14 『天使の歌声は傷を癒やす』
サツキはチナミの家へと引き返す道にあった。
目的地までの道順はわかっている。
いつアルブレア王国騎士とまた顔を合わせることになるのか、サツキは気をつけて歩いていた。
角を曲がったところで、
「きゃっ」
だれかにぶつかった。
顔の高さが同じくらいだったから、額同士がうまいことぶつかってしまい、サツキも相手も額を押さえる。相手の声からして少女のようだった。
――いてて……。
サツキが顔を上げると、
「いったーい!」
相手は目に涙を浮かべていた。
「だれよ……」
少女の抗議に答えるでもなく、サツキは相手の名をつぶやく。
「
「え」
浮橋陽奈は、うさぎの耳をぴくりとさせ、サツキの顔を見る。
「あ!
「なにしてるんだ、こんなところで」
「それはこっちのセリフよ」
「俺は行くところがあってな。知り合いの家にお邪魔するんだ」
「こんな時間に常識知らずね」
「相手が先に行って待っててくれと言うんだ。いいだろう」
「ふーん」
「そっちはどうなんだ?」
ヒナは歯切れ悪そうに答える。
「買い物よ。カタログ見てたらいい櫛見つけてさ。本当は王都にいる友だちに会っておきたかったんだけど、夜だしやめたの。家の前までは行ったんだけどさ」
「友だち?」
「そ。ちょうど近くに来たからね。ちな……ちなみに! あんたには関係のない話よ」
ビシッと指を差され、サツキは小さく嘆息した。
「そうだな。じゃあ」
「ちょっと待ちなさいよ」
「なにかね?」
通り過ぎようとするサツキを引き止めたヒナは、腕組みしながら言った。
「サツキ、あんた腕怪我してるじゃない。これ、使えば」
サツキの顔も見ず、ぐっとハンカチを押しつけるように手を伸ばす。
さっきチナミの家で包帯も巻かせてもらったし、服が切れているだけで問題はないのだが、確かに血は染みている。サツキはハンカチを受け取った。
「ありがとう」
「今度会ったら返しなさいよ。じゃ!」
ヒナは走り出した。
サツキはヒナの背中を見て、ふっと微笑む。
――意外といいやつなのかもな。
サツキがチナミの家に着くと、家の鍵は開いたままだった。
不用心だが、おかげで中に入れた。
「ごめんください」
と声をかけるが、家にはだれもいない。
おそらくチナミの家族はみんな、家族ぐるみの付き合いをしているというお隣さんの家にいるのだろう。
さっきと同じ居間に座って休む。
目をつむる。
腕の痛みはそれほどじゃないし、魔力コントロールの修業を始めた。いつもはクコの魔力の流れを感じ取り、そのあとサツキがそれを真似てコントロールするのが手順だが、一人の今は、精神面の修業を兼ねるように魔力コントロールを丁寧に行う。
そこへ、客があった。
玄関のドアがガラガラ開いて、廊下の向こうから細い声が聞こえてきた。
「ごめん……ください」
少女の声だった。
――この声、聞いたことがある。
そんな気がする。だが、ハッキリしない。サツキの知人に、ここを訪ねるような人間がいたろうか。そもそもこの世界にサツキの知人などいないではないか。
静かに廊下を歩いて部屋にやってきたのは、小柄な少女。
見たことがあった。知っている。どこで見たのか、すぐに気づく。クコに見せてもらった、アルブレア王国の記憶の中だった。
「……チナミちゃん……え、あの……」
と、少女は困ったようにオドオドと襖に半身を隠していた。
お団子つきの短いツインテール。チナミよりは十センチちょっと背が高いが、サツキに比べるとやはり小さい。一四五センチといったところだろう。垂れた目が優しげで、気の弱い子猫のような雰囲気がある。桜色の和服の背中には天使の羽のような翼がある。天使を連想させる無垢で清らかな印象。まるで本当の天使のようである。
「
まさかの出会いに、サツキは驚いた。
クコとリラのいとこで、リラとは同い年。サツキより一歳年下。この少女を探しに、クコはこの王都へ来たのである。
だが、ナズナはもっと驚いていた。
「音葉薺……です。なんで、知ってるん……ですか? チナミちゃんは?」
チナミもいないし、知らない人が自分のことを知っている。
驚くのも無理はない。
