19 『宝来瑠香は見えない答えを探し続ける』
選ばれし者だけが座れる椅子に腰掛ける存在。
剣や盾などの武器を持つ相手に対して負けることはこれまでなかった。それゆえに『
――話に聞いていた通りだ。『
オーラフはすらりと剣を抜いた。
「いざ、勝負!」
サツキは、チナミに目で合図をして、ルカとナズナに言った。
「引くぞ」
「わかったわ」
「……え、は、はい」
「《
チナミが扇子を舞わせて砂嵐を起こし、敵との視界を遮った。
「わっ! なんだこれ!」
女騎士が目をつむる。
両陣営の間に砂嵐が起き、サツキはチナミの案内で来た道を引き返すように走る。ナズナは空を飛び、ルカも三人に続いた。
――四対二だが、相手が悪い。オーラフ騎士団長は強すぎる。ルカでも勝てないんじゃないかと思う。まずはクコとの合流だ。
だが、角を曲がったところで、サツキの前にオーラフが立ちはだかった。
「なぜ」
サツキは急停止して、オーラフをねめつける。
余裕綽々の表情でオーラフは宣言した。
「オレから逃げることはできない。諦めろ」
数秒遅れて、女騎士が後ろから追いついてきた。
「くだらない目くらましなんかしやがって!」
がたいのいい女騎士は、身長一八〇センチを超える。背負った剣も大きく、腕力もありそうだった。
「落ち着け、モリィー」
「はい」
「まずはハンドクリームだ」
「はい!」
騎士団長オーラフの指示を受け、モリィーはいそいそとハンドクリームを塗りだした。呼吸を整えているところを見ると、気持ちを落ち着けるためなのだろうかとルカは考える。
「そこの
「いくら怒りでいっぱいになっていても、オーラフ騎士団長に指示されればなんでも言うことを聞きますよっ!」
モリィーが従順に威勢良く答え、オーラフは小さく笑った。
「そうだったな。さて、オレと戦うのはキミだ――『
「そういうことだ!」
と、モリィーが動いて大きな剣でルカに斬りかかった。
「……」
ルカが避けると、モリィーはニヤリと笑った。
「《
パントマイムのような動きで両手のひらを使い円を描いた。さらにもう一つ描く。どちらも楕円であり、
「ルカ、壁だ。見えない壁が張られた」
それは目の魔法《
「どういうこと?」
「おそらく、俺とルカの分断のためだ」
その壁の効果はいくつか考えられるが、目的は明白である。
モリィーは得意げに言った。
「正解だ! あたいは魔法を使う前にハンドクリームを塗ると、見えない壁を作ることができる! やるな、『
サツキはそのモリィーの言葉を無視して、ルカに知り得る範囲の情報を話す。
「壁は楕円が二枚。動かせるか、破壊できるか、魔法は通すのか、時間制限があるのか、それらはわからない。だが、簡単にはこちらに来られないと思う。ここからは二手に分かれて戦おう」
「それしかないみたいね。了解よ」
見えない壁を隔てて、サツキ側にいるのがチナミとナズナとオーラフ、ルカ側にいるのが『鉄壁』のモリィー。
――ルカの強さならば心配はいらない。まずいのはむしろこっちだ。オーラフ騎士団長の魔法もわからない。
モリィーはルカを挑発する。
「こっちに来い! おまえの墓場は眺めの素晴らしい川沿いにしてやる!」
「うるさい人」
ルカはつぶやき、走り出そうとするモリィーに続いて歩く。
別れ際、サツキはルカに告げる。
「ルカの力、見せてやれ。俺も俺の戦いをする」
こくっと小さく顎を引き、ルカはモリィーのほうへと歩を進めた。
モリィーは走っては止まってにらみつけ、ルカは冷然と歩を早めもしない。それには考えもあった。
――本当は、あの女騎士を手早く倒してサツキの援護に駆けつけたい。でも、私は人間と戦うのは初めて……。冷静にいかないと。あの女騎士がどれほどの腕前なのかもわからない。サツキの邪魔になるのは最悪だわ。着実に……。
作戦というほどの考えではない。
だが、心構えとしてのルカなりの考えだった。
慎重を期したルカの戦闘は、どうなるのか……。
壁を隔てた向こうでは、サツキが考えをまとめたところだった。
――俺じゃ勝てない可能性のほうが、高い。だったら、王都見廻組に来てもらうのも一つだ。幸い、チナミもナズナも動ける。
サツキはチナミとナズナに言った。
「チナミ、ナズナ、二人は屋根の上から王都見廻組を呼びに行ってくれ」
困惑したナズナをチラと見たチナミは、一瞬で判断する。
――この騎士団長を相手に、《
チナミが言った。
「私が呼びに行きます。一人で充分です。ナズナはサツキさんのサポートを。歌ってあげて」
「わ、わかった」
「いいのか?」
二人を逃がすための役割でもあったのに、ナズナが残るとなると、サツキとしては有り難いが申し訳ない。
しかしナズナは迷わずうなずく。
