16 『人斬りは十五年ぶりに抜刀する』

「あなたが、人斬りですか?」


 ミナトは、青白い月明かりを後ろに背負った人物に問いかけた。

 噂に聞いた人斬りかと思ったのである。

 相手は、刀を構えている。

 どうやらミナトのことを斬ろうとしているらしい。

 逆光でよく見えなかった顔がやっとうかがえた。生気に満ちた、まるで生き返ったか生まれ変わったか、生を楽しむような顔つきだった。しかし、目の下にはくまがあるし、どれほど健康なのかはミナトにはわからない。

 返事のないドレッドヘアの相手の顔を見て、ミナトは小首をかしげてみせた。

 すると、相手はうれしそうに口を開いた。


「ずっと、ずっとずっとずっとずっと前からな」

「まだお若いのにとんでもない方だ。若気の至りじゃなくてそういう趣味なんですかい?」


 涼やかな微笑みを浮かべ尋ねるミナトを見て、相手は笑い出した。


「しっしっし。幕末の志士に趣味もなにもないさ。『ねむれる』、このはいもとけんは、物心ついた頃から幕末に生きた。幕末しか知らねえ男じゃん」

「十五年前に幕末は終わりましたが、新戦国時代をご存知でないのですか」


 ミナトは不思議そうに聞く。


「まあそういうことだ。言っちまえば、おれは斬ることしか知らねえ斬るだけの生き方に徹した人斬りってわけさ。おれの登場は幕末も終わりの頃。ついたあだ名が『眠れる志士』じゃん」

「ふうん」

「先に名を馳せた『ばくまつよんだいひとり』。やつらにも匹敵するんじゃないかって言われたこともある」

「……」

「そして今日、おれは生き返った! さっき十五年の眠りから目覚めたが、そんな気がしない。昼寝でもした気分だ。でもよ? 人を斬って斬って斬って斬って斬りまくりたいって身体が言ってるんだよ。うずいてやがる。だからおめえも斬らせてもらうぜ!」


 徐々に喚くように声を張り上げていったケンタ。

 しかし、ミナトはにこにこと笑っている。まるで友だちと世間話でもするみたいに気の抜けた顔だった。


「ふふっ、なに言ってるのかわかんないや」

「こいつ、今から斬られるってのに笑ってやがるぜ! 幕末が終わったらこんな腑抜けた時代になってたなんてふざけた話じゃん! わかんねえなら教えてやる! おめえが今ここで斬られるってことをよ!」


 ケンタは駆け出した。




 この様子を、先程から物陰に隠れて見ていた者がある。

 うきはしだった。


 ――あれって、噂の人斬りなの? そういうことよね……?


 ちょうど橋の前を通りかかったところ、少年が怪しい青年に絡まれている場面に出くわし、様子をうかがっていたのである。


 ――あの子、あたしと同じくらいじゃない。なに腑抜けた顔してのんびり笑ってるのよ! あいつ馬鹿?


 憤るやら怖がるやら呆れるやら、どうすればいいかわからず、ヒナはただ潜む。

 だが、次の瞬間、青年が少年に向かって駆けて行った。


 ――やばい!


 青年の動きはかなりの素早さだった。

 一つ呼吸する間に、剣先がキラリと光り、少年の喉元にまで迫った。

 それを見ていられず、ヒナは咄嗟に目を覆ってしまった。


「ひ、人斬りぃー!」


 だが、叫び声を漏らしたのはヒナだけで、橋のほうからはだれの声も聞こえて来ない。


 ――声が、聞こえない? あたしには、《うさぎみみ》の魔法があるから、百メートル先のささやき声さえ聞こえるのに。


 ヒナの《うさぎみみ》に、どんな音の反応もない。


 ――いや、衣ずれの音……倒れた音!


