34 『王都の物語はここに幕を閉じる』

 四月十日。

 リラはこの日、王都を発つ。

 いとこのナズナの家を出て、お昼前から歩いていた。


「お姉様とナズナちゃん、そしてサツキ様は浦浜に行く。それならリラも」


 自分を叱咤激励するようにつぶやいた。

 浦浜をただ目指せばいい。

 そうすれば会える。

 考えをシンプルにすると、会えるまでもうすぐだと思えて気分も明るくなった。

 現在、リラはもうすぐ『王都』あまみやを出ようというところまで来ていた。あと二時間ほど歩いてもまだ武賀むがくにには入れないくらいだろうか。


「なんだか、王都に来てから長かったわ」


 ヴァレンとルーチェの二人と別れ、リョウメイに会い、スダレの代役として少女歌劇団『はるぐみ』にまじってアサリたちと共に歌い、ナズナの家に泊まった。たった一日なのに、いろいろあった。

 そんな王都から一度離れるのだ。

 この先、道が穏やかな空気になる。賑々しい中心地から離れているのがわかる。

 だが、賑やかな人はどこにでもいるもので、一組の男女が陽気な笑顔でおしゃべりしていた。

 男女は、そろって十代半ばから後半に見える。

 日の丸が入ったサンバイザーもおそろいで、文字が異なるだけである。


「今回の王都は楽しかったね!」

「ねー! いろんな人たちに会えたよー」


 と、少女がターンする。

 少年は懐からチケットを取り出して天に掲げる。


「これからの旅でも、いろんな人に会えるんじゃないかなってボクは思うんだ。海外だもんね」

「うん! どんな人が待ってるかな?」

「いろんな人が待ってるかもしれない。でも、待ってるだけじゃない。ボクたちから会いに行くんだ!」

「それでこそアタシたちだよね!」


 屋台のおじさんが綿あめを二人に渡す。ぺんぎんぼうやというキャラクターが描かれたビニールに入ったものと、リラが好きなテディボーイというキャラクターが描かれたビニールに入ったものである。


「はい、まいど」

「ありがとう。おじさん」

「ごきげんよーう!」


 二人は元気に軽やかに駆けて行った。

 その二人を眺めながら、リラは微笑む。


「リラの目標はお姉様とナズナちゃんとの再会だけど、サツキ様との出会いはとっても楽しみ。リラから……リラから会いに行くんだ!」


 さっきの二人のマネをしてつぶやき、リラは胸の前で拳を握る。

 あの二人がいなくなると、通りは静かになってきた。


 ――四月の街なのに、ひっそりしちゃったみたいだわ。


 華美な香りが王都から遠ざかってゆく気がする。会いたい人たちがもうこの都を去ってしまったからだろうか。

 またしばらく歩と。

 お店の前で駄々をこねている子供がいた。


「トウリさま。これ買ってください。姫はこれが欲しいです」

「遊びに来たんじゃないんだから」

「だってー。姫は今回、いい子にしてお手伝いもしました」

「うん。助かったけど、お買い物するお金がないんだ。あとは食費だけ。ごはんが食べられなくなってもいいのかい?」

「ごはん……ごはんは食べたいです!」


 一人は、自らを「姫」と言う少女で、リラよりは一つか二つ年下か。薄紅色の着物、おかっぱ頭に梅を模した髪留めをした、明るい子のようである。

 もう一人は、「トウリさま」と呼ばれていた。年は二十代前半といったところで、柔和で整った顔立ちをした青年である。灰色の着物を優美に着こなして、深い緑色の羽織をその上にかけている。身長は一七〇センチほどだろうか。