ナズナの視線は、血で染めた着物の左腕に向かっている。怖い人だと思われてしまったろうか、と思い、サツキは安心させるためにも率直に言った。
「俺は
「クコ……ちゃん……?」
クコの名前を聞くや、ナズナの警戒心が薄らぐ。あんまり押してもおどかすようになってしまいそうだから、サツキは引いておくことにした。
「大事な話だからクコからちゃんと聞いてほしいし、明日クコとキミの家に行くよ」
「悪い人に追われてるみたいなの。だから匿う」
そう言ったのは、家に戻ってきたチナミだった。
サツキの到着からあまり経っていないが、チナミはまた家の屋根の上を駆けて来たのである。
「ナズナ、安心して。サツキさんは悪い人じゃない」
チナミが説明してくれたおかげで、ナズナはサツキへの警戒心をハッキリと解いたようだった。サツキが信頼されやすい雰囲気を持っているというより、ナズナのチナミへの信頼が大きいのだろう。
「二人は、友だちなのか?」
「親友で、家が隣です」
つまり、チナミの言っていた家族ぐるみの付き合いがあるお隣とは、ナズナの家になる。
ナズナはサツキに歩み寄ると、
「怪我……してます。治さないと……!」
両の手を胸の前で組んで、鈴が鳴るような声で歌い始めた。まるで天使の歌声である。
――あれ……?
「腕の痛みが……」
痛みが引いて驚くが、クコの記憶を思い出して納得する。
――そういえば、癒やしの歌で体力を回復させたりできるって言ってたな。
サツキは揺りかごで聞くような歌に、身を任せた。
短い時間だった。
が、歌が終わると、サツキの左腕の痛みはほとんど消えていた。包帯の上から傷は確認できないが、少なくとも、痛みの感覚だけは大幅に軽減した。
「完全じゃ……ないけど……ちょっとは、癒えてる、と思います」
「ありがとう。だいぶ痛みが引いたよ」
「それから……」
と、ナズナはサツキの腕に手を当てる。
「ん?」
「傷口、いいですか?」
「うむ」
サツキは袖をまくって包帯をほどく。
そこに、
「ふぅ」
やさしく息を吹きかけた。傷口にやわらかな風が触れる感覚がしたと同時に、さらに痛みが引いた。
「痛みを吹き飛ばすおまじない……です」
照れたような笑みで言うナズナである。
これもナズナなりの気遣い。冗談を言うのは得意じゃないが、目の前にいる無愛想な少年に笑ってほしかったから出た言葉だった。むろん、ナズナの息吹はただのおまじないなどではない。歌よりも強い治癒魔法であった。
「うむ。痛みも飛んでいってくれたみたいだ」
と、サツキは釣り込まれるように小さく笑った。
「よかったです」
ナズナはサツキの微笑みを見て、うれしそうに包帯を巻き直した。
ここから、サツキはチナミからナズナの家の話を聞いた。ナズナの家はこの家の隣で、二人は小さい頃からの幼馴染みらしい。ナズナからはリラやクコの話も聞いているようだが、あまり詳しくはないとのことである。
「でも、チナミはどうして一度別れたあと助けに来てくれたんだ?」
サツキが問うと、チナミは相変わらずの表情に乏しい顔で、
「あの人、変な感じがしました。王都に暮らす人は……特に小さい頃からここに暮らす人は、常にいろいろな魔法を見て育ちます。だから魔法に驚くことも少ないですが、魔法に敏感にもなってます」
「そういうのはあるだろうな。俺は第一、この世界の人間じゃないから魔法に驚いてばかりだ」
「え」
「……」
ナズナがびっくりしたように目をまんまるにして、チナミは言葉の続きを待つようにじぃっと食い入るようにサツキを見つめる。
口を滑らせ、思わずサツキは苦笑した。
「明日、クコから説明してもらいたかったんだが。二人には言うよ。俺は、クコが世界樹の根元で魔法陣を描き、異世界から召喚されたんだ。こっちの世界に来てまだ一週間。他の人には内緒にしてくれ」
「わかりました」
「あ、……は、はい」
チナミは即こくりとうなずき、ナズナは遅れて返事をした。
「それで、クコさんはどうしてこの子に会いに来るんですか?」
冷静に、チナミが質問を繰り出した。
「先に言っていいかは迷うが、考える時間はほしいよな」
ひとりごち、サツキは言った。