「こ、怖いけど……頑張ります!」
「任せた」
と、チナミは言うと同時に屋根の上まで身軽に壁走りでのぼり、屋根伝いに駆けて行った。くノ一の如く見事な手際である。
ナズナは、上空に上がる。こちらも屋根の高さまで飛んだ。
「その高さにいてくれ。そこなら打撃のリーチに入らない」
「は、はい」
あっという間に陣形を整えたサツキに、オーラフは称賛の言葉を贈った。
「やるじゃないか。一人を逃がすとは。だが、もう一人はいいのか?」
「俺を助けてくれるみたいです」
「どうだかな。そのまま逃げても許そうじゃないか。……ん? その顔、ナズナといったか。つまり、『
「だったらなんだと?」
サツキが聞くが、オーラフは首を横に振った。
「いいや。いとこだろうと始末して構わない。王女以外はやむを得ないってことだ。やろうぜ、『
剣を構えるオーラフを相手に、サツキも刀の鯉口を切った。
「いつでも」
川沿いまで連れて来られたルカは、地理を頭に浮かべていた。
――ここから先の道を左に曲がれば、もう一度角を左に曲がってサツキたちのいるほうへ戻れるはず。倒したあとは、そのルートがいいかしら。
いつまでも澄ました顔をしているルカに、『鉄壁』のモリィーが挑発を再開した。
「おうおう、どうしたんだ? ワタシとの勝負には興味ないって? そんな顔してるけど? 勝てない勝負はつまんないもんな?」
「全部に答えるつもりはないから、どの質問に答えるか迷うけど、最後の問いには同意するわ」
「どういうことよ? ん? あん?」
ボクシングでも始めそうにステップを踏むモリィー。
ルカはそんな彼女との距離を一定以上取って様子をうかがう。
――この女、どれだけ強いのかしら。まずは……。
すっと腕を肩の高さにあげ、手のひらを正面に向ける。
「《お
別空間にある、ルカの所有物を取り寄せる魔法。取り寄せる場所はどこでもよく、ルカのすぐ目の前に穴が出現し、そこから槍が一本まっすぐ飛んだ。
槍はモリィーめがけて飛ぶ。
しかしモリィーはステップのよさを生かし、するりと腕を回す。さっき壁を張ったのと同じように、壁を作ったのである。
「《
槍は見えない壁にぶつかって跳ね返り、地面に転がった。
「軽い軽い! そんなの効かねえよ! さっきあいつが言ったこと、覚えてるか? どれも正解さ! 見えない壁は防御壁! 物体も魔法も通さない! よほど強い衝撃じゃないと壊せねえんだよな、これが」
「時間制でもあるのね?」
ルカの問いにモリィーは笑った。
「そこだけはちげえよ! ワタシが消そうと思って触ったら消えるのさ! まあ、時間によって強度は下がるとかは知らねえし、一日以上出現させたままにしたことないからわかんねえけどよ」
ステップを踏みながら、モリィーは剣を手にする。
「どうする? またやる? お?」
「……」
慎重に頭を整理する。
――情報は得られた。つまり、この壁を張らせる隙もなく速攻で仕留めるか、相当の衝撃を与えるか。どちらかでいいのよね。
黙っているルカを見てモリィーはニヤニヤ笑う。
「なによ? おまえ、もしかしたらビビってる? 仕方ねえよ、おまえ弱そうだもん。ワタシが狩る側ってのが、本能でわかるだけ立派じゃん? お?」
そう言われて、ルカは心がかき乱された。
――私、この女を相手に臆してる……? でも、仕方ないのかもしれない。だって、私は実践が初めてだから。サツキとクコは私を褒めてくれた。強いとも言ってくれた。あのときは魔獣相手であの二人が危険な状態だから夢中で追い払えたけど、思考力のある人間を相手に、私はどれだけ戦えるの……? それも、死と隣り合わせの状況で……。
まだこの十五年間で、ルカは人と戦ったことはない。
魔法の師匠である玄内には、ただ魔法を教わっただけだし、魔獣を相手にするのとは訳が違う。
だから、ルカは不安で戸惑っていた。
武道の経験もない。
そんなところからの初めての命を賭した戦い。
そして相手は、上背がありガタイもよく戦闘力に自信を持つ騎士。
――私は、変わりたい。そう思って、魔法の練習だって……!
ルカはまた手のひらを向け、魔法を繰り出した。
「だから効かねえって! 《
リズミカルなステップで剣を持ってないほうの手で壁を張り、またしてもルカの繰り出した槍を防いだ。
――失敗した。新しい魔法の練習はしてるけど、開発中だから……。
焦るルカに、モリィーは大きな剣を振り回して攻撃する。
「どうよ!」
「っ」
後ろに下がるルカだったが、着物の袖がわずかに切れる。
――初めての実践って、こんなにも難しいものなのね。新しい魔法も、やっぱりうまくいかない。練習でも成功しないんだから、仕方ないけど……。でも、私が変わるには、この実践を乗り越えないと!