 気になってリラが近づいてみると、姫はおもちゃを欲しがっているらしかった。

 けん玉である。

 これならリラも知っていたし、遊んだこともあった。


 ――そういえば、けん玉はお姉様よりも上手にできる遊びだったわ。


 思い出もよみがえり、なんだか放っておけなくなる。

 リラはつい声をかけた。


「けん玉ですね」


 ぱちっと少女の瞳がまたたき、リラを見上げた。




 ちょうどこの頃、橋の欄干に背中を預け、リョウメイはつぶやく。


「あそこで出会わんほうがええって出てんねん。だからすまんな、リラはん。お姉さんとの再会はもうしばらくお預けや。その分、この先いい出会いが待ってるってことなんやで。かけがえのない出会いたちが、未来に在る奇跡を繋いでゆくんやからな」


 一陣の風が、地面に敷かれた桜の花びらを舞わせる。


「そういえば……もう一つ。本当はな、あのお守りに出会いを引き寄せる効果なんかないねん。お守りってのは、思い込みが大事なものやからな。真の効果は、身代わり。リラはんにこの先訪れる命の危機を一度だけ代わってくれる魔法道具《しんじゅ》が中に入ってるんや。効果を発揮したら割れて、ただのお守りになってまうけどな」


 桜の花びらが目の前を流れゆく。


「で、あの二人にはそろそろ会えたやろか……」


はるぐみれいじんさわつじあさが、リョウメイの前にやってくる。


「リョウメイさん。この扇子で、鬼に関する物は最後ですよね」

「助かるわ」


 受け取ると、じゃらっと数珠を鳴らした。


「《ようかいがくこう》、《くんかい》。これでこの鬼の怪異は式神としてうちの言うことを聞いてくれるお利口さんになったわ。あとは、うちらにこの任務を授けた『まぼろししょうぐん』カエデはんに渡して、この扇子を持ち主に還してもらえば仕舞や」

「カエデさんの《還手かえで》はすごいですよね。手で触れた物を、元の場所や相手、そして時間にも還すことができるんですから。さすがは本来十六代目将軍となるはずだったお方です」

「せやから『幻の将軍』と裏の世界では呼ばれてはるけど、今もあの能吏様は鋭い政治力で晴和王国王家を支えとる。泰平の時代には将軍家は軍事をする必要もほとんどないから政治力が大事やった。そういう意味では、今もあの頃と同じく音葉家が政治を司るのは変わらへん。おかしなもんやなあ。あの能吏様が健在やから晴和王国は新戦国時代に入っても国家体制が崩れずに済んだんやから」


 もしあのお方があと十年早く生まれてたら、とリョウメイは思う。新戦国時代にもさせず、今もうまいこと世界と調和させ、泰平の世を自分たちが謳歌できるようにしてくれたと思われるのである。


「まあ、カエデはんにはうちがそれを届けるから、『春組』のお仕事はこれで終わりや。ご苦労さん」

「もう、王都はしばらく平穏ですね。ところで、さっきは独りでなにを言ってたんですか」

「《ようかいがくこう》、《かい》で視えたんや」

「……」


 なにを、とアサリは思って次の言葉を待つ。


「ほんまはあの『りょう』――最高の好敵手に塩を送るような真似したくはなかってんけど、これが、リラはんにはいい出会いって出てたからなあ」

「リラ……」


 どうやらリョウメイはリラの行く末を《かい》で視ていたらしい。


「オレはやっぱり、リラのこと、なんだか放っておけない子だって思いました。旅がうまくいくといいですね」

「そりゃあ、うまくいくやろ」

「視えましたか?」

「視んでもわかるわ。いい目しとったからなあ」

「そうですね。リラ、頑張れよ」


 アサリは空へとつぶやき、それからリョウメイに向き直った。


「リョウメイさんもいろいろとお疲れ様でした」

「今回はおもろいもん仰山見られたから、ちっとも疲れんかったわ。さあて、あっちの二人はどうなんねやろな。サツキはんはまっすぐやし、ミナトはんはふわふわしてるから心配やで。うまく出会えるといいが、いつになるのか」