 音は聞こえた。

 だが、疑問も残る。


 ――でも、なに? 叫ぶことさえできなかったの……? 確かに、喉をやられたら声なんて出ないけど……。


 ヒナは、顔を覆っていた指をずらし、その隙間から確認すべく、恐る恐る目を開ける。

 だが、その目に映ったのは、ヒナが予想していた物とはまったく異なる光景だった。


「どうして……」


 そこには、さっきの人斬りが血を流して転がっているのみだった。


「確かに、倒れた音はあの子の見た目から想像されるより重かった。でも、なんであの人斬りが倒れてるのよ……」


 少年の姿はもう見えない。


「どういうこと……」


 まったく状況がつかめない。


「あたしの《うさぎみみ》に、足音なんて聞こえてない! だれも、動いたはずはないのに!」


 背筋がぶるっと震えて、ヒナは大声で叫ぶ。


「な、なんなのよ! 今日の王都はー!」




 少女の叫び声が王都の空に木霊したまさに五秒後。

 ルカはその声に事件の香りを嗅ぎつけ、川沿いの道に出た。

 角を曲がったところである。

 そこで、ルカは少年とぶつかりそうになった。

 後ろで髪を一つに束ねた穏やかそうな少年で、年の頃はサツキとも変わらないくらいだろう。

 白い羽織の袖にある浅葱色のだんだら模様が印象的だった。

 ルカは聞いた。


「もしかして、例の人斬りですか?」

「いやだなァ、違いますよ。僕は流浪人です」

「いえ、そうじゃなくて……」


 当然だ。少年は返り血ひとつ浴びてないし、涼しい顔をしている。川沿いの道を歩きながら夜桜を楽しむふうでさえある。いや、今もそのさなかに見える。


 ――でも、「人斬りぃー」って叫び声が……。


 ルカが少年の後方へと視線を向けると、叫び声を上げたらしい子供の声の主はいなかった。目の前の少年はすでに声も子供のものではない。そしてすぐ、ルカは丸太橋の上で血を流して倒れている青年の姿を捉える。


 ――あれって、やっぱり人斬りだわ! じゃあこの子、時間と距離を考えても完全に人斬りを見てるじゃない!


 少年があんまりゆるい顔をして飄々としているので、ルカは驚きと呆れが混じった声でつぶやく。


「まさか、人斬りをただ見てたっていうの……?」


 冗談でも言われたみたいに少年は静かに笑った。


「まいったなァ。いくら平素ぼーっとしてると言われる僕でも、そこまでぼんやりしていられるほど、お人好しじゃあおれません」

「じゃあ……いったい……」


 とルカが言いかけて、橋にアルブレア王国騎士が近づいてくるのを見つけた。


 ――まずは身を隠さないと。あの騎士、特に髪を逆立てたほう……かなりの使い手だわ……。


 この少年と話している場合ではなくなった。


「失礼」


 それだけ言って、ルカは急いで走り出す。


「一体、今宵の王都はなにが起こってるの……?」




 その頃、少女の叫び声の届かない場所で、バンジョーは走っていた。


「どこだ? どこにいるってんだ、まわりぐみ!」


 黒い羽織が目に飛び込む。

 二人組の手元では、じんわり滲む明かりが闇を泳ぐようだった。見廻組の提灯である。文字もあった。


「いた! おーい!」


 ねじりハチマキをした渋い顔の組長『おうばんにん』ヒロキが、軽やかに手をあげる。


「やあ。こんばんは。なにか御用ですか」

「オレの仲間がやばいかもしれないんです!」


 バンジョーは二人の前にやってきて、足を止めた。

 ヒロキの隣にいた部下、『がくせん』コウタが意味を理解しかねている。


「やばいって、いったい……」

「事件かもしれない。そういうことだろう」

「そうっす! 実は……うおおお! なんだ、足が……!」


 足が砂場に埋まるように沈んでいってしまう。


「これはまずい。魔法か」


 大きな身体のバンジョーをひょいとつかむと、ヒロキは地面を見る。


「うん。魔力反応は消えた。詳細はわからないが、なんらかの条件を満たしたらしい」


 そう言ってバンジョーを下ろすと、もう足が地面に埋まることはなかった。

 先程バンジョーが戦ったハヴェルの魔法、《蟻地獄デザート・インフェルノ》によって足元が砂のように崩れる状態にあったのだが、バンジョーは足場が崩れる制限時間の一秒も足を止めることはなかったので、ここまで無事だったのである。

 だから今になって初めて発動したわけだが、ヒロキという第三者の救出によって、この効果も解除されたのだった。

 バンジョーはそんなことも知らず、ただ仲間のことを考えて言った。


「お願いします! サツキを! あの、帽子をかぶったやつで、すげえいいやつなんです! サツキを助けてやってください!」


 うまく説明できずにいるバンジョーに、ヒロキは頼もしくうなずいた。


「わかった! そういう人を守ってこその見廻組だ」

「同感です!」


 新入り隊士のコウタも相槌を挟み、「うん」とヒロキは繰り返しうなずき、どっしりと構えてバンジョーを促す。


「では、話してくれたまえ」

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