力む。ルカはまた槍を飛ばせるものの、変な力が入っているせいか、槍はモリィーが壁を張るまでもなくかわされ、
「おら!」
剣を振り落とされた。
またもやルカは、ギリギリのところで避けた。余裕綽々の相手に、自分は攻撃を避けるだけで精一杯の状況。
息を整えながら、ルカはまたモリィーの動きを観察する。
――どうすればいい……? 新技はうまくいかない。こういうときは……サツキ、あなたなら……。
自分の環境をがらりと変えてくれた少年の顔を思い浮かべて、ルカはその少年がいつも修業に打ち込んでいる姿を想起した。
サツキは、いつも黙想をしてから修業を始める。黙想、礼。そのあと空手の基礎を一つ一つ、丁寧に全力でこなし、型を三つやる。空手の修業を終えるときはまた黙想をして礼をする。それから、クコと剣術の修業を始めるのだが、これも基礎から一つ一つ順番に着実に全霊で行っていた。
そんなサツキを、ルカは側で見ながら尊敬していた。
昨日の晩など、クコが寝てからまた一人で修業していた。しかも、また基礎をやっていた。
今朝の列車の中でも本を読んでノートまで取って勉強して、疲れでうとうとしていたほどだ。何度も眠りそうになってはビクッと肩を震わせて、眠気を振り払おうとまた勉強に集中しようと本に視線を戻し、また眠りそうになっていた。
繰り返し、繰り返し、繰り返し、そうやって少しずつ己を鍛えるのがサツキという少年だと、たった三日の付き合いでもわかる。
――真剣なサツキの顔、素敵だと思う。私にはできない努力を重ねてる。サツキにはサツキの戦いがあるのよね。
別れ際、サツキは「俺の戦いをする」と言っていた。また、「ルカの力を見せてやれ」とも言った。
――私の力ってなに? 自分の戦いって? それって、きっと、普段から変わらず積み重ねてきたものなのよね。
ならば、ルカのそれとはなんなのか。
――なんだか、勘違いしてたわ。初めての実践で緊張してたのかしら。それとも、変わりたいって想いが強くて、忘れてたのかしら。だれも「新技を見せてやれ」なんて言ってないじゃない。私は、私がやってきたことしかできないものね。それを、サツキは評価してくれたんだもの。
ふうと息を吐き、ルカはまた、手のひらをモリィーへと向けた。
「お? また来る? やれる? でもワタシには効かねえよ? へいへいへーい!」
「私、尊敬する両親みたいになるには、今の自分を変えないとって思ってたの。新しいことに挑戦すれば、変わるとも思ってたのよ」
「なになに? 降参する前の演説か? お?」
「でもそうじゃないのよね。積み重ねて積み重ねて、だれも見ていないところで地道に努力を重ねてゆく。その先に、なにかがあるんだわ。両親みたいな技術かもしれないし、みんなに慕われる明るさかもしれない。暗くて不器用な自分が嫌いだった私が憧れた、そういうものかもしれないけれど、違うなにかかもしれないのよ」
「さっきからなんの話してんのよ?」
ステップを踏み、モリィーは剣を構える。
「もういい? やっちゃっていいのね? お? 行くよ!?」
モリィーの剣が大きく振り回され、ルカに斬りかかった。
「とわあああああう!」
その瞬間、ルカはつぶやく。
「《
地獄にある刀の山と剣の林。
刀と剣と槍が、モリィーの足下からザッと花のように乱れ咲く。
「ぎりぁああああ!」
甲高いモリィーの叫び声が一帯に響く。
「大丈夫。不器用な私がコントロールを気にせず使えるように創造した魔法だけど、急所を外すくらいはしたから」
ルカがそう言うと、無数の刀剣と槍は地面へ戻って、そこにはなにもなくなった。
「う……あ」
モリィーが言葉を発しようとしたのか、それとも痛みに苦しんだだけなのかは知らないが、うめきのような声を漏らすと、そのまま気を失った。
ルカは、これが辛勝だったという気持ちがあるが、自分でも戦えることがわかった。
実践への不安や変化への固執など、自分で自分を縛っていたせいで苦戦になった。槍を飛ばすだけの攻撃さえぎこちなくなって、その攻撃が通用しないことが焦りを生む負の連鎖。それを断ち切ってみると、モリィーとの力量差は圧倒的だった。
横たわっているモリィーにルカが言う。
「私が欲しかった自分が変わるって未来は、別物になることじゃない。今の自分から一歩踏み出すことだったのかなって思ったのよ。でも、まだ答えは探してる。探し続けるわ。……もう聞こえてないでしょうけど」
攻撃の手をあと五秒待ってくれたらそこまで言えたのにと思ったが、どのみちルカはモリィーに理解してもらいたいわけではない。
「サツキ。あなたにはまた助けられたわ。あなたの知る由もないことだけどね。私は思う。やっぱり、あなたと共に一歩踏み出してよかったって」
ルカは初陣を勝利で飾った。
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