 リョウメイは妖しく笑った。




 リラはけん玉をおねだりする少女に微笑みかけた。

 続けて、


「ちょっとおいで」


 と手招きした。


「はい」


 少女はなんだろうかという顔でリラについて行って店から少し離れる。トウリという青年がその後ろから見守る。

 お店からは充分に離れたと思い、『画工の乙姫イラストレーター』リラはリュックから色えんぴつを取り出した。


「《真実ノ絵リアルアーツ》」


 空中に色えんぴつを走らせる。

 けん玉を描いた。

 完成すると、けん玉が実体化して重力を帯びて落下する。

 それを、少女は「よっと」と言ってつかみ取る。


「すごいです! けん玉が出てきました!」


 目を輝かせてけん玉を見つめ、それからリラを見上げる。


「ありがとうございます!」

「いいえ」


 トウリという青年もペコリと会釈した。


「この子のために、わざわざありがとうございます。なんとお礼したらよいか」

「お礼なんて結構ですよ。ただ、わたくしも姉と遊んだことを思い出して、そちらの子にも差し上げたくなったのです」


 少女はリラに詰め寄って、


「姫は、とみさとうめといいます。よろしくお願いします」

あおです。こちらこそよろしくお願いします」


 子供相手だから警戒心が緩み、ついリラは本名を名乗ってしまう。

 青年も名乗る。


「リラさんですか。私はたかとうです。よろしくお願いしますね」

「姫とトウリさまは他国との交渉のため、お出かけしていたのです。その帰り道でした」


 ウメノが得意そうに胸をそらした。

 ええと、とリラは言い淀む。


 ――そこまで聞いていないのに、そんな個人情報を言っていいのかしら……。


 困った様子のリラを見かねたのか、トウリはにこりと穏やかに微笑んで優しく言った。


「仲良くしようという交渉が成立したので、お気になさらず。隠すようなことではありませんから」

「そうですか」


 ホッとしたリラに、ウメノは一生懸命に説明する。


「そうです。姫はさんえつくにの姫で、トウリさまは武賀むがくにです。今回お話ししてきたのはそうくにですよ」


 一応、晴和王国の地理もある程度理解しているリラには、それぞれがどこなのかはわかる。現代で言えば、参越ノ国が北陸、武賀ノ国が東京都の西側と神奈川県の川崎市、安総ノ国が千葉県の辺りとなる。


 ――そして、交渉事を引き受けるほどとなると、トウリさんはその国の中でも重要な地位にある方かしら。


 そう思いながら、リラは相槌を打つ。


「お二人は別の国の方同士でしたか」

「ええ。ただ、姫は同盟国からの客でもあり、今は武賀ノ国でいっしょに住んでいるんです」

「トウリさまと姫はいつもいっしょです」


 ウメノが言い募るのを聞くと、なんだかおかしくなる。

 リラは聞いた。


「でも、交渉事にウメノさんも連れて行かれるのは大変でしょう?」


 これにはウメノが黙っていない。


「姫はトウリさまのお役に立ちます! 今度のときだって、姫の魔法で奥方さまに気に入ってもらったのです」


 どうやらこの子は魔法が使えるらしい。

 だから自分も一人前みたいな顔をして得意だったわけである。


「うん。そうだね。姫、せっかくだから、やってあげたらどうかな」


 トウリに言われてウメノはやる気満々にうなずく。


「わかりました。リラさま、鏡はお持ちですか?」

「ええ。はい」


 と、リラは手鏡を取り出した。


「よく見ていてください」

「……」


 リラが手鏡を見ていると、ウメノはリラの顔をいじっていった。まるで粘土で遊ぶみたいにこねては形を整えて、リラの顔が別人のものになった。


「ど、どちらさま……」


 困惑してリラがつぶやく。

 とぼけたような顔になってしまっている。


「《ねんどあそび》という魔法です。戻せます。こちょこちょこちょ」


 そう言ってこちょこちょとなでると、元の姿に戻った。0・1ミリのひずみもない。


「姫はねんど遊びが好きだから、ちっちゃい頃にこの魔法が使えるようになっていました」


 今でもちっちゃいウメノが言うと、いつの頃だか逆にわからないリラである。

 トウリが補足してくれる。


「姿形を変えることができる魔法です。特性として、術者である姫が触れた場所が粘土状に柔らかくなり、形を変えられるのですが、対象は自分・他人を問いません。もちろん、術者の姫にその力があるのみで、他人が操作できるものではない。また、表面しか変形しないため内蔵機能などには影響しません」