「クコは、ナズナにいっしょに旅をしてほしいと思ってる。旅の目的は、アルブレア王国の奪還」
「奪還?」
反応したのはチナミだ。ナズナは「え……」と蚊の鳴くような声を漏らしている。
「簡単に言うと、悪い大臣に王国が乗っ取られようとしている。そこで、その大臣と戦うために、仲間を集めて旅をしている」
「なるほど。だからナズナの魔法があると助かるんですね」
チナミの理解は早い。淡々と状況を把握してゆく。ナズナは驚いてしまい、言葉を失っていた。
「つまりサツキさんは、追っ手の騎士に斬られた――」
「うむ。あの女騎士の話では、クコはその女騎士から逃げて宿を出ているようだ。俺の仲間との再会も果たしたい。その上で、俺は玄内先生という人を探しに行きたいんだ」
「私は知りませんが、ナズナは?」
「わたしも、わからない……かも。昔、リラちゃんが、玄内先生に診てもらったって、聞いたことはあります」
「リラが?」
「リラちゃん、からだが、丈夫じゃないから……」
「クコもそんなこと言っていたな」
「玄内先生は、優しくて、強いって……。絵も上手で、いろいろ教えてもらったから、先生だって。あと……魔法が、たくさんあって、すごいそうです。リラちゃんは、そう言ってました」
玄内について、ナズナもそれ以上はわからないようだった。
情報が膨らみ過ぎて読めない部分も出てきたが、玄内をまた知ることができた。
「教えてくれてありがとう。助かったよ」
ナズナは、おずおずと口を開く。
「あの……わたし、クコちゃんの、ために、なにかしたい……です」
「気持ちは有り難いが、今は家にいたほうがいい。俺は仲間を探すために、このあと外に出るつもりだが」
「サツキさんは勝手ですね。私とナズナが付き添います」
チナミがそんな提案をしてきた。
「うん」
ナズナもそのつもりのようだった。
だが、サツキは二人と外に出るのははばかられた。
「危険だぞ。明日以降、俺がクコといっしょに来るまで待っていたほうが――」
「私は戦えます。おじいちゃんに仕込まれてますから。それに、ナズナは空も飛べるしサポートできます」
「お役に、立ちたいです」
二人の目を見ると、サツキは自然に言葉が出てきた。
「そう言ってもらえてうれしい。ありがたいよ。でも、どうして俺のこと、そこまで信じて助けてくれるんだ?」
チナミとナズナは顔を見合わせる。
先に答えたのはチナミだった。
「会ってまだ、一時間くらいでしょうか……。でも、サツキさんはずっと真剣に私と向き合ってくれていました。その目に嘘はないって、私は信じられます」
「わ、わたしも……」
ナズナも言葉を選ぶように、ゆっくりと言った。
「一生、懸命……だったから……。サツキさん、クコちゃんのことを、しゃべるとき、一生懸命だったから……。だから、わたしは、大好きなクコちゃんのためにも、サツキさんには、ちゃんとこたえたかった……んです」
サツキは小さく息を吸う。
――ちゃんと応えないといけないのは、俺のほうだ。ナズナの回復魔法の効果も身をもって実感しているし、なによりチナミの動きのよさと強さはさっきの戦いで知っている。手伝って欲しい。ナズナとチナミに。
そして、サツキは小さく頭を下げて言った。
「よろしく頼むよ」
「こちらこそです」
「よろしく、お願いします」
チナミとナズナも礼を返してくれた。
三人はそろって、外に出た。
サツキは公園の前を通りかかる。
そこで、ナズナが言った。
「やっぱり、いない……よね」
「なにがだ?」
「アイスキャンディー屋さん、です」
ナズナの言葉にチナミが補足する。
「よくここに自転車を停めて、アイスキャンディーを売ってるおじさんがいます。白い麦わら帽子がトレードマークのタカアキおじさんという優しい人で、私たちは小さい頃からよくアイスキャンディーを買ってます」
「今日も、食べましたよ」
子供らしい話をする二人に、サツキも少しなごんだ。
「そうか。今度、俺も食べてみたいな」
チナミがサツキを見上げて、また前を向き、ぽつりと言った。
「今度おごります。いっしょに食べましょう」
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