」


 帳面に書かれていたのは日数。

 この日数「六三〇三日」の頭に、「三」の字を付け足した。

 これによって、サトミの寿命は「三六三〇三日」となった。


「よい思案じゃ。そなたの寿命は八十年ほど延びたぞ」

「三万日が増え、百歳近くまで生きられる。子供どころか、ひ孫まで見られるかもしれないわ」

「九十九歳までとあらば、あやつも文句はあるまいしな」


 はっはっは、と三人のお坊さんは愉快そうに笑う。


「ありがとうございます!」


 平伏するようにサトミが膝をついて深々と頭を下げ、再び顔を上げると。

 あたりはすっかり明るくなっており、澄んだ冬空から朝日がこぼれる、小高い丘の上であった。




 その後、サトミは家に戻ると、寿命が延びたことを両親に話して家族三人で喜び合った。

 数年後、サトミはたまたま王都から旅をしてきていた優しく誠実な青年に出会い、彼と恋をして結婚し、彼の暮らす王都へ移った。姓も相野になり、夫婦で営む喫茶店『喫茶あいの』もささやかながら順調満帆、子宝にも恵まれた。

 生まれた子は、すくすくとして成長して、サトミによく似た美しい娘になったそうな。

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