「お腹のお肉を取っても、脂肪は減るけど胃袋はなくなりません」


 と、ウメノは自分の二の腕の肉をつまんで手に取った。そしてまた二の腕に戻した。


「別の場所にくっつけられもしますが、捨てることもできるんです」

「なるほど。それは喜ばれる魔法ですね。少しだけ自分の見た目をこうしたい、という願いはだれにでもあることです」


 トウリはもう少し補足して、


「その発展形に、姫が触った場所の周囲を、姫以外の人間でも一分間だけ自由に形を変えることができるというものがあります。詳しくはまた話すことがあれば話しますが、これを交渉材料にすると、案外うまく話が進むことが多いのですよ」


 真剣に話を聞けば聞くほど、リラはウメノの魔法がちゃんとトウリの役に立っていることがわかった。


「すみません。リラとあまり変わらない年頃だからと失礼なことを言ってしまいました」

「いいですよ。わかってもらえたので気にしていません」


 ウメノは随分とわかりやすい性格であるらしい。

 トウリは改めて、


「そういえば、リラさんはお一人ですね。この先はあまみやを出てしまいますが、これからどちらへ?」


 と聞いた。


「わたくしは、浦浜へ向かって歩いてみようと思っています」

「一人で?」

「はい」


 少し、トウリは考える。


「この先、魔獣や妖怪の類いはあまり出ないとは思いますが、ならず者や盗賊もいますし、一人旅は危険かもしれません。けん玉のお礼に、同行させてもらえませんか?」

「トウリさま、浦浜だと通り過ぎてしまいますよ?」


 リラが答えるより先に、ウメノが疑問を発した。


「浦浜はおうみさきくにだから武賀ノ国とは隣だし、一日か二日、寄り道するだけだよ」

「じゃあ、じゃあ! 姫はカレーと肉まんが食べたいです!」

「いいよ」

「わーい! ばんざーい」


 ウメノが諸手を挙げて喜んでいるのを見ると、もう三人で行くことが決定しているかのようだった。


 ――これは、お世話になってもいいのかしらね。あら? でも、食費しか残ってないからけん玉を買えないって言っていたような……。


 この世界では、普通のけん玉はそれほど高価でもないが、ウメノが見ていたのは可愛らしい絵柄が入っていたものだから、二人分の外食費くらいにはなる。  だが、おそらくトウリはウメノのわがままをなだめていただけで、本当にお金に困っているわけではないのだろう。

 そう思ってくすりと笑う。

 すると、トウリはにこやかに言った。


「行こうか。馬車を呼んであるんだ」


 それから、リラはトウリとウメノの二人と共に旅をすることになった。

 ウメノは人懐っこいし、トウリは穏やかに見守っていることが多く面倒見がいいたちで、リラも居心地がよかった。

 弾かれたような笑顔でウメノは言った。


「トウリさま。もしかしたら、あの『えきしゃずいうんさまが言っていたのはリラさまのことかもしれませんね」

「わたくしのこと?」


 リラが小首をかしげると、トウリが教えてくれる。


「私たちにとってよき出会いがあると、人相にあったそうです」

「それは素敵なことですね。きっと、わたくしにとってもよき出会いなのだと思います。改めて、よろしくお願いしますね。トウリさん、ウメノさん」


 胸に入れていたお守りを、リラは優しくなでる。


 ――さっそく効果があったみたいです、リョウメイさん。


 リラとトウリとウメノ。

 三人を乗せた馬車は、浦浜へと向かい、ゆっくりと進む。

 コトコトコトコトと、小気味よい音を鳴らして。

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